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2007年5月 アーカイブ

2007年5月 4日

東京弾丸ツァー

5月2日(水)連休中日。

 大学は全学休講日で休み。
 幻のような週末の時に浸る間もなく、今日は束の間のウィークディ。


5月1日(火)「東京弾丸ツアー」その参

 まさか東京で月越えするとは思わなかった。気がついたら5月。
 月窓寺道場の朝稽古に参加し、その後の居残り稽古にも出る。汗びっしょりになる。
 いまや東京在住のかなぴょんも、月窓寺で稽古することが既に日課のようで、こんなところで顔を合わせて稽古することになるとは、数年前までは思いもよらなかった。気錬会の方々(工藤さん、内古閑のぶちゃん、土屋さん)もおられ、初めて参加させていただく身としては、知った方がいて随分ありがたかった。そういや、かなぴょんもいなければ、わたしも合気道をやっていたかどうかわからない。ご縁とは、まことに不思議なものだねと、稽古後、月窓寺の方々とご一緒のお茶席で、どちらからともなく話し始める。
 帰りの乗車時間があったので、後ろ髪をひかれる思いで喫茶店は中途退場。
充実した何とも形容し難い時間のなかに混ぜていただいたことで、身も心もほんとうに暖かくなった。暖かい心地の中でまどろむのは気持ちいい。

この旅では、本当にたくさんの同門の方々にお世話になりました。
自由が丘道場をはじめ月窓寺道場の方々、気錬会の方々、そのほか多くの方にお世話になりました。ありがとうございます。会う先々で暖かく接してくださり、楽しかったですし、心からうれしかったです。多田先生のお稽古に参加できて、うれしかったです。
この場を借りてお礼申し上げます。すべての方とのご縁に深く感謝します。

念願の月窓寺道場の畳の上で多田先生にお会いし、「稽古」を参加させていただきました。
自由が丘の特別稽古では、内田先生にはお会いできませんでしたが、随所で内田先生の弟子であることに感謝するばかりでした。心から喜びと感激とご縁を感じずにはいられない旅でした。弾丸ツアーでしたが、行ってよかったです。内田先生、ほんとうにありがとうございます。今後とも精進いたしします。


4月30日(月・振替)「東京弾丸ツアー」その弐

8時間も眠るときっちり目が覚めた(当たり前か)。8時起床。
タカハタさんお手製の朝食をいただく。うまい。
関東人作成による味噌汁は、やっぱりよい。味噌が赤だからだ。わたしは関西人だが、個人的にも昔から「赤」が好きで、自ら「赤」を購入している。ぱくぱく食べながら、また喋る。でも、ちゃんと食べる。食後のコーヒーを頂きながら、まだ喋る。何をこんなに喋ることがあるのだろか。

気持ちのいい晴れ間が広がる。近所の多摩川河川敷まで歩く。
実は河川敷ほど、好きな風景はない。野球のグラウンドがあって、川が見えて、橋が見えて、あとは何もない。ぼんやりした感触がいい。
最寄駅から河川敷までは、ひと昔前まで、今も残る会社の本社ビルしかなかったそうだ。駅からの道路には、50メートルもない間隔でお寺やら神社があり、文化住宅という名の建売住宅が並んでいる。マンションなんて無縁の世界だった。それがいまでは河川敷の傍に、30階近い高層マンションが二棟ほど聳え立つ。神社のいくつかは廃業になったそうだ。
河川敷近くの土手を歩いていると、ふとどこかから声が聞こえてきそうになる。
「おにいちゃん、待ってー」「ぷぅ~」「あーあ、またやっちゃったあ」「ぷぅ~」。
そうである。ここは、映画『お早よう』(小津安二郎監督、松竹、1959)の舞台の場所だそうだ。自然と音楽が流れてくる。東京にも随分のんびりした場所があるものだなと思う。昭和30年代にタイムスリップしたかのような風景が、現代の日本にも少しは残っているようだ。帰ったら映画を観よう。もう一度。

東急線を乗り継ぎ、目黒の体育館へ。「自由が丘道場・気の練磨・剣杖特別稽古」に参加。
現地では、自由が丘の方はもちろん、お久しぶりの気錬会、早稲田、月窓寺、北総など、同門の方々にもお会いし、ご挨拶。たっぷり3時間ほど剣や杖を振り、多田先生のお話を伺う(実はてっきり内田先生もお見えになるものと思い込み、稽古に参加したが、お姿見えず。最後まで探し続けたが先生はおられず、非常に寂しい思いをした)。

 稽古後は、自由が丘道場出身の方の送別会兼宴会に飛び入り参加。どこまで行っても宴会大好き人間である。初めてといってもいいくらいに、自由が丘道場の方々とお話させていただく。ここに内田先生がおられたことをときのことをお聞きし、そしてなぜいまここに先生が座っておられないのか、奇妙な驚きと不思議さを感じた。その分、内田先生の偉大さを感じ、このようなご縁を運んでくださった先生に改めて感謝する夜であった。


4月29日(祝)「東京弾丸ツアー」その壱と半

午前7時になるかならないかの東京駅に初めて降り立つ。まだ東京のひとは、誰も目を覚ましてないんじゃないかというくらい静まり返っている。もちろんそれは今日が祝日で、それも日曜日だからということもあるだろう。要因をこれらだとすれば、静けさは意外に合点の行く状況なのかもしれない。静けさも、そして空気までもが澄んでいること。一瞬だが不思議な東京を見る。
東京駅外観(丸の内側)。
古いレンガ造りの建物は、いつもその歴史を想像させられる。

 電車を乗り継ぎ、茨城は岩間へ。
駅からの道は地図を片手に。少し入った路地でふと誰かに呼ばれる気がした。素直に曲がれば、道はそのまま目的の神社に通じる。到着した合気神社では「合気神社大祭 開祖・吉祥丸道主慰霊祭」が執り行われるのだ。着くなり受付を済ませ、じっと静かにその場の空気を感じ取る。ただならぬ地の気配や感触があるはずだが、人の出入りが激しいのか、さほど大地の大きさを感じることはない。ちらほらと知ったお顔を目にする。
 大祭で一連の儀式を拝観し、祝詞を唱えた。引き続いて行われた慰霊祭でも一連の儀式を拝観しつつ、恭しく行われる祝詞に耳と目をはじめ全身で向ける。道主の奉納演武も拝観。大祭を終えると月窓寺道場、北総合気会の方々に混ぜていただき、一緒に直会に参加。
こんもりとした木の下に各団体や道場ごとにビニルシートが敷かれ、それはまるでお花見のような光景だった(大祭には200名くらいは来られていた)。
いつものわたしの顔を覚えていてくださった坪井先生や菅原先生、梶浦さんが、わたしがどこにいるのかと、(なぜか)ひとりで来たのはかわいそうだと随分探してくださったそうである(実際はすごく近くにいた)。どなたも暖かくお声賭けくださり、月窓寺の集合場所には、ご来賓として参加されていた多田先生もお座りになる。すごく大きな輪の中に巻き込んでいただいている自分に驚いた。
東京へは月窓寺道場の方の車に便乗させていただき、火曜日の朝稽古に出たらどうかとまでお声かけいただく。たしかに月窓寺の稽古には、これまで一度も行ったことがない。稽古に参加できるなんて、この上ない幸運だ。話を伺ったとき、すでに8割方、心は決まっていたようなものである。

夕方、お宿をいただくタカハタさんちへ。
今日一日の長い時間を振り返りながら、ご飯を頂いた。
飲んで、食べて、喋って、話題は尽きぬことなく、夜が更けようとしている。明日もあるので(結構これがメインだし)、早めに休ませていただく。


4月28日(土)「東京弾丸ツアー」その壱

 気がついたら連休初日の今日。土曜日なので合気道の稽古から始まる。すすすいーっと、感じられる心地よい何かに引き寄せられながら、時が過ぎる。と言っても稽古時間は、普段に使っている「24時間」の感覚はどこか無縁なもの。時間も空間も超越しているような気分だ。
 稽古を終えると異常なくらいの水分を欲し、遠いどこかでお腹が空く。朝から何も食べていないときなどは尚更。同じくお腹の空いたタニオねーさん(入門年次からすると妹弟子だが、人生においては良き先輩なので、誰もが敬意を評して「ねーさん」と呼ぶ)と近くのカレー屋に寄る。ふたりとも、夜まで何も食べなくて済むくらいに胃を充満させてから家に戻る。
 家に帰るなり、急いで洗濯、片付け、荷造り。明日から(今日から?)始まるGWのためだ。題して「東京弾丸ツアー」。風呂に入り、8時過ぎに再び家を出た。一路大阪へ。
 大阪から、初めての夜行バスに乗車。一晩かけて無事、東京着。


4月27日(金)

 明日から東京だと思うと、どきどきする関西者。何にって、そりゃあ夜行バスにだよ。

2007年5月11日

涙のGW後半戦

5月9日(水)

 久しぶりの道場の日である。
 欲張ってはいかんなあー。あー、いかんいかん。


5月8日(火)

 『転校生』(大林宣彦監督、松竹、1982)を見る。
先日広島に行った際、新幹線の停車駅で「尾道」を通過したため、気になっていた映画のことを思い出したからだ。
本家本元のこれ?をちゃんと見たのは、たぶんこれが初めてである。

冒頭、ぼんやりした画面が映る。訳もなく画像イメージで画面調節してしまう。リモコンを触っても何も変わらない。25年前の映画だから画面も古いのかなー?と思い直し、結局、気にせずそのまま見続ける。すると、ぱあっと画面が明るくなった。それも含めての演出だったわけだ。
結構地味で意味深なドラマなのかと思いきや、そうでもなかった。体当たりで(ある意味ヌードだね)演じる一美役の小林聡美(若い!)や一夫役の尾美としのり(さらに若い!)は新鮮でイキイキしていて、度肝を抜かれる演技が多い。そして、ふたりともかわいい。
内容は、今だからこそ性転換もので、性教育ものであるとも感じられるけど、25年前だったらどうだったのだろう。単なる「とりかえっこ」の話で済んだのかしら?と思う。ほかにも学校という現場の特徴を浮き彫りにしているところもあり、考えさせられた。また、一夫の母親役樹木希林も今より断然若い!(当たり前か)よって、いぢわる度も高く、いまより大分とんがっている。
大林監督の「尾道三部作」と言われるその風景を見ながら、今更ながら多方面に解釈可能なすんげードラマだったんだなあと感じる。そういえば、2007年には、『転校生』が25年ぶりにリメイクされるらしい。(なんでリメイクなんかするんだろうか?)監督はもちろん大林宣彦。
その前に次は『時をかける少女』を見ようかなー(これは見たけども)。三部作行脚として。


5月7日(月)

 倒れこみそうな身体と瞼を抱えて大学へ。
 朝から「小テスト」を受ける。なんとかテストの意図するところは理解できてよかったよ。ああ、よかった。
 所用につき、一度山を降りる。
途中、立ち寄った薬局で、よっぽど栄養ドリンクでも買おうかとも思った。よくよく考えてみると、ただ朝食も食べずに大学へすっ飛んで行っただけのことだったので、それはやめる。


5月5日(祝)・6日(日)

 GW第二弾は、広島支部講習会に参加する。
 今度は前半戦の「弾丸ツアー」よりもすこし移動は楽に新幹線。
 「広島県地域社会合気道指導者研修会」に参加。(ああ、実に長い名前だこと)。

広島には恒例の多田先生講習会のため、年に一度は出向く。
また昨年から、この講習会には「国」より資金が出るようになったとかで、細部にお金がつぎ込まれているらしいことは、随所の仕掛けでよくわかる。
一見すると、何でもないようなことだが、眼を凝らしてよく見てみると、開会式、閉会式があり、そこには管理の方がお見えになり、稽古時間は綿密に組まれている。会場となる体育館の柱には、きちんと二日間のスケジュールが掲示されている。稽古中の休憩も確実に挟み込まれ、昼食時間も管理されている。それらはもちろん「プログラム」というかたちで、参加者全員に印刷物としても配布され、修了証も受け取ることができるようになっている。稽古時間もふんだんに充てられている。充実した時間である。

多田先生から、稽古について多くのご説明をお聞きし、きめ細やかで懇切丁寧な稽古をお受けすることができた。とくに、「機」というお話は感銘を受けるもので、生きていてよかったと思える瞬間とつながった。なにがどうということが、いままだちょっとわかりにくいのだけれど。極私的メモ程度に示せば、「ぽっ」と頭のなかに浮かぶことがある。「ぽんっ」と入り込む感じ。
ほかにもたくさんのお話を伺い、にこやかに過ごすことができた。たいへん幸運なことだ。思わぬ幸運に恵まれたGWに感謝。
広島支部のみなさま、ありがとうございました。
 今回もご一緒させていただけた内田先生、同門のみなさまにも深く感謝するばかりの日曜の夜でありました。


5月4日(祝)2007年のことしから今日は「みどりの日」。

 休みなら別に名前は何でもいいけれど。
「みどりの日」が「昭和の日」になって、「国民の休日」が「みどりの日」になったってさ。ネーミングの使いまわしかね、これ。あるいは、ネタ切れなのかね。これ。でも、こうなったら、「くろの日」「しろの日」「あかの日」「きいろの日」「あおの日」とか五色ぐらい休みをつくってみようではないかー。

5月3日(祝)憲法記念日

 気になる『お早よう』鑑賞。ついさっきまで見てきたような風景を、いま一度見てきたように画面で確認した。
 多摩川にかかる橋があって、橋を支える柱の間隔は、そのときから均一のままだ。

2007年5月25日

おなかがいたいよお

5月24日(木)

 鈍い痛みはまだ続く。
 部屋の中はぐちゃぐちゃ。片付けないとなと思いつつ、今日も今日はで明日になる。
 講義と稽古の二連荘。


5月23日(水)

 相変わらずの鈍痛が続く。
 薬を飲んでも、それすら受け付けないくらいに。脱水症状ではない。それでも、スケジュールは進んでいく。


5月22日(火)

 手足が長いのはいいと、今日ほど思ったことはない。もちろん広い世の中。手足の長い人なんて、探せばそこいらにごろごろいる。だが、それがちょっとした時と場合によって、たいそうきれいなかたちで現れることがある。言葉を変えて言うならば、ただ長いだけではなく、手足の長さがぴったりと当てはまる空間に存在すること。これはそうそうあることではない。長くてもガリガリに痩せていてはいけない。肉付きが良すぎても困る。かたち以上に何より自身の手足の長さを生かせるだけの場所に、自らの身体がなければ映えない。宝塚の舞台を観て、そんなふうに思えたのは、初めてのことだ。

 宝塚の舞台は、これまでにも何度も観たが、舞台映えする身体だと思ったのは、実はただの一度もない。舞台上の役者を見て、きれいであるとか、かわいいとか、足が長いとか、エンターテイメントな役者だとか、歌がうまいとか、すごく小さな顔だとか、スタイルいいなあとか、あれで同じ人間なんだろうかとか、すごい化粧だと思うことは、何度もあっても、舞台の位置関係を考えるまでに思える舞台人には出会ったことは、ただの一度もなかったのである。
先般来日したウィーン版『エリザベート』を観たときでさえ、それほどの印象はなかった。もっとも外国人の演じる外国語の舞台なので、スタイルがいいのは当たり前、足や腕が長く、顔が小さいのは、西洋人であるならば、前段階として当然であると何も意識せぬ間に観ていたのかもしれない。よって、注目すべきは歌唱力と構成の良さ。さすがは本家と、狭い日本の舞台でさえも困難を排除しての位置取りに感激していたのだろう。ただ、舞台装置があまりに大きかったのか、あるいは実際のトート役がさほど大柄な役者ではなかったのか、役者そのものの大きさは、舞台からは伝わらなかったのである。

話を戻して、宝塚版の『エリザベート』。今回は雪組による公演。主役を演じる人以外、誰が何をするのか、名前さえもさっぱりわからず(ごめんなさい)、数年ぶりのヅカ版『エリザベート』を楽しんだ。
 そして、冒頭のような印象を受ける。手足が長くて映えるなあと思ったのは、水夏希という名のトップスターであった。トート(「死」の役ですな)役がぴったり当てはまっていたのかもしれないが。

それにしても昨日からずっと、訳もなく腹の辺りに鈍痛が走る。


5月21日(月)

 朝一のレッスンだけ受け、すぐさま電車に飛び乗る。行き先は西本願寺。年に一度の親鸞聖人降誕会なので、南能舞台にて、祝賀能を観賞させていただくことになっているのだ。お計らいは、いつものフジモトさまである。本願寺境内に入るなり、深謝。

南能舞台は、書院の対面所前に建立されている。年に一度の能舞台として使うときは、書院を入ってすぐの対面所を見所としているのだそうだ。空間的にいえば、たいそう広い造りの舞台は、現存する最大の能舞台だそうである。かような舞台で舞台を拝見する機会があると聞けば、出かけて行きたいのは当然のこと。「5月21日には降誕会祝賀能がありますよ」とお聞きしてから幾数年。時の流れと共に訪れてみたいと願いはさらに強くなり、数年越しの思いを経て、遂にその日がやってきたのである。見所に座るわたしは、能を観ていた。仕舞を拝見していた。念じれば叶うものである。

 初っ端は、観世流能『巴-替装束』。シテ:杉浦元三郎、ワキ:谷田宗二朗、アイ:茂山あきらの方々。木曽義仲と巴御前の話。シテの動きは、観ていて勇ましいながらも、やはり静けさに溢れている。前シテは化身、後シテは霊を演じるため、所作は非常に優雅でありながら、かたちがぼんやりしていて(っていうか幽霊だから仕方ないか)、艶かしい。
 仕舞三番、「放下僧小歌」「笹之段」「鞍馬天狗」。実は「鞍馬天狗」は好きな謡曲のひとつ。鞍馬寺に行ったとき、尚更その印象が強くなった覚えがある。仕舞でも見るだけで喜びを覚える。敢えて言うことでもないが、仕舞とは、謡曲のある一部分だけ取り出して、その音に合わせて舞うものである(ところで、死ぬまでにお能で舞台に立つなどという全方位的宇宙学的幸運が巡れば、『鞍馬天狗』がいいとまで思ってしまう)。
続くは、観世流舞囃子『遊行柳-青柳之伝』に注目。シテ:片山九郎右衛門。
生まれて初めて片山九郎右衛門さんのお姿を拝見した。お恥ずかしいことに、どうすごいのかはわからないのだけれど、人間国宝の観世流シテ方ということで、一度この目で拝見したかった方である。優雅な舞に年齢を感じさせない落ち着きがある。
次は大蔵流狂言『鳴子遣子』。シテ:茂山千作、アド:茂山千之丞、アド:茂山忠三郎のお三方。人間国宝茂山千作さんの貫禄と愛嬌に負けじと、あとのお二方も見事な騙し合い、騙され合いで、「やるまいぞ、やるまいぞ」を繰り返していた。千作さんは、少々足腰が弱ってきたのか、立つのに、後見の茂山茂くんに支えられている場面もあった。なんともかんとも。ああいうのは物悲しい。
またまた仕舞三番。『小袖曾我』『蝉丸』『鵜之段』。非常に息の合った、統制の取れた『小袖曽我』を拝見した(これは珍しく二人で舞う)。きれいだとうれしくなる。その後は、観世流能『天鼓-弄鼓之舞』と続くが、あとの時間の加減で、ここまでで失礼した。
本願寺の御影堂は、残念ながら現在修復中なので、総御堂(阿弥陀堂)をお参りし、拝見し、手を合わせて、緩やかに辞する。
 
 神戸に戻る。心地よい仏様の風に感じた身体を使って、今日も再び、心身の稽古に取り組む。稽古では、初めて気づいたり、見知ったりした事柄もあって、非常に充実したよい時間となった。


5月20日(日)

とても心地よい日曜日の午後の神戸へ。
小学校時代から友人Eちゃんの結婚式および披露宴に参列。なにせ友人は、小学校高学年からの付き合い。お母さんも、お父さんも、ご兄弟もとてもよく存じているので、いまさらこちらも格好付ける必要がない。いや、実際は格好を付けようにも、いまさら何も付けようがないのである。言わば、ちっちゃいころからよく知っているご近所さんみたいな関係である。それでも晴れの日の今日くらい、互いに着飾った装いで、ご両親とも、ですます調で話してみるが、お互い、なんだかそれがおかしくて、妙に新鮮で、互いに喜び以上の笑いさえ飛び出てしてしまう。
友人Eちゃんとは、小学校から中学までが同じ。高校、大学、その後は別の方向に進んだので、忘れた頃にどちらからともなく連絡を取り合う仲である。披露宴には、友人の高校時代の友人も参列しており、わたしがよく知らない時期の友人を垣間見る。それで思ったが、わたしは、彼女のことをどれだけ知っているのだろうか?案外、趣味なんかだと、知らないことも多かったりしてね。
それにしても、今日は全国的にたいへんな皐月晴れだったとか。たいへん結構なことだ。お天気のいい結婚式は気持ちもいいね。おめでとう。末永くお幸せに。

 結婚式という空間から戻るといつも『秋刀魚の味』を思い出す。ラストで、笠智衆が水を飲むシーンが心に深く焼きついているのか、その場面が急激に思い出されるのだ。「ホテルで挙式」といえば、いささかパッケージ化された内容で、その中身も、進行具合も、容易に想像がつく。見送る側としても、何もかも心得ているつもりだが、それでもなお心打たれる瞬間があるのは、なぜなのだろうか。その時代時代の考証の余地は存分にあるとしても、儀式化されたことをきちんとトレースすることは、人間として生きるうえで、とても大切なことなのだと今更ながら感じる。


5月19日(土)

 入った瞬間から「もわーん」としていて、稽古に行った道場の空気がたいへんに薄かった。


5月18日(金)
 
 日曜日のない一週間は、疲れます。なんと来月の後半まで、ありません!


5月17日(木)

 今日もやたらと暑い。


5月16日(水)

 慌ててもいけないのです、何事も。それでも年に数回、堪忍袋の緒が切れそうなときがあります。その日がもし今日だとしたら、今日、わたしと出会った人は、たいそう不幸であったかもしれません。


5月15日(火)

 朝から杖の稽古。不定期開催だが、結構充実した時間だと思う。
 夕刻から大学へ。
 おぼろげに考えていたことが形にならないのだと気づく。師弟関係なんてことを、そうやすやすと、言葉に留めてしまったらいけないのだ。やっぱり。その反面、言葉にしたくなる瞬間がある。


5月14日(月)

 夕方は稽古。毎週ちょっとずつだけど、進んでいくのは何だかうれしい。わたしが教わったことを教わったままにお伝えするうちにもまた。


5月13日(日)

 「第61回兵庫県民体育大会2007」での行進に出る。早朝からJR明石駅に集合し、陸上競技場を歩く。天気が良すぎて日に焼ける。
昼ごはんには明石焼を食べ、それから電車で移動。
神戸祥平塾の道場のみなさまと合同稽古。ふぃ~。暑い日だ。
ビールがとってもうまいなあと思う今日は、母の日。


5月12日(土)

 今日もお稽古、ランランラン♪


5月11日(金)

「あり」「をり」「侍り」「いまそがり」
 「す」「おはす」
 「死ぬ」「往ぬ」
 「来」

 動詞の変格活用ぐらい覚えなさいよ。あと、残るは「蹴る」。これは、下一段活用のうち、たった一語しかないのですから、それも覚えなさいよ。


5月10日(木)

 登録者29名ですって。おーこわ。おこわ。おこわは山菜。

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