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秋の三連休

11月29日(木)

 いい肉の日。
 もしかしたら、いつもより肉を買う人が多いのか、どの店も、特価品やら特売品やらがひしめいているようだ。
 できれば、すき焼きが食べたい。

11月28日(水)

 コンタクトレンズなり、めがねというものは、かなりの割合で、身体の一部でとなっていることに気づく今日。

11月27日(火)

 大学院の講義は後期、家族論をやっている。
今回のお題は「家族団らんをもう一度」である(ママ)。
話の流れで、家族のことが気になった。というよりもむしろ、家族からの電話を出そびれているここ数日を省みる。
帰り道、横断歩道を渡るちょうどそのとき、またもや携帯電話が鳴った。
鞄から取り出してみるとまだ鳴っている。
着信画面に映るのは、家族のひとり、母の名である。
電話をつなぎ、声を聞く。
聞けば、あんまりたいした用があったわけでもなく、それでもここ数日、なぜかわたしの安否が気になって、電話をかけていたとのことだった。
かけてきた理由は、あまりに直感的なもので、ここに書くのも恥ずかしいくらいだ。
それでも、つまり、先方の言い分はあまりに感覚的ではあったが、それなりに筋の通った話ではあった。存外、恥ずかしがり屋であるのかもしれない。そう思った数秒後、いや、そんなはずはないと思い直す。相手は、おそらく感情よりも感覚のほうが勝っているはずなのだ。それは、十数年のかかわりで感じた印象である。

11月26日(月)

 明けて月曜日。心と身体がほかほかしている。

11月25日(日)

 「とめてくれるなおっかさん。背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」と言ったのは、橋本治だったか。
連休最終日の本日もまた晴天なり。
 銀杏並木が眩しいほどに美しい。
おしさしぶりです!東京大学駒場キャンパス。おひさしぶりです!駒場祭。
そう、かの東大では、昨日から駒場祭が開催されている。東大気錬会は演武会を開催されるので、本日はそれを拝見しに行ったわけである。

 駒場東大前で待ち合わせた自由が丘道場の大田さんの奥さま(通称、大田のおかあさん)とごいっしょに、つらつらと会場となる第一体育館へと歩く。
 途中、かつて歴史を刻んだ東大安田講堂の塔のあたりを通る。いくらか前に撤去され、それがあったはずの場所には、いまでは、すがすがしい空が広がっていた。

 会場にて、現役の一年生から順にOB演武までを拝見する。すごくかっこいいのがたくさんある。目が集中する場所が多い。
 最後に多田先生による師範演武。
説明演武を拝聴し、拝見。気づくのは、この駒場祭で初めてうかがうお話もあれば、初めて拝見する動きがあることだ。つまり、個人的に初めてうかがう話(おそらくこれまでもどこかでおっしゃっていたのを、新参者は気に留めていなかっただけなのだろうが)、初めて拝見する演武がたくさんあったということである。
 ことばが溢れて出てしまわないよう全身を耳にして、線と動きとのなか時間が止まってしまわないよう、全身を目にした。時間を越えた何かがある感じがしたからだ。ばしばし。がんがん。
もちろん気持ちは高揚してばかりだ。その気持ちを抑えながら、気錬会のみなさまやら懐かしい面々に、すこしだけご挨拶して、静かにお暇する。

正門までのとおりみち、少しだけ回り道して気錬会が出店しているらしいクレープやさんを探したが、うまく見つからず。代わりに、駒場祭屋台は全般に「焼き鳥」と「肉まん」と「じゃがバタ」を売る店が乱立し、大流行のようであることを知る。
 それから独立行政法人化以降、東大もグッズなるものを販売していると聞いていたので、思わず立ち寄って見てみる。なるほど、あるわあるわの東大グッズ。なかでも「東京大学饅頭」と「東京大学ペン」が飛ぶように売れていた。記念にひとつ購入。たいへん、いいお土産である。

 正門前で、東京はたやんと合流し、渋谷に移動。
大田のおかあさんもごいっしょに「つばめグリル」に入る。ぱくぱくと、和風ハンバーグをいただく。牡蠣もいただく。
食材にこだわった感じも、店も店員の感じもいい。やる気がある。そしておいしい。
ここも、関東の一部でしか展開されていないお店のようなので、人生二回目なのだが、上京するたび行ってもいいくらいにおいしいので◎。それに合気道の話ばかりできる。
 食後のコーヒーやら牡蠣などは、大田のおかあさんにごちそうになる。ああ、ごちそうさまでした。ブラボー自由が丘。
 そのまま、はたやんに羽田空港までお見送りいただき、今度は空の旅。

この三日間のありがたきご縁に、充実した時間にいままた感謝。ありがとうございます。
東京は、わたしにとって近くて遠い日本ではあるが、そこからまた、すばらしいご縁を頂いていることを改めて感じる。そのことに気づき、感謝するとき、ふと、この距離がさほど長くないもののように感じさせられるのであった。
 出会ったみなさま、ご縁をいただいたみなさまに、こころから感謝の気持ちを込めて。
 ありがとうございます。

11月24日(土)

 明けて連休二日目。翌朝の朝焼けがきれいである。本日も晴天なり。
初めて、自由が丘の朝稽古にお邪魔させていただく。
稽古開始は九時半だが、畳を敷くなどの道場設営仕事があるので、早めに現地に到着。運んでみると、非常に軽い畳である。
本日ご指導いただく荒井さんにご挨拶。また自由が丘の方々にも。

自由が丘道場とは、多田先生が最初につくられた道場である。また内田先生のご出身道場でもある。よって粗相は許されない(笑)。
実際、この道場には、内田先生の同期の方、先輩後輩といった方々がたくさんおられる。筋目的には、この道場の方々はみな「伯叔父/伯叔母弟子」となる。「姪」が遊びに行ったわけであるからして。(絵的には、関西から、ひとり、ぼんやりと遊びにやってきた子が、「おじちゃ~ん、おばちゃ~ん!わーい。来ちゃった。えへっ」という感じで手を振るのがよい)。
稽古では、その諸先輩方にいろいろと教えていただいた。すごくおもしろい。戻ってからまた、いろいろとやってみたい気になるし、何より他道場の方とお稽古させていただくと、普段ではすぐさま気づけない自分の欠点やら難点やらに、さらに深く気づくので、絶好の励みになる。そして、むちゃくちゃ畳が柔らかい!
 稽古のあとは、小堀さんにお昼ご飯のお誘いをいただく。もちろんはたやんもご同行。
自由が丘駅のすこし裏手にある、その名も「漱石」(すてきだ!)という、たいへんおしゃれで、感じのよいご飯やさんに連れていただき、湯葉カツをごちそうになる。ぱくぱく。とてもおいしかった。ごちそうさまでした~。

その後、神保町の共立女子大へ。
 日本文学協会で内田先生が報告をされるので拝聴する。
 久しぶりに日本文学の学会の雰囲気を感じる。ううー。
先生の報告は、「入れ歯」と「ことば」と「他者」に注目されたものであった。
ほかの報告者の方とのやりとり、質疑応答など、シンポジウムでのやりとりもまた、喫緊の問題が浮上しない体勢も興味深く、おもしろかった。
学士会館の前で、今宵もまた内田先生にご挨拶して、すこし先にお暇する。

 初めて歩く東京の街。道衣を抱えているのは、いつもと変わらないのだけれど。
品川で、まだ関東方面にしか展開していないらしい“COLD STONE”という名のアイスクリームやへ。ディズニーランドで流れていそうな音楽をテーマに、にこやかに歌いだす店員たちと、注文したアイスを冷たい鉄板の上に乗せ、頼んだ客の前で練り上げながらトッピングしていく、というのが、どうやらこの店の特徴らしい。じつに愉快そうに歌っている。なかなかできない芸当である。東京にはほんとうに不思議なものがある。
わたしが頼んだのは、「ロマンシング・ザ・チーズケーキ」。
 チーズケーキにアイスクリームが乗せられて、ダブルストロベリー、チョコファッジが乗せられるといった、チーズ好き、イチゴ好き、すこしだけチョコレート好きには、たまらない一品であるだろう。バニラアイスも独特の甘さもなく、邪魔にならない程度の甘さでよい。で、これらを先にあげたような芸当で、混ぜ合わせてくれるわけである。

 そして今宵もまた東京はたやんと、わたしは、お気に入りの東急線に乗る。
なぜかは知らぬが、東急線は好きである。はやたん曰く、「それはきっと阪急(電車)に、なんとなく似ているからでしょう」。
なるほど、言われるまで気づかなかったが、言われて初めて、なんとなく、ゆっくり感が似ている気もしないでもないと思う。
渋谷と横浜をつなぐのは、大阪と神戸をつなぐようなものか?
あら、「急」という字については、似ているどころか、おんなじである。

11月23日(金・祝)

 三連休の初日は東京へ向かう。
自由が丘道場創立記念日行事として開催された「気の錬磨・剣杖特別稽古」に行く。
 昨年もお邪魔し、45周年パーティにも参加させていただいたことは、記憶に新しい(さっきDVDで見たのである)ということで、ことしは46周年らしい。ぱちぱち。
 多田先生のもとで受けさせていただく特別稽古は、たいへん有意義で、おもしろかった。また今回は、内田先生もおられて安心する。
 入れ歯の話、杖の使い方、木刀の使い方など、身体のすべてを耳にして、目にして、鼻にして稽古を受ける。身につくようになるように精進せねば。
稽古では、さまざまな同門の方にお会いする。会うたびに、あるいは出かけるたびに、お知り合いの方が増えているのがまたうれしい。

 稽古のあとは、「多田先生とのお茶とケーキ」にも随分心魅かれたのであるが、流れで「自由が丘道場の方々との飲み会」に混ぜていただくことになる。
多田先生、内田先生にご挨拶し、一路、本拠地自由が丘へ。
 お世話になる東京たかはたさんと共に、わたしは久しぶりの東急線に乗る。

11月22日(木)

 稽古に行くと、畳が半分だけ新しくなっていた。
 先般、小林秀雄賞を受賞された内田先生が、その副賞で新しい畳を買ってくださることになったのである。しかし、どういうわけか、届いているのは、道場の前方半分だけの畳だった(ここの道場は縦長にできている)。
これは、もちろん畳半分を購入した時点で、副賞が尽きてしまったわけではない。おそらく畳を全部いっぺんに運ぶのが無理だったからであろう。後の半分は、そのうち届くであろう。
ともあれ、これがほんとの「話半分!?」というのが、今日の流行りとなった。

11月21日(水)

 朗らかに。生きたい。
 喉も痛けりゃ、胃も痛いっ、てなもんだ。

11月20日(火)

 思っていたよりも、物事が捗ることがある。
 それらは、以前から滞っていたと思われる節の事実があったから感じられることであり、あるいは、見た目は前向きに進んでいたとしても、本人の実感としては、進み方が遅々としたもので、歩みの速度からしても、進んでいるのかどうかさえもわからないほどの速さで、物事が存在していたからであるとも言えるだろう。
などと、くどくど言っても始まらない。
要するに、いつも前向きであるのだが、その前に進む速度は遅く、休んでいながらも焦っている(慌てている)。そんな感じなのですよ、このところは。

ようやく読みたい本や見たいもの、感じたいもの、触れたいもの、食べたいもの、来たいもの、行きたいところ、出かけたい場所、会いたいひと、出会いたい場所、出かけたい場所、乗りたいもの、話したいことば、触れてみたいことば、調べたいもの、書きたいこと、書けそうなこと、そして何より健康であることのありがたさを、ふいに感じられるような状態になってきた。それだけでなく、身体のなかにすっと溶け合えるような何か、ほんのわずかな時間でもいいから、それらができるだけ心地よく実現されそうなところに、着地できそうな、そんな感じになってきた。

 じつは、週末から胃がやられている。きょうの夕方辺りから、すこしずつだが落ち着いてきている。
 神経性胃炎と言えば聞こえはいいが、時折胃が痛くなる性分だ。決して胃弱ではないのだが、精神的に胃を痛めることがある。とはいえ今回は、胃を痛めた原因はおそらく食べ物だろう。食べ物で、ときおり胃が急激に反応することがある。要するに「あたる」ことがある。

11月19日(月)

 昨日吹いた木枯らし一号のせいか、週明けの月曜日は、とても冷え込んでいる。
雨が降っているわけでもないのに空が暗い。完全に冬の色だ。
単に肌寒いのを通り越して、肌が冷たい。
こんなときは、つい先日まで見るどころか、思い出すだけでも暑苦しく感じたセーターでさえも、箪笥の奥から引っ張り出してこようかという気分になるから、不思議なものだ。

セーターを着ると、即座に冬の香りがしてきそうである。
それはセーターを入れていた自身の箪笥が、夏服を入れている場所とは、違う場所にあるからかもしれないし、単に冬物グッズの近くにあるから、そう思わせるのかもしれない。あるいは、セーターの色合いがそう思わせるのかもしれない。
 
冬物グッズといえば、セーターのほかに、マフラーや手袋などがある。思い出される。
さすがに、手袋は、まだこの秋や冬は世話になっていないが、マフラーは早速、先日から使っている。寒さを凌ぐ防寒具としてよりも、ちょっとしたアクセントで、あるのもいいなあと思うこの頃だ。
電車などに乗っているとき、街を歩いているとき、ほかにもあらゆるひとがとおりゆく場所で、ときおり、さらりとマフラーを着こなした、おしゃれなひとを見ると、さらにそう思う。

しかし、いま思えば、いちばんの関心はコートだ。
いちばん外側に見えるはずの肝心なコートには、どのくらいの厚さのものがいいのか、どのくらいのものなら寒くないのか、朝、空を見あげて迷うのも、この時期特有の悩みである。天気がどのくらいに変化するのかもわかりにくい。
かといって、そんなにたくさんは持っていないのもまた、悩みである。コートの数。
それでささっき、押入れのなかのコート類の場所を覗いてみたのだが、なんとなく数が減っている。どうしたのだろうと、よくよく思い出してみると、去年、ほとんど捨てたのだと、今頃気がついた。

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2007年11月30日 11:23に投稿されたエントリーのページです。

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