9月17日(月)今日は中吉。
朝から湊川神社へ「観世会定式能別会」を拝観しに出かける。
能三番(『羽衣』『卒都婆小町』『望月』)などを観賞。
『卒都婆小町』はシテが下川宜長先生。この度のお披きをずっと前から楽しみにしていた。
シテは御年百歳の小野小町である。
静かな動きにどっしりとした重みがある。止まっているようで動いている。
静かだが、響きのある動きに、ついつい見とれてしまって、何度か舞台に吸い込まれそうになる。
動きが波動として、空気の中から伝わってくるのか、心が震える。
最後に、トンッと動きが決まった瞬間があった。わたしの心の中でもまた、トンッと何かを決断したかのような音が聞こえた。能の舞台を拝観しながら、心が決まる。トンッと行く先が決まる(気がした)。
9月16日(日)
朝日新聞主宰の「関西・女子大学シンポジウム 女性が日本の未来を切り開く~女子大学が果たす役割と日本の教育」を拝聴するため、大阪はリサイタルホールへ。
基調講演は「ニュースキャスターの本音~女性の自立について」と題して、フリーキャスターの草野満代さんが登場。きれいな人である。
休憩を挟んでシンポジウムには、四つの女子大学の先生方が登場。
大阪樟蔭女子大学、京都女子大学、武庫川女子大学、神戸女学院大学である。
神戸女学院大学から内田先生がパネリストとして、お出になるので、大学から「お見えになりますか?」とお声がかかっていた。もちろん関係者として。
お声がかかったことは、基本的には断らない体質である(ただし「おもしろそう」であることが重要ポイント。「つまらない」と判断されることは即効で断るか、やんわり話を流す)。この度も「行きます」と即答した。
会場では学長、飯先生、長尾先生、企画広報室の方々に、深々とご挨拶。
シンポジウムは、なかなかに大学のカラーが出ていて、「おもしろい」話であったと思う。
帰りは、飯先生、長尾先生とご一緒に梅田を歩きながら、感想を述べる。
久しぶりの、それも連休の梅田に出たことでどっと疲れたのか、歩きながら異様な空腹を感じる。
帰るなり、昨日からずっと食べたかったカレーをつくる。
チーズやら何やら少し加えてみると、いつもより随分味がよくなった(本人比較)。
空腹すぎたので、うっかり大量に煮てしまった。誰かに食べに来てもらってもいいくらいの量だ。ただし、そのときまでにカレーがあればの話だが。
9月15日(土)
稽古して、敬老の日の贈り物をして、ことしも老いたるひとびとを敬う。
9月14日(金)
お天気がいい日の掃除って、かなり気分がいい。
9月13日(木)
素敵な午後だ。午後の稽古は愉快だなあ。
9月12日(水)
一生懸命稽古しているうち、安部首相辞任との速報を受ける。なんだか世間のしがらみとはまったく別の世界で生きている感触がしてならなかった。
9月11日(火)
思えば数年経ったものだ。
9月10日(月)
記録は塗り替えられ、記憶は挿げ替えられる。
あるいは記録は保存され、記憶は焼き直されるのだ。
というようなこと思ったのは、以前の合気道演武会の様子を見たことによる。
記録として、録画したものを手元に置いてはいたが、録画以来、それらを一度として見返すことがなかった。
ただ、保存している。
「保存している」状態への満足と「二度と見たくない」という気持ちが並存していたのかもしれない。
正反対の思いと行為を抱えながら、それでも記録は破棄されぬまま、見返すはずもないビデオやDVDとして、保存されていた。
今宵、なぜかは知らぬうちに、ふとそれらの記録を取り出す。
見るつもりもないものは、やんわりと埃をかぶったまま、そしていつまでも出番のないまま、ずっとガラス戸の向こうに待機していた。
出番を待っていようといまいと、中身が変わることはない。
ひどく窮屈な姿ばかりが散乱している。それはもう目も覆わんばかりである。
やっぱり二度と見たくない。きっとまた十年は封印だね。静かな夜にそう思う。というのが本日の記憶。
9月9日(日)
久しぶりに居合の稽古がある。
久しぶりにわが「しんとく丸」を抜く。そして鞘に納める。
抜刀と納刀。それだけでわたしの身体は充分に愉快なのだ。
9月8日(土)
すこしだけ秋になったような感触が漂う。