3月29日(木)
今年度最後の大学内での稽古@岡田山ロッジ。
次年度の幹部となる現役生も積極的に稽古に励んでいる。
今月末で退職される松田先生も早速稽古にお見えになる。
先般の審査後のせいか、先生は非常に穏やかな表情をなされていた。先生との思い出がいろいろと蘇る。組ませていただいているとき、ほんの少し涙が出そうになった。
稽古前には、すこし内田先生とお話しする時間があった。
窓の外に見える桜を誰からと言うこともなく愛でていると、「アウトサイダーとインサイダーでは、同じものを見るのでもまるで気分が違う」と内田先生がおっしゃられた。「もうここの桜を見られるのも、あと何年かしかないなあ」とも。それを聞いて、わたしは、現在、自分がインサイダーなのかアウトサイダーなのか、少々わかりにくい場所にいるのだと感じた。どちらでもあるようなどちらでもないような。でも、やはりどちらでもあるような、どちらでもないような。境界を行き来していると言えば聞こえがいい。宙ぶらりんと言えば、どっちつかずだ。それでたしか二年前の春、またそれ以前のことを思い出した。同じように、「この場所でいつまで稽古できるだろうか」と毎年春が来るたび、深く心に問うていたことがある。運良くその後もこの場所で稽古することができている。今もここにいる。できればやっぱりインサイダーになりたい。そして桜を見たい。今、強くそう思う。
岡田山の麓にも少しずつ桜の膨らみが見える。春はもうそこまで来ているのだ。
3月28日(水)
今年度最後の芦屋合気会の稽古。
四月からはリニューアルである。
水曜日のみ稽古日とし、稽古時間も大きく拡大した。
また、四月なので一度リセットし、最初からきちんとやっていきたいと思う。そして、少しずつ誰もが上達できるようになっていけたらと思う。
3月27日(火)
今年度最後の火曜クラスの稽古。
小雨の振る中、道場に門人の方々が集まる。
合宿で得た心地よい大きさが、まだ身体のどこかにある。それを充分に生かしたいし、いろいろなことを試したい気分になる。
3月26日(月)
合宿から戻って、すぐさまは現世に戻るのが難しい。
見た目には、普段と変わらぬわたしなのかもしれないし、日常生活というものがあるのだから、普段と同じようにすごそうとしている。しかしその中身は、実際何かの構造が変化していることが多い。
『バガボンド』25巻を読む。感動した。「強い人は皆優しい」。わたしもそうありたい。
3月23日(金)~25日(日)
合気道春合宿に参加。
最近リニューアルオープンされた宿の看板が新しく、ネーミングも変わり、壁が新しく、廊下がきれいになっていた。洗面台が光っている。布団も一掃され、部屋の畳も壁も襖も扉もきれいになっていた。すべてが新鮮だ。体育館の床の板もきれいに張り替えられている。リニューアルとはこういうことか。何度も通っているといいこともある。
金曜の朝から日曜の夜までの合宿では、およそ「疲れを知らないこどものように」テンションが高かった。稽古はすべてあっという間だ。実際合宿が終わっても、まだまだ動ける。ほんとうに身体が疲れない。
畳の上に一日6時間くらい転げ回って、あるいは杖をぶんぶん振って稽古しているのだから、きっとどこかで身体が疲れるだろうに、疲労しない。
もちろん睡眠もできるだけたくさんとっているが、平均すれば一日6時間程度。どんな構造をしているのだ。我が身体は。
ただただ、稽古、風呂、メシ、寝る、稽古、風呂、メシ、寝る、稽古、風呂、メシ、寝る…の繰り返しの中で過ごすことが、身体のいいのだろう。
かような数日間のルーティーン生活により、毎度のことながら、合宿途中から極度の活字離れ(忘れ?)が起きる。おかげで注文のメニューの文字も読めず。帰りの車中でもまだ字もろくすっぽ読めず、停車駅の看板すら新鮮に見える。「しゅくがわ」ってかわいい字だよねと思う。
この春はまた審査が多く、とくに昇段者がたくさんおられた。
なかでも四段に昇段された松田先生の審査での演武は、本当に素敵だった。松田先生とは何年も稽古でお世話になり、ご一緒させていただいているが、あんなにかっこいい姿や形、動きをされる先生は、これまで見たことがない。ふと気づくと、審査中なぜか涙が出そうになった。
審査が終わった後は、いつまでも拍手していたかったし、胴上げもしたい気分になった。午後の稽古が終わると、ほんとうに松田先生を胴上げしたくなって提案してみたくらいだ(恥ずかしがりやの先生はご遠慮されたけど)。そんなほほえましい場面に立ち会えることができ、ほんとうにうれしかった。
またこの度の合宿では、内田先生の受けととらせてもらえることの幸せと心地よさと喜びを、また一段と噛み締めることができた。心地のよいことを随分と体感できた。これからも精進したい。そう思わせる春の気持ちが風のように、わたしの身体の中へと心地よく吹いていく。
3月22日(木)
合宿前の自主稽古。審査を控えた学生にとっては自主稽古が盛んである。審査を控えた先生も自主稽古に熱心になされている。
もっとも合宿前なので、休養している人もいる。それもよい選択である。
それしても。
部室には新しく入ってくる部員のために、レンタルするための道衣がある。
どういうわけか、それを現役の学生さんが着ている。
急なことで洗濯が間に合わないのなら、仕方がないし、まだ話もわかる。
だが、そのまま着たものを洗濯もしないで、そっとロッカーに返しているひとがいる。中にはずっとレンタルの道衣を自分のもののようにして着続けている方もいる。
これはちょっと人間としてどうかと思う。
大きく「?」がつくところだ。
このあたり、わたしの感覚が古いのか。どうなんだろうかと思う。
最近この傾向がひどく、あまりに目に付くので、何事にも、うるさ過ぎるのもよくないが、「洗濯してから返しておきましょうね」と初めて言い添えてみる。
っていうか、必要とあらば、道衣はご自身で二着目を購入されるのがよろしい。
3月21日(水)
自主的に稽古を行う。合宿も近いので、詰めのための稽古である。わたし自身、今回は合宿そのもので、特別緊張するような場面(つまり審査ね)はない。けれども、「教えてください」と言われると、ついつい教えてしまいたくなる性分である。こう見えても、頼まれると、いやとは言えないのだ(誰も頼んでないけど)。そして今日も休日返上して、稽古なのである(好き好んでやってるんだけど)。
3月20日(火)
道場で審査を行う。
「審査を行います」と宣言してから、数週間の稽古は、見違えるように目の色が変わった方もおられた。それだけでなく、稽古をしているときの意識の変化が見て取れた。そういうものなんだろうか。漫然とやるのではなく、何か目的や目標を持つとひとは、少しずつでも向上できるものである。
それぞれの結果はともあれ、昨日と違った自分に出会え、ほんの少しでもそのことに気づけたならば、万事それでオッケーではなかろうか。いまのところは。