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2007年3月 アーカイブ

2007年3月 6日

もう春ですね

3月5日(月)

 「春の嵐」が日本国中に吹いたらしい。
 各地でトラックが横転したり、青いトタン屋根が飛んだり、通行止めが起きたり…。そのくせ初夏のような暖かさをもたらした地方もあると聞く。いったい日本の気象はこれからどうなるのだろう。明日はまた一段と寒くなるそうだ。夕刻の天気予報がそう警告している。


3月4日(日)

 異様な春の日。さらに昨日の流れで東京からのお客さん共々、神戸の学生のみなさまとご一緒に神戸観光、神戸巡り。
ええ、ええ、わたしは異人館って一度も行ったことがないんですよ。こんなに兵庫県に住んでいながら、実は今日が初めてなんです(ということは、一度ならず二度、三度と出かけたことのあるディズニーワールド関係等々の方が、我が人生における訪問率が高いということなりますね)。

兵庫県にもいろいろと観光名所があります。しかし、どこでも誰でもそうなのかもしれませんが、近くに住んでいると案外出かけて行かないものなのです(と言い訳)。
有馬温泉も数回しか行ったことがありませんし、六甲山だって二回くらいしか登ったことがないのです。阪神甲子園球場も数回(関連して広田神社は0回。ごめんなさい)。姫路城は国宝になる前に出かけたっきりです。城崎温泉も一回しか行ったことがありません。ましてや宝塚温泉なんて、入ったこともないのです。須磨浜も降りたことがありませんし。そういうわけです。案外近い観光名所には、出かけていないものなんですよね。
 そのくせ随分たくさん出かけたのは、動物園(王子)、水族館(須磨、須磨)、天文科学記念館(明石)、宝塚大劇場(宝塚)。思えば、人生のある時期は、集中的にこれらの場所で過ごしてきました。


3月3日(土)

 大学には毎年一箇所だけ早く咲く桜の木がある。ことしもその木の桜は、今時分に早くも咲いていると聞き、春の心地でいそいそと、朝から山に登る。今年最初の花見だ。やんわりとした桜色は、隣に渡る緑と重なると、さらに美しく見えた。花見の雛祭りである。
 夜は東京からのお客さんが見えていたので、流れで一緒に懇親会。


3月2日(金)

 金曜日が悪いのだと思う。


3月1日(木)

 相当疲れを溜め込んでいるみたいだが、うまく疲れを取り除く方法を知らないので、疲れがそのまま体内に蓄積されている感じがする。読んでいる本も一向に前に進まないので、また並行して数冊の本を読むことになる。これもいけないのだろうか。


2月28日(水)

 思えば二月はいつもより少しだけ時間が短いのであった。三十日あるいは三十一日よりも数日早く月末が来る。昔からよく言われる新年最初の三ヶ月へのことば、「行く」「逃げる」「去る」を借りれば、一月も二月も、その実感が一向にどこにも一度も伴わなかった。
 そして気づけば最終日を迎えた今日。「明日から翌月」と思い出すのさえ苦労した。速さの実感が伴わないのは、過ぎ行く時間がさほど早くもなかったか、速いと思い込んでいる割には、いろいろな事柄がありすぎて充実して進んでいたということか。

夕刻、内田先生と茂木健一郎さんの対談を聞きに行く。
内田先生のまだ風邪でうなされている様子が対談中から見て取れた。かなり気の毒に思えた。「風邪を引く」などという予定は、お話をお引き受けしたときには、きっとなかっただろう。それだけに人生、この先に何が起こるかわからない。というような教訓を師から学び取る。
風邪は、本当に、本当に苦しい。先生どうぞお大事に。


2月27日(火)

 すこぶる調子がよくない。調子がよくないときはなにもしたくなくなるが、何もしないわけにもいかないので、静かに、静かに具体的なことに集中する。


2月26日(月)

 実家に戻って、あれやこれやの用事を言付かる。言われるままに動く。動いているうち、日も暮れる。日も暮れると、カアーカアーとカラスの鳴く声が遠くから聞こえそうだったが、どうやらそれには遠すぎたらしい。(しかし、カラスが鳴く声も最近では、あまり聞かなくなったような気がする)。


2月25日(日)

 弟の結婚式に参列する。おめでとう。人生初の振袖を着る。


2月24日(土)

 冷たい風に吹かれて~芦屋駅前をほんの少しだけ探索。


2月23日(金)

 布団から出る。くしゃみをする。顔を洗って、ごみを出す。くしゃみをする。ごみ出しから戻ると、朝ごはんを食べる。やっぱりくしゃみだ。朝ごはんを食べると、一気にまどろむような眠気に苛まれる。きっと「今日は休みだ!」という思いが、全身の、それこそ細胞レヴェルまで感じているのだろう。こんなことは滅多とないのだから(休みであることも、二度寝作戦にかかろうとすることも)。眠い目を擦りながら、もう一度パジャマに着替える。二度寝は実に楽しい。


2月22日(木)

 ふふふの日。不敵な笑いを浮かべてしまいそうな日だ。だが、不敵な笑いを浮かべて楽しむような邪悪な出来事もない。強いて言えば、先日の内田先生オススメ映画、『マインドハンター』と『キス☆キス☆バンバン』という映画が、近所のレンタルビデオ屋にありそうなことがわかったことくらいだ。そして明日は休みということくらいだ。
ところで、「明日が休み」という事実は、通常なら絶好調な気分でその前日を迎えるはずだが、ここのところの気温の変化か、果てまた体調不良の汚濁か、鼻の調子がたいへんよろしくない。鼻がよろしくない。花粉症ではないことを祈る。

2007年3月17日

クラブって何?

3月16日(金)

 卒業式。
 北風か南風か西風か東風かはわからないが、強風の吹く中、本日めでたく卒業される方々のお祝いにかけつける。
今年卒業する合気道部員には、ほんのちょっぴりだが思い入れがある。
ことしの四年生は、わたしが主将をしていたときに入ってきた一年生である。わたしなりに随分と関わりのある学年だ。
初めて参加した夏合宿では、全員が審査の際、揃いも揃って見事な技を披露したため、「スーパー一年生」と呼ばれた(もちろん最初から飛び級)。
宴会行事、クラブ行事、演武会等々にはきちんと参加し、加えて行動が「体育会系臭い」と称される(揶揄?)ことも一度や二度ではない。
ここで確認しておきたいのは、大学のクラブのひとつの傾向である。
大概クラブというものは、三回生(幹部学年)が運営する。この幹部学年の影響を最も受けやすいのは、その年に入った一年生である。というのも一年生がクラブに入ったときに、実質的な部の運営、勧誘、組織改革に大きく携わり、目の前で活動している学年を、行動の規範と目に焼き付けてしまうからだ。初めて見るものなら何でも「親」と思ってしまうアヒルかガチョウのようである。合気道のような場合には、ときには技の仕方まで移ることがあるらしい。
さて、この影響下に起こる事実としては、一年と三年、二年と四年といった具合に仲良くなる傾向があることだ(もちろんみんな仲はいいが)。仲がいいと言うよりも、体質が似てくる(というようなことは、記憶にございませんか?そこのキシダさん)。
この手前勝手な推測に則った場合、わたしが主将をしていたときの一年生が本日の主役の四年生ということになる。誰が「体育会系臭」かったのか、推して知るべし。
なにわともあれ、本日めでたくひとつの門出を迎えた四年生のみなさんがいる。まさかあのときの一年生を四年後の今日、一緒に見送ることができるとは、まったく想像していなかった。
人生とはやはり何が起こるか、わからないものである。それだけにありがたくも思う。
ご卒業おめでとうございます。


3月15日(木)

 あれこれ考えるうちに、時間が過ぎた。プリンタの調子がよくないので、しょっちゅう発信音が鳴ってうるさい。うるさいだけでなく仕事が捗らない。寿命か?相性の問題か?


3月14日(水)

三月も半ばを迎えようとしています。


3月13日(火)

 『ドリームガールズ』を見る。誰が主役なのだろうと気にしつつ、画面の最初に出てくる名前が主役なのだろうかと思いつつ。通常どおり画面最初の人物が主役だとすれば、それはジェイミー・フォックスになる。確かに異様な存在感。でも、タイトルは『ドリームガールズ』。うーん。どうなるんだろうとまた思う(ご存知の方教えてください。誰が主役なのか)
ところで、この「ジェイミー・フォックス」とかいう人物。いつか、どこかで見たはずなのにまるで覚えがないのである。名は頭のどこかでたしかに印象深く記憶していながら、顔はどうしても思い出せない。考えていても仕方ないので、そのままさらりと流して、しばらく過ごす(あとになって、彼は『レイ』(2004)で「レイ・チャールズ」を演じた張本人だったとようやく思い出した。たしかわたしは映画館まで見に行ったはずだ。名前だけを記憶し、顔が記憶されていなかったのもちゃんとわけがある。レイ・チャールズ本人がそうであったように、画面に映るジェレミー・フォックスもまた常に色の濃いサングラスをかけていたから、顔にまったく覚えがなかったのだ)。
 さて、次に画面に出てきた名前はビヨンセ・ノウルズ。たいへんにきれい方である。かの有名な『オースティンパワーズ』にも出ていたらしいが、こちらもまた記憶に遠い。また見てみよう。しかしきれいである。その次はエディ・マーフィ。歌が異常にうまい。コメディ専門と思っていたが何でもできる役者なのだ。
そして一番の謎であり、今年度助演女優賞を獲ったジェニファー・ハドソンである。「助演」とつく賞をとったことからして、主役ではないようである。しかしあれだけの存在感、歌唱力、物語構成、最初から最初まで物語にははずせない重要人物である。なのに、なぜこの役柄が助演なのか、主演でないのか解せないところである。というよりもむしろ、ハリウッド映画における「主演」「助演」の区切りは、いったいどういうところで決まるのだろうかと思う。あの人の役が主役でなくて、いったい誰が主役なんだろう。みんなが主役なのか?


3月12日(月)

 昨日の扇が気になって(感動して)、下川先生にその感動について興奮して話していたら、扇を投げさせてくださった。舞台が傷つかないように配慮された扇を貸してくださった。扇の金具のところが一番舞台を傷つけやすいので、そこにはやわらかいスポンジが貼ってある。見るなり、プロの仕事だなあと思う。
 舞台中央に立ち、角に向かって(前方向かって右手側)に扇を放り投げる。一度目は、くるくるっと回転する。次は真っ直ぐにこそ飛ぶものの、しゅるりっと最後で回転してしまう。その次は、またよろよろと行方が定まらず。待つ次、次と…。何度やっても「真っ直ぐにピタッと」ならない(当たり前か)。だらりと流れず、角まできれいにいかない(そりゃそうか)。止まると言うよりも流れるような感触なのだ。昨日見たのは。
実際にやってみると、本当に難しい。なんでもない動作。それが如何に難しく、如何に芸術的な事柄であるのかを身を持って教えていただいた。


3月11日(日)

 下川先生が舞われる「融 酌之舞」を拝見しに、湊川神社神能殿に行く。笛を楽しむ『能と囃子の会』の演目のひとつに先生の舞囃子があるのだ。
 静かに演技中の見所に入る。ドアを開けてカーテンを開き、すぐ横に立つ。どこに座ろうかと算段していると、ひょいっとまたドアが開いた。入って来られたのは内田先生。目が合ったので、「こんにちは」と小さな声でこっそりご挨拶する。そのままずるずると見晴らしのよさそうな席に移動する。

 予定時間よりも少々あとに下川先生の「融 酌の舞」が始まる。
 舞の動きのなかに扇を手から放して投げる所作があった。その絶妙の動きと扇の流れに見とれてしまう。投げられた扇が動く途中で、ひらひらと裏返ってもいけないし、横を向いてもいけない。扇が舞台に着地する位置も決まっている。舞台向かって右側の柱に滑り込むように動きながら着地するのだそうだ。それより前でも後ろでもない場所になければならない。扇の金具がどこを向くかということも非常に重要な部分になってくる。
また、投げた扇がピタッと舞台の中で止まらなければならない。そうでなければ扇は見所に落ちていく(落ちたものを拾ってはならないのだそうだ)。すべての条件がそろって、扇は見事に正しい位置に正しい向きで止まる。すべの条件がそろった瞬間を観ただけで、痺れるような感動を覚えた。

 その後、囃子「望月」、一調一管「修羅之音頭」、大槻文蔵さんによる舞囃子「姥捨 弄月之舞」を拝見して、慌てて芦屋へ。
 昼から、かなちゃんの「こども道場」の演武会があるのだ。
第三回目を数える今回も演武会の司会を仰せつかったので尚更急ぐ。
これはよく知られたことなのだが、演武会の司会席は特等席である。というのも、こどもたちを始め誰のどの演武でも、誰にも邪魔されることなく、とても近くで見ることができるからだ。
また今回私は招待演武として、初めて演武をさせていただいた(これまでは登場こそしていたものの、先生の受けをとらせてもらうのみであった)。
そして今宵もめでたく内田先生の特別演武にお呼びいただき、受けをとらせてもらう。
司会、演武、受けと結構な出演回数である。ありがたや。

師の舞を観て、師にご挨拶し、師に受けをとらせてもらった。
とにかく師匠に囲まれて、この上ない喜びの日であった。今日という日に出会えたことに深く感謝。


3月10日(土)

 夜は急に激しい雨が降った。夜の街は静かに三宮。


3月9日(金)

 少しずつ体力回復に向けるが、やや沈んだまま。


3月8日(木)

 田舎の母が街に出てくるというので、会う。
 母は唐突に日を提示し、その日の朝、突然に時間を思い立ったかのように電話をかけてくる。「昼前に○△に着くから」。
 その電話がかかる頃は、向こうは既に出発のあとだ。
 慌てて家を飛び出たわたしは、考え事をしていたのと慌てていたせいもあって、途中で財布をかばんの中に入れ忘れていたことに気づく。ほかのものならとにかく、財布がなければ電車にも乗れない。また慌てて家まで取りに戻る。
途中まで行って戻ってきたことは、余計な時間と言えば、そうかもしれない。しかし、これが何らかの落ち着きを取り戻すための時間だとすれば、どうだろう。充分に落ち着くことができたと言える時間だ。
電車をひとつやりすごしてしまったけれど、その分晴れやかに対応することができたのも、この時間があったからだ。


3月7日(水)

 早く暖かくならないかと思う。


3月6日(火)啓蟄

 やや疲れている。

2007年3月21日

春の香り

3月19日(月)

昨日の式が幾分疲れたのか、気負いすぎたのか、果てまたこれまでの疲れか身体の奥底に溜まっているのか。一日中寝ていた(っていうのは無理だったから、できなかったけれど)、ぜひともそうしていたい気分の一日だった。


3月18日(日)

 ワン・オブ・いなごーずの結婚式のため、リッツカールトンホテル大阪へ。
 長い付き合いになるいなごーずは、いまでは全員が全国各地に散らばっているため、集結したのは久しぶりのこと。揃ってお祝いできるのも、いいことである。
 和やかで、非常にすっきりした式と披露宴に参列した。
新郎新婦の趣味のよさが感じられる。
おかげで、こちらも発見やらさまざま、心地よさを伴いながらのお開きとなった。こんなに疲れない結婚式は久しぶりである。
 この度は、本当におめでとうございます。今後の人生も幸多からんことを。
 さてと、次は誰でしょうね。


3月17日(土)

 昼からは、合気道の稽古。
 春の心地。表を歩くと、全面に春の香りがしている。「返し技」にも春の香り。

2007年3月30日

春はもうすぐ

3月29日(木)

 今年度最後の大学内での稽古@岡田山ロッジ。
 次年度の幹部となる現役生も積極的に稽古に励んでいる。
今月末で退職される松田先生も早速稽古にお見えになる。
先般の審査後のせいか、先生は非常に穏やかな表情をなされていた。先生との思い出がいろいろと蘇る。組ませていただいているとき、ほんの少し涙が出そうになった。

稽古前には、すこし内田先生とお話しする時間があった。
窓の外に見える桜を誰からと言うこともなく愛でていると、「アウトサイダーとインサイダーでは、同じものを見るのでもまるで気分が違う」と内田先生がおっしゃられた。「もうここの桜を見られるのも、あと何年かしかないなあ」とも。それを聞いて、わたしは、現在、自分がインサイダーなのかアウトサイダーなのか、少々わかりにくい場所にいるのだと感じた。どちらでもあるようなどちらでもないような。でも、やはりどちらでもあるような、どちらでもないような。境界を行き来していると言えば聞こえがいい。宙ぶらりんと言えば、どっちつかずだ。それでたしか二年前の春、またそれ以前のことを思い出した。同じように、「この場所でいつまで稽古できるだろうか」と毎年春が来るたび、深く心に問うていたことがある。運良くその後もこの場所で稽古することができている。今もここにいる。できればやっぱりインサイダーになりたい。そして桜を見たい。今、強くそう思う。
岡田山の麓にも少しずつ桜の膨らみが見える。春はもうそこまで来ているのだ。


3月28日(水)

 今年度最後の芦屋合気会の稽古。
 四月からはリニューアルである。
 水曜日のみ稽古日とし、稽古時間も大きく拡大した。
 また、四月なので一度リセットし、最初からきちんとやっていきたいと思う。そして、少しずつ誰もが上達できるようになっていけたらと思う。


3月27日(火)

 今年度最後の火曜クラスの稽古。
 小雨の振る中、道場に門人の方々が集まる。
 合宿で得た心地よい大きさが、まだ身体のどこかにある。それを充分に生かしたいし、いろいろなことを試したい気分になる。


3月26日(月)

 合宿から戻って、すぐさまは現世に戻るのが難しい。
見た目には、普段と変わらぬわたしなのかもしれないし、日常生活というものがあるのだから、普段と同じようにすごそうとしている。しかしその中身は、実際何かの構造が変化していることが多い。
『バガボンド』25巻を読む。感動した。「強い人は皆優しい」。わたしもそうありたい。


3月23日(金)~25日(日)

合気道春合宿に参加。
最近リニューアルオープンされた宿の看板が新しく、ネーミングも変わり、壁が新しく、廊下がきれいになっていた。洗面台が光っている。布団も一掃され、部屋の畳も壁も襖も扉もきれいになっていた。すべてが新鮮だ。体育館の床の板もきれいに張り替えられている。リニューアルとはこういうことか。何度も通っているといいこともある。
金曜の朝から日曜の夜までの合宿では、およそ「疲れを知らないこどものように」テンションが高かった。稽古はすべてあっという間だ。実際合宿が終わっても、まだまだ動ける。ほんとうに身体が疲れない。
 畳の上に一日6時間くらい転げ回って、あるいは杖をぶんぶん振って稽古しているのだから、きっとどこかで身体が疲れるだろうに、疲労しない。
もちろん睡眠もできるだけたくさんとっているが、平均すれば一日6時間程度。どんな構造をしているのだ。我が身体は。
 ただただ、稽古、風呂、メシ、寝る、稽古、風呂、メシ、寝る、稽古、風呂、メシ、寝る…の繰り返しの中で過ごすことが、身体のいいのだろう。
かような数日間のルーティーン生活により、毎度のことながら、合宿途中から極度の活字離れ(忘れ?)が起きる。おかげで注文のメニューの文字も読めず。帰りの車中でもまだ字もろくすっぽ読めず、停車駅の看板すら新鮮に見える。「しゅくがわ」ってかわいい字だよねと思う。

 この春はまた審査が多く、とくに昇段者がたくさんおられた。
 なかでも四段に昇段された松田先生の審査での演武は、本当に素敵だった。松田先生とは何年も稽古でお世話になり、ご一緒させていただいているが、あんなにかっこいい姿や形、動きをされる先生は、これまで見たことがない。ふと気づくと、審査中なぜか涙が出そうになった。
審査が終わった後は、いつまでも拍手していたかったし、胴上げもしたい気分になった。午後の稽古が終わると、ほんとうに松田先生を胴上げしたくなって提案してみたくらいだ(恥ずかしがりやの先生はご遠慮されたけど)。そんなほほえましい場面に立ち会えることができ、ほんとうにうれしかった。
 またこの度の合宿では、内田先生の受けととらせてもらえることの幸せと心地よさと喜びを、また一段と噛み締めることができた。心地のよいことを随分と体感できた。これからも精進したい。そう思わせる春の気持ちが風のように、わたしの身体の中へと心地よく吹いていく。


3月22日(木)

 合宿前の自主稽古。審査を控えた学生にとっては自主稽古が盛んである。審査を控えた先生も自主稽古に熱心になされている。
もっとも合宿前なので、休養している人もいる。それもよい選択である。

それしても。
部室には新しく入ってくる部員のために、レンタルするための道衣がある。
どういうわけか、それを現役の学生さんが着ている。
急なことで洗濯が間に合わないのなら、仕方がないし、まだ話もわかる。
だが、そのまま着たものを洗濯もしないで、そっとロッカーに返しているひとがいる。中にはずっとレンタルの道衣を自分のもののようにして着続けている方もいる。
これはちょっと人間としてどうかと思う。
大きく「?」がつくところだ。
このあたり、わたしの感覚が古いのか。どうなんだろうかと思う。
最近この傾向がひどく、あまりに目に付くので、何事にも、うるさ過ぎるのもよくないが、「洗濯してから返しておきましょうね」と初めて言い添えてみる。
っていうか、必要とあらば、道衣はご自身で二着目を購入されるのがよろしい。


3月21日(水)

 自主的に稽古を行う。合宿も近いので、詰めのための稽古である。わたし自身、今回は合宿そのもので、特別緊張するような場面(つまり審査ね)はない。けれども、「教えてください」と言われると、ついつい教えてしまいたくなる性分である。こう見えても、頼まれると、いやとは言えないのだ(誰も頼んでないけど)。そして今日も休日返上して、稽古なのである(好き好んでやってるんだけど)。


3月20日(火)

 道場で審査を行う。
 「審査を行います」と宣言してから、数週間の稽古は、見違えるように目の色が変わった方もおられた。それだけでなく、稽古をしているときの意識の変化が見て取れた。そういうものなんだろうか。漫然とやるのではなく、何か目的や目標を持つとひとは、少しずつでも向上できるものである。
 それぞれの結果はともあれ、昨日と違った自分に出会え、ほんの少しでもそのことに気づけたならば、万事それでオッケーではなかろうか。いまのところは。

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