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2005年5月 アーカイブ

2005年5月 7日

用事の多い連休

5月6日(金)

半眼にて過ごす。寝不足でもねえのに、目が痛いのよ。(いてぇーのよ)


5月5日(木・祝)

連休の最後の日。らしいが、あまり連休っぽい感触のないまま過ぎていった印象がある。
単に休みというだけで、明日からの日が辛いとも思わず、哀しいとも感じることなく、「暑いのだろうなあ」と想像するだけ。
これまでの連休のほうが、どこかずっと連休ぽかったし、だらだらしていたし、休み明けの学校に行くのは、ずっといやだった。
これといったレジャーがなかったからかもしれないけれど、これまでだって、人込みの中をかきわけるようにして出かけるなんてことは、していない。なんて言いながら、来年は「連休だよー」と大声ではしゃいでいるかもしれないけれど。


5月4日(水・休)

大阪能楽会館にて、狂言を観賞。

ご存知茂山家一門の「マラソン狂言会」と題された催しである。この連休中にずっと上演されているそうで、一日に二回講演で、それぞれ二番ある。

本日の演題は『魚説教』と『禰宜山伏』。
『魚説教』では、出家:茂山千作、某:茂山千五郎、後見:茂山宗彦。
『禰宜山伏』では、山伏:茂山七五三、禰宜:茂山正邦、茶屋:丸石やすし、大黒:島田洋海、後見:茂山宗彦の配役。

茂山千作さんの足は、また一段とゆるゆるして見えたが、「なまだこなまだこ~」と聞かせられるうち、「華麗」な狂言の世界に引き込まれていた。笑いながら「ひらめ」いたことは、「『さわら』ぬ神に祟りなし」ほど、「たい」したことではないのだけれど。

まだ五月になったばかりだというのに、日差しは暑く照りつける。
すこし夏っぽくなっているM/Oちゃんに、「芝居」と「狂言」との関係性について、ふいに熱く語ってしまう。


5月3日(火)憲法記念日

家族的サービスの日々。その2。ひひひ。

『インファイナル・アフェア』を観ていたら、興味深そうに画面を覘いてくる気配がした。
振り向くと父。
「それ、どこの映画?」とのご質問。
「香港よ。おもしろいから、あとで見たら?」
かように促して、ついでに返却をお願いする。

昼からは、『晴れたらいいね』のように運転。
相当にいいお天気。「晴れたらいいね」というよりも先に晴れているので、そこのところは気にしない。
ピクニックには行かず、海のほうへと車を走らした。波の匂いがする。案外いいドライブだ。


神戸国際会館にて、マシュー・ボーンの『SWAN・LAKE』を観賞。
群舞の予想外の哀れさと貧しさには無理矢理目をつぶるとして(でも、ありゃあひどいよ。素人目にもわかりますぜ)、マシュー・ボーンの無意識が全場面で映し出された舞台は、たいへんに興味をそそられるものがあった。早速分析してしまった。

主な配役は、ザ・スワン/ザ・ストレンジャーにはホセ・ティラード、王子にニール・ウエストモーランド(以下略)。

やっぱり背中がきれいなのがいい。そして、何事もコヒーレンス、大事ですね。


5月2日(月)振替休日

家族的サービスの日々。ほほほ。
 
観たい、聴きたい、歌いたい。食べて、飲んで、しゃべって、騒いで・・・とまあ、そんなところです。


5月1日(日)雨の日曜日

連休なので帰省。
朝から思わぬ雨に降られたので(いや予報どおりだったのだ)、少々帰るのをはばかられたが、電車にゆらゆら、ゆられるうちに、毎度見たことのない駅に到着。何度来てもなれない。来れば来るほど見知らぬ世界になっている。


ぼんやりと『僕の彼女を紹介します』を観る。
最後まで観て気づいたことは、これは『猟奇的な彼女』を観てから観ると、数倍おもしろくなるということである。別に二つの作品にストーリー構成上、何の関係もないのですが。
それにしても韓国映画って、ほんとに霊とか魂とかって好きなんですねえ。かくいうわたしも、まったくきらいじゃないですが。なんだか興味をそそられます。


4月30日(土)

世間では連休らしいが、いつもとさほど変わらぬ土曜日なので、あまり実感が沸かない。といったよくある土曜日。

ただそれでもいつもと違うことがいくつかあった。

カレーはナンと食べるとおいしいということ。
ラッシはマンゴーいりがあるということ。
敬愛するサザン・オールスターズの歌は、世代を超えた需要と供給があるということ。

サザンについてさらに加えれば、別に彼らは決して湘南のために生きているのでも、茅ヶ崎のためにあるのでも、鎌倉を思うためにいるのでもなかろうが、数十年先も、あのあたりの海を思う歌となることだろうことは容易に想像される。あー江ノ島に行きたい。


4月29日(金・祝)みどりの日
 
大学教員研修会につき、休日返上出勤。はー、疲れた。

というほどもじつは疲れてはないのだが、「何もしない」「何もできない」といった時間を過ごすほど辛いことはないとだけ記しておこう。
本を隠し持ってくるわけにもいかず、かといってどこかへ行くわけにも行かず。とりわけ哀しいのは、待っているのが「遅刻者」といった寂しい現状!
ああ、なんだか複雑な気分だ。


4月28日(木)オフィスに誰かいるか

オフィス案内役の「いるか」に飽きたので、「魔法使い」に変更した。
無意味に「きーきー」という声が気にいらなかったので、すこし気分がマシになる。
併せて見つけた「クリップ」も、なかなかにいい味を出している(ように今は見える)ので、別の場所で使う予定。


4月27日(水)

いただいたシュークリームがとてもおいしい水曜日の夜。

2005年5月13日

ちらし寿司、おしつけてごめんね

5月12日(木)

急な雨が降る。
こういう時に限って…昨日までに珍しくいいことをしたことの身に覚えが多多ある。たとえそういうつもりがなくとも、相手には、そうとられたり。
つまり、わたしはかなり親切だったってことになるのだろう。


5月11日(水)

「すこしお痩せになられましたか?」と尋ねられた。
血色が悪いのか、果てまた肌の調子が悪いのか。あるいは、服の色合いか、つりあいか、または、髪の長さか…。


5月10日(火)

食後に、ちらし寿司もいただいた。
食後では、どうしようもなかったけれど、また食べた。


5月9日(月)

半眼にて過ごす。それでもわたしは、生きている。


5月7日(土)、8日(日)

広島支部講習会に行く。
じつに3年ぶりの広島は懐かしく、すでにあちこちで初夏の薫りに包まれていた。
会場となる道場の近くの広島球場では、デイゲームの交流試合が行われ、大熱戦のメガホンや応援の楽器の音が鳴り響く。夏が近づいて来たことを早くも気づかされる。

広島で多田先生にお会いするのは、ほんとうに久しぶりだ。
多田先生は、これまでにもおっしゃっていたことなのだろうけれど、「聴こえなかった」ことが「聴こえた」り、「知らなかった」とこを「知った」り、「見えていなかった」ことが「見えた」りすることが今回はいろいろあった。

「みっちゃん」のお好み焼きも、「にしき堂」のもみじ饅頭も食べた。
そして、いろんな方にお世話になった。
どうもありがとうございました。また行きたいです。

2005年5月18日

levinasienne sans le savoir

5月17日(火)

夕方、講義が終わった途端、極度の腹痛に襲われる。
歩くのもままならないほどであった。身体には気持ちの悪い汗を感じ、残りの力を振り絞って、なんとか挨拶をする。
予定していたことを急遽変更キャンセルし、うちに帰って横になる。
いまは薬を飲んですこし落ち着いた。
なんなんだ?また急な胃炎か?ほぼ一年ぶりの。


5月16日(月)
 
最近では、上野樹里がたいへんいいのである。
つくづく『てるてる家族』を見ていなかったことが悔やまれる。


5月15日(日)

本当のことを言おう。
ときどき実家に帰るまえに、母は事前に電話をよこす。
大概はなんでもない話になるが、ふとした拍子に、「なんでもええから、帰ってきたときに食べたいものを言っておいて」と尋ねてくる。そんなとき、わたしは、普段は食べにくくって、つくりにくいものといった、それなりに知恵を使ったものをリクエストする。このところは「粉もん」である。たこ焼きくらいなら食べることもあるが、それも極々たまのことであるので、粉もん遭遇率は低い関西人だ。

ということで、最近は「何が食べたいか」と聞かれると、ついつい「お好み焼き」と言ってしまう。とりたてて好物だったというわけでも、母の得意料理というわけでもない。だが、発作的にソース味が恋しくなることがあるのだ。粉もんを口にしたくなるのである。
しかしそのリクエストというのが曲者で、いや名ばかりで、じつはこれまで一度たりとも決行されたことはないのである。

「えー、お好み焼き?あんた、いつもそう言うやん。一回、『のぶちゃん』のお好み焼き、食べてごらんよ。あれほどおいしいのはないに。行ったこと、ある?え、ないの?かわいそうに。え?あった?あ、そうかそうか。あ、でも、あした休みやな。あかんわ、行かれんわ。かわいそ。だって、ほんま、あそこの食べたら、うちでなんかつくる気にならんよ」というのが、各地の方言も含めたこのところの母の言い分である。

『のぶちゃん』というのは、実家の近所(でもないが)、わりと近くのお好み焼き屋のことである。
いつだったか、わたしが知人に連れて行ってもらったことがある。これが結構うまいのだ。ああいう簡単にできるものだからこそ、「うまい」と「まずい」の差が一目瞭然ならぬ一味瞭然、じつにはっきりするのだと思う。
「これこれ、こういう店がある」と聞いた母は、食べに行き、たいそうおいしいと言って戻ってきた。以後、どうもお好み焼きは、表で食べるものと思ったらしい。といった以後の詳しいいきさつをよく知らないまま、今に至るので、わたしのリクエストは、結局幻のままなのである。とはいえ、結構うまいので、母の言っている話の意味も汲み取れる。

じゃあ、リクエストを変えればいいじゃないかというのが、よくある話しの流れになる。だが、人間の記憶とはじつに曖昧なもので、尋ねる方も、尋ねられる方も、いちいち覚えてらんないことがあるのである。何を聞いたか、何を応えたかの細かいことなんて。
そうして、結果的には、いつもしつこく同じことを繰り返してしまう。

「何が食べたい?」
「うーん、じゃあ、お好み焼き!」
「えーお好み焼き?あんた、いつもそう言うやん。一回、『のぶちゃん』のお好み焼き・・・」(以下同文)

というふうに。これではまるで、カバ夫とさぶ(@『パーマン』)の会話である。

「カバ夫くん、お父さんの入れ歯見つかった?」
「ううん、まだ」

彼らのかわす最初の会話がこれだ。
大抵ストーリーとは何の関係もないもので、たんなる掴み的なものである。本題に入る前の枕みたいなものか。
彼らは次のコマで、「きょう学校でみつ夫がさあ・・・」とドジなみつ夫の事件をおもしろおかしく思い出したり、「あ、みっちゃんだ!」と言って手を振ったり、「あいつ、またなにか自慢してやがる」といって三重くんの鼻持ちならない行動にケチをつける。かと思えば、「いいなあ、空が飛べて!」とパーマンをうらやましがることだってあるのだ。

話が横道に逸れた。
とにかく、日に日に粉もんへの憧れは増してゆく。先日も、相変わらずリクエストが却下されたばかりでもある。かといって次のリクエストも却下された。却下されたあとの会話は以下のとおり。

「(お好み焼きの)ほかには、何がいい?お寿司は?」
「じゃあ、お寿司」
「うん、わかった。そうするわ」

実際に食卓に並んだのは、「お寿司」はなく、魚料理いろいろであった。
そうなることはわかってはいたが、まるで期待していなかった。よく言えば、ある意味、寿司にはならない期待は当たったことになるだろうか。
このように、あれこれと考えをめぐらせ、あちこちに驚きと変化を加え、まるでひとところに落ち着くことが嫌であるかのように振舞う母なのである。前言撤回派なのだ。たぶん。おそらく本人は、それとは気づかぬうちに。

ところで、そん筋(街的情報系のみなさま、先日はありがとうございます!)の方に伺ったところによれば、神戸には「世界一」おいしいとされるお好み焼き屋があるらしい。話を聴くだけでも、とにかくうまそうである。

近いうちに行ってみよう。


5月14日(土)

とても映画が見たくなり、『真夜中の弥次さん、喜多さん』を観に行った。
官藤官九郎の頭の中は、すごくたくさんの「ごちゃごちゃしたもの」で、いっぱいなんだと思った。でも、それは、詰まってるんじゃなくて、試してみたいこと、好奇心、やってみたくてもできないことなんかが、次から次へと溢れ出てくる感じで、どちらかといえば流動的。枯れることのない湧き水か噴水みたい。
そんなふうに、あれやこれやのアイデアが満載な反面、世の中をシュールに眺めているよな。なんだかそわそわしていて、いっそがしいひとではあるよな。
この映画を文化庁が支援しているあたりがなんとも。


映画とはまったく関係のない話し。
この世にわたしという人間がいなくなったら、哀しむひとなどいるだろうか。哀しんでなくひとなど、いるのだろうか。
この世に、もしそんな稀有なひとがいたとしても、幸か不幸か、わたしは決してそれを知ることができない。だって、そのとき、わたしはこの世にいないのだから。
そんなことが急に頭を過ぎり、過ぎると同時に場所もわきまえず、涙が出てしまった。
なぜ、そんなことを思うのかはわからない。ただ、なんとなく。そうなってしまったんんだ。なんとなく。泣ける日だってあるんだな。


5月13日(金)
本日は、不定期開催の通称ゴルゴンゾーラの会。淀屋橋は、「マーブル トレ」にて実食。

「ゴルゴンゾーラ」の名称にふさわしく、私たちはメニューに必ずゴルゴンゾーラの何か(固形ではなくパスタ)を含める。メニューにあればそれを、なければ、メニューにはないのかを尋ねてみる。そうして、食べてみたいという願いを伝える。それはかなったり、かなわなかったり、かなっても、かなっただけで、それ以上でもなんでもなく、ただそれだけだったり。

本日のパスタは、ほうれん草を練りこんだ手打ち麺。そこへの味がゴルゴンゾーラ。
これはメニューにないものだが、客の要望に応えてくれたよう。たいへんにおいしい。ほんとうにおいしい。じつにありがたいことである。ぜひ行ってみてください。
淀屋橋から徒歩8分。本町でもOK。

2005年5月24日

a hard day's nightmare

5月23日(月)

恐ろしい夢を見た。
恐ろし過ぎて書くことを憚れるかと思ったが、書くより前に、ほんとうに何も覚えていなかった。それでも、うっすら残る微かな記憶では、仕事に関わるような夢だったように思う。(たぶんだけど)。
何も覚えてないはずなのに、「恐ろしい」という感触が残るのは、おかしな話だ。何も覚えていないはずなのに。
さらに、おぼろげな記憶を辿ってみると、恐ろしく感じたのは、「仕事に遅れる」といったわりと危機的状況ではなく、「仕事に行くことを忘れている」、つまり「仕事に行くことを覚えていない」ことかもしれないなと思うようになった。それが「恐ろしい」感触だったのかもしれない。たぶんだけれど。
でも、行くことを忘れるなんて。ほかに何を覚えているというのだろう。

お昼も充分に過ぎた頃、ひょっこり、おいちゃんが現れた。
今日はこの夏からに迫った仕事等々の関係で、大学にやって来たらしい。
教務部長であるところの内田先生とお会いしているおいちゃんと、そして先生と、グッドタイミングで目が合う。
気づけば、すでに歩き出している。
どうして、こうして、こういうときのタイミングのよさ!
自分で言うのもなんだが、すばらしい。

さっそく教務部長室で、おいしい「ねすぷれっそ」と、おみやげの栗入りどら焼きをおいしくいただく。ぱくぱくもぐもぐ。ごちそうさま。その間は局地的に「こいー話」。
それにしても、コーヒーとあんこって、なんでこうも合うんでしょうねえ。
ああ、おいしー。大好き。
わたしも欲しいなあ、ねすぷれっそ。だって、近くて遠い部屋だもの。

ところで、こどものころからの夢のひとつは、黒を基調にしたオーディオ機器に囲まれた部屋に住むことだ。
テレビがあって、ビデオがあって、LD(今ならDVD)があって、音楽を聴けるプレイヤーやレコード機器、スピーカーが充分に揃っている。部屋にはもちろん防音設備。

ぼんやり静かにソファに横たわる。
映し出される大画面には、運命に翻弄される若者たち。
そして、わたしは涙を流すのだ。
葉巻は呑まなくてもいいけれど、インテリア代わりにあってもいいな。

こんなふうに、オーディオ機器に囲まれて過ごすときほど、平和で豊かなときはないだろうなあとずっと思っている。
それは今でも変わらないことだ。
ああ、オーディオ機器に囲まれる時間を素敵に過ごしたい。

こんなことを、いつだったか、誰かに話したら、「そんなオタクみたいな部屋はいやよ」と言われた。
いえ、別に、あんたにそうしろと言っているわけではないんです。そういう部屋で過ごしてみたいなあという願望なのです。なんというかリラックスルームですよ。娯楽の。もちろん、それ以外の時間を過ごす部屋もほしいわけで、それが全てではありませぬ。
本棚に囲まれた部屋で過ごすっていうのも、夢の一つなんですから。
武道場だって欲しいし。


5月22日(日)

シンポジウムに行こうかな、どうしよっかなと思いつつ、今日の天気と遠さで断念。というようりも、実際は、結局どこかで興味が沸かなかったからだけど。


5月21日(土)

親鸞聖人おめでとうございます。
私的なところでは、母方の祖母と父方の祖父の誕生日でもある。いやあ、なんだか、すごい偶然だ。


5月20日(金)

今日一日を振り返ると、滅法慌しい日だった。


5月19日(木)

おお、木曜日だ。おわり。


5月18日(水)

ジョンはあれからずっと眠ったままだ。
身動きひとつしないまま、ずっと眠っている。いや、正確には眠り続けていると言ったほうがいいだろう。しかしなぜ、あんなに眠っているのだろうか。あんなに眠って大丈夫だろうか。却って身体に悪くないだろうか。目が解けてしまわないだろうか。身体が起きることを忘れないだろうか。そんな心配をよそに、当のジョンは眠り続けている。かろうじて聞こえる微かな寝息だけが生きているのだとわかる。
それにしてもなぜ、ジョンがここで眠り続けているのか?
それには、いつだったかの出来事をきっかけにしていることは確かだ。


ドンドンとドアを叩く音がした。
時計の針は、もうあと数分で日付を変えようとしている。まともに考えると、誰かが訪ねてくるような時間ではない。
フトンに潜り込んでいたこともあり、そのまま気づかぬ振りをしていれば、叩いた誰かは帰っていくだろう。そうして、ドアの音も静かになるだろう。だから、聞こえてきたのは気のせいにして、静かに目を閉じていた。

また、ドンドンとドアを叩く音がした。
時計の針は、もう翌日になっていた。まともに思い出してみても、こんな時間に誰かが訪ねてくるような予定は入っていない。
だから、やっぱりそのまま気づかぬ振りをし、フトンにぐるりとくるまっていた。そのうちだんだんとまどろんでくる。

それでもまた、ドンドンとドアを叩く音がした。
時計の針は順調に翌日の世界へと飛び込んでいる。まともになってみると、既にフトンの中にもぐりこみ、くるまっている私は半分眠っている。
そうこうしているうちにも、ほとんど睡眠とすくない覚醒のあいだをいききしている状態になる。再び起き上がることになろうことなら、いくらかの時間がかかるだろう。それに、ドアの音だって、寝ぼけて聞こえるだけかもしれないのだ。

しかし何度となく聞こえるドアの音。
ふいにフトンから起き上がることができたのは、聞こえてくるドアの音の響きは多少無遠慮に聞こえたが、叩き方自体はそんなに感じの悪いものでもなかったからである。音のどこかにメッセージらしきものを感じてしまったからである。さらには、表の時間としてはすごく短い間に、瞬間的な夢を見てしまったからでもある。夢の中身は、「あ、早く起きなきゃ」といった朝の風景だった。そうである。朝と間違って目が覚めたのだ。
 
ぼんやりと起き上がり、音がしたドアを開ける。すると、そこには、疲労困憊したジョンの姿があった。

「どうしたんだい、ジョン。こんな時間に。なんだか疲れているね。」

ジョンの姿を見た途端、さっきまでの眠けはすっかり消えてしまっていた。かといって、すでにぼんやりした頭には、なにかうまいことばが出てくることもなく、ただジョンの姿を見た感想を述べただけだった。

ジョンは、ほんとうにこれまでに見たこともないくらい疲れ果てていたふうに見えた。疲れのせいか、誰の何のことばに応えるふうでもなかったが、ただひとこと、「骨があった」とだけ告げた。そして、そのまま倒れこむようにして、その場に眠り込んでしまった。

どうしてジョンが真夜中に訪ねてきたのか、いまでも理由はわからない。
しかも、なぜあんなにも疲労しているのかも。

問いただすこともできたかもしれないが、直接理由を聞くほどの興味を問いに変える前に、宛先のジョンは、とても深い眠りについてしまっていた。私は、こころのうちで、「やれやれ」とつぶやくように言ってみた。ちょっと春樹な気分だ。案外いい響きを持つものだな。こういうとき、あの「僕」なら、どんなふうに思うのだろうな。


おそらく何日も、まともに眠っていなかったのだろう。
こちらがどれだけ話しかけようとも、物音を立てようとも身動きひとつしない。静かにじっと眠るジョンの存在は、時を経るのと同じように少しずつ確認するしかなかった。どれくらい眠り続けるのか、まったくわからないくらいによく眠っていた。

眠りに浸るジョンの姿を眺めるうち、その姿がなぜだかすこし哀れに見えた。寝息すら聞こえず、身動きひとつしない静かなジョン。それは、哀愁と言うより、ただただ悲壮だった。

その姿を見ているうち、さっき起き上がってからずっと襲われ続けている極度の空腹に気がついた。ちゃんとご飯を食べたのになぜにこんなにおなかが空くのだろう。

よろよろと覗き込んだ冷蔵庫には、脱臭剤と炭とニンニク以外には何もなし。
さて、私はこの先、どうやってこの空腹に立ち向かうのか。ぼんやりと、そんなことを考えた。でも、そんなことを考えている人間がいるなんて、まったく知らずに、きみは眠ってるんだろうな。
 
You should be sleeping like a log, John.

About 2005年5月

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