2月21日(水)
生きていることに感謝して、トロをぺろりといただいた。とろりとしたトロは、口のなかでうまく溶け、おいしくてそのときなら死んでも成仏できそうだった(詳細割愛)。
内田先生、いつもありがとうございます。
山本画伯、ありがとうございます。
ごちそうさまでした!
2月20日(火)
大学の研究会の一環として、宝塚歌劇花組公演『明智小五郎の事件簿-黒蜥蜴』とショー『タキシードジャズ』を観覧。江戸川乱歩原作『黒トカゲ』の小説を大きく宝塚版にリメイクしたものである。三島由紀夫のは、あんまり関係ないようである。
久しぶりの大劇場訪問は晴れ渡る宝塚の空が迎えてくれる。懐かしく、大きい(と言っても数ヶ月に一度は通っているこの街)阪急宝塚の駅。
本日の主演つまりトップスターの男役は、春野寿美礼(「はるのすみれ」と読む)さん。娘役は桜乃彩音(「さくらのあやね」と読む)さんである。初めて見るコンビである。これまでに、それほどたくさん舞台を観たわけではないけれど、毎回どの組の、どの公演を見ても思うことがある。それは舞台に出ている人々のスタイルのよさだ。どうしてあんなに顔が小さいのか、どうしてあんなに足が長いのか。そして、どうしてあんなに細いのか。なのに、どうしてそんなに細くて長い手足で、軽々と人間を持ち上げることができるのか。その謎を聞きたいくらいである。
さて、今回は原作のある話だったが、敢えてそれを読むことはせず、劇評などもまったく目を通すことなく出かけた。(ふだんのわたしなら、原作つきの場合、どの舞台にせよ大概は予習する傾向がある)。充分に知識を持たぬまま、珍しく「予習なし」で観劇したのである。おかげで先入観なく見ることができた。それでかどうか主演俳優(正しくは「生徒」)の方も名前以外は何もよく知らないままであった。初めて見て「へえー」と思わせるスタイルのよさと、顔の小ささに驚き、相も変わらず見とれてしまった。それでも、ダンスも新しい動きや部分が満載であることには気づくことができた。
結構、ここの舞台はここの舞台で、進化しているんだということがうかがわれる。同じことをやっているようで、そうでないのよ宝塚。だから、うっかりはまってしまわないように気をつけないとね宝塚。自制心を取り戻しつつ、続く研究会へ。
発表内容は、宝塚における役柄や舞台が見せる装置、また観客側がいかにその表層的な部分ではなく、誤読操作を楽しんでみているのかというような、結構スリリングかつ巧妙な切込みで、おもしろかった。発表中もその後の懇親会でも、ずっとそのまま宝塚話は尽きず、ちょっとここには書けないようなインサイダー情報≒「ほんとうにここだけの話」も飛び交っていた。その手の話は聞き逃さない主義というか、「ほんとうにここだけの話」が好きなので、横を向いて話していても、その事柄だけは空気の中からより分けられたかのように、大きく耳に届いてくる。
2月19日(月)
目が覚めると歯の痛みの半分くらいがやわらいでいた。どうしたのだろうという気持ちと、どこか解せない気持ちがあった。
予約してあった朝一の診察を受けに行く。
先日抜いた親知らずの跡地はどこも異常なし。変わりに週末の異常な状況を説明する。神経計測器みたいなものを手に持たせられ、歯がどうなっているのかを調べてもらう。歯には外傷はない(つまり虫歯ね)
歯科医の判断では、どうやら勝手に神経が死んでしまったのではないかということだった。その原因として、「相当に疲れていますね」という言葉が続いた。「かわいそうに。何かストレスを溜めていますね。なにか無理していることがある」。
ほかにもあれこれと説明を受ける。治療も受ける。
こうして歯の一部分の神経が一足先に先立たれた。ちーん。なーむー。合掌。
2月18日(日)
こちらは終日、原因不明の歯の痛みに苛まれる。ううう。いてー。でも歯は痛くない。じゃあ、どこが痛いんだ?
2月17日(土)
午後は合気道の稽古をして、それから呼び出しのあった実家に戻る。
どうも呼び出しが多い。
2月16日(金)
2月15日(木)
稽古のあと、ソッコーでミリアム館へ。音楽学部の舞踊専攻の舞台発表会に行く。
さっきまで稽古していたせいか、身体がほくほくしているのもあって、次第にこちらが舞台上のノリに移っていく。
舞踊の動きそのものを言葉でどう表現し形容すればいいのかわからない。観たものを、ただ「すごい」とそんなふうにしか思えないにも久しぶりだ。きれいだとか、動きがいいというのではない。ぼんやり見ていても「すごい」が伝わってくる。どうしてあんなことができるのかというのが人間の可能性を感じたのも「すごい」。踊り手は、おそらくダンスやバレエの素養がたしかにある人物がやっているのだろうけれど、入学して、一年やそこらでそんなふうに進化するなんて、なんてすごいんだ!の「すごい」も含んでいる。ほんとうに、「すごい」としかいいようがない。なぜあんなふうに動けるのだ。なぜあんなふうに身体があるのだ。なぜあんなふうに身体が生かされるのだ。いったい何が違うのか。あるいは、いったい何をどうすればああいうふうに身体がそこにあるのか。
観終わったとき、呆然とし、わくわくし、身体がほくほくしていた。ぐねぐねがどこかしら移っていればいい。くにゃりが身体のどこかにあればいい。身体が柔らかいことは、人生をよりよく生きることができると、そんなメッセージをひとり勝手に受け止めた。ぶらぼー。
それにしても、島崎先生もほんとに「すごい」。やっぱりすごい先生だ。サインがほしい。
2月14日(水)
時節柄いろんなお菓子やものをもらったり、あげたり。
2月13日(火)
どうすればいいのかと迷うこともあるが、迷っていても仕方ないので、思いのままに動くことにする。
2月12日(月・祝)
昨日の今日なので、結構嬉しそうに、お能の稽古に行く。るんるん。
2月11日(日)
湊川神社神能殿にて能楽鑑賞。神戸観世会(初会)である。いつもの大会で出させていただいている舞台である。
神社でおみくじを歩いていると、何用か歩いていく巫女さんが会釈される。よく見ると、知り合いの後輩の方であった。そのままおみくじを引く。
参拝し、境内を歩いていると、いつも楽屋裏にてお会いする方に「○△大学の方ですよね?」と呼び止められる。たしかにそうではあるが、能のとくにはそうでもないので、「下川先生のところでお世話になっております」とだけ告げ、ご挨拶する。
やはりどこを歩いていても、顔が記憶されているらしい。
舞台は能「嵐山」「東北」の二番、狂言「宝の槌」、仕舞「屋島」「花 」「天鼓」
「嵐山」には相舞があり、素人ながらも、もうすこし一緒に動いたほうがよさそうに見えた。手も足もすべての動きを合わせるのは無理だろうが、もうすこし同じものだと思いたかった。それでも、ああいう相舞というのも、いつかやってみたいなあと、桁違いの思いを馳せる。
能楽の舞台も、ただただ舞っているぼんやり眺めているよりは、すこしずつ話が見えてきたような気がした。ほんの少しだけだけど、番組表の見方も、謡本も手にとり方も、「中の舞」も習うものである。ちょっと愉しくなってきた。
2月10日(土)
午後は合気道の稽古。
変則的に大学内の道場での稽古があった。通うにはこちらのほうが近いので、ぎりぎりまで用事をしてから出かけられてしまう点では、たいへんよろしい。ほんとうに近いというのはいいことだと改めて思う。だが、狭いので収容人数に限りがあるし、普段の稽古している場所からすれば、ちょっと手狭なのが残念だ。
それにしても。
こう週に何度も芦屋に通っていると、だんだんに芦屋に引っ越したくなってくる。比較的薄いが、とても強い願望として。
2月9日(金)
原因不明のくしゃみより一週間。今日は鼻も安定している。むずがゆいということもない。いったいあの嵐のようなくしゃみは、何だったのであろうか。
午後、接骨院に予約した時間きっちり到着。だが、それから診察を受けたのが1時間半後。前代未聞のことであるが、これほどまでに待つのはたいへんに苦しいし、次の予定があったので、ちょっとどうしようもなくて、気の短いわたしは困り果てた。誰のせいでもないはずなので、誰にも当たれないのが苦しい。
2月8日(木)
年に一度の誕生日。ことしも無事にやってきました。無事に過ごせました。無事であったことに感謝して。ぱちぱち。
2月7日(水)
博士学位論文申請公開審査を拝聴する。
2月6日(火)
ゴルゴンゾーラの会の新年会開催さる。
今宵、組織構成する主なる会員の性質上、ネーミング変更が議題のひとつとなる。
都合2分ほどの討論の末、満場一致で決定したのは「水仙の会」。場内、熱い拍手が鳴り止まなかった。それでも旧名称も残す方向で話は進められたため、これまでの呼称としての「ゴルゴンゾーラ」という言葉も残ることになった。「ゴルゴン・水仙の会」にでもなるのだろうか?(「水仙会」だけだと、演歌歌手のファンクラブみたいに聞こえてしまう)。
ともあれ、名前を変えて組織をやり直すというのは、決して悪いことでもなく、むしろ新しい気分になれるので、いいこともある。
2月5日(月)
生まれて初めて抜歯。本格的な麻酔注射を打たれるのも初めてのことで、かなり緊張していた。痛いことが嫌いなのである。というか大嫌いなのである。
抜いた右上奥の「親知らず」は、特別痛んだわけではなかったが、噛み合わせの加減で抜いておくことになった。幸いなことに抜いたあとは、どこに痛みも腫れもなく済んだ。これが唯一の親知らずで、それ以外の三本の親知らずについては、未だ口の中に見つからず。別の意味で「親」も「知らない」歯であるかもしれない。