3月16日(金)
卒業式。
北風か南風か西風か東風かはわからないが、強風の吹く中、本日めでたく卒業される方々のお祝いにかけつける。
今年卒業する合気道部員には、ほんのちょっぴりだが思い入れがある。
ことしの四年生は、わたしが主将をしていたときに入ってきた一年生である。わたしなりに随分と関わりのある学年だ。
初めて参加した夏合宿では、全員が審査の際、揃いも揃って見事な技を披露したため、「スーパー一年生」と呼ばれた(もちろん最初から飛び級)。
宴会行事、クラブ行事、演武会等々にはきちんと参加し、加えて行動が「体育会系臭い」と称される(揶揄?)ことも一度や二度ではない。
ここで確認しておきたいのは、大学のクラブのひとつの傾向である。
大概クラブというものは、三回生(幹部学年)が運営する。この幹部学年の影響を最も受けやすいのは、その年に入った一年生である。というのも一年生がクラブに入ったときに、実質的な部の運営、勧誘、組織改革に大きく携わり、目の前で活動している学年を、行動の規範と目に焼き付けてしまうからだ。初めて見るものなら何でも「親」と思ってしまうアヒルかガチョウのようである。合気道のような場合には、ときには技の仕方まで移ることがあるらしい。
さて、この影響下に起こる事実としては、一年と三年、二年と四年といった具合に仲良くなる傾向があることだ(もちろんみんな仲はいいが)。仲がいいと言うよりも、体質が似てくる(というようなことは、記憶にございませんか?そこのキシダさん)。
この手前勝手な推測に則った場合、わたしが主将をしていたときの一年生が本日の主役の四年生ということになる。誰が「体育会系臭」かったのか、推して知るべし。
なにわともあれ、本日めでたくひとつの門出を迎えた四年生のみなさんがいる。まさかあのときの一年生を四年後の今日、一緒に見送ることができるとは、まったく想像していなかった。
人生とはやはり何が起こるか、わからないものである。それだけにありがたくも思う。
ご卒業おめでとうございます。
3月15日(木)
あれこれ考えるうちに、時間が過ぎた。プリンタの調子がよくないので、しょっちゅう発信音が鳴ってうるさい。うるさいだけでなく仕事が捗らない。寿命か?相性の問題か?
3月14日(水)
三月も半ばを迎えようとしています。
3月13日(火)
『ドリームガールズ』を見る。誰が主役なのだろうと気にしつつ、画面の最初に出てくる名前が主役なのだろうかと思いつつ。通常どおり画面最初の人物が主役だとすれば、それはジェイミー・フォックスになる。確かに異様な存在感。でも、タイトルは『ドリームガールズ』。うーん。どうなるんだろうとまた思う(ご存知の方教えてください。誰が主役なのか)
ところで、この「ジェイミー・フォックス」とかいう人物。いつか、どこかで見たはずなのにまるで覚えがないのである。名は頭のどこかでたしかに印象深く記憶していながら、顔はどうしても思い出せない。考えていても仕方ないので、そのままさらりと流して、しばらく過ごす(あとになって、彼は『レイ』(2004)で「レイ・チャールズ」を演じた張本人だったとようやく思い出した。たしかわたしは映画館まで見に行ったはずだ。名前だけを記憶し、顔が記憶されていなかったのもちゃんとわけがある。レイ・チャールズ本人がそうであったように、画面に映るジェレミー・フォックスもまた常に色の濃いサングラスをかけていたから、顔にまったく覚えがなかったのだ)。
さて、次に画面に出てきた名前はビヨンセ・ノウルズ。たいへんにきれい方である。かの有名な『オースティンパワーズ』にも出ていたらしいが、こちらもまた記憶に遠い。また見てみよう。しかしきれいである。その次はエディ・マーフィ。歌が異常にうまい。コメディ専門と思っていたが何でもできる役者なのだ。
そして一番の謎であり、今年度助演女優賞を獲ったジェニファー・ハドソンである。「助演」とつく賞をとったことからして、主役ではないようである。しかしあれだけの存在感、歌唱力、物語構成、最初から最初まで物語にははずせない重要人物である。なのに、なぜこの役柄が助演なのか、主演でないのか解せないところである。というよりもむしろ、ハリウッド映画における「主演」「助演」の区切りは、いったいどういうところで決まるのだろうかと思う。あの人の役が主役でなくて、いったい誰が主役なんだろう。みんなが主役なのか?
3月12日(月)
昨日の扇が気になって(感動して)、下川先生にその感動について興奮して話していたら、扇を投げさせてくださった。舞台が傷つかないように配慮された扇を貸してくださった。扇の金具のところが一番舞台を傷つけやすいので、そこにはやわらかいスポンジが貼ってある。見るなり、プロの仕事だなあと思う。
舞台中央に立ち、角に向かって(前方向かって右手側)に扇を放り投げる。一度目は、くるくるっと回転する。次は真っ直ぐにこそ飛ぶものの、しゅるりっと最後で回転してしまう。その次は、またよろよろと行方が定まらず。待つ次、次と…。何度やっても「真っ直ぐにピタッと」ならない(当たり前か)。だらりと流れず、角まできれいにいかない(そりゃそうか)。止まると言うよりも流れるような感触なのだ。昨日見たのは。
実際にやってみると、本当に難しい。なんでもない動作。それが如何に難しく、如何に芸術的な事柄であるのかを身を持って教えていただいた。
3月11日(日)
下川先生が舞われる「融 酌之舞」を拝見しに、湊川神社神能殿に行く。笛を楽しむ『能と囃子の会』の演目のひとつに先生の舞囃子があるのだ。
静かに演技中の見所に入る。ドアを開けてカーテンを開き、すぐ横に立つ。どこに座ろうかと算段していると、ひょいっとまたドアが開いた。入って来られたのは内田先生。目が合ったので、「こんにちは」と小さな声でこっそりご挨拶する。そのままずるずると見晴らしのよさそうな席に移動する。
予定時間よりも少々あとに下川先生の「融 酌の舞」が始まる。
舞の動きのなかに扇を手から放して投げる所作があった。その絶妙の動きと扇の流れに見とれてしまう。投げられた扇が動く途中で、ひらひらと裏返ってもいけないし、横を向いてもいけない。扇が舞台に着地する位置も決まっている。舞台向かって右側の柱に滑り込むように動きながら着地するのだそうだ。それより前でも後ろでもない場所になければならない。扇の金具がどこを向くかということも非常に重要な部分になってくる。
また、投げた扇がピタッと舞台の中で止まらなければならない。そうでなければ扇は見所に落ちていく(落ちたものを拾ってはならないのだそうだ)。すべての条件がそろって、扇は見事に正しい位置に正しい向きで止まる。すべの条件がそろった瞬間を観ただけで、痺れるような感動を覚えた。
その後、囃子「望月」、一調一管「修羅之音頭」、大槻文蔵さんによる舞囃子「姥捨 弄月之舞」を拝見して、慌てて芦屋へ。
昼から、かなちゃんの「こども道場」の演武会があるのだ。
第三回目を数える今回も演武会の司会を仰せつかったので尚更急ぐ。
これはよく知られたことなのだが、演武会の司会席は特等席である。というのも、こどもたちを始め誰のどの演武でも、誰にも邪魔されることなく、とても近くで見ることができるからだ。
また今回私は招待演武として、初めて演武をさせていただいた(これまでは登場こそしていたものの、先生の受けをとらせてもらうのみであった)。
そして今宵もめでたく内田先生の特別演武にお呼びいただき、受けをとらせてもらう。
司会、演武、受けと結構な出演回数である。ありがたや。
師の舞を観て、師にご挨拶し、師に受けをとらせてもらった。
とにかく師匠に囲まれて、この上ない喜びの日であった。今日という日に出会えたことに深く感謝。
3月10日(土)
夜は急に激しい雨が降った。夜の街は静かに三宮。
3月9日(金)
少しずつ体力回復に向けるが、やや沈んだまま。
3月8日(木)
田舎の母が街に出てくるというので、会う。
母は唐突に日を提示し、その日の朝、突然に時間を思い立ったかのように電話をかけてくる。「昼前に○△に着くから」。
その電話がかかる頃は、向こうは既に出発のあとだ。
慌てて家を飛び出たわたしは、考え事をしていたのと慌てていたせいもあって、途中で財布をかばんの中に入れ忘れていたことに気づく。ほかのものならとにかく、財布がなければ電車にも乗れない。また慌てて家まで取りに戻る。
途中まで行って戻ってきたことは、余計な時間と言えば、そうかもしれない。しかし、これが何らかの落ち着きを取り戻すための時間だとすれば、どうだろう。充分に落ち着くことができたと言える時間だ。
電車をひとつやりすごしてしまったけれど、その分晴れやかに対応することができたのも、この時間があったからだ。
3月7日(水)
早く暖かくならないかと思う。
3月6日(火)啓蟄
やや疲れている。