« 2008年4月 | メイン | 2008年6月 »

2008年5月 アーカイブ

2008年5月 3日

勉強の春

5月1日(木)

 五月になった。変わったことと言えば、部屋の様子が少しとカレンダーである。
 自慢ではないが、ひとり頭に対するカレンダーが多い家なので、月初めというのは、何ともかんともカレンダーめくりから朝が始まるのである。
 カレンダーが新しくなり、新しい予定をまっさらな用紙に書き込む。
 今月もイベント目白押しだ。それに、先々の予定もだんだんと決まってきている。
 日々の予定が確定したなら、後は簡単だ。それに身体をうまく預けていけばいい。しかし、この日々の予定というものが、四月から始まったばかりで、まだすこしうまくなじめない。だんだんと身体にしみこませていこう。
連休が近づいてくるせいか、こころが踊る。ことしに限っては、「連休は休むことができない」ということがわかっていても、それでもこころが躍る。なぜか、愉快で、楽しいのである。


4月30日(水)

 月末である。だからといって何かが変わるわけではない。
思えば四月は、慌しい新学期と嬉しはずかしの時期を、走ろうと意識しないまでも、走り回っている。そんな時期である。
 さくらが咲き、それが満開を迎え、気づけば、いつの間にやら木々は、蒼く生い茂っている。新しい若葉の誕生だ。またすがすがしいこの時期がやってきたんだと、感慨深くなるこの頃である。


4月29日(火・祝)

 そろそろと連休が始まっている。
 連休だからこそ休むのではなく、思いっきり稽古する。ということで、本日は居合のお稽古に出る。ときどき内田先生にご指導いただけるので、この機会を楽しみに参加している。お休みのせいもあってか、本日は大勢参加者がいた。そのため、剣を相手にぶつけないか、ぶつけられないかちょっとこわごわの形であった。
 今日自身のなかで改めて心に残ったのは、「刀を自分でコントロールするのではなくて、(自分自身で刀を動かすのではなくて)、自分自身の身体を刀の行きたい方向にあわせる」ということばである。刀はもちろん、何にでも、どんな分野にでも言えることではないかと思う。とくにぎくしゃくして、ものごとがうまくいってないときなんて、ほんとにそうだと思う。

4月28日(月)

 終日勉学に励む。夕刻前には大学に出る。その後は稽古。ああ充実。

4月27日(日)

 終日勉学に励む。明日もまた。その予定。

4月26日(土)

 そろそろ準備しなくっちゃ、ねえー。
 夕食には、朝のうちに準備しておいた筍ご飯を食す。こっちの準備は、簡単なんだけれどもね。

4月25日(金)

 昨日の雨が嘘のように晴れ渡る。
連休が近づいてくる。少しずつ心が楽しくなってくる。なんでかな。

4月24日(木)

 うちの道場にも来ているヒロスエさんが、『きょうの猫村さん』(ほしよりこ作、マガジンハウス、現在三巻まで発売中)をまた貸ししてくれたので、一気に読む。「いま、お忙しいのはわかってますが、そういうときだからこそ読んでください」とのコメントつき。
このマンガは、毎日ウェブサイトで発信されるコマを集め、単行本化されたものの走りらしい。一日ひとコマ、翌日またひとコマ、その翌日にまたひとコマという具合に、毎日、コマがサイトにアップされ、それが集められたものが現在まで三巻発売されているのだとか。こういうのもまた列記としたマンガなのよね。

まったく先入観もなく、ページを開くと、これがおもしろいのなんの。決してげらげら笑い転げる類の話ではないのだが、このおもしろさは、なんというのか、読んだあとなって、じーんと来るものがある(だから、あとになったいま、おもしろさが渦巻いている)。ことばに出すよりも、身体に、あとからほんのり沁みて来る感じなのである。
話の内容が想像つかない程度に紹介すれば、主人公の名前は猫村さん。本名は「猫村ねこ」である。この「ねこちゃん」が、とある事情で家政婦になる。家政婦事務所の雇い主村田の奥さんによれば、「使える」猫なので、みんなに重宝され、かわいがられる。猫だけに猫舌だったりするのだが、それでも掃除がうまかったりもする。マッサージもうまいし、わりに家事炊事が何でもできるので、家政婦仲間ともうまくなじんでいく。
そんなねこちゃんの派遣先は「犬神家」。この家族にも、持ち前の好奇心旺盛さで、何かと首を突っ込んでしまうねこちゃん。「犬神家」は、これまたひと癖もふた癖もあるひとばかりの集まりで、主人や奥さん、息子や娘とその友人、姑などなど、あらゆる問題を巻き起こすキャラが炸裂している。家政婦事務所の雇い主村田の奥さんも含め、なかなか味のわい深い人物ばかりが登場し、今後の展開が実に楽しみな作品である。

それにしても不思議な絵が乱立しているマンガだ。
でも、すごくよく描けているところが時々あるので、さらに不思議倍増である。

4月23日(水)

 道場の日。今日は審査日でもあった。
 「審査」はよくある筆記「試験」とは違って、予想問題などが流布するようなタイプのものではない。たしかに、ある程度の達成目標はあるが、多くがこれまでやったことを、まさにどれくらい「身についているのか」を見るためのものである。というわけで、括弧とした問題集があるわけではない。だから、昨日今日になって、予想問題(はないので、先輩を捕まえて、頼み込んでみるなど)を急に取り組んでも仕方がないのである。
仕方がないというよりも、難しいのである。いや、難しいというよりは、実際問題、無理なのである。そういう類の「試験前の一夜漬け」みたいなものができない部類の話なのだ。そういう世界のことなのだ。

 別に完璧を求めているのではない。
要は、普段稽古にどのくらい来ているのか、どのくらい身体を動かせているのかを見るためのものなので、いわゆるひとつの確認作業ともいえるかもしれない。
そりゃあ、いざ受けるとなれば、受ける方は、もちろん緊張もするし、怖くもなることもあるだろう。でも、誰も見ていないし、誰も完璧を望んでいない。望むべきは、その場で、つまり審査の行われている場で、いかに振舞うか、いかなる対応をするべきかではなかろうか。その様子や態度こそ、技を立派にこなすよりもむしろ大切になるときがあるのではないかと思う。礼法や居住まいのあり方というのは、急にその場でやろうとしてもできることではなく、普段の姿が、ぱっといっぺんに出てしまうように思える。その意味では、普段が大事であるとも言い換えることができるだろう。
 そんなことを考えながら審査するうち、わたしは審査をさせてもらえることに、ひどく感謝するようになった。


4月22日(火)

 何とも言えぬ火曜日である。というのも昼前に大学に行って、ほんの少し学内を歩いただけで、何かの花粉にやられたのか、一気に鼻がぐずぐずしてきたからだ。ぐずぐずしてきたのがすぐに治まれば、ちょっとしたアクシデントで済むのだけれど、今日はまったくそういかなかった。
 こんなとき、小学校五年生のある日突然の悪夢が蘇る。
 自慢ではないが(自慢にもならないが)、わたしは小学校五年生のある日、突然に鼻炎に襲われた。もしかしたら、一度ここにも書いたことがある話かもしれない。最初は風邪だと思っていた。そのわりには、大して熱が出ない。ボーっとする割には、身体が意外に動ける。仕方がないので、かかりつけの病院に行くことにした。かかりつけの医者によれば、それはアレルギー性鼻炎と診断され、その年以降、毎年のように四月下旬辺りから六月下旬のうちのいくらかの日々を、くしゃみと鼻水と鼻づまりで過ごすことになる。
繰り返すようだが、決して風邪ではないので、たいした熱は出ない。だが、今にして思えば、その症状は、風邪をほぼ同じだった。目の前がぼんやりして、くらくらして、ろくにものを考えることが出来ないからだ。さらに言えば、間の悪いことに、中学高校時代は、その時期がちょうど中間試験の期間と重なるものだから(まさにどんぴしゃであった)、鉛筆を持つよりも、消しゴムを使うよりも、何よりも先に、柔らかいハンカチを手にしながら、答案に向かっていた。そんな覚えしかない。もう、ほとんど生きた心地がしなかった。あれでよく、問題を解こうという姿勢に至ったものだと、これまた今にして思えば、悲しい時間であった。
 さて、その初めて鼻炎らしきことにかかった年には、それまで数十年、鼻炎に悩まされ続けていたらしい母の症状が、ぴたっと治まった。不思議な事実である。それまでとは打って変わって、おそろしいほどに健康になり、いまでは「鼻炎?そんなもの、あったっけ?るるる~」という感じの本人である。
 さらに不思議は続くもので、「一度鼻炎なり、花粉症になったら、もう一生治らない」などと各地で脅されたわりには、わたしは大学に入る頃には、それもぴたっとそれも治まった。いったいぜんたいなんだったんだろう、あれは、というくらいに。だから、今日みたいな日が突然やって来ると、ときどき、鼻炎であったことを忘れないように、あるいは、忘れさせないように、どこかで身体が操作されているのだろうかと思う。あの、あるとき、突然にやって来る鼻のずるずると、くしゃみと、鼻声と、ぼんやり感は、気持ち悪いし、身体はだるくなるし、何もできなくなるし、くしゃみはやかましいしで、どこにも何のメリットもないのにね。

2008年5月13日

広島の多田先生の講習会にゆく

5月10日(土)―11日(日)

 早起きして広島に行く。
全国都道府県立武道協議会主催の広島県地域社会合気道指導者研修会があるからだ。
この研修会は、多田先生によるご指導である。関西での多田先生の研修会開催はたいへん珍しく、また、間近で多田先生の稽古を受けられるとても貴重な時間である。例年、この機会を逃さずに出かけている。
朝9時から夕方4時過ぎまで、びっちり稽古(もちろん昼の休憩はあるが)。
初日、関西では朝から雨が降っていた。広島でもまた雨が降っていた。だから、稽古する体育館は、さほど暑くはないだろうと予想したが、まったく外れてしまった。稽古するほどに、流れるような汗をかくのである。道衣二着の持参は大正解だった。
さらには、だらだら汗をかいたままは、身体にもいけない。昼休みにTシャツを着替える。Tシャツは、いつでも白と決まっている。
昼食は、思いっきりのいい弁当を食べる。
キャンプの引率されていた内田先生もこの頃には、広島にご到着。
昼からも、あれこれ、投げたり、投げ飛ばされたりしながら、ひたすら汗をかく。
 シャワーを二度三度と浴びて、懇親会に参加する。
多田先生と内田先生が並んで座られているので、そのお隣の席をいただく。すごい。緊張はない。話がどれもおもしろかった。多田先生のお声が聞けるというのがいい。
 二時間ほどで食事が終わり、緩やかに懇親会は解散。
多田先生と歩いて、ホテルまでお見送りしてから、こんどはその足で、甲南合気会の「宴会」会場へと向かう。
 「宴会会場」に探したお店が大当たりだったらしく、各地から喜びの声をお聞きした(じつはこの度も裏幹事でした)。来年からも行きたいらしい。
 つづいて三次会へと希望者で出かける。
稽古して、食べて、飲んで、笑って、しゃべって…。
広島の夜は実に慌しい。

翌日は六時半に目覚め、風呂に入る。その後、パッキング。
そのまま朝食へと向かう。時間があったので少しだけ朝寝(二度寝)し、集合時間に間に合うようタクシーに乗車。偶然のタクシー同乗者のひとりは、昨夜、夜遅くまで飲んでいたらしく、おかげで車内が酒臭い。それでいいのか?
 二日目は、徒手に始まり、杖、太刀などを稽古。
 まだまだ稽古が足りないし、稽古してみたいこと、極めて行きたいことが山ほどある。山は果てしなくでっかく、大きく険しいことをまたさらに実感。
 多田先生のオーラを浴びまくっていると、たった二日間のこととはいえ、身も心も穏やかになってくる。誰もが笑っている。
この効力をできるだけ長く保つことができればいいと思う。
 講習会後は、多田先生にご挨拶し、ぞろぞろと、みんなで入口まで付いて行って、お見送り。
その後、広島駅で広島焼きを食べて乾杯。そして新幹線で新神戸へ。
 ふと、来年あたりは、八丁堀の「みっちゃん」で広島焼き食べに、立ち寄りたいなあと思う。あそこの広島焼は、やはり味がやわらかいのだ。駅で食べるのも、それはそれでおいしく、あとの移動が楽だという利点もあるのだが、どこか広島焼き自体の印象に欠ける味がするのである。なんでもないもののようで、なんでもなくもないことである。
 それぞれが、広島駅から、いろんなものを乗り継ぎ、関西へと戻っていく。
 充実した、濃い~時間だった。楽しかった。
あー、稽古したい。翌日、これを書いているいまも、もちろんそうだ。


5月9日(金)

 花粉症で沈没ということになる。明日からのためにも養生養生。


5月8日(木)

 久しぶりに近所の山を登り、講義をして、図書館による。それから大阪に出る。人が多いねえ、相変わらず。この街はよう。
 朝日カルチャーセンター大阪で「顔と人格」と題された講演を拝聴。
 内田先生、名越先生、釈先生のお三方が、仏教を宗派を開いた僧侶たちの顔について、またそこから見える人格について、各方面からのコメントと感じたこと、派生して、さまざまな顔のあり方について、分析されていた。親鸞さんのことについては、いっとうよく語られていた。かなりスリリングな話もあっておもしろかった。
 この内容は、『ジッポウ』(6月26日発売)に掲載されるそうです。おもしろいから、みなさま買いましょう。


5月7日(水)

 休憩の合間合間に桑田佳祐ライブを聞いている。そのうち無性に加山雄三が聞きたくなる。いったいどういう流れがあって、そういうふうな志向へと導くかれるのかわからない。とにかく、次の空いた時間には、加山雄三を聞いてみることにしよう。


5月6日(火)

 何事も準備は慎重に、万全に行いたい。
いもむしのように、少しずつでも前へ前へと進みたい。今日は朝から晩まで、ほぼ座りっぱなし。とはいえ、あまりに長時間座り続けるというのも、何とも腰に悪い。それに酸欠になりそうである。だから途中数回の休憩をとる。洗濯物も干してみる。洗濯物もたたんでみる。
休憩時間のうちに、昨晩予約録音しておいた音源を少しだけチェックした。
予約していたのは「桑田佳祐アコースティックライブIn石垣島」(Meet The Music 2008)と題されたものである。これは、去る3月23日に史上初の全国民法FMラジオ局・53局で同時生放送された番組である。3月のこの頃は、ちょうど合宿に出かけており、そのうえ、前後も慌しく予約録音しておくのを忘れていたので、今回の録音となったのである。しかも今回は、前回のように短縮版ではなく、完全版である。


5月5日(月)

 柏餅を食べることなく過ごした子どもの日。来月の出番に向けて、超特急で書き上げている。

5月4日(日)

 暑いなあ、もう夏が来たみたいだ。それでも、夜になると、半袖では寒いというところが、夏のかかりのようで、さらに夏気分を倍増させる。

5月3日(土)

 暑いなあ、もう夏が来たみたいだ。

5月2日(金)

 その意味を考えても仕方がないことがたくさんある。世の中は。
おそらく生きていけば行くほど、無闇矢鱈に知識や情報が身につき、その「意味を考えても仕方がないこと」が剥がれなくなることがあるのだろう。ある意味では。剥がそうと思えば、きっと剥がれるのだろう。けれど、それをいま剥がすのはもったいないとか、まだ剥がれないものを無理やり剥がすのもなんだとか、使えそうだからそのままにしておこうとか、まだもうちょっと使えるよといった具合に、いろんな(それはほんの僅かで微細な、言い方を変えれば、あるいは見方を変えれば、まったくどっちでもいいような)欲望が芽生えてしまって、剥がれるものも剥がさずにいる。そうこうするうちに、変な蓄積がなされているのかもしれない。
 掃除は大事だ。この「掃除」とは、自身の考え方や見方を一掃することである。大事なのは。その「掃除」という事柄があるのだということに気づくことだと思う。

2008年5月21日

稽古がたのしい

5月19日(月)

 杖の稽古がすごくおもしろかった。

明日も雨らしい。火曜日の雨はなんだか集中的に多い気がする。

5月18日(日)

 昼過ぎには、下川先生のところへ6月の大会に向けての特訓に出かけた。
先生に仕舞と謡のご指導いただいた。稽古を積み重ねるごとに、お聞きする内容や修正すべき点が理解できたり、わかったりすることがある。やってみなくちゃわからないし、あとにならないと理解できないこともある。進んできたからこそ見えることも、いまでなければ、納得のできない部分もあるだろう。なんだか、そういう自分を体験できる多田それだけでも、おもしろい。
ほかにも、さまざまお話させていただいた。なんとも充実した日曜のよき午後である。

5月17日(土)

 芦屋で稽古。
法事でお休みの内田先生に代わり、今日は稽古を担当する。
 広島での研修会あとの土曜日の稽古とあってか、身体が充実している。さらには喜んだ感じがまだ、そこかしこに漂っている。
広島の研修会に参加できなかったひとにとっては、今日は久しぶりの稽古日ということにもなるのか、ぞくぞく稽古に来られる。
道場に三十人くらいいる分には、もうあまり驚かなくなった。その人数ではむしろ「今日は少ないね」といった気分になるし、実際少なく感じるくらいだ。
稽古が終わったとき、ざっと数えてみると、45,6人はいただろうか。
ほかには、毎週のようにやってこられる体験者や見学者もあった。うーむ。むむむ。すごいなー。
しかし、あっついなあ。

5月16日(金)

 三宅先生にぐりぐりしてもらう。
 広島に行って痛めた部位を治してもらう。ぐりぐりぐりり。ぐりとぐら。

5月15日(木)

 初めて京阪電車に乗ることになった。大阪って、広いのですね。摩訶不思議の世界です。

5月14日(水)

 連休明けの稽古は、充実していたと思う。人数もすこしずつ落ち着いてきた。だが、お休みもちらほらと目立つ。お休みのひとが全員休まずに揃ったら、いったいどんなふうになるだろうかと、しばし想像する。
 そりゃあ賑わいもあって、愉快であるだろうなあ。
ひとりあたりに対する充実感も増すだろうなあ。
もう少し、コンスタントに、安定した人数で稽古したいなあ。
今日は、この人がいて、次はいなくて、次回は、あの人がいて、その次はまた来なくなって・・・ってのは、結構つらい。あっさりといなくなってしまうほうが、ある意味楽ではあるかもしれない。いや、それも哀しいか。

5月13日(火)

 身体はまだいい感じで温存されている。雨だけど、今日も元気に行こう。

5月12日(月)

 稽古をした。研修会から戻ったばかりだからなのか、なんだかとてもおもしろかった。
 

About 2008年5月

2008年5月にブログ「ウッキーの浮き憂き日録」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2008年4月です。

次のアーカイブは2008年6月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。