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なんとかかんとか夏休み

8月2日(木)

 朝起きたら昼だった。ということはなく、朝起きたら朝だった。
 精神よりも肉体が疲れすぎると、短い時間でも、ほんとうに深い眠りに落ちる。眠っていたことさえも忘れるくらいに。ぐっすりと深い眠りに落ちることができれば、昨日までの時間が、まるで夢のようにさえ思えてくる。遠い遠い昔の出来事のように。楽しい時間であればあるほど、そう感じてしまうのである。


8月1日(水)甲野先生集中講義その3

 集中講義三日目。
手元の辞書に寄れば、「板につく」という表現は、「経験を積んだ結果、職業・任務などがその人にぴったり合った感じになる」こととある。そこまで言うのもたいへんおこがましい話だが、三日目にしてアシスタント業も細かな工夫ができるようになってきた。場面場面の対応が、わりに練られてきたのである。
 何をどういう順序で対応していけばいいのか、あるいは、どういう場面で呼吸し、立ち止まり、空を見て、歩き、笑い、接するのかなど、一連の動きが生きている流れのなかで少しずつわかってくるからだ。
 これをして「身体化」と言ってもいいかもしれない。ただし、通る道は同じでも、そこは見た目の問題である。同じようであっても、昨日とはまったく違う気温であり、湿度であり、人間であり、時間であり、場所である。また訪れる人間によっても、全部違ってくる。同じようで同じではない。それを忘れてはいけない。地球あるいはこれを自然と言うならば、人間は、自然のなかで生きている。その変化を微細に感じとらなければならない。しかしそれは、能動的でもなく受動的ではなく、当然のように。
 身体は及ぶ環境に準じて変化を伴うべきであろう。個人の意思によるものでなく、変化を伴うことが「自然な状態」となることこそ、ある意味、生きていくべき真実に近い、そんなふうな気がするのだ。
 とにかく身体を精密に使うことである。しかしそれは意識するのではなく、身体の素直な反応として。


7月31日(火)甲野先生集中講義その2

 集中講義二日目。
 昨日よりは大分緊張もほぐれたかに思われる。
 箒の使い方は、随分と勉強になった。
 興味や関心の多い動作や動きも頻出。
撮影は固定カメラにして、技を体験させてもらったり、ちょっと小難しい受けをたらせてもらったりと、まさに身体が「わくわく」を実感している。
こんなことができるのかあという閃きと喜びと発見が身体中を駆け巡る。あっという間の時間だ。
そして気がつけば月末。


7月30日(月)甲野先生集中講義その1

 客員特別教授の甲野先生の集中講義初日。
 まずは昨日より関西に来られた甲野先生のお出迎え。わたしの担当は、撮影と記録とアシスタントとアテンダントとそのほか何でも屋なのである。
珍しく今日は朝から緊張の連続である。
甲野先生の「講習会」なら、何度もこの場で受けさせていただいてきたが、それはまさに「受けさせていただいてきた」ものであり、文字通り受動的なものであった。だが、今回は若干「迎える」体制も必要とされる。師匠不在のこともあり、不手際のないよう細心の注意を払う。

 同じ学内で集中講義開講中の山本画伯と共に、甲野先生と社交館にて会食。
なんだか不思議な時間と空間を駆け巡っているのだろう。そのことが身をもって実感される。周囲の視線がものすごく熱いのは言うまでもなく。両先生のお話を伺いながら座っているのは、まさに至福のときでもある。存分に深い呼吸ができるから、さして問題もないのだろう。
昼食後、ミリアム館へと移動。
 大学山に鳴り響く夏の声、クマゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、樹木、木登り、葉っぱなどの話をしながら、甲野先生、さきほど辿り着いた医学書院の鳥居さんと共に、とつとつと講義の場所へと歩いて向かう。
 受講者は大勢いる。
誰もが期待と胸の高鳴りを抑え切れないのか、全身から、わくわくされている様子が痛いほどに伝わってくる。さあ、初日の始まりだ。


7月29日(日)

 朝起きると、いきなり選挙カー音が聴こえてきた。
 選挙カーの声は、なぜに、ああもよく響き、ああもうるさくこだまするのだろう。「選挙しましょう」という言い募ることは、たしかに必要で、聞こえなければ意味がないが、聞こえすぎても邪魔になる。朝からずーっと、この暑い中を選挙投票日に走り回って知らせなければならない仕事というのも気の毒なものである。しかし、その声には同時に不快な思いにもさせられる。気の毒と不快な思いの調度中庸というものはないのだろうか。ようやく静かになると思われる街と、最後の最後まで選挙に行くことを思い出させるような声が少し響くらいの。
ところで、「選挙しましょう」の声は、いったいどのくらいの効果があるのだろうか。不在投票者は既に思い出しているわけであるし。

 昼前にトークセッション「身体性の教育」拝聴をメインに大学へ。
休日のオープンキャンパスということもあってか、多くの人で賑わい、活気付いている。スタッフの方々も非常に愛想がいい。「こんにちは」の声が、そこいら中にきれいに響き渡っている。さすがだ。
神戸女学院が誇るキャンパスの緑は、こういう日に見るとまた一段と輝いて見える。おそらくいつもと変わらぬ輝きのはずなのだが、今日の木々は少しだけ、張り切っているのかもしれない。改めてきれいな大学であると全身で感じながら、途中で出会うひとと数々の挨拶を交わし、あれこれと立ち寄り、会場となる講堂へと到着。
神戸女学院大学が誇るもの、すなわちそれは身体性の教育という時代が来た。
甲野先生、島崎先生、内田先生によるトーク開始は、「台本なし、打ち合わせなしの2時間一本勝負」である。
おもしろいはずだとわかっていても、やっぱりおもしろい。甲野先生の技の解釈や島崎先生の「寿司芸」には、感動すら覚えた。とてつもなく舞踊をやってみたくなる。そこに内田先生の「矛盾」の妙。会場のど真ん前に座って見ていたので、細かなしぐさや動きも見て取れて、これまたおもしろかった。
対談終了後は、必死になってサインを書いておられる甲野先生、内田先生のサイン姿を拝見する。
講堂の出入口付近では、顔見知りにしていただいている方々に遭遇。多くは編集関係の方。顔を覚えていただいていることに深く感謝(バジリコ安藤さん、新潮社アダチさん、本願寺フジモトさん、朝日カルチャーセンター大阪の森本さん、朝日新聞社の小林さん、140B江さん、青山さん、医学書院の鳥居さんはここで初めて)。そのほか、合気道やら大学やら関係者のさまざまな顔が見える。改めて恵まれた環境にいる自らを感じ、人との出会いやご縁を感じた。
単なる挨拶ができる関係から、お話ができる間柄までさまざまだが、その場にいる喜びに、心から深く感謝した。それはまさに「愛神愛隣」の名の下で。


7月28日(土)

 あついあついあついあついあついあつい。あー、あつい。実際の体感温度は40度!?かああー。今日の道場は、蒸し風呂のようで、かなり暑い。うっかり痩せそうである。


7月27日(金)

 『国盗人-W.シェイクスピア「リチャード三世」より-』を観劇。
主演俳優は白石加代子か、野村萬斎か、どちらだろうかと思いながら劇場へと足を運ぶ。まあ、野村萬斎だろうと決め込んで、客席に座る。
思えば、「野村萬斎」という俳優をナマで観たのはこれが初めてである。
テレビなんかではよく見るし、本も読んだし、DVDもいろいろと観てはいたが、ナマは初めてである。本業の能舞台で観ないのは邪道だろうかと思いつつ。(本当は狂言の舞台で拝見したかったが、なかなか時間がうまくいかない。東京までそれを見に行く時間もなし。関西上陸もまた時間が合わず)。
ところで、萬斎の芸風はとてもよく目立つ。
今回は、リチャード三世ならぬ悪三郎演じる悪役振りがひときわ輝いている。
世界的に有名な悪役を演じるということのほかに、他の役者と比べて何が違うのだろう。
身体がうまく動かないという設定は、原作と変わらないが、その動きの悪さをすごくうまく表現している。
足の引きずり方、曲がった手の動かし方。身体の動かし方がうまいと、声の出し方がすごくうまいのである。
 シェイクスピアの「リチャード三世」を日本に移し変えた舞台だが、よく見ると、それは立派な能舞台であった。どう見ても柱があり、メインの舞台は真四角で、階段までもがついている。そしていわゆる夢の世界の出来事なのだ。夢幻能と言えばそうだろう。だからこそ、彼の間合いは、あの舞台に異様によくなじんでいたのかもしれない。
 夜は懇談会。ようやくここまで来ることができました。神に感謝。


7月26日(木)

 実質的な講義は今日で終わり。明日からちょっとだけ夏休み気分。
 でもその前に、トークセッションも、集中講義も、ほかにもいろいろとあるので、なんだかそれが終わるまで夏休みという気がしない。


7月25日(水)

 7月最後の水曜日。

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2007年8月 3日 20:36に投稿されたエントリーのページです。

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