5月2日(水)連休中日。
大学は全学休講日で休み。
幻のような週末の時に浸る間もなく、今日は束の間のウィークディ。
5月1日(火)「東京弾丸ツアー」その参
まさか東京で月越えするとは思わなかった。気がついたら5月。
月窓寺道場の朝稽古に参加し、その後の居残り稽古にも出る。汗びっしょりになる。
いまや東京在住のかなぴょんも、月窓寺で稽古することが既に日課のようで、こんなところで顔を合わせて稽古することになるとは、数年前までは思いもよらなかった。気錬会の方々(工藤さん、内古閑のぶちゃん、土屋さん)もおられ、初めて参加させていただく身としては、知った方がいて随分ありがたかった。そういや、かなぴょんもいなければ、わたしも合気道をやっていたかどうかわからない。ご縁とは、まことに不思議なものだねと、稽古後、月窓寺の方々とご一緒のお茶席で、どちらからともなく話し始める。
帰りの乗車時間があったので、後ろ髪をひかれる思いで喫茶店は中途退場。
充実した何とも形容し難い時間のなかに混ぜていただいたことで、身も心もほんとうに暖かくなった。暖かい心地の中でまどろむのは気持ちいい。
この旅では、本当にたくさんの同門の方々にお世話になりました。
自由が丘道場をはじめ月窓寺道場の方々、気錬会の方々、そのほか多くの方にお世話になりました。ありがとうございます。会う先々で暖かく接してくださり、楽しかったですし、心からうれしかったです。多田先生のお稽古に参加できて、うれしかったです。
この場を借りてお礼申し上げます。すべての方とのご縁に深く感謝します。
念願の月窓寺道場の畳の上で多田先生にお会いし、「稽古」を参加させていただきました。
自由が丘の特別稽古では、内田先生にはお会いできませんでしたが、随所で内田先生の弟子であることに感謝するばかりでした。心から喜びと感激とご縁を感じずにはいられない旅でした。弾丸ツアーでしたが、行ってよかったです。内田先生、ほんとうにありがとうございます。今後とも精進いたしします。
4月30日(月・振替)「東京弾丸ツアー」その弐
8時間も眠るときっちり目が覚めた(当たり前か)。8時起床。
タカハタさんお手製の朝食をいただく。うまい。
関東人作成による味噌汁は、やっぱりよい。味噌が赤だからだ。わたしは関西人だが、個人的にも昔から「赤」が好きで、自ら「赤」を購入している。ぱくぱく食べながら、また喋る。でも、ちゃんと食べる。食後のコーヒーを頂きながら、まだ喋る。何をこんなに喋ることがあるのだろか。
気持ちのいい晴れ間が広がる。近所の多摩川河川敷まで歩く。
実は河川敷ほど、好きな風景はない。野球のグラウンドがあって、川が見えて、橋が見えて、あとは何もない。ぼんやりした感触がいい。
最寄駅から河川敷までは、ひと昔前まで、今も残る会社の本社ビルしかなかったそうだ。駅からの道路には、50メートルもない間隔でお寺やら神社があり、文化住宅という名の建売住宅が並んでいる。マンションなんて無縁の世界だった。それがいまでは河川敷の傍に、30階近い高層マンションが二棟ほど聳え立つ。神社のいくつかは廃業になったそうだ。
河川敷近くの土手を歩いていると、ふとどこかから声が聞こえてきそうになる。
「おにいちゃん、待ってー」「ぷぅ~」「あーあ、またやっちゃったあ」「ぷぅ~」。
そうである。ここは、映画『お早よう』(小津安二郎監督、松竹、1959)の舞台の場所だそうだ。自然と音楽が流れてくる。東京にも随分のんびりした場所があるものだなと思う。昭和30年代にタイムスリップしたかのような風景が、現代の日本にも少しは残っているようだ。帰ったら映画を観よう。もう一度。
東急線を乗り継ぎ、目黒の体育館へ。「自由が丘道場・気の練磨・剣杖特別稽古」に参加。
現地では、自由が丘の方はもちろん、お久しぶりの気錬会、早稲田、月窓寺、北総など、同門の方々にもお会いし、ご挨拶。たっぷり3時間ほど剣や杖を振り、多田先生のお話を伺う(実はてっきり内田先生もお見えになるものと思い込み、稽古に参加したが、お姿見えず。最後まで探し続けたが先生はおられず、非常に寂しい思いをした)。
稽古後は、自由が丘道場出身の方の送別会兼宴会に飛び入り参加。どこまで行っても宴会大好き人間である。初めてといってもいいくらいに、自由が丘道場の方々とお話させていただく。ここに内田先生がおられたことをときのことをお聞きし、そしてなぜいまここに先生が座っておられないのか、奇妙な驚きと不思議さを感じた。その分、内田先生の偉大さを感じ、このようなご縁を運んでくださった先生に改めて感謝する夜であった。
4月29日(祝)「東京弾丸ツアー」その壱と半
午前7時になるかならないかの東京駅に初めて降り立つ。まだ東京のひとは、誰も目を覚ましてないんじゃないかというくらい静まり返っている。もちろんそれは今日が祝日で、それも日曜日だからということもあるだろう。要因をこれらだとすれば、静けさは意外に合点の行く状況なのかもしれない。静けさも、そして空気までもが澄んでいること。一瞬だが不思議な東京を見る。
東京駅外観(丸の内側)。
古いレンガ造りの建物は、いつもその歴史を想像させられる。
電車を乗り継ぎ、茨城は岩間へ。
駅からの道は地図を片手に。少し入った路地でふと誰かに呼ばれる気がした。素直に曲がれば、道はそのまま目的の神社に通じる。到着した合気神社では「合気神社大祭 開祖・吉祥丸道主慰霊祭」が執り行われるのだ。着くなり受付を済ませ、じっと静かにその場の空気を感じ取る。ただならぬ地の気配や感触があるはずだが、人の出入りが激しいのか、さほど大地の大きさを感じることはない。ちらほらと知ったお顔を目にする。
大祭で一連の儀式を拝観し、祝詞を唱えた。引き続いて行われた慰霊祭でも一連の儀式を拝観しつつ、恭しく行われる祝詞に耳と目をはじめ全身で向ける。道主の奉納演武も拝観。大祭を終えると月窓寺道場、北総合気会の方々に混ぜていただき、一緒に直会に参加。
こんもりとした木の下に各団体や道場ごとにビニルシートが敷かれ、それはまるでお花見のような光景だった(大祭には200名くらいは来られていた)。
いつものわたしの顔を覚えていてくださった坪井先生や菅原先生、梶浦さんが、わたしがどこにいるのかと、(なぜか)ひとりで来たのはかわいそうだと随分探してくださったそうである(実際はすごく近くにいた)。どなたも暖かくお声賭けくださり、月窓寺の集合場所には、ご来賓として参加されていた多田先生もお座りになる。すごく大きな輪の中に巻き込んでいただいている自分に驚いた。
東京へは月窓寺道場の方の車に便乗させていただき、火曜日の朝稽古に出たらどうかとまでお声かけいただく。たしかに月窓寺の稽古には、これまで一度も行ったことがない。稽古に参加できるなんて、この上ない幸運だ。話を伺ったとき、すでに8割方、心は決まっていたようなものである。
夕方、お宿をいただくタカハタさんちへ。
今日一日の長い時間を振り返りながら、ご飯を頂いた。
飲んで、食べて、喋って、話題は尽きぬことなく、夜が更けようとしている。明日もあるので(結構これがメインだし)、早めに休ませていただく。
4月28日(土)「東京弾丸ツアー」その壱
気がついたら連休初日の今日。土曜日なので合気道の稽古から始まる。すすすいーっと、感じられる心地よい何かに引き寄せられながら、時が過ぎる。と言っても稽古時間は、普段に使っている「24時間」の感覚はどこか無縁なもの。時間も空間も超越しているような気分だ。
稽古を終えると異常なくらいの水分を欲し、遠いどこかでお腹が空く。朝から何も食べていないときなどは尚更。同じくお腹の空いたタニオねーさん(入門年次からすると妹弟子だが、人生においては良き先輩なので、誰もが敬意を評して「ねーさん」と呼ぶ)と近くのカレー屋に寄る。ふたりとも、夜まで何も食べなくて済むくらいに胃を充満させてから家に戻る。
家に帰るなり、急いで洗濯、片付け、荷造り。明日から(今日から?)始まるGWのためだ。題して「東京弾丸ツアー」。風呂に入り、8時過ぎに再び家を出た。一路大阪へ。
大阪から、初めての夜行バスに乗車。一晩かけて無事、東京着。
4月27日(金)
明日から東京だと思うと、どきどきする関西者。何にって、そりゃあ夜行バスにだよ。