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2008年3月 アーカイブ

2008年3月 1日

二月もおしまい

2月29日(金)

 四年に一度の閏年。オリンピックの年ですね。ことしはアジアも暑く(熱く!)なりそうです。


2月28日(木)

 いつもなら月末だったとことを思い出す28日。
 夕方には、いつものゑぴす屋さんのお誘いいただき、『ノーカントリー』を試聴する。
 先般発表の第80回アカデミー賞で、4部門獲得した映画。コーエン兄弟の映画だと聞いていたので、おバカ映画と思いきや、たくさんのひとが、ばたばた殺されていくといった、たいへん怖い映画である。いろんな意味でおもしろかった。


2月27日(水)

 「ご飯は誰かと食べるとおいしい」を実感する。
というわけで、誰かとご飯を食べた。
さて、ここで問題。
「今日、ご飯を一緒に食べた相手は、誰でしょうか?」

 正解者の中から抽選で数名様に、うっきーとお食事する機会が、勝手に与えられます。

2月26日(火)

 続いて雨。
 寒いのと、やや風邪をひいているのもあって、まだ食う寝る風呂の日々。


2月25日(月)

 昨日の研鑽会に出たついで、実家に戻っている。
 「合気道の研鑽会」に出るのがついでではなく、「実家に帰る」のがついでなのである。と言えば、たいへん態度が悪い。なので、逆にしておこう。かしら?

 外は朝から雨。
まったく表に出る気がしない。というわけで、勢い実家モード。
実家モードとは、食う、寝る、風呂、喋る…食う、寝る、風呂、喋る…。たまにテレビを見るくらいで、だらけて何もしない状態である。
これに稽古が加われば、立派な合宿もどきである。
合宿と違うところがあるとすれば、布団は敷きっぱなしではなく、起きるなりたたんでしまっていたことだ。住んでいたときは、適当に揃える程度で、毎日たたむことなどしなかったのに。
それとは気づかぬうちに布団をたたんでしまったとき、もうその場所が、自分のうちではないような、そういう印象を瞬時に覚えるものである。


2月24日(日)

 姫路まで研鑽会に行く。
正式名称は、「第61回県民体育大会第2回合気道大会」である。
ご指導は、合気道本部道場指導部師範の横田愛明先生。二年前も同じ場所で、ご指導いただいたように記憶する。とってもおもしろかったし、刺激的だった。
動かれる線が美しい印象を覚えた。また直接手をとって教えていただくことも、うれしく楽しい経験となった。


2月23日(土)

 素敵な仲間と過ごすのは、素敵な時間だ。そんな素敵な仲間に会えるとき、ほんとうに生きててよかったと実感する。何よりうれしい。何よりたのしい。


2月22日(金)

 ふふふと不敵な笑いを浮かべる。


2月21日(木)

 歩きながら見上げた夜空には、真ん丸い月が輝いていた。星があまりよく見えなかったこともあって、月だけがひときわ輝いてよく見えた。どこを歩いていても、月だけは明るく光っていた。あれは、満月だったのだろうか?と思う。


2月20日(水)

 風邪の症状よりもすこしきつめの症状がでかかった。花粉症かもしれないなあ。だとすれば、何年ぶりのことだろう。いやいや、花粉症にはなったことがないのだった。


2月19日(火)

 夕方、ご飯の支度をしながらこれを書いている。
 さきほど、炊飯器に仕掛けたご飯の香りが家中を漂っている。外はほんのりと赤く染まり、冷たい風がそろそろと退散していく。ぼんやりとした夕方の時間だ。
子どもの頃には(小学校の頃だけれども)、こういう時間が切なくって、たまらなかった。
「さよなら、バイバイ、また明日」
そう言って、家に戻らなければならなかったからだ。明日また学校で会えるのに、明日までの時間がすごく長かったからだ。
宿題をしたり、明日の準備をしたり、ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、テレビを見たりと、それなりにやることはいろいろあるのに、帰ってからの時間がすごく長く感じられた。自身がそれとは知らぬ間に、学校体系の身体になっていたんだろうなあといまごろになって気づく。


2月18日(月)

 夕方には杖の稽古に行く。
冷たい冬の体育館の床を歩く。あまりに冷たい。
まるでアイススケートリンクの上に素足でいるような感覚だ。
武道の稽古は裸足ですると決まっているが、今日ほどひんやりする日もない。
足袋くらいなら履いてもよさそうなものだが、稽古のときに履く習慣がないので、適当なのを持っていない。

文字通り氷のような冷たい床の上で、杖を手にして、動いたり、捌いたりするわけだが、どれだけ動いてもひやひやである。
外気の温度もさることながら室内の温度もとても低かったのだろう。
普段なら、もう少し別の団体やらサークルやらクラブが近隣の建物で活動しているので、部屋全体の温度も感触もいくらか高い。だが、誰もいないせいで寒いのを越えて冷え込んでいる。冷え切っている。
あまり寒いところでの稽古は、却って身体に悪いようにも感じられる。
武道にかぎらずとも、何事も適温というのがある。


2月16日(土)

 誕生パーティ開催される。
今月は誕生日月間か、そこかしこで、まだまだこの手のパーティが続きそうです。
ええ?聞いてないよ!という方。あるいは、まだの方!いずれの御時にか、お会いいたしましょう!来年の誕生日まで有効期限があります。つまり年中無休でお祝いOKってことです。

夜、ラジオで桑田佳祐の声を聴く(桑田佳祐のキャノンFMワンダーランド~やさしい夜遊び~)何を隠そう、このラジオ番組を聴くのが好きなのだ。土曜の夜の密かな楽しみである。なかなか本放送で聴けないのであるが、今日は聴けたのでラッキーだったと思う。今日はギター片手に「我が良き友よ」(吉田拓郎作詞/作曲)を初めて歌う桑田声が聴けた。それは、いまの状況に合っていて、たいそうよかったのである。


2月15日(金)

 明日の楽しみを待つ金曜日。

2008年3月12日

ウッキー「松虫塚」に詣でる

3月9日(日)

 明けて日曜日。

湊川神社に「能と囃子の会」を観に行く。

 神社の境内では、明治時代、日本に初めて持ち帰られたオリーブの木を見る。

お参りして、おみくじをひく。

 それから能舞台がある神能殿へ。

きょうはいちにちじゅう、朝から晩まで、大鼓、小鼓、笛やら仕舞、能楽などがなされている日なのだ。

 緩やかに下川先生と帯刀さんの舞囃子『東方朔』を観賞。

それからいろんな方の半能『融』、連管『鷺』、一調一管『班女』、舞囃子『羽衣 彩色』、『枕慈堂 盤渉』などを拝見する。

 そして、下川先生の半能『井筒 彩色』を観賞する。

これを観に来たのであった。相変わらずのかっこよさにぎゅーん。

 観に来られていた内田先生にもご挨拶して、一同家路に着く。

 緩やかに観賞を終えたあとは、ふたたび集結となる。

 力強い関西助っ人軍団が集まり、こんどは、「サンデー・ナイト・フィーバー」。

関西だけに、会場は勢い「粉もんぱーちい」となる。


3月8日(土)

 東京から、はたやんが稽古にやってきた。

ここ、芦屋で稽古するのが、念願のひとつだったらしい。

 朝から飛行機に乗って、電車を乗り継いで、それで会場に到着できるのだから、結構関東も近くなったものである。

 ちゃくちゃくと稽古して、ちゃくちゃくと挨拶して、ちゃくちゃくと街へと繰り出す。

 

一緒に稽古した愉快なみなさんと連れ立って、よいやよいやとしゃべりながら、笑って、喜び、騒いで楽しむ。

これぞ、サタデー・ナイト・フィーバーだ。


3月7日(金)

 朝起きてもまだ掃除熱が止まない。

仕方がないので、居間のボックスを掃除する。

 部屋全体に掃除機をかける。洗濯して、アイロンがけをして、布団を干して、台所の周りを洗って、床ふきもする。…続々家事。

 掃除しているうち、だんだんとイメージがわいてくる。どんなイメージかというと、部屋のイメージだ。春の模様替えシーズンには、もうすこし全体の感じが変わる予定である。


3月6日(木)

 自宅の掃除をすること数時間。

 埃とゴミとそのほか私物に覆われている部室の掃除をすること3時間。

 いただいた生牡蠣を調理し、焼いて食べること35個。


3月5日(水)

 風邪をひいたのか鼻水が出てくる。

3月4日(火)

 表は、黄砂にふかれている(らしい)。


3月3日(月)

 表を歩く。

アスファルトには、水に濡れたあとがある。どうやら夕べのうちに雨が降ったらしい。

雨音に起こされた記憶はないから、そう激しく降ってはいなかったのかもしれない。

いや、ただ、こちらがあまりに深く寝静まっていただけのことかもしれないが、雨が存在を強く主張するような様子は午前中のこの日にはなかった。

 能の稽古へと向かう。

『葵上』の謡を練習し、『小督』のワキ、トモをさらう。

仕舞は『松虫』。いずれも注意すべきポイントが回を重ねるごとに増えてくる。

階段を登るように確実なものにしていきたい。階段がいつ終わるともわからないのだが、その割にはおもしろい。

 昼過ぎには所用で大阪へ。

先日思い立った天王寺駅から阪堺電車に乗り継ぎ、松虫駅へと向かう。先ほど舞ったばかりの松虫塚を見に出かける。

能の演目には、関西を舞台としたものが多く、『松虫』もまたそのひとつである。

「松虫」の場所として知られる「松虫塚」については、いくらかの謂れがあり、謡曲『松虫』の話は、そのうちのひとつが採用されている。

その「松虫塚」が大阪市阿倍野区にあると知ったのは、先日の朝日新聞紙上(朝日新聞夕刊3月1日)のことである。

新聞掲載されたくらいで喜ぶのは、単なる利己主義的な思い込みに過ぎない。おそらく「松虫」を知らなければ素通りしていた記事だろう。ところが、その記事に強く反応し、これをご縁と感じたのには、さらにそのしばらく前のことに遡る。

先週、実家に戻った際、BSチャンネルをザッピングしていたら、ふとちんちん電車が目に止まった。大阪市内を走る「阪堺電車」についての番組が放映されていた。

たまたま目に入ってきた画面をぼんやり眺めていた程度だったので、番組の内容まで、ちゃんとわかって見ていたわけではないのだが、阪堺電車が大阪市の住吉区や阿倍野区の地域住民に根ざした電車であることにとても興味を覚えた。住居の真横を走るその風景に魅せられた。地域住民の生き様に興味を抱いたのか、どちらなのかわからないが、何とはなく、その阪堺電車のことが忘れられずにいたのである。

番組を見たわたしは、いわゆる「てっちゃん」では決してないのだが、ああいう電車に乗りたいと久しぶりに強く思った。実は路面電車というものに、ひとしれず喜びを感じる性分なのだ。広島市内には、市民の生活の足となる路面電車が今も走っている。その路面電車が好きで、行くと必ず乗る。広島に行きながら、時間の都合で移動がタクシーばかりになるときなどは、すこし寂しくも思うくらいなのである。江ノ島電鉄は、住居の真横を走る。よそのお宅の庭を眺めるかのようにして走る電車もまた懐かしく、喜ばしい。

そんなあれやこれやがあって、新聞で阪堺電車の記事を見たときは、もうご縁というか、シンクロニシティしか思えなかったのである。

というわけで(どういうわけだ!?)大阪の天王寺付近に出る序があった今日、思い切って阪堺電車に乗り、松虫塚へと行った。もちろん仕舞が成功することを祈願して。

近くには、安倍清明の生誕地とされる「安倍清明神社」があったのでお参りした。おみくじもひいた。なんだか不思議な時間が流れていた。


3月2日(日)

 夜に食べた焼きそばがおいしかった。小学生の日記のようだ。


3月1日(土)

 稽古は楽しい!

2008年3月27日

桜の季節になりました

3月26日(水)

 芦屋合気会の今年度稽古納め。ことしもいちねん無事で、なによりでした。
 次週からは四月。早くも2008年度となるのです。
 
道場のある建物の横には、早くも桜が咲きはじめていました。来週にはもう満開でしょうか。
道場の窓の外には、桜の桃色がきれいに見えます。それを見るとき、無事に生きて来られているのだと、毎年実感しています。

3月25日(火)

 合宿のあとの洗濯物の多さは、相変わらず。天気がよいのでよかったけれど。

3月22日(土)~24日(月)

 春合宿に行く。
総括すれば、愉快であった。とくに二日目の夕食やら打ち上げ、三日目の午前の稽古なんて、とてもすがすがしかった。
 いい具合に身体も仕上がってきたと思う。

3月21日(金)

 合宿の前日なので、明日からの準備に追われる。供えあれば憂いなしということで、合宿にかぎっては荷物が増える。

3月20日(木)

 もくもくと稽古する。

3月19日(水)

 大学は雨の中での卒業式。ってちゃんと式は屋根のあるところで開催されますが。

3月18日(火)

 もくもくと勉強する。

3月17日(月)

 相変わらず喉が痛いのである(威張ることでもないが)。
 おそらく喉が弱いのでしょうね。風邪のせいか、咳まで出てくる。これは単なる風邪の終わりかけの症状なのでしょうが。
これでシーズン真っ盛りの花粉症だったら、もう生活するのは、とても不便だろうと思う。くしゃみ、鼻水、鼻づまり、咳に加えて、喉が痛いだなんて…。想像しただけでも苦しくなる。
 暖かくなってきたし、身体をいたわって、大事にしよう。うん、そうしよう。

3月16日(日)

 久しぶりの日曜日である。何かしようと心に決める。すぐに目に付くのは、どうも部屋が散らかっていることである。散らかっていると、物事の道理がうまく進まないので、また掃除機をかける。シーツを洗う。洗濯をする。
 一週間経っても、どれだけ経っても、消えない疲れってのがあるみたいで、身体が異様に疲れを感じる。どこか身体の見えないところの内側にでも、疲れが固まって埋もれているみたいだ。いや、これこそが年度末の疲れだろうか?

3月15日(土)

 もうコートは要らない。

3月14日(金)

 だんだんと春めいてきました。その後はいかがお過ごしですか?

3月13日(木)

 階段を登っていて気づく木曜日。
実家の母から、いかなごの釘煮が届く。関西地方の出身ではないのだが、数年前からつくってみることにしたらしい。作り方は、地元の魚屋さんに教えてもらったのらしい。
ぼりぼりと、それを食べる木曜日。

3月12日(水)

 なんとなく春。でも喉が痛い。

3月11日(火)

 冷蔵庫に大量のキャベツがあったので、それを使って餃子をつくる。
せめて熱いものを食べて、うまく熱を発散させる算段だ。

3月10日(月)

 体調悪化。
胃痛で起きることも叶わずの状態である(いや、まあ、起きましたけども)。
ほとんど寝汗に近い状態で目を覚ます。不覚にも通常営業ならず。困ったなあ。

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