日本はいい国だぜ、のっけからなんだけど。
今回の大学や、以前、1ヶ月だけ顔を出した語学学校など外国人が集まってくる場所にいると、いかに日本が「庶民がお金を持っている国」なのかが、よくわかる。
フランコ体制を学ぶ特別ゼミナールで、「フランコ体制下のスペインでは、大学というのは中流階級である役人の子息を対象にしたもので、庶民(=下層階級=国民の90%以上)が学費を払えるようなものではなかった。そこでフランコ死後の民主化過程において、学費の値下げが真っ先に行われた。現在、この大学の法学部で、学費は年間600ユーロ弱(約9万円)である」という説明を受けたときのこと。
スウェーデン人のカリンちゃんが、挙手した。「っていうか、どうして無料にしないんですか?」
スウェーデンでは、義務教育に加え、大学も無料なのだという。
そして国内で学ぶ学生にはもちろん、さらに海外に留学しているカリンちゃんには、毎月、住居費はカバーするくらいの金額が、国から援助されるのだとか。
「年間にたった600ユーロだよ、暖房代くらいの実費だよ」「いや、完全無料にしなきゃおかしい」 珍しく先生と押し問答をするカリンちゃんの袖を私は引いて、「あのね、日本では年間100万円はするよ。医学部とか、1,000万円することもあるんだって」と、囁いた。
「えっ!」 彼女は大きな青い目を見開いて絶句すると、小さな声で「……誰が払えるの?」と訊いてきた。
そう言われれば、たしかにそうだ。でも、私んちだって、それ、払ったんだよなぁ。
日本では庶民が、一応、なんとか「それくらいの」お金を融通できる。
もうひとつ例を出すなら、大学卒業後、あるいは会社勤めを辞めて海外留学、というのも、ここで見る限り日本人が断然多い。
現地で働かなくても済む充分なお金を貯めてきて(ビザの問題で労働ができないというのもあるのだが)、地方都市やヨーロッパ各都市をまわったりして、滞在を楽しんでいる。
一方、大学在学中の交換留学は、提携大学があるせいもあって、アメリカ人をよく見かける。若人たちは短い滞在を満喫しようと、週末といわず平日といわず、ディスコに繰り出している。(赤十字でボランティア活動をするクラスメートもいるが)
その他の国から来た学生は、だいたいバイトをしている。それが違法でも、働いている。ドイツやオランダやフランスからの20歳前後の学生は、住み込みのベビーシッターをしながら。東欧や南米から来た25歳前後の学生は、ウェイターやウェイトレスをしながら。前出のカリンちゃんも、チョコレートショップでバイトをしている。
バイトをしていないのはかなりの金持ちで、実際に会ったのはロシア人と中国人とヨルダン人。
私の実感では、世界はすごく大雑把にいうと「庶民の家の子が海外留学に来て、現地でバイトをして生計を立てる」国と、「金持ちの家の子が来て、バイトをしない。貧乏な家の子もスペインには来るが、その場合には学校なんか通わずに必死で働く」国とに大きく分けられて、日本は、そのどちらにも入らない。
日本は、「庶民の家の子が来て、働かずに学生生活を楽しむ」国だ。
大学の学費のことを考え合わせても、今日の日本の庶民って、他の国の「けっこう裕福な家」に相当するのではないだろうか。ストックではなくフローの方ならとくに。
ということで、今日のテーマは、社会階級です。
■オルデン・ヒメーネスはこう云った:
「スペインでうっかり『ノブレス』なんて言ってはいけない」
現代スペインに関する思想史の先生との会話で、うまくことばが出てこず、「ほら、『ノブレス・オブリージュ』みたいな概念って、」と言ったときのことだった。
セネカと同じコルドバ出身のオルデンは血相を変えて、「いかん、決して混同してはいかん。スペイン語の『ノブレス』には、それに相応しい一切の価値がないばかりか、その対極にあるような存在だ」と注意してくれた。
そこで、ハッとした。
そうか、スペインにはいまもノブレ(貴族)がいるんだ。
たとえば、ゴヤの『裸のマハ』のモデルかもしれない(たぶん違うけど)ということで有名なアルバ女公爵。彼女は18世紀の美しき開明派だが、現在も、そう呼ばれる女性がいる。
こちらは故・清川虹子似の老婦人。アルバ公爵家の現当主で、貴族として46の称号を持っている。
彼女が、フェニキア人が持ち込んだラティフンディウムが根強く残るアンダルシアを中心に所有する(と思われる)土地の広さは、不明。公表された、オルデンの出身地コルドバ県内分だけで約3,000haあり、数年前に1億3700万ユーロ(約200億円)と査定されている。ま、ほんの一部だろう。
むろん、建物も絵画も宝石も、たくさん所有している(はず)。また現代の金持ちとして、当然あちこちの会社を持っている(はず)だが、どれくらいの資産があるのかは不明。
スペインにおいて、貴族はノスタルジィを伴う過去のものでも、また無害なお飾りでもない。
■フェルミン・マリーンはこう云った:
「フランコ時代の『200家族』が、フランコの死を迎えてどうなったか。……接収? とんでもない。なにも変わらなかったのさ。今日までも、そして明日からも」
200家族とは、フランコ体制に迎合して、アミーゴーして、利権を貪ったやつばらの総称。フランコは各産業で独占・寡占状態を作り出し、その利権を彼らに与えた。フランコの私的友人や側近などの成金が、フランコに靡いてうまい汁をじゅうじゅう吸ったという。
格式ある貴族を前にしてもフランコは、「で、お前はなんでそこにいるの?」と言った(ようなものだった)。そこで「あなたのお役に立つために」と答えられなければ、彼は放逐されるだろう、財産は没収されたうえで。
で、多くの貴族は、残った。残って、汁をじゅうじゅう吸った。
「上流階級つうのは、社会が認めるから上流階級なんだ。その社会がフランコ独裁体制なら、当然、フランコに認められるように振る舞う。彼らに、社会批判をする意思も、その能力もないよ」
反対したものの末路は?
内戦中、そしてその後に捉えた共和主義者を、フランコは、各地の闘牛場に収監した。
すり鉢状になっている闘牛場は脱獄がまず不可能であり、その高い壁が外部からの視線を遮り、かつ、町外れにあるため隔離も簡単。
数年たち、栄養と衛生面の問題から収監者のかなりの数が死に、残ったものに反抗の能力がなくなったと見たところで、フランコは彼らを故郷に帰らせた。
その姿が、フランコ体制への反逆者の末路としての、なにより「良い例」になると踏んだからだ、という。
■フェルミン・マリーンは、こうも云った:
「『スペイン国民を護るため、私はこの身を神への犠牲に捧げる』、フランコはそう言ったんだよ」
人間はすべてアダムとイブの子どもである、聖書によると。
彼らが国として集まった以上、そこには集団としてのひとつの「国民」があるだけで、各々に異なる個人というものは存在しない。(だから、差異に基づく政党や地方自治は存在しない。そして無神論者(類似のアナーキスト)と外国人を嫌悪する)
そしてフランコは、彼ら神の子どもたちを代表し、彼らを護るために、神に自らを犠牲に捧げて奉仕するのだ。らしいのだ。
国民を庇護する責任のあるフランコは、彼らの自由、公平、平等、進歩、保健、教育、経済的発展などのすべての面倒を見る責任がある。
これは、そう、「父」の姿だ。
フランコ体制を一言で表すと、家父長主義、になるという。
そしてフランコが父として君臨した国のパターンが、末端では各家庭で繰り返される。
ここで大活躍したのが、カトリックだ。
教会は、毎週日曜のミサ(出席しなければならない社会的プレッシャーが存在した)や告解(同前)を通じ、各家庭に、あるべき父の姿、母や子の姿を教え続けた。
フランコ時代、「個人」というものはなかった。あるのは「家」と、それを構成する家族のプロトタイプだけだった。
誰もがこうして「よき父(母、子ども)」を演じるようになったとき、その価値観を揺るがすものが出てきたらどうなるか?
自ら、排除するだろう。ちょうど模範的な生徒が、掃除をサボる生徒を、その良心から、先生にチクるように。
こうしてスペインは、オート・ポリス化された。
フランコが死んで4年間、スペインは「何事もなかったかのように」機能し続けた。
陸海空軍の総司令官である国王を深く信頼し、手の届かない貴族は憧れの存在で(アルバ女公爵はワイドショーの常連)、カトリックであり、外国人は本当のところあまり好きではない(観光産業の重要性がわかってるから、お国のために我慢するけど)。
それが、現在まで続く、スペインの庶民のひとつの典型なんである。
共和国政府に対する軍部クーデターの際、モロッコ駐留軍を指揮していたフランコは、ジブラルタル海峡を越えてスペインに上陸した。
彼はそこで、拍手をもって迎えられたという。
他地域からそれぞれマドリードを目指した数人の将軍が、ある者は孤立し、ある者は死んで、力を失ったのに対し、フランコだけが偶然生き残り、彼を「カウディージョ(頭領、ケルト文化に由来)」にした。
スペインでフランコを迎え、首都マドリードまでの道を開けたは、国の中で最貧の、それゆえに熱心なカトリック教徒が多く、共和国政府のラデイカルな宗教政策に不満と不安を抱いていた、アンダルシアの人々だった。むろん、財産を保持したい教会や大地主や貴族も、拍手を送り彼を送り出した。
スペインがフランコを望んだのだ。
フランコは、75年に死ぬまで、スペインに独裁者として君臨した。
「誰も、出て行け、と言わなかったからだ」
そう言って、フェルミンは話を結んだ。