たしか社会の教科書の最初の方に出てくるアルタミラの洞窟画は、スペインにある。赤っぽい絵でバイソンが描かれた、あれだ。
アルタミラの洞窟は、マドリードから北へ北へと進み、わりと高い山をいくつか越えるかその間を縫って向こう側へ出て、大西洋まであと5kmくらいになった地点の、小高い丘の上にある。海からの湿気を含んだ空気は柔らかで、緑が、とても多い。
洞窟はいま、多くの観光客を愉しませた代償として保存状態が悪化したために、閉鎖されている。1万5千年も前に描かれ、無事にその状態を保ってきた作品が、発見(1879年)からほんの120年あまりで危機に瀕するとは……。
2001年以降、一般見学は、同じ敷地内に作られたレプリカの洞窟の博物館で行われている。
実際に行ってみたが、絵の制作手順などもわかる仕組みになっていて、かなり楽しい。当時、エアブラシの手法を用いていたなんて、知ってました?
(詳しくは、「イベリア半島ふらりジカタビ/人類最初の芸術、アルタミラへ」まで)
アルタミラの洞窟画は、「人類初の芸術」である、らしい。
芸術史でも、いちばん最初の授業でいきなり出てきた。
歴史の授業でも、大きく取り扱われた。
せっかく地元にいるんじゃもの、よし、本腰を入れて考えてみよう。
■フェルミン・マリーンはこう云った:
「歴史があらゆる場所で同時に進むと思ってはいけない。授業でとりあげるのは、『その時代の一部の最先端の人間』のことだけなのです。
まぁアルタミラのクロマニョン人なんていうのは、いまならインターネットを駆使する超先端人間ってとこね。ムフ」
ムフ、で終わるからには、愛すべきフェミニンな巨漢の、歴史の先生である。前回、どうしたことか名前を間違えて書いてしまったけど、正しくはフェルミン・マリーン・バリゲテ先生。実はどこかフェミニンな名前だったのね。
フェルミンの歴史の授業は、旧石器時代からはじまった。
旧石器時代は、前期、中期、後期に分けられる。
紀元前200万年前の旧石器時代前期、スペインには、その前まで地続きだったアフリカから渡ってきていた人類(原人のホモ・ハビリスとホモ・エレクトス)が住んでいた。
気候は温暖で、人類は食物が入手しやすい河畔に住み、そして火を知らなかった。
「でもね。はい、ここ注目よー。
200万年前といっても、アストゥリアス(スペイン北部)の山深いところに住んでいた民は、紀元前1000年頃にフェニキアの民が地中海岸に来て大規模農業を始めた時代にも、まだ火すら知らなかったの。
忘れちゃダメよ。歴史は、一気には進みません」
やがて、紀元前30万年前頃からとされる旧石器時代中期になると、人類(旧人のホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス)が登場する。
気候の悪化を受け、洞窟に住む割合が増加する。その一部は、ついに火を作ることを知る。もともと木の実の殻を割るために使いはじめた石器が進化し、動物の解体や矢尻として使えるようになる。
そして紀元前3万年前頃からの旧石器時代後期。ホモ・サピエンス・サピエンスのクロマニョン人が現れる。
気候はこれぞ本当の意味での大氷河時代で、人類は洞窟に住み、遠くまで獲物を獲りに行かなければならなくなる。まぁマンモスもいたから、一頭仕留めれば、けっこうもったはず。外は寒いから肉の保存も楽だろうし。
1グループは約30~50人で、人数の増加に伴い、「体力がある男が狩、そのあいだ女が洞窟で家事」などの役割分担が発生。
平均寿命は18~20年と短く、慢性的な食糧不足と、血縁内交配により死に絶えたグループもけっこう多いと思われる。
(ただしスペインで、20歳を超えた、「歯のない」女性の化石が発掘されて謎を呼んでいるとか。すわ、旧石器時代の『楢山節考』か! ここ、今度詳しく訊いてきます)
この旧石器時代後期の、さらに後の方となるマドレーヌ文化時代に、アルタミラの洞窟画は誕生するのだ。
■リカルド・アブランテスはこう云った:
「絵が描かれたのは、洞窟を奥へ奥へと進み、天井も低くなった『隠れた』場所なんですね。なかには、人間が寝そべって天井に絵を描きつけるような低い場所さえあります」
リカルドは芸術史の先生。森本レオに似た穏やかな語り口と、世が世なら七宝のループタイでもしてそうなファッションセンス(いつも同じカーディガンだ)と、たまにお尻を掻くクセが、これまたとても愛されている。
曰く、当時の人間は洞窟に住んでいたといっても、専ら居住に使われていた空間は、自然光が入り、火を使っても充分に新鮮な空気が供給され、かつ湿気の少ない、入口付近の場所である。
一方で絵が描かれたのは、上記のように光が届かず、湿度の多い、かなり奥へと進んだところ。たしかに絵の保存には適した状態なのだが、果たして、そのとき絵を書いている人間が、「やったね! ここなら絵がずっと痛まず保存されるや」なんていうのを最大の要因として、場所選びをするだろうか?
しかも、どうもこの場所というのはなにか重要な意味があるらしく、狭い場所に何世紀にもわたって絵が描かれ続けたため、一部では絵が上下に重なりあったりもしてしまっている。なんなんだ?
■中沢新一はこう云った:
「真っ暗闇の洞窟の中で、新しいタイプの人類が自分の内部にのぞき込んでいたのは、大脳の内部を猛烈な早さと強さをもって流動している、この『心』のむきだしの姿だったのではないでしょうか。」(「ほぼ日刊イトイ新聞/芸術人類学編」)
中沢氏によると、旧人と新人との決定的な違いは、ニューロン同士の間に新しい接続のネットワークが作られることで、人類の心に新しい領域が生まれ、「表現」を行えるようになった点にある、という。
その「心」を見つめるために、「イニシエーションを受けた大人の男だけが、そこに入っていくこと許され」、「増殖の儀礼をおこな」う「真っ暗闇」が必要だったのではないか、と。
ニューロンの話は初耳で、なるほどこの時期に人類最初の芸術が生まれた理由が、なんとなく納得できた。
しかし「儀式としての暗闇」については、半分同意し、半分はなんか他にもないかな、と感じた。感じたまま考えていたら、とんでもないところに行き着いた。
リカルド曰く、描かれているのが野生のバイソン、鹿、馬、マンモスなど狩の対象となる動物で、さらにどれも丸々と太っていることから、これらは狩の成功を祈るものではなかったかと考えられている、という。
さらに同時期のフランスの遺跡からは、バイソンなどがひしめく一角に、女性器が描かれていたるのが発見されている。とするとこれは、繁殖への祈りだろう。
大氷河時代で、30~50人(なかには乳呑み子や足腰立たない老人や妊婦もいたろう)が運命をともにする洞窟での生活で、食料確保と繁殖は、切なる願いである。それらへの祈りが行われたとしても、ちっとも不思議ではない。
いや。人類初の芸術は、それらの「成功」への祈りというよりも、発達したニューロンが思わず描き出す「失敗した場合への不安」を先取りしてしまうようになった人間の、その不安なり不吉さなりを、なんとか遠ざけるための、必死の祈りではなかっただろうか。
絵を描くというのは、人類にとって、おそらくかなりの「跳躍」だ。私なら好物の明太子を追いかけているときよりも、苦手なゾンビに追いかけられているときの方が、たぶん必死で走るし、必要ならば「跳ぶ」。
繰り返すが、描かれるのは、ちょっとありえないくらい丸々と太った動物ばかりだ。厳しい氷河期に、動物だけは食料が豊かだった? そんなことはないだろう。その絵は、人間に対して、かなり辛く当たる自然環境への、「そうあってくださいね」という、祝福ではなかったか。
食料確保への祈りだけならば、なぜ植物が入ってこないのかが、わからない。みんなが大好きな美味しい果実だってあっただろう。また、この時期は、すでに釣り針が作られている。魚の絵だって、あってもいいはずだ。
しかし実際には、「ときに、狩を試みる人間を殺してしまう」くらいの力を持った、大型の動物しか描かれていない(ウサギだっていない。捕まえるのは、より簡単なはずなのに)。
ならばその絵は、人間に生命を与え、ときに生命を奪う、力強い自然への寿ぎではなかったか。
そう思えば、光に溢れた日常生活の場からできるだけ遠く離れた、暗い「秘密」の場所まで行って絵を描いた理由が、なんとなく実感としてわかる。半分くらい、わかる。村上春樹が言うところの「井戸」の意味とつながってくるような、でも実在する場所としての「洞窟の奥の奥の暗いところ」ではないかな、というかんじで。
■湯川カナは、こう思った:
「しかしなんで、天井なんだ?」
中沢新一的にでも村上春樹的にでも、とにかく暗いところに行くのはいいとする。
しかしそこでなぜ、天井に絵を描く?
ふつうなら、壁に描くはずだ。私ならそうする。この次の時代となる中石器時代だって、絵は屋外の壁に描いている。その方が、腕だって疲れない。それに「手の届く場所にある天井」なんかよりは、壁の方が、どれだけかスペースも広いし。
彼らは石の粉を植物の茎を使って吹きつけるという高度なエアブラシの手法も使っていて、それならなおさら、勢いあまった粉が顔面にバラバラ降り注ぐ天井よりも、壁に描く方が理に適っている。
そういうデメリットがあるのに、たいした理由もなく、わざわざ何世紀にもわたって天井に描き続けることはしないだろう。なぜだ? なにか、「天井に書く方が理に適っている」ことがあったのではないか? どうしても上を見なければいけないものって、なんだ?? そしてできれば、暗いところがいいものって。
……あっ! 私は急に、閃いちった。そうだ、プラネタリウム、だっ!
2年前にアルタミラへ行った際、深夜にマドリードを出発するバスに乗った。道中ほとんどの区間、バスは、ヨーロッパ大陸唯一の乾燥気候として知られる、カスティージャの大地をてくてくと進んだ。
カスティージャの夜を車で進むという経験は、何度もある。高速道路を降りると地上に光はなく、満天の星が頭上を覆う。天の川、なんていうのも、ここで初めて見た。それは感動的に美しくて、私は本当に何度も何度も夜空を見上げた。(もっと光のないサハラ砂漠の夜空は、もっともっとすごかった。あれが古代の夜空だろうか?)
古代、人間のグループの中で最初に権力をもつようになったのは、魔術師だとフェルミンは言った。農業をはじめたグループにとって、星の運行から季節を読み、明日の天気を予言できる人間は、ものすごく重要な意味を持つ。
そして旧石器時代後期のクロマニョン人の一部は、すでに、植物の栽培をはじめていた。
また、アルタミラの洞窟画から1万年も経たないくらいで始まる新石器時代には、すでに天文学上の知識を表すストーンヘンジが作られている。
思いっきり飛躍していると思うのだけど、アルタミラの天井画は、星図に、なってはいないだろうか? 何世紀かにわたって描き続けられるあいだ、それを意図した者はいなかっただろうか?
アルタミラの一連の洞窟画の最大の特徴は、各々の絵に統一性はなく、動物のスケールからその状態(停止している、動いているなど)まで、それぞれまったく違うものが、一頭ずつバラバラに描かれている点にある。
共通の背景などはなく、前述のように、重なって描かれているものもある。なぜか、狭い、ごく限られた空間の中に。
彼らは発達したニューロンで、空に無数に散らばる、しかしどうやらなんか規則性があって動いている星と、わりと身近な大きな動物とを結びつけて、描きはしなかっただろうか。……しなかった、かもしれないけど。してないかなぁ?
あぁもう、なぜ人類最初の芸術が、壁画でなく、天井画だったんだ!
気になって、今夜は眠れなさそうだ。
明日(11月1日)は諸聖人の日(大雑把だね! 聖人みんなまとめてドンと来い!の祝日だ)。休みが明けたら、リカルドに訊いてみようっと。