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2007年8月 アーカイブ

2007年8月 3日

なんとかかんとか夏休み

8月2日(木)

 朝起きたら昼だった。ということはなく、朝起きたら朝だった。
 精神よりも肉体が疲れすぎると、短い時間でも、ほんとうに深い眠りに落ちる。眠っていたことさえも忘れるくらいに。ぐっすりと深い眠りに落ちることができれば、昨日までの時間が、まるで夢のようにさえ思えてくる。遠い遠い昔の出来事のように。楽しい時間であればあるほど、そう感じてしまうのである。


8月1日(水)甲野先生集中講義その3

 集中講義三日目。
手元の辞書に寄れば、「板につく」という表現は、「経験を積んだ結果、職業・任務などがその人にぴったり合った感じになる」こととある。そこまで言うのもたいへんおこがましい話だが、三日目にしてアシスタント業も細かな工夫ができるようになってきた。場面場面の対応が、わりに練られてきたのである。
 何をどういう順序で対応していけばいいのか、あるいは、どういう場面で呼吸し、立ち止まり、空を見て、歩き、笑い、接するのかなど、一連の動きが生きている流れのなかで少しずつわかってくるからだ。
 これをして「身体化」と言ってもいいかもしれない。ただし、通る道は同じでも、そこは見た目の問題である。同じようであっても、昨日とはまったく違う気温であり、湿度であり、人間であり、時間であり、場所である。また訪れる人間によっても、全部違ってくる。同じようで同じではない。それを忘れてはいけない。地球あるいはこれを自然と言うならば、人間は、自然のなかで生きている。その変化を微細に感じとらなければならない。しかしそれは、能動的でもなく受動的ではなく、当然のように。
 身体は及ぶ環境に準じて変化を伴うべきであろう。個人の意思によるものでなく、変化を伴うことが「自然な状態」となることこそ、ある意味、生きていくべき真実に近い、そんなふうな気がするのだ。
 とにかく身体を精密に使うことである。しかしそれは意識するのではなく、身体の素直な反応として。


7月31日(火)甲野先生集中講義その2

 集中講義二日目。
 昨日よりは大分緊張もほぐれたかに思われる。
 箒の使い方は、随分と勉強になった。
 興味や関心の多い動作や動きも頻出。
撮影は固定カメラにして、技を体験させてもらったり、ちょっと小難しい受けをたらせてもらったりと、まさに身体が「わくわく」を実感している。
こんなことができるのかあという閃きと喜びと発見が身体中を駆け巡る。あっという間の時間だ。
そして気がつけば月末。


7月30日(月)甲野先生集中講義その1

 客員特別教授の甲野先生の集中講義初日。
 まずは昨日より関西に来られた甲野先生のお出迎え。わたしの担当は、撮影と記録とアシスタントとアテンダントとそのほか何でも屋なのである。
珍しく今日は朝から緊張の連続である。
甲野先生の「講習会」なら、何度もこの場で受けさせていただいてきたが、それはまさに「受けさせていただいてきた」ものであり、文字通り受動的なものであった。だが、今回は若干「迎える」体制も必要とされる。師匠不在のこともあり、不手際のないよう細心の注意を払う。

 同じ学内で集中講義開講中の山本画伯と共に、甲野先生と社交館にて会食。
なんだか不思議な時間と空間を駆け巡っているのだろう。そのことが身をもって実感される。周囲の視線がものすごく熱いのは言うまでもなく。両先生のお話を伺いながら座っているのは、まさに至福のときでもある。存分に深い呼吸ができるから、さして問題もないのだろう。
昼食後、ミリアム館へと移動。
 大学山に鳴り響く夏の声、クマゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、樹木、木登り、葉っぱなどの話をしながら、甲野先生、さきほど辿り着いた医学書院の鳥居さんと共に、とつとつと講義の場所へと歩いて向かう。
 受講者は大勢いる。
誰もが期待と胸の高鳴りを抑え切れないのか、全身から、わくわくされている様子が痛いほどに伝わってくる。さあ、初日の始まりだ。


7月29日(日)

 朝起きると、いきなり選挙カー音が聴こえてきた。
 選挙カーの声は、なぜに、ああもよく響き、ああもうるさくこだまするのだろう。「選挙しましょう」という言い募ることは、たしかに必要で、聞こえなければ意味がないが、聞こえすぎても邪魔になる。朝からずーっと、この暑い中を選挙投票日に走り回って知らせなければならない仕事というのも気の毒なものである。しかし、その声には同時に不快な思いにもさせられる。気の毒と不快な思いの調度中庸というものはないのだろうか。ようやく静かになると思われる街と、最後の最後まで選挙に行くことを思い出させるような声が少し響くらいの。
ところで、「選挙しましょう」の声は、いったいどのくらいの効果があるのだろうか。不在投票者は既に思い出しているわけであるし。

 昼前にトークセッション「身体性の教育」拝聴をメインに大学へ。
休日のオープンキャンパスということもあってか、多くの人で賑わい、活気付いている。スタッフの方々も非常に愛想がいい。「こんにちは」の声が、そこいら中にきれいに響き渡っている。さすがだ。
神戸女学院が誇るキャンパスの緑は、こういう日に見るとまた一段と輝いて見える。おそらくいつもと変わらぬ輝きのはずなのだが、今日の木々は少しだけ、張り切っているのかもしれない。改めてきれいな大学であると全身で感じながら、途中で出会うひとと数々の挨拶を交わし、あれこれと立ち寄り、会場となる講堂へと到着。
神戸女学院大学が誇るもの、すなわちそれは身体性の教育という時代が来た。
甲野先生、島崎先生、内田先生によるトーク開始は、「台本なし、打ち合わせなしの2時間一本勝負」である。
おもしろいはずだとわかっていても、やっぱりおもしろい。甲野先生の技の解釈や島崎先生の「寿司芸」には、感動すら覚えた。とてつもなく舞踊をやってみたくなる。そこに内田先生の「矛盾」の妙。会場のど真ん前に座って見ていたので、細かなしぐさや動きも見て取れて、これまたおもしろかった。
対談終了後は、必死になってサインを書いておられる甲野先生、内田先生のサイン姿を拝見する。
講堂の出入口付近では、顔見知りにしていただいている方々に遭遇。多くは編集関係の方。顔を覚えていただいていることに深く感謝(バジリコ安藤さん、新潮社アダチさん、本願寺フジモトさん、朝日カルチャーセンター大阪の森本さん、朝日新聞社の小林さん、140B江さん、青山さん、医学書院の鳥居さんはここで初めて)。そのほか、合気道やら大学やら関係者のさまざまな顔が見える。改めて恵まれた環境にいる自らを感じ、人との出会いやご縁を感じた。
単なる挨拶ができる関係から、お話ができる間柄までさまざまだが、その場にいる喜びに、心から深く感謝した。それはまさに「愛神愛隣」の名の下で。


7月28日(土)

 あついあついあついあついあついあつい。あー、あつい。実際の体感温度は40度!?かああー。今日の道場は、蒸し風呂のようで、かなり暑い。うっかり痩せそうである。


7月27日(金)

 『国盗人-W.シェイクスピア「リチャード三世」より-』を観劇。
主演俳優は白石加代子か、野村萬斎か、どちらだろうかと思いながら劇場へと足を運ぶ。まあ、野村萬斎だろうと決め込んで、客席に座る。
思えば、「野村萬斎」という俳優をナマで観たのはこれが初めてである。
テレビなんかではよく見るし、本も読んだし、DVDもいろいろと観てはいたが、ナマは初めてである。本業の能舞台で観ないのは邪道だろうかと思いつつ。(本当は狂言の舞台で拝見したかったが、なかなか時間がうまくいかない。東京までそれを見に行く時間もなし。関西上陸もまた時間が合わず)。
ところで、萬斎の芸風はとてもよく目立つ。
今回は、リチャード三世ならぬ悪三郎演じる悪役振りがひときわ輝いている。
世界的に有名な悪役を演じるということのほかに、他の役者と比べて何が違うのだろう。
身体がうまく動かないという設定は、原作と変わらないが、その動きの悪さをすごくうまく表現している。
足の引きずり方、曲がった手の動かし方。身体の動かし方がうまいと、声の出し方がすごくうまいのである。
 シェイクスピアの「リチャード三世」を日本に移し変えた舞台だが、よく見ると、それは立派な能舞台であった。どう見ても柱があり、メインの舞台は真四角で、階段までもがついている。そしていわゆる夢の世界の出来事なのだ。夢幻能と言えばそうだろう。だからこそ、彼の間合いは、あの舞台に異様によくなじんでいたのかもしれない。
 夜は懇談会。ようやくここまで来ることができました。神に感謝。


7月26日(木)

 実質的な講義は今日で終わり。明日からちょっとだけ夏休み気分。
 でもその前に、トークセッションも、集中講義も、ほかにもいろいろとあるので、なんだかそれが終わるまで夏休みという気がしない。


7月25日(水)

 7月最後の水曜日。

2007年8月15日

いろいろ誕生日

8月14日(火)

 昨日ほどの勢いはないというものの、掃除気分は覚めやらず。早起きして、今度は居間部分を掃除。紙屑やごみ屑は即効でゴミ袋のなかへ移動させ、どうしても捨てられないまま今に至るもの以外はほとんど捨てた。失っていた文具類も無事に見つかる。収納ボックスとゴミ箱も買った。たまには、思い切った掃除もするものである。明日は燃えないごみの日。これまたゴミ袋ひとつぶんに達したものを抱えて表に出すとしよう。掃除は煤払い程度に。


8月13日(月)

 昨日のすさまじく驚異的でクリアな台所掃除風景を見ていたら、自分も掃除したくなって、早起きして、がんがん掃除した。まずは台所。ついでに寝室部分。それだけで掃除し終えると、燃えるゴミが三つ。ちょうど明日はごみの日。掃除は明日に続く。


8月12日(日)

 内田先生の引越し手伝いに出向く。
午前9時にお邪魔するも、すでにキヨエとマサコの姐さんコンビが活躍中であった。コンビのおかげで、水回りはとてもきれいになっていくので、残る部屋を掃除した。ものすごくたくさんの誇りがあったが、ダイソン掃除機のおかげで、ぐいぐい吸い込まれていく。
 昼前に搬入が終わり、御影に移動。途中昼食をご馳走になる。
 御影の家は、当然だが、随分ときれいで、シックで、それでいて辺りがとても静かだった。荷解きが思ったより少なかったが、それでも掃除すること数時間。冷えたビールがとてもおいしかった。


8月11日(土)

 合気道の稽古の後、大阪へ。
 韓国料理「玉一」にて食す。こう暑い日は、限る。
まだ日も高いので、少し移動して、芝生の上に新聞紙を敷いた。ビールやらちょっとしたアルコール類、つまみを並べ、車座になった。公園ではサッカーに夢中のひとびと。途中からギターに合わせて歌い、滑り台のうえから公園を見下ろした。夜風が涼しい。それから花火をした。芝生の上の空には、星がひとつも見えなかったけれど、久しぶりに、忘れられぬ時間だった。


8月10日(金)

 西宮市は核兵器廃絶に向けて、「平和非核都市」宣言をしているようである。そのためか、今日は歩いていると、街頭で、その思いを訴えかけるタオルを手渡された。

 午後真っ盛りから、R杯カラオケ・パーティ。集合場所に遅れて出向いたせいもあり、最初は声の出が相当悪かったのだが、途中から慣れてきたのか、どうやら満場一致で勝ってしまったらしい。打ち上げの際、優勝者には商品つきと発表される。商品の運び方は、次回までに対策を練ることで、この度は頂かずに家路につく。


8月9日(木)

 クォン・サンウの誕生日は、このまえの日曜日(5日)だったと気づく。今頃思い出したことに、ふと、さびしくなる。軽くショック。


8月8日(水)

 裏誕生日。朝からゴキゲンなのである。
道場に行ってもそれは同じ。すごく元気に、愉快に稽古できた。参加人数が多かったのもひとつの要因だろう。ああー、楽しかった。おもしろかった。
調子のいいまま、三宅接骨院で、ぐりぐり、ごろごろほぐしてもらう。
足が柔らかいと褒められていい気分になる。なぜか身体がうまく絞られているとも言われる。これもいい感じだ。
ところで、「裏」とはいえ、今日は誕生日。それでいちにち気分がよかったのかもしれない。さてはて、ことしは何で祝おうか。


8月7日(火)

 花の日なのだろうか?鼻の日だろうか?朝から鼻がむずがゆい。


8月6日(月)

 原爆が世界で初めて投下された日から62年目の今日。朝から心が深く沈んだ。
夕方、買い物に出かけた折、核兵廃絶を求める署名を求められたので、そこに署名した。署名など、これまでほとんどしたこともないし、ましてや署名する気になどならなかったのだが、ふいに身体がそうしむけた。ペンを手にとり、名前を書いた。


8月5日(日)

 穏やかな日曜日。さわやかな風が吹く。
そういや、早起きをした。早起きをしたので、「早起きは三文の徳」という話をしたのを思い出した。この場合の「一文」とは、どのくらいの貨幣価値なのだろうか?という疑問がふらりと沸く。現在の貨幣に置き換えると、果たしてどのくらいになるのだろうかということである。その場にいた誰も答えられなかった。こういうとき手元にすぐさま辞書がないのは辛い。文銭の存在そのものというよりも、文銭の貨幣としての価値は如何なるものか?というのが気になるばかりだからだ。
のちほど調べてみると、どうやら貨幣法により、明治以前とそれ以前の江戸とでは、貨幣は同等のものとして比べられるものではないようである。
そこで、さらに気になったのは、「二束三文」と「三文オペラ」。どちらも「三文」である。これらもどういう意味なのだろうか。これは「三文」というのが、取るに足らないもの、わずかのお金という意味であるようだ。実質的に一文の三倍というわけでもないらしい。
夜はまた穏やかな風の向こうから、花火の音が聞こえてきた。もう夏なのだ。


8月4日(土)

 稽古のあとは、新入生歓迎コンパ。
 大学の合気道部の新入生を担ぎ上げて、大義名分とし、コンパ開催されるのが通例。ということで顔合わせ会である。甲南合気会のみなさまも、ここぞとばかりに自己紹介となる。懐かしい面々、懐かしいメンバー、いつもの顔馴染、新しい会員などなど、各地で大いに盛り上がる夏の夜。

2007年8月20日

早起きして田辺へ

8月18日(土)

 K錬会のK野くん来る。
 相変わらず、ふぁんきーなおひとですわ~。


8月17日(金)

 本日も晴天なり。猛暑なり。それは結構だが変わらず暑い。
 ぎりぎりまで布団の中で深く眠って、フロントからの電話でようやくもそもそと起き出す。
おかげで朝食をゆったりいただくことができた。さらには、宿のご厚意で、チェックアウト後も、ゆっくりさせてもらうことができた。つまり二度寝。旅にまで来て、こんなことができるなんて、なんと贅沢なことか。それに、できれば日に焼けたくないので、この数時間のなんとありがたいことか。
さてはて、それから再び海へ。
 宿の目の前がすぐ海なので、プライベートビーチ状態である。
昨日の復習とでもいうべきか、海への浮き方を丁寧に思い出す。沈み方も。そういえば、沈むのは好きだったのだと、動いているうち、だんだんと身体が思い出す。何せ海に来るのは5年ぶりくらい。水の中での動き方を思い出すにも、その機会が充分になかった。
 海の蒼と空の蒼、山の緑、太陽の日差しは、ほんとうにきれいな色だ。すばらしい。
浮きながら、生きていることを実感し、人間である前に自然であることを、久しぶりに感じた。
いくつかの記憶と発見を重ねながら、数時間は水の中にいただろうか。
浜辺で海を眺め、波の音を聴く。よくわからないが、波に乗りたがる人の気持ちがいまならわかる気がした。
その後は温泉に入って、塩分を洗い流し、ビールを飲んで乾杯。
二日目の夕日を眺め、月を拝む。星空も見た。もう一泊したいくらいの勢いだった。日本には、まだまだきれいなところがたくさんある。広くて素敵な宇宙だ。
だから、また来よう。そう思う。
そして何より、わがままなのを連れてってくださって、どうもありがとうございました。おかげで充実したお休みとなりました。また一緒に海に行きたいです。


8月16日(木)

 早起きして、和歌山県は田辺市に行く。
 朝6時台の電車に揺られている時点で、本日も猛暑なりを肌で実感する。
お盆明けのせいか、最寄駅も通過駅も、いつもより、ひとが少なくも感じる。
 大阪で待ち合わせた、巻き込まれ同行者H氏と、天王寺から「くろしお」に乗って、紀伊田辺へ。
 夏の盛りに、田辺に何をしに来たのかというと、泳ぎに来たのではなく、お参りに来たのである。
合気道開祖植芝盛平先生は、田辺市のご出身のため、銅像があるという。
以前から話には聞いていたが、これまで見る機会が一度もなかった。最近、その思いがたいそう強くなり、この夏、遂に詣でることにしたのである。
 紀伊田辺駅に着くと、すぐさまレンタサイクルを借りた。
与えられた電動自転車は、初めて乗る乗り物だったが、慣れるとわりに快適であることを知る。

まずは「扇ヶ浜」と書いて「カッパーク」と読む浜辺へと向かう。
野口雨情の歌碑やら、軍艦マーチの歌碑やらを見つけるも、肝心の「植芝盛平像」が見あたらない。あらゆる歌碑やら記念碑をすべて見終え、海岸沿い東西にうろうろしてみるがまだ発見されない。落ち着いてよく考え、最初の場所に戻る。目的の像は、最初に着いた入口から、少し隠れたところにあったので、見過ごしていたのだとわかる。
 見つけた大きな銅像の前で、手を合わせてみる。「ようやく来ました」と心の中でつぶやき、一応の記念撮影。ぱちり。
 
浜の前にあった田辺市役所に立ち寄って、地図をもらい、今度は生家跡地へと向かう。
 周辺の民家の路地へと入り込む。
ここいらの民家の感じが、なぜだか懐かしく、目的地とは違う場所だったことにあとから気づいたが、さして気にすることもなく、自転車をこぐ。こういう家々もあるのだなあと思う。ペダルをこぐうち、目的の場所は、一筋向こうのあるのだと、親切な地元の方に教えていただいた。
 
生家跡地に着く。
 色濃く生い茂った草叢のなかに、当時の面影を残す大きな木が二本聳え立つ。いまでは、ひとつの観光名所になっているのか、「植芝盛平生誕の地」という看板が掲げられていた。 
門扉に手をつき、じっと静かに草叢のなかを眺める。
道路に面している場所なので、観光客と思しき人物とはいえ、ずっとなにもせず眺めているのは、地元のひとからすれば、さぞかし奇妙な光景に映ったかもしれない。そしてまた記念撮影。ぱちり。

 続いて、植芝盛平翁の墓のある高山寺へ。
ここへは迷わず見事に辿り着いた。
まずは本堂にご挨拶してから、墓所のある周辺へと向かう。
墓所を臨むかのような緩やかな丘の階段を下りているちょうどそのとき、正午を知らせるサイレンが鳴った。ふいに何かに守られている気がした。
南方熊楠も同じ田辺の出身なのか、同じ記念碑に祀られているようだった。
それにしても墓地なのに記念碑がばかりで、肝心の墓が見つからない。なにかおかしい。
諦めて帰ろうとすると、ふいに墓石の隙間から「植芝盛平翁」という文字が見えた。
一目散に駆け寄る。
見つけた。
これが見たかったのだ(見つけた瞬間、同行者がいたことさえ忘れていた)。
「ようやく、この場所まで来ることができました」と心のなかで告げ、墓石に手を合わせて挨拶した。そして、何かに深く感謝した。合気道精進を祈願し、「またここに来ます」ともご挨拶した。
お参りのあと、再びペダルをこいで駅へと向かう。

 その後は、駅から電車を乗り継ぎ、海へと移動。
 おお、懐かしの太平洋。
 日差しのきつい夏の浜辺には、たくさんの海水浴客がいるので、人の混雑を避けて、夕方のビーチへ。
 海水に浸る。昼の暑さのせいか、水が温泉のように温かい。
日の沈む寸前まで、泳ぎを習い、浮き方を思い出し、稽古した。
よき先達のおかげで、できなかったことができるようになるその幸せを、全身で噛み締めた。どうやら海が好きになりそうだ。


8月15日(水)終戦記念日

 正午、サイレンに合わせて黙祷。62年前の惨状を想像することもできないが、それでもせめて成仏できますように、御仏に手を合わせる。

 朝が涼しいのと、蝉が起こしてくれるのとで、夏の朝は始まりが早い。窓を全快にして、9時には、仕事を開始している。途中休憩1時間ほど挟み、こつこつと5時ごろ終わる。そして、風呂に入る。それから夕食。気が向いたら、近所を散歩がてら夜風に吹かれて、買い物に出かける。このところの生活はこんなふうで、すごく人間らしい生活のように思える。こういうのが続けばいい。

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