« 2009年9月 | メイン | 2009年11月 »

2009年10月 アーカイブ

2009年10月13日

後期が始まる

10月7日(水)

 台風18号が接近している。日本の見事に縦断していくようで、各地で被害がないように、屋根を補強したり、柱を強くしたり、土のうを準備したりしているようだ。
 夕方から激しい雨と風が吹く。

10月6日(火)

 胃腸薬ばかり飲む日。

10月5日(月)

 講義の日が来た。どうもあれこれ気になって胃がやられているらしい。食欲が失せている。ともあれ、なんとか事態は収束し、やれやれと思う。

 杖道の稽古。学祭の演武会も近いので、先週から半分ずつの形をきれいになぞっている。先週は一本目から六本目まで、今週は五本目から九本目を行う。

10月4日(日)

 日曜日の特別稽古。体術、合気剣、合気杖の稽古である。人数も少なく、場所も広く使えて、愉快な時間のはずなのに、稽古のあいだじゅう、軽い頭痛がしていた。

10月3日(土)

 午前中はお能の稽古。「半身」という概念が能楽と合気道では、大きく違っているのだろうか?という新しい疑問と感覚を抱きつつ学ぶ。
 午後から合気道の稽古。なぜか胃が痛い。

10月2日(金)

 昨日の夕方、激しい胃痛に襲われる。単なる胃腸の具合が悪いだけではないようである。夕べはそれでよく眠れなかった。鈍痛がして、夜中に目が覚めると汗をかいていた。漢方を飲んでふたたびうつらうつらと横になる。神経性胃炎だろうか。その痛みが今日までもゆるゆると続いている。

10月1日(木)

 月刊島民ナカノシマ大学キックオフ記念セミナー「21世紀は街場で学べ!」を拝聴する。開場まで時間は、久しぶりの梅田の街をうろうろしてみる。いいものないかなあと上着を物色。めぼしいものが絞られる。
 おそらく人気のイベントだろうと、開場時間のすこし前に中央公会堂へと向かう。18時15分の開場なので、18時前にでも行けばいいでしょうということになり、同行のヒロスエ氏の引率で緩やかに歩く。並びにいくと思ったより早く着いてしまう。まだスタッフの方々も準備が整っていない段階で、見知った140Bのお顔も方々もあちこちに。
 静かに公会堂の前に並ぶ。こういう行事には必ず参加されている友人知人の方々ともお会いし、いまかいまかと開場時間を待つ。並んだ甲斐があって最前列をゲット。かぶりつきでシンポジウムを聞けるのである。
 今日のパネリストは、平松邦夫大阪市長、鷲田清一先生、内田樹先生、釈徹宗先生である。平松邦夫市長を初めて見る。元々アナウンサーの方なので、いい声なのはもちろんのこと、すごくあたりの柔らかい印象を受けた。
シンポジウムは、懐徳堂という、話せば長~い歴史的な場所を引き合いに、「街で学ぶ」こと(限定すれば学ぶこと、つまりそれは教育とは何であるのかということ)に絞られた話が熱く静かになされていた。しかし、話はこれでまとまるというよりも、それをこれから、このナカノシマという場所でどうしていくかといった、まさに開校に相応しいでだしであったように見える。
 次回が、これからが楽しみである。あ、次回はデジカメを忘れないように持参しよう。中ノ島中央公会堂もこんなときでもないと、中身を見る機会があまりないからだ。

9月30日(水)

 いろいろと稽古する。

9月29日(火)

 苦肉の策とは言うけれど、世の中よくできている。うれしいことがあったのだ。

9月28日(月)

ついに後期が始まった。講義開始前、体育館にたくさんひとがやってくる。 どこからか、わらわらと集まってくる。
試聴期間とはいえ、やってきたのは、なんと40人。読んでいるのかどうか知らないけれど、シラバスには「定員」を記した講義である。なんだかおかしい。この集まり方は異様である。そこではじめに、恒例の前置きを始める。やれ、この講義に参加するには着替えが必要だ、更衣室にきちんとものを置いて来い、素足で参加せよ、靴を正せ、遅刻するな、授業前の準備が必要だ、道具が必要だ、出席しないと単位はやれない、形を覚えないと前に進めない、つめを切るように、アクセサリーの類は厳禁、大きな声で勝手な話をするななど、思いつく限りのあれやこれや、おそらく彼女たちにとっては、ややこしい話をして煙に巻く。ここまでで32人に減らす。それでもがんとして減らない。抽選をしたが、まだ減らない。抽選をはずれてもなお、わたしをじーっと見つめながら、どれほど受講したいのかを熱く語る者もいる。合気道も受講したのだから入れてほしいと訴えてくる者もいる。そうまで言われてはかなわない。
 しかし、なぜそんなに受講したいのか。講義担当しておいてなんだが、わたしには不思議に見える。
 受講希望生から、軽い恨みにも似たような目で凝視されるので、だんだん気持ち悪くなる。どういう初期設定であれ、学びたいという意思を削ぐのも気が引ける。それに呪われるのもいやだし、うっかり仏心が出てしまった。ああ。鬼と仏は表裏一体かね。
正座もあまりうまくできないひとたちに、びしばし口やかましく礼法を伝え、あれこれ指示する。なんとか来週の登録の際までには人数が減っていてほしい。減りますように、減りますようにと深く念じる秋の初日。なんてたって、武道具がまるで足らないのだから!

9月27日(日)

 おうちでごろごろ、おそとでごろごろ食べてばかりのこのごろです。


9月26日(土)

 合気道の稽古後、大阪の朝カルへ。守さんによる韓氏意拳の入門講座を受けるのである。ずいぶん前に一度講習を受けたことがあるが、何しろずいぶん前のことなので、すっかり忘れてしまっている。
まだ入門もしないうちから発言するのもおこがましいが、これは心と身体の稽古であるのだろうかと思う。おのずと身体と頭が刺激的になる。なんかぼんやりしてはいるが、心地よい。身体のうちを内観することとそれを身体をとおして感知することにより、いまさらながら、身体の構造を再発見できる気がする。

9月25日(金)

 奈良県立美術館の招待券が当たったので見に行く。「浮世絵 風景版画~北斎、広重・・・」の展覧である。世の中には「浮世絵」のほかに「浮絵」と呼ばれるものがあることを初めて知る。
ついでといってはなんだが、奈良といえば、東大寺!念願の大仏を拝顔する。かの有名なるしゃなぶつである。大華厳堂のなかに居座り、ぼーっとその姿を見つめる。気づけば二時間を軽く過ぎていた。心がスーッと溶けていく。
二月堂、三月堂も拝観する。春日大社にも行く。
仏様に会うと、心の中がすっきりと整頓され、すっとした。わが道を、その行く末をすこし定めるによい日となった。

2009年10月22日

今年も多田塾合宿

10月19日(月)

 人数もようやく落ち着いてきた感じのある講義。かなり人数が絞れてきたとはいえ、多いといえば多い人数だろう。だが、今回はこれでやっていくしかない。がんばろう。当初の半分くらいにはなったのだから。
とはいえ、素人ばかり二十数名を並べて、いっきに教えるのは、結構たいへんなことである。座学中心ではないので、「座って話をよく聞いていてね」というわけにもいかないこともある。それでもなかには、身体を動かすうち、感覚よく、覚えのいいひとがちらほらいるのがわかる。こちらが数回示しただけで、するりと動けるひともいる。もちろん何度示しても、意味不明~といったふうなひともいる。こんなところからも、時間と感覚は、まさにひとそれぞれであるとみえる。

10月18日(日)

 のんびり寝て、しっかり食べて、テレビを見て、まさに休日らしい休日だった。

10月17日(土)

 今日から朝カルで始まる韓氏意拳の入門編。この前に体験編からあっという間の日々である。体験編でのことは、実は何も覚えていないので、覚えていないまま出かける。実際、覚えていてもあんまりいいことないだろうし。何事も初心者の聞きかじりはよくないし。
なにも覚えるのが悪いというのではなく、「あの感覚がよかったなあ」とか「あのときうまくできた」というような感覚に引っ張られて、本来のあるべき身体の通りや筋を邪魔して、結局起こりや固まりや居着きなどが出るのはどうだろうと、思考するからであ~る。

 で、入門講座がはじまる。前回よりも系統立てて教えていただいたため、すっきりと形の大切さと形の関連が身にしみる。実際に求めるというか、そこに「ある」理想の形には、なかなか瞬時には対応できないが、普段していることを、韓氏意拳のなかで切断せず、生かせていけばいいというようなことを言われた先生のことばを大切にしよう。

10月16日(金)

 急激な腹痛に襲われる。

10月15日(木)

 まだ身体の中に残る温かさがある。それは焼き芋を食べるよりも深く、身体の芯に響いているような温かさである。
心地よく声を出したときのような響きもある。それは、お寺にある鐘の下に立ったときに響いてくる外から振動が身体の内側に入ったときのようだ。
温かみと響き。それらはまるで温泉に浸かっているみたいだ。

10月14日(水)

 さっそく稽古日、道場の日。
 先日の感触がまだ抜け切らないうちに、いろいろとおさらいしてみる。これまでわからなかった感覚が身体の中によぎる。時間をかけて取り組んでみないとわからないものもあるのだなあと思う。
何のために合気道をしているのか、何のために稽古し続けるのか、応えはひとぞれぞれ、さまざまだろうけれど、わたしは生きるためにしている。

10月13日(火)

 火曜の講義が始まった。久しぶり過ぎて、久しぶりが遠のいてしまった感じもする。すっかり秋。

10月10日(土)~12日(月)多田塾合宿

 天候にも恵まれ、仲間にも恵まれ、たいへんよい合宿だった。
最近の恒例で目的地の群馬に行くのに、飛行機で新潟まで飛び、レンタカーで群馬に降り立っている。昨年は、同時期に国際合気道講習会があり、多田塾合宿が開催されなかった。その一年あいたうちに、ひょいっと事情が変わったのか、石油高騰したのか、航空券がとんでもない!値段に摩り替わっていた。よって今回は太平洋側ルートを取って、一路電車で群馬へ。
 前日夜に東京に出て自由が丘の高畑さん宅で泊めてもらう。毎度感謝。
 翌朝、自由が丘道場の面々と連れ立って群馬へと向かう。いわゆる鈍行というやつを使って数時間の旅。朝早くに出て昼ごろ現地到着。ずいぶん疲れが少ない。

 午後からいきなり稽古。
 多田塾合宿に参加してことしが九回目になるが、宿から道場までの道のりを、じつはほとんど歩いたことがない。歩くとどのくらいの距離なのか見当がつかなかったが、ざっと5分ほどの道のりだった。さほど苦ではない。
 道場となる体育館に入ると見知った顔があちこちにある。これまた愉快。各方面に挨拶して稽古開始。毎回の稽古において、目の覚めるような思いで、多田先生から技や呼吸法の説明をうかがう。倍音声明は見事に聞こえた。ああ感動。

 気の合う仲間や、いつも顔を合わせているひとたち、ここでしか会えないひとびと、馴染み深い環境の中で合宿に参加するたび、仲間が増え、友人が増え、笑いが増えている。今回もそうだ。ああ、なんて楽しい愉快ですばらしい時間なんだろう。
 おまけに今回は、これまでよりもぐっと身体的な疲れが少なかった。今回、急に三日目の朝稽古がなくなったためかもしれないが、朝稽古の時間はなくとも起きていた。自主稽古のため、道場に向かっている。時間や場所や環境に慣れていると言うわけでは決してない。どちらかというと、毎回新鮮味があり、毎回緊張と快感の連続が身体のなかを走り回っている。疲れたらいいというものでもないが、なぜ疲れなかったのだろうか?心の稽古に向かっているからだろうか?

 合宿ひとつとっても、ほんとうにいろいろな楽しみ方があるものだ。今回はそんなふうに感じるところが多かった。わからないことは聞ける人なら誰にでも聞き、ことばを交わし、笑っているうちに、身体が穏やかになり、まさに身も心も軽くなって戻ってきた。少々現実感が欠けるような気がして戻ってくるのはいつものことだ。三日間も合気道にどっぷり浸っておれば、浮遊感も出てくるものだろう。
 そしていつもこのような浮遊感と共に思い、感じるのは、稽古しようというものである。稽古せねばというそのことに尽きるのである。

10月9日(金)

 三宅接骨院に行って治療してもらう。遠近傷めているのである。概ね順調に回復に向かっているようだ。明日から合宿もがんがんいってよろしいとのこと。怪我をしないよう、怪我をさせられないよう、静かに取り組もう。

10月8日(木)

 台風の影響で各地に警報が出た。夜まで食い入るようにニュースを眺めていると、全国で順番に暴風と波浪、雷雨の警報が出ている。兵庫県で午前中までそれらは解除されず、大学は午前中休講になった。

About 2009年10月

2009年10月にブログ「ウッキーの浮き憂き日録」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2009年9月です。

次のアーカイブは2009年11月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。