5月24日(木)
鈍い痛みはまだ続く。
部屋の中はぐちゃぐちゃ。片付けないとなと思いつつ、今日も今日はで明日になる。
講義と稽古の二連荘。
5月23日(水)
相変わらずの鈍痛が続く。
薬を飲んでも、それすら受け付けないくらいに。脱水症状ではない。それでも、スケジュールは進んでいく。
5月22日(火)
手足が長いのはいいと、今日ほど思ったことはない。もちろん広い世の中。手足の長い人なんて、探せばそこいらにごろごろいる。だが、それがちょっとした時と場合によって、たいそうきれいなかたちで現れることがある。言葉を変えて言うならば、ただ長いだけではなく、手足の長さがぴったりと当てはまる空間に存在すること。これはそうそうあることではない。長くてもガリガリに痩せていてはいけない。肉付きが良すぎても困る。かたち以上に何より自身の手足の長さを生かせるだけの場所に、自らの身体がなければ映えない。宝塚の舞台を観て、そんなふうに思えたのは、初めてのことだ。
宝塚の舞台は、これまでにも何度も観たが、舞台映えする身体だと思ったのは、実はただの一度もない。舞台上の役者を見て、きれいであるとか、かわいいとか、足が長いとか、エンターテイメントな役者だとか、歌がうまいとか、すごく小さな顔だとか、スタイルいいなあとか、あれで同じ人間なんだろうかとか、すごい化粧だと思うことは、何度もあっても、舞台の位置関係を考えるまでに思える舞台人には出会ったことは、ただの一度もなかったのである。
先般来日したウィーン版『エリザベート』を観たときでさえ、それほどの印象はなかった。もっとも外国人の演じる外国語の舞台なので、スタイルがいいのは当たり前、足や腕が長く、顔が小さいのは、西洋人であるならば、前段階として当然であると何も意識せぬ間に観ていたのかもしれない。よって、注目すべきは歌唱力と構成の良さ。さすがは本家と、狭い日本の舞台でさえも困難を排除しての位置取りに感激していたのだろう。ただ、舞台装置があまりに大きかったのか、あるいは実際のトート役がさほど大柄な役者ではなかったのか、役者そのものの大きさは、舞台からは伝わらなかったのである。
話を戻して、宝塚版の『エリザベート』。今回は雪組による公演。主役を演じる人以外、誰が何をするのか、名前さえもさっぱりわからず(ごめんなさい)、数年ぶりのヅカ版『エリザベート』を楽しんだ。
そして、冒頭のような印象を受ける。手足が長くて映えるなあと思ったのは、水夏希という名のトップスターであった。トート(「死」の役ですな)役がぴったり当てはまっていたのかもしれないが。
それにしても昨日からずっと、訳もなく腹の辺りに鈍痛が走る。
5月21日(月)
朝一のレッスンだけ受け、すぐさま電車に飛び乗る。行き先は西本願寺。年に一度の親鸞聖人降誕会なので、南能舞台にて、祝賀能を観賞させていただくことになっているのだ。お計らいは、いつものフジモトさまである。本願寺境内に入るなり、深謝。
南能舞台は、書院の対面所前に建立されている。年に一度の能舞台として使うときは、書院を入ってすぐの対面所を見所としているのだそうだ。空間的にいえば、たいそう広い造りの舞台は、現存する最大の能舞台だそうである。かような舞台で舞台を拝見する機会があると聞けば、出かけて行きたいのは当然のこと。「5月21日には降誕会祝賀能がありますよ」とお聞きしてから幾数年。時の流れと共に訪れてみたいと願いはさらに強くなり、数年越しの思いを経て、遂にその日がやってきたのである。見所に座るわたしは、能を観ていた。仕舞を拝見していた。念じれば叶うものである。
初っ端は、観世流能『巴-替装束』。シテ:杉浦元三郎、ワキ:谷田宗二朗、アイ:茂山あきらの方々。木曽義仲と巴御前の話。シテの動きは、観ていて勇ましいながらも、やはり静けさに溢れている。前シテは化身、後シテは霊を演じるため、所作は非常に優雅でありながら、かたちがぼんやりしていて(っていうか幽霊だから仕方ないか)、艶かしい。
仕舞三番、「放下僧小歌」「笹之段」「鞍馬天狗」。実は「鞍馬天狗」は好きな謡曲のひとつ。鞍馬寺に行ったとき、尚更その印象が強くなった覚えがある。仕舞でも見るだけで喜びを覚える。敢えて言うことでもないが、仕舞とは、謡曲のある一部分だけ取り出して、その音に合わせて舞うものである(ところで、死ぬまでにお能で舞台に立つなどという全方位的宇宙学的幸運が巡れば、『鞍馬天狗』がいいとまで思ってしまう)。
続くは、観世流舞囃子『遊行柳-青柳之伝』に注目。シテ:片山九郎右衛門。
生まれて初めて片山九郎右衛門さんのお姿を拝見した。お恥ずかしいことに、どうすごいのかはわからないのだけれど、人間国宝の観世流シテ方ということで、一度この目で拝見したかった方である。優雅な舞に年齢を感じさせない落ち着きがある。
次は大蔵流狂言『鳴子遣子』。シテ:茂山千作、アド:茂山千之丞、アド:茂山忠三郎のお三方。人間国宝茂山千作さんの貫禄と愛嬌に負けじと、あとのお二方も見事な騙し合い、騙され合いで、「やるまいぞ、やるまいぞ」を繰り返していた。千作さんは、少々足腰が弱ってきたのか、立つのに、後見の茂山茂くんに支えられている場面もあった。なんともかんとも。ああいうのは物悲しい。
またまた仕舞三番。『小袖曾我』『蝉丸』『鵜之段』。非常に息の合った、統制の取れた『小袖曽我』を拝見した(これは珍しく二人で舞う)。きれいだとうれしくなる。その後は、観世流能『天鼓-弄鼓之舞』と続くが、あとの時間の加減で、ここまでで失礼した。
本願寺の御影堂は、残念ながら現在修復中なので、総御堂(阿弥陀堂)をお参りし、拝見し、手を合わせて、緩やかに辞する。
神戸に戻る。心地よい仏様の風に感じた身体を使って、今日も再び、心身の稽古に取り組む。稽古では、初めて気づいたり、見知ったりした事柄もあって、非常に充実したよい時間となった。
5月20日(日)
とても心地よい日曜日の午後の神戸へ。
小学校時代から友人Eちゃんの結婚式および披露宴に参列。なにせ友人は、小学校高学年からの付き合い。お母さんも、お父さんも、ご兄弟もとてもよく存じているので、いまさらこちらも格好付ける必要がない。いや、実際は格好を付けようにも、いまさら何も付けようがないのである。言わば、ちっちゃいころからよく知っているご近所さんみたいな関係である。それでも晴れの日の今日くらい、互いに着飾った装いで、ご両親とも、ですます調で話してみるが、お互い、なんだかそれがおかしくて、妙に新鮮で、互いに喜び以上の笑いさえ飛び出てしてしまう。
友人Eちゃんとは、小学校から中学までが同じ。高校、大学、その後は別の方向に進んだので、忘れた頃にどちらからともなく連絡を取り合う仲である。披露宴には、友人の高校時代の友人も参列しており、わたしがよく知らない時期の友人を垣間見る。それで思ったが、わたしは、彼女のことをどれだけ知っているのだろうか?案外、趣味なんかだと、知らないことも多かったりしてね。
それにしても、今日は全国的にたいへんな皐月晴れだったとか。たいへん結構なことだ。お天気のいい結婚式は気持ちもいいね。おめでとう。末永くお幸せに。
結婚式という空間から戻るといつも『秋刀魚の味』を思い出す。ラストで、笠智衆が水を飲むシーンが心に深く焼きついているのか、その場面が急激に思い出されるのだ。「ホテルで挙式」といえば、いささかパッケージ化された内容で、その中身も、進行具合も、容易に想像がつく。見送る側としても、何もかも心得ているつもりだが、それでもなお心打たれる瞬間があるのは、なぜなのだろうか。その時代時代の考証の余地は存分にあるとしても、儀式化されたことをきちんとトレースすることは、人間として生きるうえで、とても大切なことなのだと今更ながら感じる。
5月19日(土)
入った瞬間から「もわーん」としていて、稽古に行った道場の空気がたいへんに薄かった。
5月18日(金)
日曜日のない一週間は、疲れます。なんと来月の後半まで、ありません!
5月17日(木)
今日もやたらと暑い。
5月16日(水)
慌ててもいけないのです、何事も。それでも年に数回、堪忍袋の緒が切れそうなときがあります。その日がもし今日だとしたら、今日、わたしと出会った人は、たいそう不幸であったかもしれません。
5月15日(火)
朝から杖の稽古。不定期開催だが、結構充実した時間だと思う。
夕刻から大学へ。
おぼろげに考えていたことが形にならないのだと気づく。師弟関係なんてことを、そうやすやすと、言葉に留めてしまったらいけないのだ。やっぱり。その反面、言葉にしたくなる瞬間がある。
5月14日(月)
夕方は稽古。毎週ちょっとずつだけど、進んでいくのは何だかうれしい。わたしが教わったことを教わったままにお伝えするうちにもまた。
5月13日(日)
「第61回兵庫県民体育大会2007」での行進に出る。早朝からJR明石駅に集合し、陸上競技場を歩く。天気が良すぎて日に焼ける。
昼ごはんには明石焼を食べ、それから電車で移動。
神戸祥平塾の道場のみなさまと合同稽古。ふぃ~。暑い日だ。
ビールがとってもうまいなあと思う今日は、母の日。
5月12日(土)
今日もお稽古、ランランラン♪
5月11日(金)
「あり」「をり」「侍り」「いまそがり」
「す」「おはす」
「死ぬ」「往ぬ」
「来」
動詞の変格活用ぐらい覚えなさいよ。あと、残るは「蹴る」。これは、下一段活用のうち、たった一語しかないのですから、それも覚えなさいよ。
5月10日(木)
登録者29名ですって。おーこわ。おこわ。おこわは山菜。