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2007年11月 アーカイブ

2007年11月 7日

直島へ行く

11月5日(月)

 さあ、月曜日だよ。

11月4日(日)

 ついでに休む日曜日。

11月3日(土)文化の日。いや明治節?それとも。

 年一回の武道祭があるとかで、朝早くから、姫路は県立武道館へ。
 武道祭には出ないのだが、公開稽古に出かけるのだ。
この度、ご指導いただいたのは、合気道神戸三田道場の堀井悦二師範。
 稽古の途中、「実験」と称して、ほんの少しだけ受けをたらせていただいた。とてもうれしかったし、おもしろかった。

11月2日(金)

 それでも世間は動いている。

10月31日(水)-11月1日(木)

直島に行く。
なぜ急に、かような島に行くことになったのか。
いまとなっては、記憶にない。
 たしか以前、秋になったら、ちょっくらどこかに行って、芸術に触れ、うまいものでも食べてみたい、そんなふうに思ったことがある。でも、それは、ただぼんやりと思ったことに過ぎず、思った以上に何かの行動に移したわけではない。酔っ払ってつけたカレンダーの赤色の○印だけが、辿ることのできない記憶の実証として残されている。
 それでも、つまり、言い方を変えれば「ぼんやりと思ったこと」でも、強く念じたことは、空間を掻き分けてやってくるのか、急に旅の話が舞い込んできた。それも、芸術の秋と食欲の秋を同時に楽しめ、先達がいるというのだから、なんとも贅沢な話ではあるまいか。なんともありがたい話ではあるまいか。

 直島とは、瀬戸内海に浮かぶ島のひとつで、香川県高松市の北に位置する。手元の資料によると、住所は周辺の島々もあわせて、香川県直島町となるのだそうだ。さらに、それによると、直島本島の「面積は8.13平方キロメートル、人口は約3600名」らしい。岡山県の宇野港からフェリーで数十分。本島発着港である宮ノ浦港に着く。
まずは、島の東側に位置する本村(ほんむら)地区へ。
島は専ら一回100円の巡回バスでの移動(5駅行っても100円、1駅でも100円というありがたさ)。

「家プロジェクト」と銘打たれた場所を巡る。
ここは、かつて家屋だった建物を改築し、芸術作品を示す場所である。
そのため、民家のなかに突如現れた感が否めない「碁会所」で椿(作:須田悦弘)拝見となる。それらが木彫りの彫刻だと知らされなければ、きっと一生、何であるのかわからなかっただろう。なぜ畳の上に椿の花が散らばっているのか、気になったままかもしれない。庭を少々愛でて、次なる目的地、角屋へ。

「角屋」というからには、角にあるのかと思ったが、実際はそうではなく、普通の民家の通りの、それも真ん中にあった。
真っ暗にした部屋の中に、自然の淡い光が差し込む(作:宮島達男)。
水を貼った、もと土間と思しき場所に、デジタル数字がばらばらと、何の方向性もなく設置されている。水の中で光は、浮かんでは消え、消えては光り、カウントダウンを試みている。色は緑、赤、青、黄など。たしか、小学校六年生のとき、自分こういうのを想像した覚えがある。
 
続いては「南寺」。
 「寺」と名が付くのでそこには寺があるのだろうと、これまた想像し、思い、目的地に行くが寺はない。
先達に聴いてみると、そこは、使われなくなった、かつての寺があった場所ということだった。
 そして、のちに、ここが、とりわけ、この旅の記憶に深く刻まれる場所となる。


寺の跡地の一角に、安藤忠雄設計の建築物がある。
 そのなかに、ジェームス・タレルの光の世界があるらしい。
 芸術を観るのに-とくにそれが美術方面の場合-予備知識は要らないと名前くらいしか見なかった。ジェームス・タレルの作品は、その、どうにも表現し難い建築物のなかにあるということだった。建物のなかは、このうえない暗闇だった。目を閉じても、開けてもまったく光の度合いが変わらない場所、そのような暗闇のなかにいること自体、生まれて初めて経験だ。振りかざした自らの手さえ、よく見えないのである。だから、最初は何がどこにあるのかわからず、係員に先導されるまま、静かにベンチに腰掛ける。
ベンチに腰を落ち着け、しばらく-それがいったいどのくらいの時間か見当もつかないが。だって、時計の針もよく見えないわけだから-時間が経つと、前方に奇妙な光が放たれているのがわかった。
 正面に、まるで小さな映画館のスクリーンのような、長方形に切り取られた光が、ぽっかりと浮かんできたのである。
目が慣れてくると、だんだんとまわりの世界も見えてきた。
その光に導かれるようにゆるやかに立ち上がり、歩いてみる。建物のなかを、ゆるると歩き、吸い込まれそうな光に吸い込まれないようにしっかりと立ち、それでも覗き込む。
建物を出たあと、人間の、実に選択的な視覚を逆手に取り、別の角度からものを見てみることをタレルは示唆しているのだろうと述べる先達。しかし、わたしは、そこに単なる選択的視覚の仕業だけではない、どこか奇矯な深さを感じたことを書き加えておきたい。
端的に言えば、あの場所は、三途の川に至るとも取れる手前の道を表しているかのように見えたし、そのように感じられた。光の場所に行き着くまでの過程はさまざまであれ、誰もが前に引き寄せられてしまう、あるいは、拒否するのには違いなかった。
 その様子が、少なくとも人間が死を前にしたときの、ひとそれぞれの死の接し方を表現しているように思えてならなかったのである。予め用意された椅子に座って、目が慣れるまでじっとしているひと、目が慣れてもまだ座ったままのひと。なかには、真っ暗でおそらくなにも見えないままなのに、ずんずん歩き出してしまうひと。座りもせず、真っ暗闇を手探りだけで、どんどん前に進んで行くひと。何も見えないので、そのままぷいっととって返すひとなど。まさに、人生最期のときの対応の仕方を覗き見したような気分になった。もともと寺のあった場所であるとだけに、そういう生と死の境目を浮かび上がらせているように見えたのだ。それも東洋的な感触として。

その次は「石橋」に移動し、滝の絵を観る(作:千住博)。
ブラシで描かれたそれは、元は二階建ての牛舎のある家屋の二階部分を取っ払った場所にあった。二階までの高さをつかったキャンバスには、壁一面に轟々と音を立てて唸るような勢いで滝が流れている。滝は、時間や光の角度によって、さまざまな表情を見せるらしく、その場にいた間でさえも、随分と違った色合いを見せた。下から眺めてみると、ほんとうに水に飲み込まれそうになる。絵に音と痛さと温度を感じる。
これと同じくらいに惹きつけられたのは、この母屋そのものである。
このような建物に住みたいと急激に思った。
 いや、できれば、こんなふうな母屋に住んで、隣に道場を建てられたら、どんなにかいいだろうと、非常に強く思ってしまったのである。ご近所さんが運んでくる食材の、縁側のイメージまであった。

 ここでタイムアウト。
再び街並みを歩きながら、バスに少し乗り、「ゲル」とか「パオ」とか言われる宿に向かう。
 荷物を解き、夜の海岸を歩き、さっそく波音を聴く。
海岸沿いに点在する現代アートの触れながら、ベネッセミュージアムへと歩を進める。
 現代アートにもまた暗く、昼間のジェームス・タレルとは、違うなあということくらいしかわからない。それでもひととおり観る。
 夜風を感じながら、コンクリートばりの建物を眺め、波の音を聴きながらまた歩く。
 直島の海は、すこしだけ、心を静かにしてくれる。
 すでに身体が穏やかになっているのを感じる。

 翌朝は、降り始めた雨の音で目が覚めた。
 屋根があって、観光客用にそれなりに改築されているとはいえ、もとは民族の移動用の住居。よく見れば、屋根は、何ともいえないビニルで張り巡らされているだけなのだ。
 雨も止んで、涼しくなり、直島の南に位置する地中美術館へ。
 クロード・モネ、ウォルター・デ・マリア、ジェームス・タレルの三人のためだけに建てられた、実に優雅な美術館である。美術館の設計はもちろん安藤忠雄。
緩やかな時間があったので、モネの睡蓮などは、目を凝らして見てみる。構図をいろいろと感じ、蓮の位置を確かめたりした。でかい。
現代作家のものは、作品なので触ったりもできる。優雅に二回観て周る。
なかでも、タレルの「オープン・スカイ」は、横になって空を見上げた。二回とも横になっているうちに、眠ってしまう。ぐー。
 それくらいに安心してしまう場所なのだ。
 昨日のタレルの光の開放感が東洋的だとすれば、今日の縦方向の光は、西洋的な開放感を感じた。
 なぜ?
 そう思われる方もおられるでしょうし、場所の説明はし難く、感動は、ことばでは書ききれない。ですので、ぜひその目で、身体で確かめに行ってください。
 

フェリーに乗り、一路高松へ。
 琴電を乗り継ぎ、さて、うどんツアーの開始である。
 「わら家」で、生醤油うどんを食べる。ずるずるっ。以下無言。
 電車を乗り継ぎ、歩いて、さらに数十分後、「うどん棒本店」にて、冷天うどん。ずるずるずるっ。以下無言。
 こんなことは滅多とないのだが、店に入る前に目が合って一目惚れした、なめこうどんもついでに食す。せっかくだから、分けようねとかなんとか、うまいこと言いながら。
ずるずるっ。以下同文。ずるずるっ。
 う、うまい。
 食い尽くして、ひとりで店の前で記念撮影。
 ああー、うまかった、おしかった。
 目の保養と舌の保養。そしてなにより身体の保養と、実に五感によい旅であった。

10月30日(火)

 山あり谷ありの十月である。
 遠くへ移動したり、近くで友人に会ったり、新しい食べ物を食したりした。
 これまで知らなかった友人の新しい面々を知ることにもなった。もちろんそれはよい意味でのことだ。

2007年11月20日

ご飯がおいしいと

11月18日(日)

 イッセー尾形主演、『太陽』を観る。
見終えた後は、(実際には途中から)異様な疲れを感じる。
日本では、到底つくることのできない映画だと感じる。
内容は、さらにそうである。「そうである」というのは、疲れるということである。
暗い画面だ。暗い話だ。実際、暗いということばでは収まりきれないのだが。
たいへんに扱いにくいテーマを扱っているので、感想はここには書かない。書けないのである。語ることは、いくらかできるだろうけれど。うーむ。


11月17日(土)

 「朝日・大学パートナーズシンポジウム」を聴きにいく。
ちょうど学内で稽古があったため、終わるや否やソッコーで会場へと駆けつける。
 この度のパネリストは、武者小路千家官休庵、家元後嗣の千宗屋氏。
はじめに、基調講演として、「伝統の身体性 ― 茶の湯」を拝聴。
ここで、ぐぐっと武者小路千家の茶を学びたい感が勃発する(じつは高校時代にはお茶をしていた。しかしそれは裏千家)。
 
休憩を挟んで、甲野善紀先生、島崎徹先生、コーディネーターの内田先生が壇上にご登場。千さんの基調講演ネタを切り口に、四人の先生方によって、多方面の話が展開される。
 身体のこと、コミュニケーションのこと。
どれというふうに話がまとまるものでもないのだが、展開の仕方やことばの転がり方に、一種のやりとりの暖かさが見えた。ことばにならないおもしろさがあった。
 懇親会も暖かい感じで、たいそうよかった。
その場にいた温度を楽しむ。
温度って素敵だ。

11月16日(金)

 ご飯がおいしいと、身体がうれしい。


11月15日(木)

 身体がうれしいと、ご飯がおいしい。


11月14日(水)

 午前中、大学にて「追悼礼拝」に参列した。
お世話になった高橋友子先生のことは、いまも笑い顔とエネルギー溢れる姿でいっぱいで、それしか思い浮かばない。
たくさんの出来事やさまざまな事柄があった。多くの出会いや悦び、おいしい料理を教えてくださった。それらを今ふたたび、あるいは急に思い出して、うまく処理しようとは思わない。出会えたことに、すべての時間に感謝し、思い出せるときに思い出してみようと思う。そうしながら、悼みたいと思う。
天上のご冥福をお祈りいたします。

11月13日(火)

 演習にて発表。テーマは「家族論」なので、上野千鶴子の『おひとりさまの老後』を取り上げる。
うーむ。むむむ。
今しか生きていない人は、今しか想像できない。そのようにしか、生きていないことが辛い。過去も未来もなく現在だけがあるのだろうか。いやはや、ともあれ読むのに随分疲れてしまいました。

 夜はお悔やみに出かける。
 偲ぶために集まるのは、なかなかつらい経験だ。
しかし、残されたものたちは生きる。
生きていくことこそが供養となるのなら、われわれはそうするしかないのだ。いや、そうすべきなのだ。

11月12日(月)

 きょうはがんばる月曜日。


11月11日(日)

 ポッキーの日らしいぞ。でも、知らないぞ。そんなこと。


11月10日(土)

 お近くの新築パーティ@タカモト邸に参加。
 誰もが予測したとおり、テーブルには、横文字を配した料理が並んでいた。
誰もが予測したとおり、「宴会」ではなく「パーティ」であった。
そして誰もが予測したとおり、よく食べた。


11月9日(金)

 しんみりと過ごす。


11月8日(木)

 基本的には、ひとり暮らしなので、ひとりでご飯を食べる。
そのため、食べたいときに食べたいものが食べられるといった、このうえない欲望を満たしている。
しかし、そうでありながらも、あるいは、そうであるがゆえに、食べたいときに食べたいものが食べられないというのは、ひどく辛いものである。
きょうは、ひどくカレーライスが食べたくなった(「辛い」(つらい)のである。「辛い」(からい)わけではない。念のため)。
だったら、すぐさまつくればよいのだが、日もどっぷり落ちて、顔も何も見えないくらいに真っ暗になったあとでは、どうもそういう気になれない。体力がないというよりも、気力がない。ましてやカレーライス。普通なら、ぐぐいっと煮込むでしょうに。どろどろっとさせるでしょうに。二日目のカレーライスがおいしいように、煮込むことが大事なのである。そういう食品もある。そうでなければ、カレースープになってしまう。

食べたいものをつくったら、食べたいものが、さきに思っていたはずの食べたいものと一致しない場合も、もちろんある。
でも、何もへこむこともない。
ああ、こういう味があるんだねとか、こういうことになってしまうんだとか。思いようはいくらでもあるからだ。
なかには、とんだ混ぜ合わせで、世紀の新発見なんて味が出てくることもある。これはカレーに限った話ではない。
でも、そういうのって、たいがいは感覚的に起こったことである。だから、次に再現しようとしたって、そう思った瞬間にはもう再現不可能なのである。


11月7日(水)

 身体の使い方が悪いのでしょうか。
ちょっとどころじゃないくらい、身体がゆがみをおびています。右に左に右往左往。
三宅先生に診てもらうと、どうも、かーなりゆがんでいるようなのです。いやはや困りましたねー。ゆがんでいるのは性格だけじゃないようです。ほんに困りましたねー。ゆがんでいるのは髪の毛だけじゃないようです。
でも、まあ、いっか。それはそれで。
 かような楽観的な性格が、ゆがみをたいへん扱いにくいものどころか、楽しんでしまうのでしょうか。まあ、まっすぐに、すくすくと。

11月6日(火)

 あ、今日だよ。
 なにが?
 だから、今日なんだよ。
 だから、なにが?
 それ…は、ねえ…あの、き、のう…言って…た…
 ぴいいいいいいー・・・・・・・つつつー。
ぎいいいいいいいー。つーつーつー。

どうやら混線してしまったようです。

2007年11月30日

秋の三連休

11月29日(木)

 いい肉の日。
 もしかしたら、いつもより肉を買う人が多いのか、どの店も、特価品やら特売品やらがひしめいているようだ。
 できれば、すき焼きが食べたい。

11月28日(水)

 コンタクトレンズなり、めがねというものは、かなりの割合で、身体の一部でとなっていることに気づく今日。

11月27日(火)

 大学院の講義は後期、家族論をやっている。
今回のお題は「家族団らんをもう一度」である(ママ)。
話の流れで、家族のことが気になった。というよりもむしろ、家族からの電話を出そびれているここ数日を省みる。
帰り道、横断歩道を渡るちょうどそのとき、またもや携帯電話が鳴った。
鞄から取り出してみるとまだ鳴っている。
着信画面に映るのは、家族のひとり、母の名である。
電話をつなぎ、声を聞く。
聞けば、あんまりたいした用があったわけでもなく、それでもここ数日、なぜかわたしの安否が気になって、電話をかけていたとのことだった。
かけてきた理由は、あまりに直感的なもので、ここに書くのも恥ずかしいくらいだ。
それでも、つまり、先方の言い分はあまりに感覚的ではあったが、それなりに筋の通った話ではあった。存外、恥ずかしがり屋であるのかもしれない。そう思った数秒後、いや、そんなはずはないと思い直す。相手は、おそらく感情よりも感覚のほうが勝っているはずなのだ。それは、十数年のかかわりで感じた印象である。

11月26日(月)

 明けて月曜日。心と身体がほかほかしている。

11月25日(日)

 「とめてくれるなおっかさん。背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」と言ったのは、橋本治だったか。
連休最終日の本日もまた晴天なり。
 銀杏並木が眩しいほどに美しい。
おしさしぶりです!東京大学駒場キャンパス。おひさしぶりです!駒場祭。
そう、かの東大では、昨日から駒場祭が開催されている。東大気錬会は演武会を開催されるので、本日はそれを拝見しに行ったわけである。

 駒場東大前で待ち合わせた自由が丘道場の大田さんの奥さま(通称、大田のおかあさん)とごいっしょに、つらつらと会場となる第一体育館へと歩く。
 途中、かつて歴史を刻んだ東大安田講堂の塔のあたりを通る。いくらか前に撤去され、それがあったはずの場所には、いまでは、すがすがしい空が広がっていた。

 会場にて、現役の一年生から順にOB演武までを拝見する。すごくかっこいいのがたくさんある。目が集中する場所が多い。
 最後に多田先生による師範演武。
説明演武を拝聴し、拝見。気づくのは、この駒場祭で初めてうかがうお話もあれば、初めて拝見する動きがあることだ。つまり、個人的に初めてうかがう話(おそらくこれまでもどこかでおっしゃっていたのを、新参者は気に留めていなかっただけなのだろうが)、初めて拝見する演武がたくさんあったということである。
 ことばが溢れて出てしまわないよう全身を耳にして、線と動きとのなか時間が止まってしまわないよう、全身を目にした。時間を越えた何かがある感じがしたからだ。ばしばし。がんがん。
もちろん気持ちは高揚してばかりだ。その気持ちを抑えながら、気錬会のみなさまやら懐かしい面々に、すこしだけご挨拶して、静かにお暇する。

正門までのとおりみち、少しだけ回り道して気錬会が出店しているらしいクレープやさんを探したが、うまく見つからず。代わりに、駒場祭屋台は全般に「焼き鳥」と「肉まん」と「じゃがバタ」を売る店が乱立し、大流行のようであることを知る。
 それから独立行政法人化以降、東大もグッズなるものを販売していると聞いていたので、思わず立ち寄って見てみる。なるほど、あるわあるわの東大グッズ。なかでも「東京大学饅頭」と「東京大学ペン」が飛ぶように売れていた。記念にひとつ購入。たいへん、いいお土産である。

 正門前で、東京はたやんと合流し、渋谷に移動。
大田のおかあさんもごいっしょに「つばめグリル」に入る。ぱくぱくと、和風ハンバーグをいただく。牡蠣もいただく。
食材にこだわった感じも、店も店員の感じもいい。やる気がある。そしておいしい。
ここも、関東の一部でしか展開されていないお店のようなので、人生二回目なのだが、上京するたび行ってもいいくらいにおいしいので◎。それに合気道の話ばかりできる。
 食後のコーヒーやら牡蠣などは、大田のおかあさんにごちそうになる。ああ、ごちそうさまでした。ブラボー自由が丘。
 そのまま、はたやんに羽田空港までお見送りいただき、今度は空の旅。

この三日間のありがたきご縁に、充実した時間にいままた感謝。ありがとうございます。
東京は、わたしにとって近くて遠い日本ではあるが、そこからまた、すばらしいご縁を頂いていることを改めて感じる。そのことに気づき、感謝するとき、ふと、この距離がさほど長くないもののように感じさせられるのであった。
 出会ったみなさま、ご縁をいただいたみなさまに、こころから感謝の気持ちを込めて。
 ありがとうございます。

11月24日(土)

 明けて連休二日目。翌朝の朝焼けがきれいである。本日も晴天なり。
初めて、自由が丘の朝稽古にお邪魔させていただく。
稽古開始は九時半だが、畳を敷くなどの道場設営仕事があるので、早めに現地に到着。運んでみると、非常に軽い畳である。
本日ご指導いただく荒井さんにご挨拶。また自由が丘の方々にも。

自由が丘道場とは、多田先生が最初につくられた道場である。また内田先生のご出身道場でもある。よって粗相は許されない(笑)。
実際、この道場には、内田先生の同期の方、先輩後輩といった方々がたくさんおられる。筋目的には、この道場の方々はみな「伯叔父/伯叔母弟子」となる。「姪」が遊びに行ったわけであるからして。(絵的には、関西から、ひとり、ぼんやりと遊びにやってきた子が、「おじちゃ~ん、おばちゃ~ん!わーい。来ちゃった。えへっ」という感じで手を振るのがよい)。
稽古では、その諸先輩方にいろいろと教えていただいた。すごくおもしろい。戻ってからまた、いろいろとやってみたい気になるし、何より他道場の方とお稽古させていただくと、普段ではすぐさま気づけない自分の欠点やら難点やらに、さらに深く気づくので、絶好の励みになる。そして、むちゃくちゃ畳が柔らかい!
 稽古のあとは、小堀さんにお昼ご飯のお誘いをいただく。もちろんはたやんもご同行。
自由が丘駅のすこし裏手にある、その名も「漱石」(すてきだ!)という、たいへんおしゃれで、感じのよいご飯やさんに連れていただき、湯葉カツをごちそうになる。ぱくぱく。とてもおいしかった。ごちそうさまでした~。

その後、神保町の共立女子大へ。
 日本文学協会で内田先生が報告をされるので拝聴する。
 久しぶりに日本文学の学会の雰囲気を感じる。ううー。
先生の報告は、「入れ歯」と「ことば」と「他者」に注目されたものであった。
ほかの報告者の方とのやりとり、質疑応答など、シンポジウムでのやりとりもまた、喫緊の問題が浮上しない体勢も興味深く、おもしろかった。
学士会館の前で、今宵もまた内田先生にご挨拶して、すこし先にお暇する。

 初めて歩く東京の街。道衣を抱えているのは、いつもと変わらないのだけれど。
品川で、まだ関東方面にしか展開していないらしい“COLD STONE”という名のアイスクリームやへ。ディズニーランドで流れていそうな音楽をテーマに、にこやかに歌いだす店員たちと、注文したアイスを冷たい鉄板の上に乗せ、頼んだ客の前で練り上げながらトッピングしていく、というのが、どうやらこの店の特徴らしい。じつに愉快そうに歌っている。なかなかできない芸当である。東京にはほんとうに不思議なものがある。
わたしが頼んだのは、「ロマンシング・ザ・チーズケーキ」。
 チーズケーキにアイスクリームが乗せられて、ダブルストロベリー、チョコファッジが乗せられるといった、チーズ好き、イチゴ好き、すこしだけチョコレート好きには、たまらない一品であるだろう。バニラアイスも独特の甘さもなく、邪魔にならない程度の甘さでよい。で、これらを先にあげたような芸当で、混ぜ合わせてくれるわけである。

 そして今宵もまた東京はたやんと、わたしは、お気に入りの東急線に乗る。
なぜかは知らぬが、東急線は好きである。はやたん曰く、「それはきっと阪急(電車)に、なんとなく似ているからでしょう」。
なるほど、言われるまで気づかなかったが、言われて初めて、なんとなく、ゆっくり感が似ている気もしないでもないと思う。
渋谷と横浜をつなぐのは、大阪と神戸をつなぐようなものか?
あら、「急」という字については、似ているどころか、おんなじである。

11月23日(金・祝)

 三連休の初日は東京へ向かう。
自由が丘道場創立記念日行事として開催された「気の錬磨・剣杖特別稽古」に行く。
 昨年もお邪魔し、45周年パーティにも参加させていただいたことは、記憶に新しい(さっきDVDで見たのである)ということで、ことしは46周年らしい。ぱちぱち。
 多田先生のもとで受けさせていただく特別稽古は、たいへん有意義で、おもしろかった。また今回は、内田先生もおられて安心する。
 入れ歯の話、杖の使い方、木刀の使い方など、身体のすべてを耳にして、目にして、鼻にして稽古を受ける。身につくようになるように精進せねば。
稽古では、さまざまな同門の方にお会いする。会うたびに、あるいは出かけるたびに、お知り合いの方が増えているのがまたうれしい。

 稽古のあとは、「多田先生とのお茶とケーキ」にも随分心魅かれたのであるが、流れで「自由が丘道場の方々との飲み会」に混ぜていただくことになる。
多田先生、内田先生にご挨拶し、一路、本拠地自由が丘へ。
 お世話になる東京たかはたさんと共に、わたしは久しぶりの東急線に乗る。

11月22日(木)

 稽古に行くと、畳が半分だけ新しくなっていた。
 先般、小林秀雄賞を受賞された内田先生が、その副賞で新しい畳を買ってくださることになったのである。しかし、どういうわけか、届いているのは、道場の前方半分だけの畳だった(ここの道場は縦長にできている)。
これは、もちろん畳半分を購入した時点で、副賞が尽きてしまったわけではない。おそらく畳を全部いっぺんに運ぶのが無理だったからであろう。後の半分は、そのうち届くであろう。
ともあれ、これがほんとの「話半分!?」というのが、今日の流行りとなった。

11月21日(水)

 朗らかに。生きたい。
 喉も痛けりゃ、胃も痛いっ、てなもんだ。

11月20日(火)

 思っていたよりも、物事が捗ることがある。
 それらは、以前から滞っていたと思われる節の事実があったから感じられることであり、あるいは、見た目は前向きに進んでいたとしても、本人の実感としては、進み方が遅々としたもので、歩みの速度からしても、進んでいるのかどうかさえもわからないほどの速さで、物事が存在していたからであるとも言えるだろう。
などと、くどくど言っても始まらない。
要するに、いつも前向きであるのだが、その前に進む速度は遅く、休んでいながらも焦っている(慌てている)。そんな感じなのですよ、このところは。

ようやく読みたい本や見たいもの、感じたいもの、触れたいもの、食べたいもの、来たいもの、行きたいところ、出かけたい場所、会いたいひと、出会いたい場所、出かけたい場所、乗りたいもの、話したいことば、触れてみたいことば、調べたいもの、書きたいこと、書けそうなこと、そして何より健康であることのありがたさを、ふいに感じられるような状態になってきた。それだけでなく、身体のなかにすっと溶け合えるような何か、ほんのわずかな時間でもいいから、それらができるだけ心地よく実現されそうなところに、着地できそうな、そんな感じになってきた。

 じつは、週末から胃がやられている。きょうの夕方辺りから、すこしずつだが落ち着いてきている。
 神経性胃炎と言えば聞こえはいいが、時折胃が痛くなる性分だ。決して胃弱ではないのだが、精神的に胃を痛めることがある。とはいえ今回は、胃を痛めた原因はおそらく食べ物だろう。食べ物で、ときおり胃が急激に反応することがある。要するに「あたる」ことがある。

11月19日(月)

 昨日吹いた木枯らし一号のせいか、週明けの月曜日は、とても冷え込んでいる。
雨が降っているわけでもないのに空が暗い。完全に冬の色だ。
単に肌寒いのを通り越して、肌が冷たい。
こんなときは、つい先日まで見るどころか、思い出すだけでも暑苦しく感じたセーターでさえも、箪笥の奥から引っ張り出してこようかという気分になるから、不思議なものだ。

セーターを着ると、即座に冬の香りがしてきそうである。
それはセーターを入れていた自身の箪笥が、夏服を入れている場所とは、違う場所にあるからかもしれないし、単に冬物グッズの近くにあるから、そう思わせるのかもしれない。あるいは、セーターの色合いがそう思わせるのかもしれない。
 
冬物グッズといえば、セーターのほかに、マフラーや手袋などがある。思い出される。
さすがに、手袋は、まだこの秋や冬は世話になっていないが、マフラーは早速、先日から使っている。寒さを凌ぐ防寒具としてよりも、ちょっとしたアクセントで、あるのもいいなあと思うこの頃だ。
電車などに乗っているとき、街を歩いているとき、ほかにもあらゆるひとがとおりゆく場所で、ときおり、さらりとマフラーを着こなした、おしゃれなひとを見ると、さらにそう思う。

しかし、いま思えば、いちばんの関心はコートだ。
いちばん外側に見えるはずの肝心なコートには、どのくらいの厚さのものがいいのか、どのくらいのものなら寒くないのか、朝、空を見あげて迷うのも、この時期特有の悩みである。天気がどのくらいに変化するのかもわかりにくい。
かといって、そんなにたくさんは持っていないのもまた、悩みである。コートの数。
それでささっき、押入れのなかのコート類の場所を覗いてみたのだが、なんとなく数が減っている。どうしたのだろうと、よくよく思い出してみると、去年、ほとんど捨てたのだと、今頃気がついた。

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