ウッキーの年頭所感
1月7日(日)
午後は居合の稽古。少しだけシントク丸の音がした新年だ。ひゅいっと唸った。いい音だ。
道具が身体の一部であり、身体が道具の一部であるような身体になりたい。どちらもどちらの邪魔をせず、どちらも相互に支えあい、それがあることで道筋や動きがよくなる。そうなれば、そのときはきっと道具は道具ではない。道具は身体の一部であり、わたしの仲間なのだ。
さてと、今年の身体はどこへ行く。
1月6日(土)
初稽古並びに鏡開き。
初稽古はやはり身体が充実してくるまでに時間がかかる。それは身体の動きの流れや質に富に表れる。(ただ単に正月ボケかもしれないが。おほほ)これまでの動きが良かったとか悪かったというのではない。新しい空気、新しい年、新しい感触。新年の空気に身体が何らかの反応を示しているのかもしれない。まるでしばらく使っていなかった暖炉を使うときのように。
蜘蛛の巣が張るか張らないかの暖炉を一瞥し、煉瓦を拭く。炭と埃との区別のつかなくなった場所を掃除する。掃除のあとはしばらく間、暖炉を眺める。掃除したての暖炉を場の空気に溶け合わせるためだ。溶け込ませると言ったほうがいいかもしれない。眺めるうち、次第に暖炉が場の印象のなかに溶け込んでくる。溶け込ませるためには、眺めるだけでなく、静かに、緩やかに暖炉を使い始める。使い始めると、さらに場の中に馴染むだろう。馴染んで来たら、少しずつ火を大きくしていく。そんなふうにして、暖炉は暖まるのかもしれない。
それは釜戸でもあってもいいかもしれない。乾燥していれば火はよく点く。だが、乾燥しすぎて、燃やしてはいけない。米を焚く要領ではないが、「はじめちょろちょろ」だ。少しずつ丁寧に釜戸のなかに空気を送り込む。送り込むうち、次第に火が大きくなり、大きくなる火は、鍋全体に伝わっていく。熱さは部分ではなく全体に。同じ要領で同じ分量で。その暖かさを感じたいと願う。
密度の細かい、緩やかな身体になりたい。それは「人間」という器をとおして、その生きる道においても。
1月1日(月・祝)~5日(金)
あけましておめでとうございます
旧年中はたいへんお世話になりました
本年もよろしくお願い申し上げます
テレビには年末からずっと相変わらずお笑い番組、霊的な感じのものが羅列しているようだ。お笑いと霊的な感じのもの。それらだけで成り立つ、あるいはそれしかないと言ってももはや過言ではないだろう。実際、年末年始のテレビ欄を見てみた。今さらながら驚く。お笑い主流霊的なものの独占体制。クラシックと演劇、古典芸能などが肩身狭そうに並ぶ程度。
お笑いと言っても漫才はない。若手芸人と言われる人たちは中堅どころの芸人が司会を務める番組に挙って出演し、無理難題を強いられ、若手の側はいかにして笑いを取りながら画面に映るかを考え、ボケる。そして、強いられた無理難題をうまく取り行うかというのが、最近の一般化された傾向のようである。普段からお笑いを見ていないので、実際はほかにもあり、そういうものだけでもないのかもしれないが、ちょっとまずくないだろうか。これ。なんだか、いじめの構造を単純化して、取り出しているみたいで。
普段からテレビを見つけていないので、急に見ても誰が誰なのかよくわからない。グループ名、コンビ名、ギャグもネタもちっともよく知らない。そのうえ、流行している時間が短くなっているらしい。さらにはギャグやネタの賞味期限が短い。耐久性に乏しく、持久力に欠けるのは、世相を繁栄しているようで笑うに笑えない。とまあ、いくら理屈を述べたところで、結局はテレビを見なければいいので、見ない。
それでもちらっとだけ見た箱根駅伝。これが遂に正月で一番見やすい番組となった気がする。だが、それすらもうどちらでもよくなった。どこが勝とうが優勝しようが、その選抜チーム育成だけのために人材を集めているのだとすれば、勝つのは当然のこと。ああ、おもしろくない。ああ、ラグビーが観たいなあ。テレビでラグビーを見ていた頃の正月が懐かしい。
正月は正月だけに、食べては眠り、眠っては食べ、起きてはしゃべり、また食べては遊ぶ、遊んではまた食べて、眠るといった、非常に正月循環的かつ緩やかな時間だ。しかし、こんなふうに過ごしたのは、人生で初めてかもしれない。そんなふうに思う正月でもある。
3日は正月恒例の多田先生宅でのお年賀。
おせちはもちろん、多田先生お手製の「鶏のお雑煮・天狗舞じゃぼじゃぼ」をいただく。今年は一層おいしい。午後2時にお邪魔し、お暇したのは午後9時過ぎ。その間、気錬会のみなさまはじめ、内田先生、そして多田先生から、数々の有意義なお話を年頭から拝聴することができた。その場にいられる幸せばかりを感じる。今年もよい年になりそうだ。帰路、しみじみとそう思う。
4日は初詣。JRに乗って高尾山薬王院へ。
行ってみてわかったのは、ここは山だったということ。実際、初詣というよりも初ハイキングに近かった。行く先々の道で登山姿をした人々と、とてもよくすれ違う。山頂まで行くと、さらにその印象が強くなった。ビニルシートを広げて、弁当なんかを食べている人が続出なのだ。新聞紙を広げて、なんと書初めまでしている人もいた。
山頂までの道すがら、参拝場所にも多々出会う。いくつかのものは礼だけし、いくつかのものはお参りした。お賽銭を入れ、手を合わせた。当然のようにおみくじも各地で設置されている。だが、こちらは一箇所に留めておいた。そんなに引くのも節操がない。今年引いたのは、「中吉」。今年もよい年になりとうだ。帰路、しみじみとまた思う。
この日の毎日新聞朝刊(関西版)に、内田先生の記事が掲載されていた。横でちらりとわたしが出ているそうだ。新年初記事。実に幸先のよいスタートである。
5日は完全なる実家事情ののち、三度休養。
12月31日(日)
実家に戻る。
正月のテレビは、普段以上におもしろくないので、あまり見ないだろうと思っていたが、結局、紅白歌合戦だけは見ることになった。とはいえ、ゆらゆら断片的にはあるが。
昨今、視聴率が低く、誰も見ないと噂されるこの番組。中盤、苦情が多そうな場面続出だった(実際、番組の途中で司会のアナウンサーから侘びが入る)。苦情を入れたその人たちのご家庭に、視聴率の機械を取り付けさせてもらえば、視聴率は確実に上がると思うのだが。
ごぉーーーーんと鐘が鳴ったら、2007年だ。
12月30日(土)
ふと思い立ち、髪を切りに行った午前中。年末の美容院とか床屋というものは、昔も今も変わらず混んでいるようだ。隙間を縫って切ってもらった髪は、案外いい形に仕上がる。ちょっとうれしい。ようやく街に馴染んできた気がする。
夕刻は京橋へ。必然的に思い出すのは、(前奏)♪京橋はええとこだっせ~(続く)。
松下IMPホールにて本田秀伸さんのボクシング観戦。対戦相手はタイ国のSB級王者クマントーン選手。
試合前、いつもと同じ穏やかな表情を浮かべる本田さんが、観覧席までお見えになった。がっちり握手させてもらった。「がんばってください。応援しています」ということばをかけると、「がんばります」のことばが返ってきた。がっちりした手に気合を感じる。
本日のメインイベントなので試合は最終戦。全部で6試合。最終戦までの5戦はランクの違いの方々の試合を見る。5戦中3戦がKO勝ち。それも「あ!」と思った瞬間に、相手の何らかのパンチを食らってリングに倒れている。あっという間とはよく言うが、実際はその「あっ」の前に倒れているし、終わっている。見逃したらそれまでである。しかし、こうもKO勝ちが続くと、本田さん自身にもKO勝ちをしていただきたいと、強く望むところである。
実際、本田さんの試合は、ラウンドごとに息を呑むものであった。ラウンドごとに椅子から上半身が前のめりになり、息がつまりそうになる。ちょうど息が切れそうなところで休憩。休憩ごとにこちらも呼吸するといった具合だ。試合の動きに全身で反応する。
結果、試合は本田さんの勝利(判定勝ち)。だが、試合後のインタビューでも述べておられたが、残念ながら今回は、「リニューアル本田」が登場しなかったらしい。控え室でお会いしたご本人も、そのことを残念そうにおっしゃっていた。次回はぜひ「リニューアル本田」をリング上で拝見したいものである。
年の瀬のボクシングは年の瀬らしくなく、すごくおもしろかった。内田先生、守さんご夫妻、みどりさんなど、さまざまな方とお会いしていると、ふとこれは朝カルの帰りが続いているかのように思えた。
アメフト、ラグビー、ボクシングと多くの試合を見せていただくことができた2006年である。来年も見よう。