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2007年1月 アーカイブ

2007年1月 9日

ウッキーの年頭所感

1月7日(日)

 午後は居合の稽古。少しだけシントク丸の音がした新年だ。ひゅいっと唸った。いい音だ。
道具が身体の一部であり、身体が道具の一部であるような身体になりたい。どちらもどちらの邪魔をせず、どちらも相互に支えあい、それがあることで道筋や動きがよくなる。そうなれば、そのときはきっと道具は道具ではない。道具は身体の一部であり、わたしの仲間なのだ。

さてと、今年の身体はどこへ行く。


1月6日(土)

 初稽古並びに鏡開き。
 初稽古はやはり身体が充実してくるまでに時間がかかる。それは身体の動きの流れや質に富に表れる。(ただ単に正月ボケかもしれないが。おほほ)これまでの動きが良かったとか悪かったというのではない。新しい空気、新しい年、新しい感触。新年の空気に身体が何らかの反応を示しているのかもしれない。まるでしばらく使っていなかった暖炉を使うときのように。
蜘蛛の巣が張るか張らないかの暖炉を一瞥し、煉瓦を拭く。炭と埃との区別のつかなくなった場所を掃除する。掃除のあとはしばらく間、暖炉を眺める。掃除したての暖炉を場の空気に溶け合わせるためだ。溶け込ませると言ったほうがいいかもしれない。眺めるうち、次第に暖炉が場の印象のなかに溶け込んでくる。溶け込ませるためには、眺めるだけでなく、静かに、緩やかに暖炉を使い始める。使い始めると、さらに場の中に馴染むだろう。馴染んで来たら、少しずつ火を大きくしていく。そんなふうにして、暖炉は暖まるのかもしれない。
 それは釜戸でもあってもいいかもしれない。乾燥していれば火はよく点く。だが、乾燥しすぎて、燃やしてはいけない。米を焚く要領ではないが、「はじめちょろちょろ」だ。少しずつ丁寧に釜戸のなかに空気を送り込む。送り込むうち、次第に火が大きくなり、大きくなる火は、鍋全体に伝わっていく。熱さは部分ではなく全体に。同じ要領で同じ分量で。その暖かさを感じたいと願う。

密度の細かい、緩やかな身体になりたい。それは「人間」という器をとおして、その生きる道においても。


1月1日(月・祝)~5日(金)

 あけましておめでとうございます
 旧年中はたいへんお世話になりました
本年もよろしくお願い申し上げます


 テレビには年末からずっと相変わらずお笑い番組、霊的な感じのものが羅列しているようだ。お笑いと霊的な感じのもの。それらだけで成り立つ、あるいはそれしかないと言ってももはや過言ではないだろう。実際、年末年始のテレビ欄を見てみた。今さらながら驚く。お笑い主流霊的なものの独占体制。クラシックと演劇、古典芸能などが肩身狭そうに並ぶ程度。
お笑いと言っても漫才はない。若手芸人と言われる人たちは中堅どころの芸人が司会を務める番組に挙って出演し、無理難題を強いられ、若手の側はいかにして笑いを取りながら画面に映るかを考え、ボケる。そして、強いられた無理難題をうまく取り行うかというのが、最近の一般化された傾向のようである。普段からお笑いを見ていないので、実際はほかにもあり、そういうものだけでもないのかもしれないが、ちょっとまずくないだろうか。これ。なんだか、いじめの構造を単純化して、取り出しているみたいで。
普段からテレビを見つけていないので、急に見ても誰が誰なのかよくわからない。グループ名、コンビ名、ギャグもネタもちっともよく知らない。そのうえ、流行している時間が短くなっているらしい。さらにはギャグやネタの賞味期限が短い。耐久性に乏しく、持久力に欠けるのは、世相を繁栄しているようで笑うに笑えない。とまあ、いくら理屈を述べたところで、結局はテレビを見なければいいので、見ない。
それでもちらっとだけ見た箱根駅伝。これが遂に正月で一番見やすい番組となった気がする。だが、それすらもうどちらでもよくなった。どこが勝とうが優勝しようが、その選抜チーム育成だけのために人材を集めているのだとすれば、勝つのは当然のこと。ああ、おもしろくない。ああ、ラグビーが観たいなあ。テレビでラグビーを見ていた頃の正月が懐かしい。

正月は正月だけに、食べては眠り、眠っては食べ、起きてはしゃべり、また食べては遊ぶ、遊んではまた食べて、眠るといった、非常に正月循環的かつ緩やかな時間だ。しかし、こんなふうに過ごしたのは、人生で初めてかもしれない。そんなふうに思う正月でもある。

 3日は正月恒例の多田先生宅でのお年賀。
 おせちはもちろん、多田先生お手製の「鶏のお雑煮・天狗舞じゃぼじゃぼ」をいただく。今年は一層おいしい。午後2時にお邪魔し、お暇したのは午後9時過ぎ。その間、気錬会のみなさまはじめ、内田先生、そして多田先生から、数々の有意義なお話を年頭から拝聴することができた。その場にいられる幸せばかりを感じる。今年もよい年になりそうだ。帰路、しみじみとそう思う。

 4日は初詣。JRに乗って高尾山薬王院へ。
 行ってみてわかったのは、ここは山だったということ。実際、初詣というよりも初ハイキングに近かった。行く先々の道で登山姿をした人々と、とてもよくすれ違う。山頂まで行くと、さらにその印象が強くなった。ビニルシートを広げて、弁当なんかを食べている人が続出なのだ。新聞紙を広げて、なんと書初めまでしている人もいた。
山頂までの道すがら、参拝場所にも多々出会う。いくつかのものは礼だけし、いくつかのものはお参りした。お賽銭を入れ、手を合わせた。当然のようにおみくじも各地で設置されている。だが、こちらは一箇所に留めておいた。そんなに引くのも節操がない。今年引いたのは、「中吉」。今年もよい年になりとうだ。帰路、しみじみとまた思う。

 この日の毎日新聞朝刊(関西版)に、内田先生の記事が掲載されていた。横でちらりとわたしが出ているそうだ。新年初記事。実に幸先のよいスタートである。

5日は完全なる実家事情ののち、三度休養。


12月31日(日)

 実家に戻る。
正月のテレビは、普段以上におもしろくないので、あまり見ないだろうと思っていたが、結局、紅白歌合戦だけは見ることになった。とはいえ、ゆらゆら断片的にはあるが。
昨今、視聴率が低く、誰も見ないと噂されるこの番組。中盤、苦情が多そうな場面続出だった(実際、番組の途中で司会のアナウンサーから侘びが入る)。苦情を入れたその人たちのご家庭に、視聴率の機械を取り付けさせてもらえば、視聴率は確実に上がると思うのだが。

 ごぉーーーーんと鐘が鳴ったら、2007年だ。


12月30日(土)

 ふと思い立ち、髪を切りに行った午前中。年末の美容院とか床屋というものは、昔も今も変わらず混んでいるようだ。隙間を縫って切ってもらった髪は、案外いい形に仕上がる。ちょっとうれしい。ようやく街に馴染んできた気がする。

夕刻は京橋へ。必然的に思い出すのは、(前奏)♪京橋はええとこだっせ~(続く)。
松下IMPホールにて本田秀伸さんのボクシング観戦。対戦相手はタイ国のSB級王者クマントーン選手。
試合前、いつもと同じ穏やかな表情を浮かべる本田さんが、観覧席までお見えになった。がっちり握手させてもらった。「がんばってください。応援しています」ということばをかけると、「がんばります」のことばが返ってきた。がっちりした手に気合を感じる。
本日のメインイベントなので試合は最終戦。全部で6試合。最終戦までの5戦はランクの違いの方々の試合を見る。5戦中3戦がKO勝ち。それも「あ!」と思った瞬間に、相手の何らかのパンチを食らってリングに倒れている。あっという間とはよく言うが、実際はその「あっ」の前に倒れているし、終わっている。見逃したらそれまでである。しかし、こうもKO勝ちが続くと、本田さん自身にもKO勝ちをしていただきたいと、強く望むところである。
実際、本田さんの試合は、ラウンドごとに息を呑むものであった。ラウンドごとに椅子から上半身が前のめりになり、息がつまりそうになる。ちょうど息が切れそうなところで休憩。休憩ごとにこちらも呼吸するといった具合だ。試合の動きに全身で反応する。
結果、試合は本田さんの勝利(判定勝ち)。だが、試合後のインタビューでも述べておられたが、残念ながら今回は、「リニューアル本田」が登場しなかったらしい。控え室でお会いしたご本人も、そのことを残念そうにおっしゃっていた。次回はぜひ「リニューアル本田」をリング上で拝見したいものである。

年の瀬のボクシングは年の瀬らしくなく、すごくおもしろかった。内田先生、守さんご夫妻、みどりさんなど、さまざまな方とお会いしていると、ふとこれは朝カルの帰りが続いているかのように思えた。
 アメフト、ラグビー、ボクシングと多くの試合を見せていただくことができた2006年である。来年も見よう。

2007年1月17日

くじ運悪いです

1月15日(月)

 お年玉つき年賀はがきの当選番号が発表された。ことしは、およそ100枚近くの年賀状をいただいた。そのうち当たったのは、たった1枚。それも切手シート(まあ、それしか当たったことはないが)。昨年はたしか、これよりもう少したくさんのはがきをいただき、さらに何一つ当たらなかったように思う。相変わらず、くじ運が相当に悪い。別のところで、どばーっと運が良くなって、当たってみたいものである。仕事とか。
 あ、そうだ。おみくじ引かなくっちゃ。


1月14日(日)

 よく晴れた日曜日。朝起きて顔を洗う。天気がいいので、掃除をして、洗濯をして、さっきまで包まっていた布団を干した。その間、部屋の片付けと模様替えをした。きちんと過ごそうと思う。
昼過ぎになり、朝から何も食べていなかったことに気づく。ちょうどひと段落ついたところだったので、冷蔵庫を開けて、中を見た。中は、買い物に出るのが面倒だと物語るに等しい状態だった。この状態に決して満足したわけではないが、あっさり何が使えるかという方向に話を切り替えて覗き込んだ。その矢先、目の合ったのが明太子。明太子を使ってパスタを作ることにした。
パスタ用の鍋で湯を沸かし、パスタを茹でる。その間、明太子をほぐして、酒とバターで味付けしておいた。茹で上がったパスタを鍋からあげると、兼ねて用意しておいた赤いのと混ぜ合わせた。思ったよりいい香りがしてきている。
程よい日差しが窓から差し込んできた。日曜日の昼の光は、どうしていつも違ったふうに見えるのだろう。窓から差し込む光は、さらにまっすぐにパスタの方へ進んでゆく。こんなときの光は、いつもより、ほんの少しだけ、それをうまそうに見せる。


1月13日(土)

 「WE WILL ROCK YOU」を観させていただく(いつもありがとうございます)。

ひとは故人になると、その者が亡きがゆえに偉大だと評されることがある。生前から伝説的な人物であれば、死後はさらに伝説に拍車がかかることもある。もちろんそうでない場合-生前から伝説的に語られすぎていたために、亡き後はもはや生前のような輝きを放たない場合-もある。生前から伝説化され重宝がられるか、亡き後に功績を褒め称えられ、伝説化されるのか。果たしてどちらが不幸だろうか。あるいはどちらが幸せだろうか。そして実際は、当の本人の思いはどこらへんに寄り添うものなのだろう。そんなことを思う。

さて、この度の結論いや感想を述べよう。ロックはロックとして、ロックのままに大切に聴きたい。ロックとはいえ、音楽は大事にしようではないか。フレディ・マーキュリーは、おそらく偉大な人物だったのだから。


1月12日(金)

 今日はね、ムラカミさんの誕生日だったってよ。
 十年ぶりくらいに読み返している、『ノルウェイの森』を手に取りながら、気づいた。


1月11日(木)

 初出勤なのか初登校なのか。ようやく大学が賑わう。おいおい。


1月10日(水)

 やや休日ボケの日である。


1月9日(火)

 道場の新年初稽古と鏡開き。
 ほんの少しの時間だったが、共食(ともぐいではない)とは、人類にとって、実に大事であると実感した次第。本年も無事に稽古できますようにと祈りを込める。


1月8日(月・祝)

 「成人の日は1月15日」というのがつい数年前までの決まりだったが、近頃はそうではない。この「そうではない」といった感触にもそろそろ慣れなければならないのだろうね。ようやくそんなふうに思うようになってきた。このところの成人の日は、1998年改正、2000年(あら前世紀!)に制定された祝日法に基づいている。いつまでも感慨深く、あるいはいつまでもいじらしく「昔はこうだったのになあ」としがみついているわけではないが、何かしらの謂れがあって定められた日は、あまりいじらずそのままにして、変更しない方がいいのではないかと、ときおりジジイのようなことを思うのである。もちろん振袖を着るお嬢さん方、羽織袴で集まるお坊ちゃんたちにとっては、成人式が執り行われることが多い成人の日というのは、日曜日と連続していた方が何かと都合がいいのかもしれない。しかし、肝心の成人式の枠に該当する人々は、当然ながら毎年変わるわけで、毎年出るものでもないから、どの曜日が良いも悪いもないのかもしれない。ただただ一生に一回のこと。結局はどの日でもいいのかもしれない。
気になって調べてみると、そもそも成人の日は、1948年に制定されたものらしい。
「1月15日は、大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます日」と法律で定められたそうである。随分立派な明文である。立派だと思うと同時に、なあんだ。制定されたものだったのかとも思う。のちに、これが先ほども挙げた2000年制定の祝日法(いわゆるハッピーマンデー法ですね)に基づき、1月の第2月曜日に改正される。それにしても、ハッピーマンデーの「ハッピー」ということばには、どの程度の幸せが含まれているのだろうかということの方が、最近では気になる問題である。

2007年1月28日

これで納豆が食べられる

1月21日(日)

 あらまあ、世間からあっという間に納豆が消えたのは、テレビ番組の捏造のせいでしたか。これでようやく納豆が食べられそうです。のんきなことを言うようですが、買い物に行く度、納豆がないことを確認するかのように棚を見るのは、結構辛いものでした。番組を見てない者にとっては、ほんとに辛い話です。
かのテレビ局は、本日の放送分の番組は、急遽取りやめたそうで。これまで一度も見たことのない番組ですが、空いた時間はいったいどうするんだろうと、珍しく開始時間にチャンネルを合わせてみました。すると、謝罪番組が放送されていました。フジテレビでは見ない顔なので、おそらく関西テレビのアナウンサーと思しき男性が出てきて、先日の番組内で放送された虚偽のデータや許可を得ずして利用した資料、捏造された部分について、集中的に事実関係を明らかにし、説明して、詫びていました。所要時間約五分。そのあとは、十時からの番組が前倒しのかたちで放送されるようでした。テレビは、そこでぱちんと消しました。そして、この番組はこれから先もやはり見ることはないだろうし、見ようとも思わないだろうなと思いました。番組自体が続行される可能性があるのかどうかという意味でも、おららく見る可能性は低いだろうとも。
 テレビが信用できないメディアであることを、テレビをとおして暴露してしまったこの事件は、ちょっと切なくちょっと寂しく、哀れであります。ま、わたしとしては、納豆が還ってくるならそれでいいですけどね。それにしても、そんなにダイエットしたいひとって、世間にたくさんいたんですねえ。ふーむ。むむむ。


1月20日(土)

 不二家のミルキィは結構好きでした。最近はミルク味だけじゃなくて、別の味も出したみたいで、一回だけ誰かにもらって食べたことがあります。いずれにせよ、どの味のも、もう食べられなくなるのかな、どれもこれもお菓子は消えてゆくのかなと思うと寂しいです。日に日に明かされていく、不二家の過去の出来事に対して思うのは、ミルキィの行方。
そして気にかかるのは、ペコちゃん。ついでにポコちゃん。この人たちも消えてゆくのかな。哀れなる子たちよ。


1月19日(金)

 心のきれいな人ってさ。

1月18日(木)

 ちょいっと街まで来月末のイベント打ち合わせのため、下見に出かける。母にも会う。ちょいっと買い物をする。ついでに、ちょいっとご飯を食べる。たまには、こういうのもいいもんである。でも、たまのことだから、いいということでもある。


1月17日(水)

 震災が起きた日から12年。今日は朝からずっとそわそわしていた。身体がそわそわしているとき、心の中は尚更そうだ。そわそわしながら一日中、何かがずっと気にかかっていた。気がかりな何か。気がかり何かは、探るほどのかたちのないものだ。語るほどの大きさがないものだ。せめて感じたことの一端を述べてみれば、確実にわかることがある。確実にわかることのひとつは、その日付を書くたび、わたしはやるせない気持ちになることだ。「1/17」と書くたび、心が辛くなる。あるとき、何でもない日付が突如何でもある日になってしまった。そんな思いを抱かせる日だ。


1月16日(火)

 夕方は講義に出席。この日は1月最初の講義であり、後期最後の講義日である(来週は試験期間)。ちょいっと休むのもいけないやと思い、小雨の振る中大学へと急ぐ。
この時間の大学院の講義をとおして、これまでにもいろんな学生、院生、聴講生の方々と知り合いになれた。ことしはまた一段と個性が強くて、おもしろい関わりが持てたと思う。これまでにないキャラ続出と言っては語弊があるが、かなり刺激的で興味深い方が多かったように感じる。聴講生募集が始まった頃に比べて、幾分、参加者の傾向が変わってきたのかもしれない。年齢層にしても、性別層にしても、登録者にしても、随分打ち解けやすくなったようなのだ。
講義終了後、内田先生のご自宅に移動し、どどどっと打ち上げ。仕事やら何やら講義に来ることが出来なかった「後から駆けつけ組」の方も数名来られて、のべ三十名ほどがお邪魔する(実際は28名)。
宴もたけなわ。おなかも満足してきた頃、聴講生Kセンセイがギターと持ち出される。時は2007年の1月16日。翌日は干支一回りした震災の日である。震災の曲も披露された。みんなで静かにその音を聴く。その後は、やいのやいのとリクエストコーナー。各地から歌謡曲(いわゆる懐メロ路線から90年代J-POPまで)からロック、フォーク、ブルースと、さまざまリクエストが飛び交う。知っている人は一緒に歌う。途中、誰が頼んだのか、ビートルズの「ノルウェイの森」が聴こえてきた。最近読み返したばかりで記憶に新しい『ノルウェイの森』。あそこに出てくるレイコさんは、こんなふうにフォークソングやら何やらを歌ったんだろうか。そう思わせるような節回しだった。

今年度、出会えたみなさま、どうもありがとうございました。また4月にお会いしましょう。そうでない方も、きっとどこかで、再見!(でも、「再見」って、たしか「さよなら」だったよね。そんな失礼じゃないか!)

歯医者で敗者

1月26日(金)

「おいら、やっぱり好きだよ」
「へ?」
「だから…その…さ。…なんだね」
「うん」
「だからさ、好きなんだって、ね」
「ふむ」
「ふむ」
「うん」
「うん。好きなんだよ。きみのことをさ」

 んなこと、急に言われたってねえ。ふむ。きらいじゃないけど。


1月25日(木)

 免許証の更新に行く。
 年末に届いたはがきには、「初回者講習2時間」とあった。「2時間」たって、写真撮ったり、視力検査したり、証書買ったりで、それも含むんでしょ。と高をくくっていたが、なんのなんの。実際に諸手続き以外にきっちり2時間組み込まれていたのである。
 内訳は、ビデオが30分、講義が90分。ビデオは、自動車事故を減少しよう、ドライバーのマナーや啓発的な内容を盛り込んだドキュメント。まあまあの出来栄え。人口30万の地方都市を取材した内容が放映である。その後、免許更新センターの方の講義。免許証のICカード化、改正道路交通法について、免許更新制度についてなど、実に、とりとめもなく、要点も掴み所も切れ目もわかりにくく、ポイントの絞りにくい話を聞く。なんとか70分足らずで講義は終了した。ところが、従来の習性か、聞くでもなく聞いていた話ほど、結構覚えていたりする。


1月24日(水)

 めちゃくちゃハードだった。
 午前中にお能の稽古。稽古の前後に、下川先生、奥様とお話。にこやかな春の心地を感じる。
 午後から道場の日。結構あれこれ考えることもある。
 その後三宅接骨院で治療を受ける。湿布をもらう。
 すぐさま、また次の仕事へ。ハード。
 終わるなり、両親に電話。
 タイミング悪く会いそびれる。
 元のとおり、美容院へ。カットしてもらう。近々着物を着るので、それ仕様にしてもらう。いえ、会のではなく、もうちょっとさきの月末用に。


1月23日(火)

 夕方予約していた歯医者に、いやいやながら行った。
いやいやなら、予約するなよと言われそうだが、もちろん予約の電話を入れるだけでも、一念発起しなければならないことは、わざわざここに書くまでもない。予約の電話の受話器を持ち、番号をプッシュするのに、どれだけ時間がかかったことか…。
というのもあるが、実際は前回の治療が終わり、「次は歯を抜きます」と言われたので、忙しさにかまけて、ずっと半年くらい放っておいたのである。実際に時間がなかったのもあったが、無意識にほっぽりだしていたのだ。だが、ほうっておいても、いつかはその日が来るもの。一念どころか、もう一念発起して治療に出かけたのである。
 そして加うるは、ことしに入ったくらいからの原因不明の不定期の鈍痛。それも左側ばかり集中的。またもや何やらの呪縛か!?と縁具でもないことを思う。それも部分的にあるわけでもなく、突発的に起こる。そこで、その事情も相談をする。
歯医者の入念な調べによると、虫歯はないし、どこも治療済である。あれこれとその後の以上を発見すべく、検査したが新たに虫歯になったわけでもない。診断結果は、おそらくストレスから来るもの。過剰のストレスや緊張、重みが加わると、どうしても者を強くかみがちである。就寝中など、それとは気づかぬうちに噛んでいることもあるわけだそうだ。口腔外科とまではいかなかったが、少々顎の歪みの補正してもらい、肩が張る場合の動かし方などを説明してもらう。そうこうするうち、抜く予定だった歯は次回に持ち越しとなった。よかったのか、悪かったのか。


1月22日(月)

 夕刻は、試験を行う。
 試験中に物事がうまくなるということもあるわけで。それを楽しんでいる人物もいるわけで。

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