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2007年6月 アーカイブ

2007年6月 5日

ほめられちった

6月4日(月)

 一夜明けて月曜日。6月なんだね、と気づく頃。やれやれ。先週までの疲れが蓄積されているようだ。
 どうやって解消する?


6月3日(日)

 下川正謡会大会。
 ことしは、仕舞『斑女』、素謡『安達原』で、舞台に立つ。
 朝早くから、遠方、近郊より、たくさんの方にお越しいただきました。ありがとうございます。楽屋見舞も、腕がちぎれるほど、たくさんいただき、たいへん恐縮いたしております。お心遣い、ありがとうございます。
 おかげさまで、なんとか無事に舞台に立つことができました(ということにしておきます)。今日という日を迎えるにあたり、いったいぜんたい、これまで、いかほどのストレスがあったかわかりません。とくに仕舞は、めちゃくちゃ苦手なので、どうしたものかと毎度思っております。稽古を始めて3年と少しになりますが、この能の舞台に立つという度に、異常なほど緊張し、恐ろしいほど汗をかくのです。要は、稽古しかないよと気を取り直し、精進します。それにしても、なぜこんなにもストレスがかかるのか、未だ謎ではあります。そして、なぜこんなにもストレスがかかるものをやり続けるのか、これまた謎ではあります。古今東西、謎の多いものほど、魅了されるのかもしれません。
仕舞といっても、結局は型であり、そこには何ら改良の余地はなく、ただその決められた道順を正しく進めばいいのです。しかし、正しくあるべき道順を、正しい動きで進むことは、簡単そうで、実のところ、たいへんに難しく、そうそう簡単にはできないことになっています。それができたら何のことはないのですが、とにかく精進です。
 まあ、これで、ようやく夜もぐっすり眠れます。


6月2日(土)

 明日の大会は結構緊張するぜ。
 でも、なんとなく今度はうまくいきそうな、そんな予感がするのですが。何にしても、喉の調子が悪いので、声がうまく出るのかどうか。というよりも、若干の風邪を引いたままの状態です。


6月1日(金)

 神戸女学院大学特別客員教授に着任された甲野善紀先生の講演および講習会。
 甲野先生の講習会は、何度出ても、不思議と面白さと凄さがある。
 今回はとくに、言葉では追いつけない凄さがあり、科学では説明できない部分ばかりがあるということを感じる。
大雑把に感じたところを述べると、「Aの次はBであるという一対一の対応では、すべては説明できない」というのが甲野先生の論理展開である。説明できないことのたとえのひとつとして、何か動く、あるいは持ち上げるという動きがあるとき、身体の中で起こっている事柄を逐一言葉で説明することができないというようなことが挙げられる。なぜなら、見た目には、手も動いているが、体幹も腕も肩も脇も首も足も、ほかにも身体の色んな部分が動いているわけであり、そのどれがどのような順番で、どのように動き、どのように触れ、どのような感覚を持って向かっていくのか言い切れないからである。説明しようにも説明しきれない。わからないからだ。瞬間的といえばそうで、同時多発的といえばそうなる。しかし、このように、こうなるからああなる、というふうに言ってしまうことさえもまた、説明のしかたのひとつである。その説明すら「Aの次がB」といった当然そうなるであろう科学的理論の順序を借りての展開であって、その枠組、つまり「Aの次がB」といって科学の事柄のから出ている発想とは言えないのではないか。ゆえに、「言葉にできない」という甲野先生の言葉は、すごく納得のいけるものである。また、現に目の前で、「ぬめりとした感触」や「浮く」動作、足を浮かせる動作、全身の使った抜きのような動きが展開されると、もうなにがなんだか説明のしようもない。説明ができる方があれば教えてもらいたいなあと本当に思う。ただただ感触として、あるいは触覚として、不思議な世界の連続が、甲野先生という武術家の身体をとおして、実際この地球上で起きている事実ということだけが確認される。人間の身体の可能性は広い。それには限界があるのだろうか?あるとすれば、人間の身体を使うという限界かもしれない。だが、人間の身体を使うという限界こそが、何かをわかるきっかけとなる。話を聞くうち、思うようになった。

 懇親会はいつものように、甲野先生、陽紀さんを囲んでわいわいと。卓球ミキハウスの山田先生、お弟子さんの渡辺さん(平野さんとペアを組んでいた方。今回初登場)、大阪府内の高校で合気道もなさる溝脇先生、聴講生のワタナベさん、主催者側から内田先生ほか合気道メンバー等々で開催。甲野先生の語法やら技法をお教えいただきながら、暖かく時間を過ごす。


5月31日(木)

 喉の痛み止まず。喉くらいで休講にするわけにもいかず。大学には行く。


5月30日(水)

 恵みの雨と言うもいうべきか、大量の雨が空から降る。
 水道の蛇口の調子が悪かったのは、パイプの流れが悪かったのが原因みたいに、ドカンと雨が降り出した。こんな日はあまり多くは動きたくはないけれど、動かないわけにも行かない。いつものように大学にも行く。大学に行ったら行ったで、さらに雨が激しく振り出した。暑さがすっきりすればいいのだが。

 藤原紀香と陣内智則の結婚披露宴が開催されたらしい。陣内くんのお母さんとうちの母が昔からの知り合いなので、どうも知人の結婚式を見ているような気分になる(陣内くんの番組やらサインやら、以前からよくもらっていた)。ちらほら見ているうちに、画面に映るノリカさんまで、親近感が沸く。

 喉が痛い。喉が腫れている気がする。今週末に大会が迫っていると言うのに、風邪なんか引いている場合じゃない!


5月29日(火)

 今度は頭痛に悩まされる。


5月28日(月)

 遠出したあとの月曜日って、かなり憂鬱。でも身体は元気いっぱい。


5月27日(日)東京大学五月祭演武会@東大本郷キャンパス
 
明けて再び快晴の朝。
 朝食はたらふく食べる。昨日、あまり食べなかったせいか、朝からちゃんとおなかが空いていたからだ。それに、おいしそうに炊けたご飯と味噌汁と卵としゃけの切り身と漬物、納豆、海苔、ヨーグルト、オレンジジュースを目の前にして、誰が手を止めることができよう。元来、目の前に出されたものは、ほとんど食べてしまう習性がある。特に白米などはそうで、たっぷりとおいしそうに出されたなら、遠慮はいらぬ。何食わぬ顔をして、食べてしまうのである。おいしい。実においしい。しかし、この大いなる誘惑が、数時間後、どのような状況を引き起こすか、誰が想像しただろう。

 待ち合わせ時間少し前に赤門前に集合し、気錬会のみなさまの誘導で、演武会場となる東大七徳堂へ。
 年に一度しか立ち寄ることのない場所だが、畳が柔らかいのがたいへんよろしい。
直ちに道衣に着替え、まずは準備体操、準備稽古。投げていただいたり、投げたりしているうち、自身の食べすぎ発覚。うまく動けない。我ながらバカである。とはいえ、これにもちゃんと訳がある。こどもの頃からの習慣か、朝は「ご飯」のため、ホテルのフロントで、「明日の朝食は和食にしますか、洋食にしますか?」と尋ねられると、ついつい「和食」を選んでしまうのだ。しかも今回は、かなり量が多かった(おいしいので、もったいない気もしたが、もちろん残した。食べるのが無理なくらいに多いこともある)。来年以降は、必ず「洋食」を選択することを決意。

 演武会開始。気錬会の一年生から四年生、OB演武を拝見。
どの方も凛々しく、きりりとしている。そして、大きい技である。毎回拝見する度、刺激を受けることが多いのが、この会の技である。きっちりした技、呼吸、受け。どれもたっぷりしている。
招待演武では、神戸女学院大学合気道部の主将と師範が演武された。師範の内田先生の受けをとらせていただく。いざ始まると、緊張も何もなく、柔らかい畳で、とても心地よく感じられた。さらに精進である。
 演武会最後は、多田先生の説明演武。
お話をお聞きし、感動し、さらに稽古を積もうと思う。多田先生のお姿を拝見しているだけで、生きるエネルギーが沸いてくるから、不思議なものだ。
 演武会終了後は、再び赤門前に集合し、気錬会のみなさま、多田先生と記念撮影して解散。
気錬会のみなさまにお礼方々ご挨拶を述べる。気錬会の工藤さんに挨拶したとき、ふいに褒められた。「ウッキー、受けうまいねー。よく稽古してるよねー」と言われたのである(おそらくお世辞は言わない方であると推測する)。
言われてすごくうれしかった。褒められるのがうれしいのは当然だが(だって、褒められるは大好きだもの)、それ以上に、工藤さんという人に褒めていただいたのがうれしかったのである。どれくらいうれしいかのか、凄すぎて喩えようもないけれど。工藤さんという方が、どのような方かわからない方のために説明すれば、全日本の演武会などでは、必ず多田先生の受けを取られている方のひとりである。(言うなれば、村上春樹に「なんだか文章うまいよね」とか、浦沢直樹に「マンガ描くの上手だよね」とか言われるようなものである。いや、ちょっと違うか?)
とにかくうれしかった。ありがとうございます!いただいた言葉を胸に、今後もがんばろうとさらに思う。決意新たに。嗚呼、おもしろかった東京。やっぱりいいなあ、演武会。行ってよかった、演武会。


5月26日(土)第45回全日本合気道演武大会@日本武道館

 新幹線で東京へ。日本武道館へ。第45回全日本合気道演武大会へ。
 晴れ渡る東京は久しぶり。
昨日の雨は関東地方も例外ではなく、随分と雨が降ったそうだ。
演武会に訪れるたび、知り合いが増える。なんだかうれしい。こういうつながり。年に一度しか会わなくても、年に一度しか会えないから、あのひとこのひとに、にっこりご挨拶。
演武会の間は、気になる演武を注目し、気になるグッズもすかさずチェック。ことしは道衣を入れる袋を買おうと思っていたが、思いもよらぬ風呂敷に出会い、これをゲット。道衣で作られたカバンも発見。注目度は大(嵩張るので買わなかったけど、ある意味、かわいかった)。
演武会終了後は、九段会館の屋上で多田塾関連団体の恒例ビアガーデン。天気の良い九段会館屋上は久しぶり。合気道の同門の方々と、ビールを飲んで、大いに喋り、笑う。
場所を移して、二次会にも参加。
内田先生、気錬会の工藤さん筆頭に、ぞろぞろと20名ほどですずらん通りへ。毎年のこの時間もまた楽しい。ことしは雨も降らず、お天気もいいので、傘も差さずに歩ける。それがまた気分を高揚させてくれる。
 ほんのりしたワインが、結構いい味を出してくれる。


5月25日(金)

 週末に備えて休養。

2007年6月15日

梅雨入り

6月14日(木)

 関東方面は入梅したようである。梅雨の季節はたしかに鬱陶しいものであるが、日本全国猛暑になるよりは、断然いい。関西もそのうち。今日はよく降る雨の日。


6月13日(水)

 朝カル@大阪にて、一年ぶりの名越先生と内田先生の対談を拝聴。満員御礼のようである。場所も変わって、新しくなった会場には、折り目正しく座った観衆が、息を飲むようにして、二人の先生の話に耳を傾けていた。その動きやざわめきや笑いやどよめきなど、音のあるなしにかかわらず、周囲の反応が空気のなかから伝わってくる。
 映画の話は、最高におもしろかった。見たいもの、読みたいものがいっぱいある。


6月12日(火)

 内田先生の『街場の中国論』(ミシマ社、2007)が、爆発的に売れているそうです。全国各地書店で発売中だそうです。ああ、こりゃあ早く読まなきゃあー。


6月11日(月)

 月曜日は平日だと思うけれど。


6月9日(土)・10日(日)奥州道場に行く。

 昨今のパソコン変換が呼び起こすギャグのひとつに、「奥州は欧州?」がある。「いや、日本国内です」「じゃあ、近いんですね」「ええ、欧州よりは」。

内心、奥州は、さぞや遠いのだろうと思っていた。もちろん関西から遠いのは事実。とはいえ移動時間は数時間。飛んでいけば、あっという間だ。遠いのは心理的なことである。
 週末、菅原美喜子先生の主宰される奥州道場で、多田先生特別講習会に参加するため、内田先生とご一緒に岩手県へと出かける。涼やかな山の風を抜け、ばしばしと身体に響く多田先生の言葉と刺激を受けながら、もくもく稽古する。
 当たりというか、ぞろ目というか、多田先生フィーバーというくらい、この4月末から5月、6月にかけて、多田先生の講習会でお稽古できる機会が多い。すごく幸運で、すごく幸せなことである。身体が激しく動く。細胞レヴェルで穏やかになる。内田先生もいらっしゃるので、さらに悦び倍増である(悦ぶ師匠の姿を拝見するのは、弟子にとってもまた悦びであるものです)。宇宙の知恵と力をお借りし、身体も借りて、さまざまなものを発信、発揮できるよう英気を養う。充実のときだ。
 とくに、二日目のお昼にいただいた平泉式わんこそばは、今回、食したなかでも最高においしかった。わんこそばを食するのは、これが初めてのことで、わんこそば文化も北部と南部では、多少食し方が違うらしいことを知る。おいしく、タラフク二十四皿(一人前)いただく。多田先生がお召し上がりにならなかった分(二皿)もいただく。合計二十六皿。別の意味でも満腹。ぐふ。
その後、多田先生、東京方面へお戻りになる方々とお見送りし、一路、奥州平泉へ。
 内田先生の自由が丘時代の先輩小野寺さんのエスコートにより、内田先生、自由が丘道場の大田ご夫妻と共に中尊寺を拝観。はじめてみる金色堂は、まことに光っていた(教科書で見るのなんて、曇ってますからねー)。能楽堂にも立ち寄り、肌身で神仏習合を体験。ちょうど仕舞がなされていたので静かに拝観。声がとてもよく響く厳かなところである。
中尊寺とその付近の建物が、山のなかに守られるようにそっと建っている。とても静かである。キツツキの突っつく音が、きれいに鳴り響く。風と水と空気のいいところだなあと思う。義経が逃げてきたのも、この静けさに惹かれたからなのだろうか?
奥州時間は、とてもゆっくり流れ、充実したときであった。深い緑と大きな川を見た。行ってよかったと思う。
この四月から、とくに行く先々でご縁ができたことに深く感謝。いつもお声かけくださる菅原先生に深い感謝と感激を覚えた。奥州道場のみなさまの温かい接し方にも感激した。小野寺さんにもたいへんお世話いただいた。ありがとうございます。みなさまに心から感謝いたします。また寄らせてください。
 内田先生、またもや楽しい奇跡と軌跡をありがとうございます。来年からのわたしの予定に、またひとつ行く先が増えました。ということで、また行きたいです。


6月8日(金)

 あれこれと、雑事が多いのは気のせいです。


6月7日(木)

 すこしずつ、調子が出てきました。講義にも。


6月6日(水)

 だんだんと、暑くなって来ました。道場も。


6月5日(火)

 よろよろと、部屋が汚くなってきました。この頃は。

2007年6月27日

養老先生に遭遇

6月26日(火)

 いまからの、暑さ続けば、今夏また、猛暑なりうる、それまた困る。


6月25日(月)

 今日もまた、二度目の山を登る午後。


6月24日(日)

 またしても、スコールみたいな、雨が降る。
 この前の、「日曜休み」は、四月の中ごろ。


6月23日(土)

昨日の、スコールもどきは、どこへやら。

思いっきりよく晴れた空は、ほんとうに青々としている。青々とした空には、白い雲がよく似合う。木々の緑もよく似合う。
そんな晴天の日。
昼から稽古に行く。今日はさらに、稽古のあとにまた稽古である。
数年前、この「稽古のあとにまた稽古」が当たり前だった時期がある。合気道の稽古をして、移動してまた杖の稽古。今にして思えば、よく身体が持っていたものだ。というのも普段の週三回に加え、土曜日の稽古、続いてほとんど休むことなく、稽古をしていたからである。習性なのか何なのか、そのころから、ほとんどすべてを休むことなく顔を出していたから、我ながら、何ともかんとも、思わぬところで、気質も何も頑丈なところもあるようである。
もちろん、その間も毎日電車に揺られながら大学へと通っていた。一日の六分の一時間は軽く消耗(電車!あれは、あきらかに消耗だ)していた。家に帰るなり、即寝してしまったことも一度や二度ではない。起き出して、予習復習をし、また朝になると大学へ行く。無遅刻無欠席で講義に出、図書館に通い、本を読み、そしてまた稽古した。
それを思うと、今はなんと楽なことか!
稽古のあとの稽古なんて、身体がよくほぐされて心地よすぎる。全体的な稽古回数は、もしかしたらあの頃より減っているかもしれない。回数は減っても、今のほうが何をやっても断然身体が心地よい感覚がある。人間の真理のひとつひくまでもなく、時と共に身体に変化があるのは当然だ。それは、生きている限り、私たちが「死」の方向へと向かうという意味において。誰にも妨げられない事実である。なのに「楽だ」と感じることがあるのは、実際問題不思議な話だ。これには、稽古時間が減っている(かもしれない)ことも、もちろんあるだろうが、それ以上に身体がすこしずつ慣れてきたということでもあるのだろう。
あるいは、「教わる」立場と「教える」立場の両方を経験しつつあるいまだからこそ、感じる変化であるかもしれない。いかなる稽古をするか、言葉を使って表現すること、身体を使って確かめることなど、さまざまな方向に重きを置く方向付けのようなものが、あるときからおぼろげにではあるが、感じるようになってきたからかもしれない。少し前よりも、大きな変化を感じるいまの自分に出会うまで、身体も随分変化したのだろう。おそらく、きっと、この先も、まだまだわたしの身体は変化することだろう。稽古に励み、精進していきたい。

 唸るほど、今日も暑さに、変わりなく。


6月22日(金)

 金曜が憂鬱なのね、このところ。


6月21日(木)

 これでもか!流れるばかりは、汗ばかり。雨を忘れる梅雨ですね。


6月20日(水)

 流行の?「はしか」の話があるためか、本日、学内ざわつきはじむ。


6月19日(火)

 浜松のスーさん見えて、今日は晴れ。


6月18日(月)

 ついにきた。来たのは、わたしの「あたまいた」。


6月17日(日)

 京都へ。
 養老孟司京都国際マンガミュージアム館長の講演を聴く。
「マンガと解剖」と題された講演に聴衆なんと700人(くらい)。
養老先生のご尊顔を生(ナマ)で拝するのは、これが初めてである。雑誌やCM、テレビ番組等でお見かけしたことはあるので、知らないわけではないが、密かにそして随分手前勝手に声に期待し、興奮していた。
係の方の挨拶に続き、壇上に出て来られる養老先生。
話は、あるとき突然始まっていて、みるみるうちに会場の聴衆をその渦のなかに巻き込む。その声、しぐさ、動き、文字など全部をひっくるめた先生の動きに、誰も彼もが釘付けだ。
話はこちらの勉強不足もあって、初めて聞くものが多かった。たいへん興味深かったので、メモを取る手が止まらなかった。書きながら、耳を傾けながら、表情を追いながら、ホワイトボードの文字を見ながら等々、いくつかの動作を順番に、ときにいっせいに行いながらの、あっという間の九十分であった。ほんとうに質のよい落語を聴いているかのようで、あとからもずっと耳に心地よかった。落語ですよ。こりゃあ。すげー。

 ちょうど同じ日には、講演会場近くで学会も開催されていたので、初めはちょっと寄ってみようかとも思っていた。しかし、あまりに上質の、愉快な話に聞きほれてしまったあとには、そのまま電車に揺られるほうを身体が自然に選んでいた。


6月16日(土)

 内田先生がご不在のため、助教による稽古指導日となる。今日は、助教のひとりであるわたしが担当させていただくことになった。
道場に来ると、白帯の方が、ぐぐぐいっと多い。初心の方ばかりが、ぞろぞろと並んでいる。いやはやなんともすごい光景だ。袴の数のほうが少ないのだから。
その様子を見ただけで、珍しく頭の中にあった、ちょっとした構想を一気にかなぐり捨てた。構想を捨て、構造を組み替え、予定してみた稽古の内容を、ぐぐっと変換しなおす。
 袴を履いたひとたち、とくに学生さんたちの出足は、このところやけに早い。おかげで今日はとても助かった(ありがとうございます)。
また、最近やけにやる気になられている社会人の方々は、稽古開始時間には、道場に来られている。その他、相変わらずゆっくり登場される方もいる。なかには、普段は来るのが早いのに先生がご不在だと知った途端、出足が遅くなる方もいる。これってなんか変だ。ほんとに合気道が好きならば、どんな状況でも来るのではないか?と思うこともあるが、別に関係ないか。単にわたしが不器用なだけなのかもしれないけれど、わたしは正直に生きたい。


6月15日(金)

 昨日は、代稽古をさせていただく。先生は体調不良なのである。
 書いてすぐ訂正するのもなんだが、実は「代稽古」という呼称そのものに若干の抵抗を感じている。最初に書いてはみたものの、どこか、やはり座りが悪いのである。なぜなら、どう転んでも「代稽古」という響きが「(先生の)代わりの稽古」という意味合いに取れて、心苦しいからである。
代わりなんて恐れ多い。「代わり」なんて使うことすら憚られる。
しかし、どうやら、一般に、これ以外に呼びようはないものらしい。
それでも何かないものかと苦心惨憺、考え込んだ末、見つけたものは、「(代)稽古指導日」というものだ。せめて、このような言葉で捉えるのがよろしかろうと、最近ではそう思う。

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