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2007年9月 アーカイブ

2007年9月 1日

さよなら夏の日

8月31日(金)

 月末ですね。あー夏休み。


8月30日(木)

 内田先生が今年度の小林秀雄賞を受賞されたとの速報が入る。
 『私家版・ユダヤ文化論』(文集新書)である。
 内田先生、おめでとうございます!
なぜだか、わたしもうれしいのです!


8月29日(水)

ジョンがどこに行ってたかなんて、結局誰も知らない。世の中には、知らないままでいるほうがいいこともたくさんあるけれど、わたしは、ジョンのことがときどき気になる。だから、思い切って、ジョンに尋ねてみることにしたわけだ。
 「ねえ、いったいぜんたい、いままでどこに行っていたんだい?」
 ジョンは、にこりともしないで、視線を遠い空に向けた。こちらの質問さえ聞こえているのかどうか怪しいものだ。視線の向こうに何かあるのだろうか。
ジョンがいる。何も言わないままのジョンが隣にいる。いるのに、何も話さない。まるでわたしのことなど、気がついていないかのように。
何時かのあいだ、視線を変えず、動かない。瞬きすらしているのかどうか。視線の向こうには空がある。その空を見つめている。ほんの数分のことなのだろうが、あまりにその時間を長く感じた。仕方なく、わたしも同じように、ジョンの目の先に視線を合わせる。あの空の向こうに何かあるのだろうか。わたしの思いとは裏腹に、ジョンは、やはり動かずに、空を見上げたままだ。
よんよん。


8月28日(火)

 ああ、夏休み。うどん食いたかった~。


8月27日(月)

 ああ、最終週。


8月26日(日)

下川正謡会の歌仙会。
気の早い話だが、来年六月の大会に向けて、最初の内輪の練習会が行われるのだ。
歌仙会は、毎年夏の頃に開催されることが多いので、わたしは着物ではなく、浴衣を着ることにしている。そのほうが見た目も、実質的にも涼しいからである。
 今回の出番は、『松虫キリ』の仕舞と『葵上』のワキ。
仕舞は相変わらずの出来である。うっかり使ってみたが、「出来」というには程遠い。舞った後に、先生から注意点をざくざくいただく。忘れてはならないことばかりだ。今後は、それら注意点を確実な「舞」というところに刷り込んでいかなければならない。あー、難しい。教えていただくありがたさを身に染みて感じられる、疲れるが、たいへんよい機会である。
謡もまた同じように、謡ったあとにすぐに先生からのお言葉がある。この度言われたのは、「うきちゃんは、あれでよろしい」というもの。できるだけ覚えて、詞章を間違えることなく謡うのは当然であろう。間違えずにできたので、そういわれたのだろうと思った。
会の開催中も、二度、三度、下川先生から褒めていただいた。「うきちゃん、(謡が)上手になったねえ。もっと上手になるよ」。言われた当の本人は、先生の言葉にいつもより少しだけ重みを感じる。それは、ただ単なる気のせいかもしれないが、どこかに、いつもとすこし違った感触があるようにも感じられた。なぜだろう?ともあれ、褒められるのはうれしいので、うれしい誤解として、がんばっていこう。
で、この思いを仕舞の方向にも向けられぬものか?下手は下手なりになんとかならぬものか。せっかく好きそうな『松虫』なのに。


8月25日(土)

 本日は代稽古なり。
 正面打ちを行う。二十数名いたのと、場所がいつもと違うのと、初心者が多いのとで、てんやわんやである。


8月24日(金)

 終日、仕事みたいなことに取り組む。


8月23日(木)

 昼に稽古。結構充実した時間である。暑かったので、また痩せた。1キロも。なぜに?この夏は。夜は痩せた分を取り戻すかのように食べてみる。


8月22日(水)

 道場での稽古日。
 どうやったら受けがうまくなるだろうと、ふいに考える。
道場の方々にとっては、見ず知らずの人と合気道をするその場に来るだけでも、おそらく大変なことであるだろう。それに加えて関わる部分をどうにかしたいという寸法である。どうにかしようという時点で、すでに問題なのだが。ま、気長にやるしかないな。腕力や脚力、そのほか持っている力を発揮することではないことだけは、たしかである。


8月21日(火)

 掃除熱が覚めやらぬこの頃。暇があると、たとえ10分でも掃除してしまう。片付けてしまう。なぜだろう。やっぱり、もうすぐ引越しでもしてしまうのだろうか?


8月20日(月)

 「亀すし中店」が8月末で閉店することになった。かつて、「本マグロの会」(仮称)と称された呼びかけに、賛同者が集まりすぎて満員電車のようにひしめき合い、寿司屋の二階を占拠したことがある。
今回は泣いても笑っても、ファイナル。ということで、急遽「中店の中トロを惜しみつつ食す会」とあいなった。急遽開催とはいうものの、蓋を開いてみれば、呼びかけに賛同したのは総勢なんと16名。やっぱり占拠。すごいひとだかりであるよ。
来るなり誰もが最初にウエルカム中トロをほうばる。そしておいしさに浸る。
この日はちょうど二階のクーラーが故障したらしく、扇風機がまわる。窓も全開となる。汗だくになりながら、笑いながら、丸椅子に腰掛け、中トロをいただく。
口の中で程よく解けるトロは、今宵、何とも懐かしき夏の味がした。


8月19日(日)

 夕方、広田神社を参拝。そして、お札を納めに参ります。
 阪神タイガースが、毎シーズン優勝祈願に訪れるので知られて神社だが、長く西宮市に世話になりながら、実際訪れたのはこれが初めて。あの「大学山」にある神社とも縁が深いこともあったなあ。
さて、広田神社には、あちこちに邪魔にならない程度に虎のマークが見受けられた。夕方のせいもあってか、家族連れが散歩に来たり、犬が散歩したりしている。方々が空いている。とてもすっきりした神社だと思われる。なるほど、こういうところで参拝しているのか。タイガースは。さて、ことしはどうだろう?

2007年9月 8日

はおはお

9月7日(金)

 どう考えても夏が戻ってきたみたいだ。

9月6日(木)

 ことしは、うなぎをまだ丼ではまだ一度も食べていない。

食べるぞ。食べなきゃ。ああ、食べたい。

9月5日(水)

 絞るよな汗が出るとは言わないが、やんわり汗ばむ稽古かな。

 

 夏は夜(いや、もう秋のはずなんですけど)。肉の頃は更なり。肉の身は美味なり。

 秋は夕暮れ。ならぬ日暮れ。気づけば日も暮れ、日も変わり。

 冬でもない翌日は、「つとめて」正常に朝日を拝む。

9月4日(火)

 暑いのもあって、夏場はあまり腕時計をしない。

職業柄あるいは立場上、着替えたり、時計をつけたりしてはいけない場面が多いので、腕時計をしている時間が短いこともある。時計をつけていても、ズボンのポケットにしまい込み、そのまま洗濯するのもよくある話だ。これで時計がオメガか何かであれば、きっと、ちゃんとつけるだろう。だが、持っていないのでつけることもできない(欲しいんだけどね)。

このところは、基本的に時計をあまりつけていない。とはいえ、だいたいの時間の見当はつく。腹時計である。なんとかそれで見当がつくものだから、余計に持たなくなってくる。でも、オメガであればつけると思う。

最近聞いた話では、どうやら「時計は腹時計だ」という感覚も隔世遺伝らしい。初めて知ったよ、じーさん。あんたってひともまた、腹時計で動いていたんだってね。

9月3日(月)

 「特訓」という名の稽古。

 随分上達したかに見える。すごいです。

9月2日(日)

 韓氏意拳講習会の教練講習会のため、京都へ。

韓氏意拳には以前から興味はあったし、講習会に出向いてみたいと常々思っていたが、なかなか機会が巡って来なかった。それが先日、講師の守さんからご案内をいただき、今日という日に、初めて講習会参加と相成ったのである。

 昼過ぎ、またもや巻き込まれ同行者H氏と共に京都へ。

もともとは、わたしひとりで行くつもりであったのだが、何の因果か、巻き込まれたらしい(巻き込まれる側は、「巻き込まれる」というその特性ゆえ、「巻き込まれる」状態は、特段、その変化に気づいていないのだろう。だから、おそらく、あとからたいへんなことにはなったりもするのだろうか?)

 ともあれ、いつまで経っても京都ストレンジャー(京都がよくわからないのである)なので、講習会の会場を探しているうち、なんと数分遅刻してしまった。最初から、これではいけない。(何を隠そう「遅刻」はわたしの嫌いなもの「ワースト10」にランクインしている)。

 仕方なく、愛想振り撒きながら、正直に「迷いました」と報告し、いそいそと受付へ。

 着替えて講習会にこっそり参加。

 会場内は真剣な面持ちの方々の姿が見える。講師の守さんの姿も見える。

 そそくさと入り込んで、基本的な動きと少し進んだ動きを教えていただく。

 形がよいと、最初に守さんから褒めていただく。ちょっとうれしい。動きが加わってくると、また褒めていただける。さらにうれしい。褒めていただくと快感が全身に伝わる。三度の飯より、褒めてもらえるのが、じつはうれしい性分なのだ。

 「そう、その感じ」「ハイハオ」の言葉がほんとにうれしい。ひととひとり、見回っていただくなかで、合気道との関係やら、関連事項もさまざまにお教えいただく。これはすごい。いろいろな閃きと感触が身体の中で組み立てを変えていく。ああ、すぐさま実践してみたい。

 講習中は動いてばかりいたので、まるでメモを取らなかった。なんとか思い返してみると、動きの中で頂いた言葉が、いま身体の中に少し染み込んでいる気がする。

 気持ちと動き、行動が一致すること。

 力を入れない。形にとらわれない。

 頭で考えない。考えてはいけない。

 相手に頼らない。それは依存につながる。

 立体的な人間の身体における動きを取り入れる。

自分があることが大事。しかしそれは、「我」とはまた違う。

 自然の流れに逆らわず。

 構造体であることの意識。

 わからないやつには、わからないの話。

 身体を使って行うことは、世の中にさまざまにあるが、今日は一気に身体の中が開いた気がした。「自然」ということばの意味を少しだけ身体で考える。

韓氏意拳。これは哲学なのだと、身と心をとおして実感した次第である。

だから、きっとまた行くだろう。身体が面白がっているのだから。

9月1日(土)

 稽古のあと、山ほど餃子つくり(つくってもらい)、焼いて、茹でて食べた。うますぎた。

2007年9月18日

少しだけ秋(本人比)

9月17日(月)今日は中吉。

 朝から湊川神社へ「観世会定式能別会」を拝観しに出かける。

能三番(『羽衣』『卒都婆小町』『望月』)などを観賞。

 『卒都婆小町』はシテが下川宜長先生。この度のお披きをずっと前から楽しみにしていた。

 シテは御年百歳の小野小町である。

静かな動きにどっしりとした重みがある。止まっているようで動いている。

静かだが、響きのある動きに、ついつい見とれてしまって、何度か舞台に吸い込まれそうになる。

動きが波動として、空気の中から伝わってくるのか、心が震える。

 最後に、トンッと動きが決まった瞬間があった。わたしの心の中でもまた、トンッと何かを決断したかのような音が聞こえた。能の舞台を拝観しながら、心が決まる。トンッと行く先が決まる(気がした)。

9月16日(日)

 朝日新聞主宰の「関西・女子大学シンポジウム 女性が日本の未来を切り開く~女子大学が果たす役割と日本の教育」を拝聴するため、大阪はリサイタルホールへ。

 基調講演は「ニュースキャスターの本音~女性の自立について」と題して、フリーキャスターの草野満代さんが登場。きれいな人である。

休憩を挟んでシンポジウムには、四つの女子大学の先生方が登場。

大阪樟蔭女子大学、京都女子大学、武庫川女子大学、神戸女学院大学である。

神戸女学院大学から内田先生がパネリストとして、お出になるので、大学から「お見えになりますか?」とお声がかかっていた。もちろん関係者として。

 お声がかかったことは、基本的には断らない体質である(ただし「おもしろそう」であることが重要ポイント。「つまらない」と判断されることは即効で断るか、やんわり話を流す)。この度も「行きます」と即答した。

 会場では学長、飯先生、長尾先生、企画広報室の方々に、深々とご挨拶。

 シンポジウムは、なかなかに大学のカラーが出ていて、「おもしろい」話であったと思う。

帰りは、飯先生、長尾先生とご一緒に梅田を歩きながら、感想を述べる。

 久しぶりの、それも連休の梅田に出たことでどっと疲れたのか、歩きながら異様な空腹を感じる。

帰るなり、昨日からずっと食べたかったカレーをつくる。

チーズやら何やら少し加えてみると、いつもより随分味がよくなった(本人比較)。

空腹すぎたので、うっかり大量に煮てしまった。誰かに食べに来てもらってもいいくらいの量だ。ただし、そのときまでにカレーがあればの話だが。

9月15日(土)

 稽古して、敬老の日の贈り物をして、ことしも老いたるひとびとを敬う。

9月14日(金)

 お天気がいい日の掃除って、かなり気分がいい。

9月13日(木)

 素敵な午後だ。午後の稽古は愉快だなあ。

9月12日(水)

 一生懸命稽古しているうち、安部首相辞任との速報を受ける。なんだか世間のしがらみとはまったく別の世界で生きている感触がしてならなかった。

9月11日(火)

 思えば数年経ったものだ。

9月10日(月)

 記録は塗り替えられ、記憶は挿げ替えられる。

 あるいは記録は保存され、記憶は焼き直されるのだ。

 というようなこと思ったのは、以前の合気道演武会の様子を見たことによる。

記録として、録画したものを手元に置いてはいたが、録画以来、それらを一度として見返すことがなかった。

 ただ、保存している。

「保存している」状態への満足と「二度と見たくない」という気持ちが並存していたのかもしれない。

正反対の思いと行為を抱えながら、それでも記録は破棄されぬまま、見返すはずもないビデオやDVDとして、保存されていた。

今宵、なぜかは知らぬうちに、ふとそれらの記録を取り出す。

見るつもりもないものは、やんわりと埃をかぶったまま、そしていつまでも出番のないまま、ずっとガラス戸の向こうに待機していた。

出番を待っていようといまいと、中身が変わることはない。

ひどく窮屈な姿ばかりが散乱している。それはもう目も覆わんばかりである。

 やっぱり二度と見たくない。きっとまた十年は封印だね。静かな夜にそう思う。というのが本日の記憶。

9月9日(日)

 久しぶりに居合の稽古がある。

 久しぶりにわが「しんとく丸」を抜く。そして鞘に納める。

抜刀と納刀。それだけでわたしの身体は充分に愉快なのだ。

9月8日(土)

 すこしだけ秋になったような感触が漂う。

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