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食べ物で綴るスペイン古代史

 スペインに来て6年。
 幼稚園に通っていた姪っ子はいまや中学受験にいそしむようになったし、当初はなにも言えず下唇をキュッと噛みしめていたあたちは、いまやボッタクリそこねたモロッコ人から「あんた、絶対日本人じゃねえ!」と褒められるように(たぶん)なった。

 ライターという仕事柄、というのを利用して、ほぼ全自治州を旅してまわったし、その土地の美味いものから有名サッカー選手、さらには地元民のコラソン(ハート)を軽くつかむ方言のひとつふたつまで、調子良く覚えたりもした。
 (ちなみに長崎に8年間住んでいたアメリカ人義姉の電話は、「ハーイ、なんばしよっと?」からはじまる。それには勝てないけれど)

 ちょうどビートルズの曲をだいたい聴いてしまったように、スペインのことも、まぁだいたい知ってしまったかな。そう、思っていた。
 もう、いまさらそげな驚くこともなかろうて。そう思っていた、のだけれど。

 第3回レポートは、「衝撃! アトランティス大陸発見(か)!?」、です。


■マルティン・バリゲテはこう云った:
「アンダルシアの、ここらあたりね(チョークまみれの短い指で、イベリア半島南西部をぐるぐると指示)。はいよく見て。ここに、タルテッソス古王国がありました。
 長いあいだ伝説上の国と思われていたけどね、いまでは実在したことがわかっています。アトランティス大陸はここのことだと考える説もあるのよ。ムフ」

 歴史担当のマルティン先生は、40代だろうか、クリクリした目とハンプティ・ダンプティよりも丸々とした豊かな体躯(120kgはあるとみた)が印象的な、フェミニンなおじさん。授業の本筋から少し脱線したことを話すときに、「ムフ」と小さく笑う癖がある。
 その「ムフ」が出た。

 2列目で授業を受けていた私はクラァ、となった。
 アトランティス大陸ぅ?


 石器時代(スペインでは紀元前2,000年くらいまで)、なんでもこのイベリア半島は、温暖な気候とふんだんな植物と動物と鉱物に恵まれた、豊かな土地だったという。
 だもんで、氷河時代に寒さを凌ぐため洞窟を見つけてそこに住んでいた一部のクロマニョン人も、「祈る」という精神的な行為をはじめるという跳躍を果たすことができた。
 「こういうのが狩れればいいなぁ」という願いが込められた丸々とした野牛や野鹿、マンモスに、「こういうのからたくさん産まれればいいなぁ」という願いが込められた女性器。
 いわゆる「人類初の芸術」、アルタミラの洞窟壁画の誕生である。
 旧石器時代後期、いまから約14,500年前のことだ。

 で、それから1万年以上が経つと、気候が良くなったため、人類は洞窟を出て、食糧や水が得やすい河畔に住むようになった。
 こうして半島南西部、おそらく現在のセビージャ(オペラ『カルメン』や『セビリアの理髪師』の舞台)のあたりで、アンダルシア新石器文化がはじまった。
 この地域には、スペインでもっとも重要な川のひとつであるグアダルキビル川があり、ついでに、野生の黒豚(最高級生ハムの素材として有名な、イベリコ種黒豚)までいた。
 ここにタルテッソス古王国ができた、らしい。

 マルティンによると、半島内陸部に誕生したタルテッソス古王国は、海に出ることなく、ここで独自の発展を遂げたという。その証拠に、地中海世界一帯に見られる土器の波状紋様が、この地域の遺物には見られない。
 民主的に選出されたふたりの王が国を統治するなど、政治・社会面でかなり高度な発展を遂げていたとみられ、そのレベルは古代ギリシャのポリスに匹敵すると考えられている(←スペイン人の言うことだけど)。もちろん、ギリシャのポリスが誕生するのよりも、何世紀も前の話だ。
 このタルテッソス古王国こそが、旧約聖書に出てくる豊かな国「タルシシュ」や、ギリシャ神話でヘラクレスがゲリュオネスの牛を追って通った土地ではないか。っていうか、絶対そうだって間違いないって。スペインではそう、言われている。

 そんなタルテッソス古王国が、なぜ跡形もなく滅びてしまったのか。
 その1:後年ここに押し寄せたカルタゴの民によって滅亡した。
 その2:大規模な地殻変動があり、海にボッチャーン!と沈んでしまった。(←ここからアトランティス伝説に繋がってくる)
 さて実際のところは? わからない、らしい。
 わからないまでもなんでなんだろうなーと考えていたら、翌週、おもしろいことを習った。


 翌週、じゃなくて、歴史の次の時代になると、イベリア半島海岸部に、海の民フェニキア人がやってくるようになった。
 地中海世界でいち早く青銅器文化に入った彼らは、青銅を作るのに必要な銅と錫を求めて、地中海を西へ西へと渡ってきた。そうしてジブラルタル海峡を越え、ついに大西洋へと乗り出した。
 しかし地中海の穏やかな海に特化して改良され続けてきたフェニキアの民の船は底が浅く、大西洋の荒波に耐えることができない。
 仕方なく彼らは、「ジブラルタルを越えてちょっと大西洋に出た」ところに、そのテリトリーの西端となる町を作った。

 これがカディス(紀元前1,100年成立。当初の呼び名は「ガディール=砦」)。
 タルテッソス古王国があるグアルダルキビル川の河口は、ほんの目と鼻の先だ。
 ちなみにカディスはフラメンコのうちもっとも代表的な種類の「アレグリアス」や「タンゴ」の発祥の地でもあり、ウニやエビなどの海産物や、すぐ近くで作られるシェリー酒やイベリコ豚生ハムが抜群に美味しい、至福の土地でもある。おっとこれは現在の話。
 当時からこの一帯では、良質の塩を作ることができた。なんせ舐めたら甘い地中海の水ではなく、ここはもう大西洋なのだから。
 なのでフェニキアの民は、ここに大規模な塩田を作った。塩は、地中海で高く売れるから。(ちなみにこの塩田は、現在まで引き続き使われている)

 フェニキアの民の目的は、交易である。
 塩田の例に見られるように、彼らはイベリア半島に、「市場」なる概念を持ち込んだ。
 それまで自分たちで消費する分くらいしか生産していなかった村々に、「いやこれ、遠くに持って行ったらけっこう高くで売れるんだよね。だからとにかくワイン(あるいはオリーブ、塩漬けの魚など)、じゃんじゃん生産してみてよ。ちゃんと責任持って売りさばくから」と説き、効率的に大規模生産ができるラティフンディウム(大土地所有制)まで導入したのだ。(これもまた、現在までアンダルシア地方に根強く残っている)

 イベリア半島が、世界の動きの中に、組み込まれつつあった。


 その後、勃興してきたペルシャによって首都ツロ(現在のレバノン)を追われたフェニキアの民は、植民市のひとつであったカルタゴに本拠地を移す(紀元前573年)。
 カルタゴは現在のチュニス、つまり地中海の真ん中あたりにあって、イベリア半島からもそんなに遠くはない。
 しかも、地中海の東半分がペルシャ領になり交易ができなくなることで、西側にあって豊かな土地をもつイベリア半島の重要性がぐぐぐっと増した。
 自ずと、ここへやってくる船の数も増えただろう。

 船は、物を運ぶ。
 おそらく、「本当はそこでの生活に必要ない『商品』を作ることで金を稼ぎ、それによって、本当はそこでの生活に必要ない輸入品を買ってよろこぶ」人々も増えたに違いない。
 だって、要らないものを買うのって、楽しいもん。

 そんな大きな流れというかうねりのなかで、海の近くにありながら頑として海に出ようとしなかった(マルティン曰く)タルテッソス古王国は、自然に衰えてしまったのではないだろうか。
 ……そう、ふと思ったのでした。


 もちろん、「海に沈んだアトランティスだ!」という方が、ワクワクはするのだけれど。
 今度、日本の江戸時代が好きだというマルティンをつかまえて、ゆっくり訊いてみようっと。ムフ。

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Octubre 25, 2005 9:14 AMに投稿されたエントリーのページです。

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