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2009年9月 アーカイブ

2009年9月 2日

ウッキー選挙へゆく

8月31日(月)

 月末に 録画を見れば 気もすずし 陽水歌う 声も軽やか

8月30日(日)

 選挙に行く。「政権交代」が叫ばれる今回だからか、注目度は高いのだろう。いつもより選挙所がにぎわっているように感じられる。わたしは、その、叫ぶ与党にも、野党にも投票しなかったが。
 午後八時から選挙速報番組を見る。どのチャンネルでもやっている。無駄なゲストを呼ばす、静かなところはコマーシャルのないチャンネルだった。ほかはサンテレビが、伝統の一戦阪神対巨人戦をやっている。頼もしい限りだ。甲子園球場で阪神対巨人戦が行われるのは、ことしはこれが最後だそうだ。夏休み最後の日曜ということもあり、満員御礼である。しばらくはテレビ観戦。
 今日は未来からすれば、歴史的ないちにちとなるのだろうか。たとえば次の総選挙のとき(四年後だろうか)、ほんとうにそう思えるのかどうか、真価が問われる気がする。

8月29日(土)

 夏休みが終わるなあ。

8月28日(金)

 楽しみにしていた『20世紀少年第二章』をテレビで観る。試写会で見せてもらったきりなので、忘れている箇所もある。今回、第二章のテレビ版放映は、劇場放映版とは、いくらか違うヴァージョンらしかった。
映画で、「ともだち」は「ハロハロ音頭」は踊って見せないし、カンナは賭場で「ラビット・ナボコフ」をする場面もない。代わりに「ほくろのある警察官」に関する場面と「サダキヨ」の場面がざっくりカットされていた。なんだか話が乱雑になって、物語として、読みすすめにくかった。初めて見た人はわかりにくいだろうなあと思う。
全編集中して見すぎたせいか、いくぶん目が痛い。目薬を点す。

8月27日(木)

 ほんとうに疲れすぎると眠ってしまうと思う。

8月26日(水)

 八月最後の水曜日。稽古日。特訓も兼ねて行う。特訓なので普段できないことをする。互いの集中力も高まっているせいか、たいへん密度の濃い稽古ができたと思う。
 この調子で次回まで保ちたい。

8月25日(火)

 すっかり涼しくなった感のあるこの頃。思えばこの夏、うちでクーラーをつけたのは、一度か二度くらいのことである。それでもお客さんが来られるから、という理由があってつけただけである。
電車に乗れば、必要以上にクーラーがついているし、銀行に行ってもそうだ。買い物に行っても売り物があるせいか、館内が冷え切っているほどだ。図書館も事情は同じで、クーラーが当たり前のようについている場所のひとつだ。このご時世だからか、無闇矢鱈に人が多くなっているようにみえる。実家でもクーラーのリモコンは、テレビのチャンネルを変えるがごとく活動していた。だから、別にクーラーを知らないわけでも、つけ方を忘れたわけでもない。
 それでもクーラーをつけたくないのではなく、どうもこのところ、つけると却って冷えすぎて寒くなるからである。夜眠るときなんかは特にそうだ。朝、身体が冷え切ってしまうのである。要するに頭痛がする。
ことしに限っては、たまたま扇風機をいただいたので、それが重宝しているということもある。扇風機の登場は小学生以来のことで、懐かしくなり、結構うれしそうに使ってしまった。けれど、就寝時はそれもつけていない。扇風機の風もまた、どうも身体に悪いからだ。頭が痛くなる。というわけで、ことしは、すっかりクーラーと馴染みの薄い身体になっている。夏の自然の風にあたっている。汗かきなので、きちんと汗が出て、これくらいがちょうどいい。
 そうこうするうち、今日などは、秋の気配がそこかしこに漂っている。
トンボが飛んでいる。セミは相変わらず随所で鳴きまくっているが、朝夕の風は、完全に秋の涼しさを運んできてくれる。甲子園が終わったとたんに。
さあ、秋が来る。あの山に登ろう。

8月24日(月)

 密かに着目していた高校野球を見る。今日は決勝戦。
 高校野球それ自体好きなのか嫌いなのか、自分ではっきりとはわからなないが、毎年のように、ひとこと物言いたい気分になるところからすれば、やはり根は野球好きなのであろう・・・。
 物言いたいのは、野球そのものではなく、高校野球の組織のあり方、私立高校にありがちな選手の集め方、果ては試合中のガッツポーズ、歓喜の表情、選手のカメラへの写り方、チームではなく個人的ファインプレーの羅列、試合後のインタビューにさらさらと応じる高校生たちの異様さ、審判のどうみてもそれはインサイドでしょう!というところや、振ったじゃないのよ(バットを)など、挙げてみると結構ある。要は文句言いなのだろうかしらね。
 それでも、毎朝新聞を眺め、トーナメント表にしるしを入れ、どこが勝ったか負けたか見ては、あれこれ考えているのである。何なんでしょうね、これ。
 さて、今日の試合がことしの夏の甲子園最後の試合となる。つまりは決勝戦だ。
中京大中京と日本文理の試合である。見ながら、高校野球特有の何とも言えない淡さと懸命さと、素朴さがあって、不覚にも九回で涙してしまった。
 そのまま閉会式まで見てしまいましたとさ。

8月23日(日)

 電車に揺られ、波に打ち上げられ、自転車にこいで、墓参す。
 ことしも田辺に行く。吉例、夏の大先生のお墓参りである。
昨年十月に国際合気道大会があったためか、駅舎とその周辺がとてもきれいになっていた(昨年十月は車での移動だったので駅には立ち寄らなかったのだ)
また、今回も生誕地や銅像を拝観し、同じところで写真を撮った。
高山寺に参って、墓前に手を合わせる。そこもまたきれいになっている。静かに祈りをささげる。
今回は、近くの浜辺や銭湯にも立ち寄り、新たな一面を改革。
数えてみれば今回で三度目の来訪。これほど田辺に来られるなんて、思ってもみなかった。 
ああ、なんといい旅だったでしょう。さてと次は、熊野本宮大社に行きたいものです。

8月22日(土)

 稽古(人数少なめでかなりよい)→熱めのお茶を飲む→朝カル(「監督術」を拝聴)→プチ打ち上げで興味深い話を伺う。実りある一日。

8月21日(金)

 所用で出かける。案外スムーズにすべて工程が終えられた。うち二度の登山は、残暑厳しき折には結構な坂に思える。

8月20日(木)

 どうもそこかしこが、しっくりかない。

8月19日(水)

 合宿明けの稽古日。久しぶりで懐かしく、最近会ったような感じがして親しみ深く、それでいておもしろい。
 ひとコマずつだが前に進む。

8月18日(火)

 静かに深く眠る日の続き。

8月17日(月)

 静かに深く眠る。

2009年9月15日

稽古三昧です

9月14日(月)

 それにしても眠い。久しぶりに杖道の稽古に行く。夏は暑すぎて、何回かは予定をまるっきり忘れていて、久々の登場となってしまった。久しぶりだが身体を動かすと、それはそれでいつもと違った目標が出てくる。これを欲と言えば聞こえがいいが、今日はなぜか、どうにかして今より先に行きたいという思いが強く先行するのだ。
いかにして杖を邪魔しないか。そして杖の長さを生かすか。そのような賢しらなことを考えながら動いていること事態、おそらくよくない。考えてしまうことがよくないのではない。そのような「考え」が頭の中に渦巻くことによって、無意味な間が空いてしまうことがよくないのである。考えてしまうのだから、それはそれで仕方ない。止めようとしても止められない。ごちゃごちゃしたことが頭に浮かぶより先に、身体が反応としての動きがなくてはならない。いわば思考の通路が脳よりも先に、身体(脳も身体だが)の反応として出てきてほしいところである。それには、常日頃から考える身体、つまり思考する身体でなくてはならない。

 先生が新しい道衣になっている。それを見ていると、わたしも新しいのが欲しくなってくる。欲望はうつるのだろうか。いや欲望は簡単にうつる。実際わたしはうつりやすい。そろそろそういう体質だということを認めよう。わかりやすい体質だなあ。ねえ。
先生のような高級なのは、まだまだ買えないが、いざ自らのを振り返ってよく見てみると、これは十年近く着ている。いい塩梅にすすけてもきた。そろそろ購入しても悪くはない頃であるなあと思ったりもする。今より先に行くためのひとつかもしれない。機会を見て購入しよう。誰かに買ってもらうのも手ではあるね。

9月13日(日)

 ぶっとばしてきた九月。助走してきた九月。そろそろ半分が過ぎようとしている。

9月12日(土)

 普段の稽古に続いて特訓がある。その担当を頼まれる。およそ三時間の稽古のあと、さらに三時間ほど、こんどの秋合宿で昇段審査を控えた方々と一緒に稽古するのだ。今回もまた、傾向と対策をと昇段予定者にお願いされたのである。
しかしなぜ、このようなことをするのかといえば、審査で出題されるであろう技を合宿先で稽古したり、お伝えしたりする時間はないに等しいからである。合宿では合宿の稽古がある。審査用の稽古時間は特別にはない。普段稽古していることが、審査に出るのだから、当然といえば当然のことである。それでも審査があるとわかれば、可能な時間を見つけて稽古したいと思うのが世の常なのだろう。というわけで、今回も特訓にご一緒する機会に恵まれた。そこに呼んでいただけるわたしが一番稽古させてもらっている、要は、たいへんありがたい時間である。
 稽古するうちあっという間に時が過ぎ、外は雨。

9月11日(金)

 所用で三宮へ。明るいうちに三宮に来たのは久しぶりのことだ。随分とご無沙汰してしまっているので、はっきり景色は見えるのに、どこに何があったのかも忘れてしまっている。阪急に乗って三宮に出かけたけれど、目的地の神戸国際会館へと向かうのに一番近い出口を忘れてしまい、無意味に歩き回ってしまった。大阪ならともかく神戸でこれはないだろうと思いながら(わたしは大阪、つまり梅田駅前の地理に異様に不案内なのだ)センター街も歩いた。センター街の場所自体は変わっていないが、そこに並んでいるいくつかの店が改装され、いくつかの店が閉まり、いくつかの店が新しくなっていた。知らない世界があった。あの頃から、なんだか遠くへ来てしまった気がした。

9月10日(木)

 ツクツクホーシが鳴いている。さすがに岡田山という場所は、山という名がつくだけあって、下界(というと語弊があるが実際にそうである。登ってみればわかる)とは気温も違うのか、ツクツクホーシが鳴いている。ほんとうにいくらか涼しい。まだ夏がそこかしこに感触を漂わせている。
井上陽水の『少年時代』の歌詞にあるように、「八月は夢花火」と回想される時期。おそらく九月の初めの頃は、いちばん心に深く食い込む。何が食い込むのかはわからないが、秋の気配が一気にやってくる。ぐっと何かが突き刺さる。こういうとき、わたしは人間であり、さらには日本人なのだなあと自らの身体をもって感じる。しかし同時にそれは、「歌詞」という特殊なことばのなかで作られた記憶であるとも感じる。それも20世紀の終わりごろに出現したことばによって。あるいは、そういったことばをうまく取り出せる術を持った人物が台頭している時期に、ちょうどわたしも生まれ育っているということを実感する。

9月9日(水)

 道場の雰囲気がよくなってくると、食物がおいしく食べられると気づいたのは最近のことだ。日々のやりとりがスムーズであると、食べることが愉快だ。食べることが愉快だと、稽古も俄然楽しくもなる。稽古が楽しくて愉快だと、日々の出来事がよくなってくる。仕事ももちろんそうだ。そして食べることが、少なからず素敵な時間になる。いずれにせよ、稽古が愉快だとあらゆる状態がいい。言わば、生きていることそのものの循環がいいのだ。
 稽古時間が少ないのがこのところの課題だ。だんだんと会員も増えてきて、だんだんと流れも順調になってくると、だんだんといろんなことがしたくなる。稽古時間を長くやればいいというものではないが、ほかに開講できる場所はないかと探している。夕方からの時間帯で、講座を開きたいと切望している。どこかに場所がないかと折を見て探しているが、なかなか見つからない。どこかにないだろうか。と今日も探し続けている。

9月8日(火)

 なぜか、せんちめんたるぅ。

9月7日(月)

 気になっていたのもあって、夜更けまで気になるマンガを読む。読んでいるうち眠くなるだろうと思ったが、眠くなるころがなかなか来ない。夜更けであっても朝方であっても、あまり変わりない。そのうえ、おなかがすかない。どこか身体の中身が変化している。のだ、きっと。と思いながら、身体はマンガを読む。

9月6日(日)

 ついに歌仙会の日となりました。内輪の会のため、ギャラリーはいない。それでも多少の緊張はするもの。今回の出演は、謡は『羽衣』ワキ、『竹生島』ツレ、仕舞は『敦盛』。地謡で『井筒』にも出た。それ以外の間は、会場設備のため毛氈を出したり敷いたり、台を出したり置いたりする。若輩者はいつも動かねばならぬのである。
 今回は無闇な緊張も凝りもなく、リラックスして、なんとか最後まで粗相なく舞うことができた。レヴェルの低い話だが、これまでのわたしには、それがなかなかできなかった。昨日までできたことが、急におかしなことになり、いらない緊張が走るのだ。周囲からすれば、どうやらそんなふうには見えないらしいが、この世でただひとり、下川先生にだけは、いつもそれが露呈している。それが今回はなかった。よかったよかった。それだけでもすこしだけ成長したか。

さて、歌仙会は大概夏ごろに行われるので毎年浴衣を着ている。ことしは、母がその昔あつらえたものを譲ってもらい、着てみた。紺地に白の日本古来の色合いなので、飽きが来ず、流行に左右されるでもなく、いい感じである(と思われる)。浴衣そのものは、どうやら昔のほうが生地も仕立てもいいようで、軽くて丈夫だ。さらには、浴衣は着物に比べて、荷物も断然少なく、移動にもまた便利で軽い。それがまたよい。

9月5日(土)

 ついに週末となりました。九月になり、「九月だ」という言い方にそろそろ慣れてきた頃。暑くてうだる日も過ぎたのか、道場にも人が集まり始める。あまりに暑いと人が寄り付かなくなるということを、ことしは、しばしば実感した。そうであれば、このような暑さが続けばいいと思うが、暑すぎるのも難点である。ある程度の涼しさもなければ。
いまや世界各国で合気道が広がっているが、熱帯気候や亜熱帯気候では、定着しにくいものではないかと勝手な想像をする。いやいや、それとも日本の湿度が高すぎるだけのことか。

9月4日(金)

 せんちめんたる~う。

9月3日(木)

 ついに大学の稽古再開の日となりました。九月になったというのに、まだまだ暑く、陽だけが短くなっている。ドラえもんの誕生日が来ても、彼はことしもまた現れることがない。生まれるのはまだまだ先の22世紀の話だ。その頃わたしは、どこでなにをしているだろう。ふとそんなこと思う。我に返って「ああ、この現世において、この肉体、この精神で生きていることはないんだなあ」ということだけが、はっきりと頭をよぎる。

9月2日(水)

 ついに杖の稽古を通常稽古時間に食い込ませる日となりました。杖を使うことは、良くも悪くも普段の身体の使い方がはっきりと出るので、個人的には、杖は結構好きな稽古である。うまくいけば、杖は軽やかに動き、何事もなかったように手に馴染む。まさに「今日は腕が少しばかりいつもより長いのだ」という感覚に襲われる。いやむしろ実際にはその感覚さえ消えて、それが自然であり、生まれたときからそのままのような具合になるのが理想だろう。逆にそれを邪魔する動作や持ち方、捌きを加えれば、途端に杖は重くなるだろうし、耐え難い修行やときには苦行をしているかのようにさえ感じられるのだ。ストレスを発生させるのはそのようなときではないだろうか。ほんの数百グラムのことで、それが何十倍の感触として跳ね返ってくる。だから、このときの重さというのは、ただ単純に計測できる重さのことではないだろう。
大事なのは如何に対峙しないか、である。それは、有機的なもの無機的なもの関係なくそうだ。対峙しないために存在を消すのではなく、ただただ観察する。要は、その一点にかかってくるのではないだろうか。

9月1日(火)

 ついに九月となりました。身も心もさっぱりした気分で迎えようと思い、まずは散髪。視界を遮っていた前髪を切ってもらい、全体にすっきりする。美容師さんによれば、最近髪が黒くなってきているらしい。幼少期から悩まされていた若白髪といえば聞こえがいいが、要は黒ではなく茶色っぽかった髪が黒くなってきている。健康ということだろう。もっとも美容院は、「そろそろ髪を(黒以外の色に)染めませんか?」という意味で尋ねてくる。これまでわりにいろんなふうに髪の色を染めてみたが、最近は、ここぞという面白さがないので、わりに静かにおさまっている。髪くらいは、自然なままもいいなあと思う。

2009年9月26日

合宿です

9月24日(木)

 お約束のように天気がよく、山のような道衣と合宿のもろもろを洗う。からっと乾いていい気持ちだ。昨日はいつ眠ったのかわからないくらいに、深い眠りについていた。

9月21日(月・祝)~23日(水・祝)秋合宿

 恒例の秋合宿開催される。
 朝、御影に集合し、三宮に出る。今回は、先日までの自民党政権時代に出現した「高速道路休日1000円」が実施されている影響か、進めど進めど車がやたらと多い。いや実際は進めない。いったいどこへいくのだろうかというほどの車の量である。こちらの予測では、その多くは四国にうどんを食べに行くようだ。理由のほどはどうあれ、この高速道路の金額設定によって、往路はとんでもない渋滞に見舞われることになった。
料金所やインターの出入口、合流地点での渋滞ならいざ知らず、意味不明な場所で渋滞が続く。たとえば、これまでなら二十分ほどで通過できる場所が、その三倍ほどの時間がかかってしまう。それでは、と、一般道も経由もルート変更も考えられるのかもしれないが、大型バスであるし、一度高速に入ってしまえば、車が多く、それもまた思うようにはならない。
また渋滞のためか、各地で衝突事故も発生し、往路だけで二件も見た。そのため、警察やJAFなどが出動する。場所を空けるのも一苦労だ。このような法案があるがゆえに、このような法案があるからこそ、あまりよくないと感じられる方向で本来の日常に大きく影響ができるのは、果たしてよいことなのだろうかという気がしてくる。観光地が潤う前に、ガソリンが売れる前に、エコカーが減税される前に、ふつうの市民の生活が滞ってしまうのではないだろか。
当然のようにSAも異様な混雑をみせ、駐車場もほぼないに等しい。いくつかの休憩所を通り過ぎ、昼食を摂るはずのSAでの停車も断念し、コンビニで弁当を買った。
宿泊先に着いたのは、稽古開始時間よりも一時間半以上遅れた午後もとっくに過ぎたころであった。移動に多くの時間がかかる。しかしまあ、甲野先生的に言えば、「人生の税金」を参加者全員で払ったのだから、これで災厄は免れたのである。
 「税金」はまだ足りないのか、今度は合宿所の畳に多くのガラスの破片が散らばっていた。聞けば、前回の利用者が畳を保管してある部屋の窓ガラスを割り、そのままろくに掃除もせず、報告だけで去っていったようである。窓ガラスが割れたとき、宿の方は、ちょうどその下で仕事をされていて(毎回体育館の二階に道場を設置する)、上から、ガラスを浴びたそうである。なんとも危険なことだ。
 畳を敷く間にも数名が手や足を切った。なんたることだ。何もせずに去っていくなんて、なんと危険な団体であることか。

 さて、かような事情から、稽古開始時間が遅れたので、稽古終了時間が自ずと変更になった。夕食も大きくずれ、小宴会となった。今回から夜の自主稽古が中止されたので、それはそれでよかったのだろう。稽古が終わった頃には陽もどっぷりとくれ、その時間自体が夜の自主稽古のような錯覚に見舞われたからだ。
明日の審査を控えた人々はもちろん、部屋で密かに稽古していた。あー、えらいなあ。

 合宿二日目。午前中の稽古は、ひときわ集中力が入る。午後に審査を控えたひとは特にそうだ。午後からは、少しの稽古と審査。三段、二段の審査が充実していて見応えがあった。おもしろかった。
 夜は大宴会。合宿での懇親と、昇級昇段審査を終えた方々からの感想と、大学の新入生歓迎コンパと、内田先生のお誕生日お祝いとが兼ねられる。
 三日目には、稽古の最後に倍音声明をしたけれど、倍音があまりうまく聞こえなかった。前回うまく共鳴した覚えがあっただけに残念である。最初に少し倍音を感じて、あとのほうでまた少し感じというくらいだ。それぞれの聞きたい音が聞こえるのだから、仕方ないのかもしれないが。もうすこし共鳴したかった。
 復路は往路の時間を取り戻すかのようにスムーズに進む。楽しく愉快な時間を過ごすことができたなあと思う。わたしはバスガイドができたのがたいそうよかった。

9月20日(日)

 合宿前はわくわくするはずなのに、探し物が見つからず、ややおろおろ。

9月19日(土)

 シルバーウィークだそうだ。しかしいつもと変わらず合宿前の稽古。身も心も充実した感じである。そして今日も特別訓練稽古。これでいまお伝えすべきことは、全部した。

9月18日(金)

 金曜日はぼーっとして。

9月17日(木)

 自主稽古的に行い、審査を控えたみなさんは、たっぷりとした呼吸をしよう。

9月16日(水)

 政権交代というよりも閣僚の総入れ替えが気になって。

9月15日(火)

 敬老の日ではない今日。敬老の日が今日ではなくなったのはいつからか。
 そんなことよりも大事なのは、『プロフェッショナル仕事の流儀』を見ることである。ゲストが井上雄彦さん。泣く子も黙る『スラムダンク』の作者であり、『バガボンド』を描く漫画家である。初めてお会いした現役の漫画家である。

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