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早起きして田辺へ

8月18日(土)

 K錬会のK野くん来る。
 相変わらず、ふぁんきーなおひとですわ~。


8月17日(金)

 本日も晴天なり。猛暑なり。それは結構だが変わらず暑い。
 ぎりぎりまで布団の中で深く眠って、フロントからの電話でようやくもそもそと起き出す。
おかげで朝食をゆったりいただくことができた。さらには、宿のご厚意で、チェックアウト後も、ゆっくりさせてもらうことができた。つまり二度寝。旅にまで来て、こんなことができるなんて、なんと贅沢なことか。それに、できれば日に焼けたくないので、この数時間のなんとありがたいことか。
さてはて、それから再び海へ。
 宿の目の前がすぐ海なので、プライベートビーチ状態である。
昨日の復習とでもいうべきか、海への浮き方を丁寧に思い出す。沈み方も。そういえば、沈むのは好きだったのだと、動いているうち、だんだんと身体が思い出す。何せ海に来るのは5年ぶりくらい。水の中での動き方を思い出すにも、その機会が充分になかった。
 海の蒼と空の蒼、山の緑、太陽の日差しは、ほんとうにきれいな色だ。すばらしい。
浮きながら、生きていることを実感し、人間である前に自然であることを、久しぶりに感じた。
いくつかの記憶と発見を重ねながら、数時間は水の中にいただろうか。
浜辺で海を眺め、波の音を聴く。よくわからないが、波に乗りたがる人の気持ちがいまならわかる気がした。
その後は温泉に入って、塩分を洗い流し、ビールを飲んで乾杯。
二日目の夕日を眺め、月を拝む。星空も見た。もう一泊したいくらいの勢いだった。日本には、まだまだきれいなところがたくさんある。広くて素敵な宇宙だ。
だから、また来よう。そう思う。
そして何より、わがままなのを連れてってくださって、どうもありがとうございました。おかげで充実したお休みとなりました。また一緒に海に行きたいです。


8月16日(木)

 早起きして、和歌山県は田辺市に行く。
 朝6時台の電車に揺られている時点で、本日も猛暑なりを肌で実感する。
お盆明けのせいか、最寄駅も通過駅も、いつもより、ひとが少なくも感じる。
 大阪で待ち合わせた、巻き込まれ同行者H氏と、天王寺から「くろしお」に乗って、紀伊田辺へ。
 夏の盛りに、田辺に何をしに来たのかというと、泳ぎに来たのではなく、お参りに来たのである。
合気道開祖植芝盛平先生は、田辺市のご出身のため、銅像があるという。
以前から話には聞いていたが、これまで見る機会が一度もなかった。最近、その思いがたいそう強くなり、この夏、遂に詣でることにしたのである。
 紀伊田辺駅に着くと、すぐさまレンタサイクルを借りた。
与えられた電動自転車は、初めて乗る乗り物だったが、慣れるとわりに快適であることを知る。

まずは「扇ヶ浜」と書いて「カッパーク」と読む浜辺へと向かう。
野口雨情の歌碑やら、軍艦マーチの歌碑やらを見つけるも、肝心の「植芝盛平像」が見あたらない。あらゆる歌碑やら記念碑をすべて見終え、海岸沿い東西にうろうろしてみるがまだ発見されない。落ち着いてよく考え、最初の場所に戻る。目的の像は、最初に着いた入口から、少し隠れたところにあったので、見過ごしていたのだとわかる。
 見つけた大きな銅像の前で、手を合わせてみる。「ようやく来ました」と心の中でつぶやき、一応の記念撮影。ぱちり。
 
浜の前にあった田辺市役所に立ち寄って、地図をもらい、今度は生家跡地へと向かう。
 周辺の民家の路地へと入り込む。
ここいらの民家の感じが、なぜだか懐かしく、目的地とは違う場所だったことにあとから気づいたが、さして気にすることもなく、自転車をこぐ。こういう家々もあるのだなあと思う。ペダルをこぐうち、目的の場所は、一筋向こうのあるのだと、親切な地元の方に教えていただいた。
 
生家跡地に着く。
 色濃く生い茂った草叢のなかに、当時の面影を残す大きな木が二本聳え立つ。いまでは、ひとつの観光名所になっているのか、「植芝盛平生誕の地」という看板が掲げられていた。 
門扉に手をつき、じっと静かに草叢のなかを眺める。
道路に面している場所なので、観光客と思しき人物とはいえ、ずっとなにもせず眺めているのは、地元のひとからすれば、さぞかし奇妙な光景に映ったかもしれない。そしてまた記念撮影。ぱちり。

 続いて、植芝盛平翁の墓のある高山寺へ。
ここへは迷わず見事に辿り着いた。
まずは本堂にご挨拶してから、墓所のある周辺へと向かう。
墓所を臨むかのような緩やかな丘の階段を下りているちょうどそのとき、正午を知らせるサイレンが鳴った。ふいに何かに守られている気がした。
南方熊楠も同じ田辺の出身なのか、同じ記念碑に祀られているようだった。
それにしても墓地なのに記念碑がばかりで、肝心の墓が見つからない。なにかおかしい。
諦めて帰ろうとすると、ふいに墓石の隙間から「植芝盛平翁」という文字が見えた。
一目散に駆け寄る。
見つけた。
これが見たかったのだ(見つけた瞬間、同行者がいたことさえ忘れていた)。
「ようやく、この場所まで来ることができました」と心のなかで告げ、墓石に手を合わせて挨拶した。そして、何かに深く感謝した。合気道精進を祈願し、「またここに来ます」ともご挨拶した。
お参りのあと、再びペダルをこいで駅へと向かう。

 その後は、駅から電車を乗り継ぎ、海へと移動。
 おお、懐かしの太平洋。
 日差しのきつい夏の浜辺には、たくさんの海水浴客がいるので、人の混雑を避けて、夕方のビーチへ。
 海水に浸る。昼の暑さのせいか、水が温泉のように温かい。
日の沈む寸前まで、泳ぎを習い、浮き方を思い出し、稽古した。
よき先達のおかげで、できなかったことができるようになるその幸せを、全身で噛み締めた。どうやら海が好きになりそうだ。


8月15日(水)終戦記念日

 正午、サイレンに合わせて黙祷。62年前の惨状を想像することもできないが、それでもせめて成仏できますように、御仏に手を合わせる。

 朝が涼しいのと、蝉が起こしてくれるのとで、夏の朝は始まりが早い。窓を全快にして、9時には、仕事を開始している。途中休憩1時間ほど挟み、こつこつと5時ごろ終わる。そして、風呂に入る。それから夕食。気が向いたら、近所を散歩がてら夜風に吹かれて、買い物に出かける。このところの生活はこんなふうで、すごく人間らしい生活のように思える。こういうのが続けばいい。

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2007年8月20日 08:48に投稿されたエントリーのページです。

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