9月30日(日)「クミョン」ではちょっと無理があるか…
月末が日曜日だと、月の初めは月曜日になる。
こういうとき必ず思い出すのが、『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』というタイトルだ。たしか村上春樹の訳書にある。読んだような気もするがさして記憶に無いので、読んでいないのかもしれない。
それよりは『村上春樹にご用心』のほうが気になる本である。買い求めました。
朝夕はめっきり急に涼しくなってきた。
引き出しの奥から長袖を取り出し、部屋もまた模様替えをした。室内もすっかり秋の装いなのだ。
昨日買い込んだ本のいくらかを広げて、読書三昧。そして読み損ねている本もさらに。さあ、読書の秋、勉強の秋がやって来たよ。
9月29日(土)苦肉の策。
合宿明けの稽古は、いくぶん穏やかであった。畳はやわらかく、表情も軽やかで、なんとなく、どことなく互いに親近感が生まれたように感じられた。全体としてのそれは、誰ものちょっとした時間のやりとりでできるなんて、すごいことだと思う。二泊三日。たったそれだけの時間のなかのことで。
9月28日(金)くにゃっとばかりも、してれられない。
もうすぐ9月が終わる…ということは大学が始まる。…というか、実際は今日から始まってますし、あれこれと通ってもいるんですけどね。ううう。
9月27日(木)急になに言うとんの。
花より団子というけれど、あれは春の装いに限られた謂れなのか?
こうまで月がきれいだと、団子より、月の色の深さを思いたい。
9月26日(水)
合宿明けの稽古は、なんとなく心が動く。心が騒ぐ。心が喜ぶ。満月は明日。空はきれいだ。
9月25日(火)
研究会で京都まで。
今日が十五夜だと気づき、発表を聞き終えるなり、夜空を見上げる。涼しい風が吹いている。
祇園近くをふらふら歩き、計り知れない光を放つ月を見つめ、なんとも満足な気持ちになった。身も心も、そしてその場にいることのすべてのことに感謝した。
晴れやかな秋の香りがしている。今日は命日。空を見上げて、またひとつ、あの頃を思い出す。
9月22日(土)~24日(月)合気道秋合宿
あーたのしかった。行ってよかった秋合宿。
今回はのべ47名が参加。
三宅先生のお心遣いで、届いた清涼飲料水を全員でがぶ飲み。
内田先生もお元気そうである。
今回は、特別ゲストとして、フランスから、ブルーノくんも合宿に参加された。
すっかりきれいになった宿に隣接する道場で寸暇を惜しんで稽古し、寸暇を惜しんで風呂に入り、寸暇を惜しんで食事を摂った。寸暇を惜しんで布団に包まった。
持ってきた新聞は、結局そのまま目を通す間もないまま、何の活字も読まないまま、合気道三昧の時が過ぎ行く。
往復路ともにSA朝来で黒豆ソフトを舐めた。
帰路は、とくに肌寒さを感じたので、黒豆コーヒーを初めて飲んだ。それでかどうか、黒豆ソフトは親切な御仁がごちそうしてくださった。両方をいっぺんに食するのは、結構いけるものだと、ちょっとした贅沢を味わう。
帰りは大概、ここの駐車場から互いの行き先が分かれていく。
神戸方面、姫路方面、宝塚方面と分かれていくのだ。
それぞれの帰路へと向かうなか、車中では何を話すのだろう。
いわば車組にとって合宿最後の出会いや別れの場所であるここには、これまでのさまざまな思い出が詰まっている。後ろ髪を引かれる思いで立ち去ったあの場所に、戻ってきたひともいれば、去っていったままのひともいる(もちろん元気に活躍している)。
次の合宿でまた、誰かがどこかに行ってしまうこともあるかもしれない。新しい誰かがやってくることもあるかもしれない(別に明日またすぐに会うひともいるんだけど)。
これまで、何度もこの駐車場で握手し、手を振り、いろんな時間を過ごしたことをまた思い出した。思い出すうち、やっぱりどこか切なくなった。切なくさせるのは、秋風のせいだろうか。哀しい気持ちになるのは、三日間のせいだろうか。切ないのはいやで、哀しいのも好きじゃない。
切ない気持ちも哀しい気持ちも、やっぱり誰にも見せたくなくて、全員で挨拶したのち、またもやすぐにぽいっと車に乗り込む。にこやかにその場を立ち去る。哀しくて、そそくさと車に乗るだけが、いつものわたしだったけれど、そこに、にこやかに笑うという動作が加えられた。
9月21日(金)
なんだかんだ言っても、合宿前日は心が躍る。
9月20日(木)
週末の合宿に向けて、心が既に躍っている。
9月19日(水)クイックと早く。
通常の加えて、ヒミツの稽古。
ちょっと説明しがたい状況で、やんややんやと杖と木刀を振ってみる。急いでも仕方ないけれど、クイック。早く前に進まなくっちゃ。
夜、大きく晴れた街の片隅で、あの清原選手を見る。実物はかなりでかいと思う。
9月18日(火)
大学にて終日仕事。捗る。