« 2007年1月 | メイン | 2007年3月 »

2007年2月 アーカイブ

2007年2月 6日

太巻きがぶり

2月4日(日)

 下川正謡会の新年稽古会が、終日執り行われた。
 昨年のこの会の日は、その数日前から高熱を発してダウンしていたため、休んだことが思い出される。ことしは穏やかで暖かな冬ということも手伝ってか、わりに健康に舞台に立たせていただけることができた。まずはそのことに深く感謝する。そして、出させていただけることにも。
仕舞は、「中の舞」から「班女アト」のシテ、「安達原」のワキツレというのが自身にいただいた役である。役者になるのも難しい。地謡もいろいろとさせていただいた。
 会のあとの打ち上げでは、たくさんの方がお気遣いくださって、わたしにあれやこれやの食べ物をくださった。こうした体型をしているせいか、あるいは顔つきのせいか、いつまでもちっちゃなこどもに見えるようだ。


2月3日(土)節分

 こうもあちこちで恵方の太巻きが売られていたり、見せ付けられたりすると、まるで食べることが当然のよう気になってくる。世間の流行はこういうふうにして作られていくのだろうね、などと皮肉なことを思う。太巻きなど、さほど長い伝統を持つものでもなかろうて。関西だけの風習だろうか?それも近年においての。
それでもあまりに見せ付けられると、ちょっとおいしそうだなあ、食べたいなあと思ってしまうものである。人間というものは、流行とは関係なく食欲はあるものだ。腹を空かせた身体で入った店ではうっかり太巻きを買いそうになったが、あまりおいしそうにも見えないので止めた。太巻きも太けりゃいいってもんではなく、見た目が大事。そうなると、自分で作るのもいいかもしれないが、それほどの気力もなし。
しかし、神様はいるのだろうか。節分の神様だろうか。夕刻、知人の方の連絡があり、わざわざ自宅まで、たくさんのうまい太巻きを届けてくださった。たいへんにおいしい。すごい!念じれば叶うものである。ありがとうございます。
太巻きのなかには、ことしの恵方は「北北西」。信じて、まじめに「北北西」に進路を取った。幸せと健康を祈って、太巻きをがぶりとかぶってみたのである。


2月2日(金)

 突発的なくしゃみに襲われる。おそらく夕方の5時くらいがその始まりだったと思う。何がどうしたわけか、ほんとうにわけがわからぬうちに、くしゃみばかりが出てきて、止まらなくなった。風邪だろうか、花粉症だろうか。そんな思いが一瞬頭をよぎる(そのころはまだ頭が冴えていたのである)。いずれにせよ、早く治したい。日曜には、会もあるのだし、くしゃみなんてしている場合ではないのだから。そんなことを思える余裕がまだあった。

 6時を過ぎたあたり。やや顔色が変わってきた。くしゃみと共にティッシュペーパーが手放せなくなる。水分を補給し、顔を洗い、すこし身体を活性化させるが、通常の身体のバランスが保つのは30分が限界となる。仕方なく、薬でも飲もうかと思う。だが、運の悪いことに、こういうときに限って、いつもと違う鞄を持ってきていた。当然、中身もいつもと違っている。いつも鞄の中身には、だいたいどの鞄であれ、決まって常備薬的なものを入れている。急な腹痛や頭痛くらいなら、何とか耐えられるようにしてあるのだ。それはわたしが小学、中学、高校、大学とずっと頭痛持ちで悩まされた故の行動である。それでも大学を卒業する頃まで、頭がどんなに痛くとも薬にはほとんど頼らず、自己治癒に近いかたちでその痛みに耐え、その時間をやり過ごしていた。幼い頃から薬に頼って痛みをやわらげるのはいけないことだと、どこか良心が咎めていたのだろう。だから、薬を飲んで治すというのはここ数年の行動である。ここ数年はそれと共に、頭痛がだんだんと軽減され、ほとんど感じなくなっていった。環境の変化がひとの頭の痛さまで大きく左右させたひとつの実例かもしれない。

 薬がなかったので、同じようにくしゃみに耐え、時間に耐えた。目薬すら忘れていた。目はしょぼしょぼし、頭がぼんやりしてきた。顔と鼻と目を定期的に水で湿らせ、なんとか、持ち堪えさせた。ただただ、早く布団に入り、薬を飲んで眠るだけが、このときのわたしにできる唯一にして無二の治療法であり、思考であった。


2月1日(木)

 2月になるとややゴキゲン。


1月31日(水)

 イ・ヨンエと香取慎吾は、同じ誕生日だったのか。この前のスマスマで、このことにはまったく触れていなかったな。


1月30日(火)

 映画を観よう!おもしろい映画を!今は何がおもしろい!?
 『不都合な真実』、『ディパーテッド』『あなたを忘れない』『それでもボクはやってない』『マリー・アントワネット』『ユメ十夜』。それとも長く続いている『武士の一分』?『プラダを着た悪魔』?


1月29日(月)

 夕刻、下川先生のところで稽古。
 何度やってもうまくいかないのだが、毎回通いつめていくうちに、少しずつできるところもある。稽古を続けるうちに、永遠にわからないところが増え続けるんだろうなあと思う。「自然に」動きができるまでには。それにしても笛の音はきれいである。


1月28日(日)

 京都国際マンガミュージアムに行く。開館記念の「世界のマンガ」展、そしてミュージアムそのものを観るためである。
展覧会は、そのタイトルが示すとおり世界のマンガの一連の流れが、ざっくりと示されていた。アジア近隣地域では、マンガの受け入れ態勢は寛容である。寛容どころか、あるいは寛容になりすぎて、海賊版がどんどん出ているのが実情である。このあたりまでは既に知られたことだが、遠く欧米では、やや事情が違うようだ。マンガの受け入れ方は、当然のようにその地域性がはっきりと影響する。影響下における出来事のいくつかは、今回初めて知った部分もあった。
日本では「マンガ」というカテゴリーが存在し、良くも悪くも、マンガが何であり、どういうものであるか、だいたいでも知られている。(その辺のコンビニにでも行けばすぐに買える)。だが、当然だが世界は広い。マンガがその国のなかに入って来たにもかかわらず、まだまだそういう受け入れ態勢が、寛容でない国もある。たとえば、フランス。現在もマンガブームであり、翻訳本が軒並み並んでいる。翻訳本を読み、楽しみ、コスプレする若者がいる。その反面、文化的なもの-それは高尚な絵画や美術作品やデザインが主流-とは、まったく趣をことにするものとしてマンガは理解されているらしい。だから、「マンガ?ああ、あの絵の描いたコドモのおもちゃみたいなものね」的な意識しかないところもあるようだ(おお、こんなところでも二極化。さすがに元祖の国かしらね)。マンガは、受け入れ側の環境、文化的要素、地域性などによって、影響も理解の仕方も、大いに変わるものだと改めて感じる。見方も読み方も需要大勢も、まったく変わるものでもある。これからのフランスの底上げ的な変遷に緩やかに期待して次のコーナーへ。
スペインやポーランドは、まさにこれからというところである。これらの国にまで日本のマンガが影響を及ぼしているとは知らなかった。次第に日本のマンガが、翻訳され、それが認識されてきている段階である。この先、どうなるだろうか。

さて、日本のマンガについては、マンガの祖と言われる鳥獣戯画に始まり、雑誌媒体の流れを辿る。日本では単行本ではなく、雑誌によって初めてマンガが世に送り出される。その形式を追うといった仕組みである。時系列的に並べられたそれら雑誌によって、どのような雑誌が、どのような時代に発刊され、そして今なお継続しているのかが見て取れた。もちろんマンガ雑誌の傾向や趣味もざまざまであり、現在まで続いているものもあれば、幻のものもあり、おそらく数号で廃刊しただろうなあと予測させるものもたくさんあった。
実際に雑誌を手にとって中身を見ることができるのもあった。一番おもしろかったのは、やはり60年代発刊のマンガ雑誌。マンガの中身はもちろん、時代を思わせるプレゼントコーナー、広告記事、写真のほうにもまた気をとられてしまった。ただ古臭いというだけでなく、妙な興味をひかれた。
また、マンガの雑誌には、60年代以降くらいから、表紙にはたいてい作者の名前が書かれるようになっている。表紙を見ながら、一度も見聞きしたことのない作者氏名が散見されることに気づいた。これはもちろん、こちらの無知を棚に上げて差し引いて考えてもといった条件付の話である。条件付きで考えても、あまりに知らない人が多く、驚いた。きっと、デビューしてその後、あっという間に消えてしまうひともいただろうなあと、マンガ業界のゆくえを思う。雑誌の表紙は、雑誌そのものの変遷、マンガの形態、そして、いかにインパクトの強い作者=書き手の存在があったか、それを明らかにできる材料として見るのもおもしろかった。誰がいつごろデビューして、第一線で活躍してきたかをいっぺんに明らかにすることもできるだろう。

それにしても、翻訳せずにマンガを読める、日本語を母国語とする日本に生まれてよかったとつくづく思う。
 さあ、帰ったらマンガを読もう。


1月27日(土)

 午前中はお能の稽古。主に中の舞。なかなか難しい何度やっても、いや何度も繰り返すうちにわかってくることや、注意すべき点、身体の向きやら、足の捌き方、目の方向、腰の位置など、いろんな事柄が付随してくる。うーーーーーーーん。むずかしい。

 午後は合気道の稽古。主に相半身片手取り。何度やっても新しい発見と新しい解釈と新しい見方と新しい驚きがある。うーーーーーーん。これまた難しい。

 夕方は本屋を物色。気になる本や手にとって見たかった本、新刊が出ていないか調べたかった本など、久々の本屋をぐるぐる回る。大学の図書館に行きこそすれ、それ以外は、このところまとまった時間が取れなくて、まともに本屋にも行けなかった。
あちこち見るうち、内田先生の『下流志向』を発見。即購入。ぬふ。

2007年2月23日

は、歯が・・・

2月21日(水)

 生きていることに感謝して、トロをぺろりといただいた。とろりとしたトロは、口のなかでうまく溶け、おいしくてそのときなら死んでも成仏できそうだった(詳細割愛)。
 内田先生、いつもありがとうございます。
山本画伯、ありがとうございます。
ごちそうさまでした!


2月20日(火)

 大学の研究会の一環として、宝塚歌劇花組公演『明智小五郎の事件簿-黒蜥蜴』とショー『タキシードジャズ』を観覧。江戸川乱歩原作『黒トカゲ』の小説を大きく宝塚版にリメイクしたものである。三島由紀夫のは、あんまり関係ないようである。
久しぶりの大劇場訪問は晴れ渡る宝塚の空が迎えてくれる。懐かしく、大きい(と言っても数ヶ月に一度は通っているこの街)阪急宝塚の駅。
 本日の主演つまりトップスターの男役は、春野寿美礼(「はるのすみれ」と読む)さん。娘役は桜乃彩音(「さくらのあやね」と読む)さんである。初めて見るコンビである。これまでに、それほどたくさん舞台を観たわけではないけれど、毎回どの組の、どの公演を見ても思うことがある。それは舞台に出ている人々のスタイルのよさだ。どうしてあんなに顔が小さいのか、どうしてあんなに足が長いのか。そして、どうしてあんなに細いのか。なのに、どうしてそんなに細くて長い手足で、軽々と人間を持ち上げることができるのか。その謎を聞きたいくらいである。
さて、今回は原作のある話だったが、敢えてそれを読むことはせず、劇評などもまったく目を通すことなく出かけた。(ふだんのわたしなら、原作つきの場合、どの舞台にせよ大概は予習する傾向がある)。充分に知識を持たぬまま、珍しく「予習なし」で観劇したのである。おかげで先入観なく見ることができた。それでかどうか主演俳優(正しくは「生徒」)の方も名前以外は何もよく知らないままであった。初めて見て「へえー」と思わせるスタイルのよさと、顔の小ささに驚き、相も変わらず見とれてしまった。それでも、ダンスも新しい動きや部分が満載であることには気づくことができた。
結構、ここの舞台はここの舞台で、進化しているんだということがうかがわれる。同じことをやっているようで、そうでないのよ宝塚。だから、うっかりはまってしまわないように気をつけないとね宝塚。自制心を取り戻しつつ、続く研究会へ。
発表内容は、宝塚における役柄や舞台が見せる装置、また観客側がいかにその表層的な部分ではなく、誤読操作を楽しんでみているのかというような、結構スリリングかつ巧妙な切込みで、おもしろかった。発表中もその後の懇親会でも、ずっとそのまま宝塚話は尽きず、ちょっとここには書けないようなインサイダー情報≒「ほんとうにここだけの話」も飛び交っていた。その手の話は聞き逃さない主義というか、「ほんとうにここだけの話」が好きなので、横を向いて話していても、その事柄だけは空気の中からより分けられたかのように、大きく耳に届いてくる。


2月19日(月)

 目が覚めると歯の痛みの半分くらいがやわらいでいた。どうしたのだろうという気持ちと、どこか解せない気持ちがあった。
 予約してあった朝一の診察を受けに行く。
先日抜いた親知らずの跡地はどこも異常なし。変わりに週末の異常な状況を説明する。神経計測器みたいなものを手に持たせられ、歯がどうなっているのかを調べてもらう。歯には外傷はない(つまり虫歯ね)
歯科医の判断では、どうやら勝手に神経が死んでしまったのではないかということだった。その原因として、「相当に疲れていますね」という言葉が続いた。「かわいそうに。何かストレスを溜めていますね。なにか無理していることがある」。
ほかにもあれこれと説明を受ける。治療も受ける。
こうして歯の一部分の神経が一足先に先立たれた。ちーん。なーむー。合掌。


2月18日(日)

 こちらは終日、原因不明の歯の痛みに苛まれる。ううう。いてー。でも歯は痛くない。じゃあ、どこが痛いんだ?

2月17日(土)

 午後は合気道の稽古をして、それから呼び出しのあった実家に戻る。
 どうも呼び出しが多い。

2月16日(金)


2月15日(木)

 稽古のあと、ソッコーでミリアム館へ。音楽学部の舞踊専攻の舞台発表会に行く。
 さっきまで稽古していたせいか、身体がほくほくしているのもあって、次第にこちらが舞台上のノリに移っていく。
舞踊の動きそのものを言葉でどう表現し形容すればいいのかわからない。観たものを、ただ「すごい」とそんなふうにしか思えないにも久しぶりだ。きれいだとか、動きがいいというのではない。ぼんやり見ていても「すごい」が伝わってくる。どうしてあんなことができるのかというのが人間の可能性を感じたのも「すごい」。踊り手は、おそらくダンスやバレエの素養がたしかにある人物がやっているのだろうけれど、入学して、一年やそこらでそんなふうに進化するなんて、なんてすごいんだ!の「すごい」も含んでいる。ほんとうに、「すごい」としかいいようがない。なぜあんなふうに動けるのだ。なぜあんなふうに身体があるのだ。なぜあんなふうに身体が生かされるのだ。いったい何が違うのか。あるいは、いったい何をどうすればああいうふうに身体がそこにあるのか。
 観終わったとき、呆然とし、わくわくし、身体がほくほくしていた。ぐねぐねがどこかしら移っていればいい。くにゃりが身体のどこかにあればいい。身体が柔らかいことは、人生をよりよく生きることができると、そんなメッセージをひとり勝手に受け止めた。ぶらぼー。
それにしても、島崎先生もほんとに「すごい」。やっぱりすごい先生だ。サインがほしい。


2月14日(水)

 時節柄いろんなお菓子やものをもらったり、あげたり。


2月13日(火)

 どうすればいいのかと迷うこともあるが、迷っていても仕方ないので、思いのままに動くことにする。


2月12日(月・祝)

 昨日の今日なので、結構嬉しそうに、お能の稽古に行く。るんるん。


2月11日(日)

 湊川神社神能殿にて能楽鑑賞。神戸観世会(初会)である。いつもの大会で出させていただいている舞台である。
神社でおみくじを歩いていると、何用か歩いていく巫女さんが会釈される。よく見ると、知り合いの後輩の方であった。そのままおみくじを引く。
参拝し、境内を歩いていると、いつも楽屋裏にてお会いする方に「○△大学の方ですよね?」と呼び止められる。たしかにそうではあるが、能のとくにはそうでもないので、「下川先生のところでお世話になっております」とだけ告げ、ご挨拶する。
やはりどこを歩いていても、顔が記憶されているらしい。

 舞台は能「嵐山」「東北」の二番、狂言「宝の槌」、仕舞「屋島」「花 」「天鼓」
 「嵐山」には相舞があり、素人ながらも、もうすこし一緒に動いたほうがよさそうに見えた。手も足もすべての動きを合わせるのは無理だろうが、もうすこし同じものだと思いたかった。それでも、ああいう相舞というのも、いつかやってみたいなあと、桁違いの思いを馳せる。
能楽の舞台も、ただただ舞っているぼんやり眺めているよりは、すこしずつ話が見えてきたような気がした。ほんの少しだけだけど、番組表の見方も、謡本も手にとり方も、「中の舞」も習うものである。ちょっと愉しくなってきた。


2月10日(土)

 午後は合気道の稽古。
 変則的に大学内の道場での稽古があった。通うにはこちらのほうが近いので、ぎりぎりまで用事をしてから出かけられてしまう点では、たいへんよろしい。ほんとうに近いというのはいいことだと改めて思う。だが、狭いので収容人数に限りがあるし、普段の稽古している場所からすれば、ちょっと手狭なのが残念だ。
それにしても。
こう週に何度も芦屋に通っていると、だんだんに芦屋に引っ越したくなってくる。比較的薄いが、とても強い願望として。


2月9日(金)

 原因不明のくしゃみより一週間。今日は鼻も安定している。むずがゆいということもない。いったいあの嵐のようなくしゃみは、何だったのであろうか。

 午後、接骨院に予約した時間きっちり到着。だが、それから診察を受けたのが1時間半後。前代未聞のことであるが、これほどまでに待つのはたいへんに苦しいし、次の予定があったので、ちょっとどうしようもなくて、気の短いわたしは困り果てた。誰のせいでもないはずなので、誰にも当たれないのが苦しい。


2月8日(木)

 年に一度の誕生日。ことしも無事にやってきました。無事に過ごせました。無事であったことに感謝して。ぱちぱち。


2月7日(水)

 博士学位論文申請公開審査を拝聴する。


2月6日(火)

 ゴルゴンゾーラの会の新年会開催さる。
今宵、組織構成する主なる会員の性質上、ネーミング変更が議題のひとつとなる。
都合2分ほどの討論の末、満場一致で決定したのは「水仙の会」。場内、熱い拍手が鳴り止まなかった。それでも旧名称も残す方向で話は進められたため、これまでの呼称としての「ゴルゴンゾーラ」という言葉も残ることになった。「ゴルゴン・水仙の会」にでもなるのだろうか?(「水仙会」だけだと、演歌歌手のファンクラブみたいに聞こえてしまう)。
ともあれ、名前を変えて組織をやり直すというのは、決して悪いことでもなく、むしろ新しい気分になれるので、いいこともある。


2月5日(月)

 生まれて初めて抜歯。本格的な麻酔注射を打たれるのも初めてのことで、かなり緊張していた。痛いことが嫌いなのである。というか大嫌いなのである。
 抜いた右上奥の「親知らず」は、特別痛んだわけではなかったが、噛み合わせの加減で抜いておくことになった。幸いなことに抜いたあとは、どこに痛みも腫れもなく済んだ。これが唯一の親知らずで、それ以外の三本の親知らずについては、未だ口の中に見つからず。別の意味で「親」も「知らない」歯であるかもしれない。

About 2007年2月

2007年2月にブログ「ウッキーの浮き憂き日録」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2007年1月です。

次のアーカイブは2007年3月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。