« 2005年5月 | メイン | 2005年7月 »

2005年6月 アーカイブ

2005年6月 1日

「吸いません。灰皿ください」

5月31日(火)

関西フィルハーモニー管弦楽団による、ハイドン:チェロ協奏曲第1番 ハ長調 Hob.VⅡb.1とチャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調作品74『悲愴』を聴きに行く。
タカモトさんにチケットをいただいたのである。
ご同行は、チームSNKのお三方。

ハイドンのチェロを指揮するのは、ハインリヒ・シフ。
指揮だけでなく、チェロ独奏もする。管弦楽による演奏。
指揮台にいながらチェロを奏でる。
そんな二刀流のような姿を見るのも初めてなら、それをまたかなり愉快にされるのも方を拝見するのも初めてである。
すごくいいモノを見せていただいた。
楽器か身体かその境目がないくらいに一緒になっている。

『悲愴』は、かなり哀しい曲である。
思い切った曲調の変化があって、テンポが交互にやってくる。
『悲愴』と聞いて、ベートーヴェンの『悲愴』だと思っていた。
同じ悲愴でもこうも印象が違うものか。

それにしても。
舞台はやっぱりナマがいい。


5月30日(月)

あまりものごとをうまく考えることができない。
瓶のそこに溜まった澱のように、わかるようでわからないくらいの疲労が身体のどこかにあるのだろうか。
睡眠時間が少ないことが原因かもしれないけれど、精神的な安らぎが欲しいところでもある。


5月29日(日)

一夜明けて、下川正謡会大会。
ほぼ朝一の出番なので、8時半には会場となる湊川神社神能殿へと向かう。
昨日、西宮に戻ってきたのは針が変わる直前だったから、睡眠時間はわずかである。
しかし緊張のせいか、思ったほど欠伸も出ず、身体がぴりっと張り詰めている。

素謡の『小袖曾我』のワキ(五郎時経)、仕舞『吉野天人』で、舞台を踏ませていただく。
謡は声を大きく、充分に出すことができる気持ちのよい舞台だった。うまくできたのかどうかは、別として。
仕舞は、またしても課題が残る。
それでも、下川先生からさまざまなアドバイスをいただけた。次に向けてまた精進したい。
 
番組の最後にある下川先生の番外舞囃子『高砂』にしびれ、感動しまくってしまった。
これだけは観続けて何年になるだろう。
そのすごさは年々増していく。今日はこれまで拝見した中で、一途な感じで、身体がびしっと、しびれてしまった。
初めての舞台から何度か能楽堂に足を運ぶなど、見ている側の問題もあるかもしれない。
しかし歳月を経るほどに、下川先生の偉大さを感じる。

この日は、たくさんの方にご観覧にいただき、ほんとうにありがたかった。
朝早くからだというのに、遠方からもお越しいただいて、また心温まる楽屋見舞もいただきました。ほんとうにありがとうございます。
この場を借りて、お礼申し上げます。
社中のみなさま、ご観覧に来てくださいましたみなさま、そして何より下川先生のご高配により、ことしも無事に舞台に立たせていただく機会をいただけました。
ほんとうにどうもありがとうございました。
 
打ち上げまでの一連の事柄が終わる頃、わたしは、いつになくよく笑っていた。
どっと疲れることはもう時間の問題だった。


5月28日(土)
 
第43回全日本合気道演武大会が九段下の日本武道館にて行われる。
思えば初めてひとりで降り立った九段下。
あの日から幾数年。
ことしは多田塾甲南合気会として演武に参加する。
数年の歴史は、さまざまな人とのご縁をもたらしてくれる。
先日、稽古のあとに後輩から、「先輩、いったいどれくらい演武会に出場してるんですか?」と、まるで生きた化石でも見るかのように尋ねられた。わたし程度で化石なら、内田先生は、地球の大地そのものとなるだろう。

今回も多田先生の演武を拝見する。
毎年拝見しているのに、毎年違った感動がある。
当たり前だがこういう当たり前のことに気づけるのがうれしい。

同じ場所で同じひとたちと交わす挨拶もとてもいい。独特のノリがある。
今回とても愉快だったのは、最近ご結婚されたミヤウチさん。
直接「おめでとうございます」の声を掛けることができた。
奥様のご出身は、なんとわたしの実家と近そうなのである(帰郷の際はぜひ魚を!)。
坪井さんのツボを抑えた絶妙なお声掛けもたいへんに愉快だった。(名刺切らしてスミマセン!)
気錬会の歴代幹部のみなさま方も益々お元気でご活躍の様子である。
こうして顔を合わせてご挨拶させていただける悦びは結構いいものである。
名前を挙げていたらきりがないくらい、年々知り合う方が増えていく。それがまた楽しいことでもある。

また今回は、合気道を観に来られた(?)N大学のY地さんにもお会いすることができた。
なぜだかよくわからないが、この方とは、たぶん、いつかどこかでお会いするような気がしていた。
とても心地のいいひとで、わたしは一気に和んでしまった。
またお会いしましょう。できましょう。

こうして、恒例の行事をゆるやかに終える週末。


5月27日(金)
 
たいがーたいがーじれったいがー。
どらごんどらごんせいしょうなごん。
とくれば。
ごろーごろーつねひごろー。
なんてどうでしょう!


5月26日(木)

とりたてて記録するような事柄が思い出せないので、思い出し的日録。
半襟を付けるつもりで夜が過ぎ。


5月25日(水)

「煙草吸うかい?」「吸いません」。
「ヒナはいるかい?」「巣、いません」。
「すごく眠いよ」「睡魔1000」。
「意味がわからんっ!」「スイマセン」。


5月24日(火)

昨日付の内田先生の日記に、「隣のオフィスで働いているふりをしているウッキーも呼んでエスプレッソをご馳走する」という件がある。これは「を」より「も」がふさわしいと思う。どちらの「を」であるかは、読者のご想像におまかせするとして。

本日付の内田先生の日記を見ていたら、ブログというものもいいなあと思う。
なにやらオツなものである。
しかし、その前に、わたしがしなければならないことがある。
それは「物事はシンプルに書くこと」である。

いつだったか、内田先生に、とある話を伺った。
それはこんな話しである。

あるところに、ひとりの先生がおられた。
この先生を仮に「K先生」と呼ぶことにしよう。

K先生は若かりし頃、溢れんばかりの愛を並べ、感情を露にして論文を書かれていたそうだ。
しかし、その愛(のようなもの)には、かなり偏りがあった。言うなれば、自己愛的なものだった。
よって、書くものは、あたりかわまずの愛(のようなもの)であった。何かを無闇矢鱈に撒き散らしたような体裁になっていた。感情を強く表現することこそがよきことといった信念がK先生にあられたからである。
そんなあるとき、K先生は、指導教官(あるいはどなたか指導者に当たる方)に、論文での感情を抑えるよう指導される。
以後、K先生は悔い改めるかのように、努めて感情を抑制してモノを書かれるようになる。
ことばでは簡単だが、K先生にとって、それは、本当に苦しい日々だったそうだ。
感情を抑えることがである。それでもK先生は、数年以上にわたり、感情を抑えた書き方をされたのだそうだ。
そうして随分してから、K先生は、「愛に溢れる」ということの意味を考え直されることになったのだという。この日々があったからこそ、「愛が溢れる」ことの意味がいったいどういうことかわかったのだという。

伺った話しはここまでである。
その後のK先生がどうなられたのかは、想像に難くない。

先日わたしは、偶然にもこれと同じような事柄の話をお聞きした。

物事はシンプルに書くこと。
無色透明であってもそこから滲み出る、その人の個性というものがあるということ。

「それだけのこと」かもしれないが、「それだけのこと」に、わたしは、これまでずっと、きちんと気づかずにいた。あるいはずっと見過ごしてきた。

それに気づいた途端、また何十回目かの目が開いた。
心臓がどきんっとした。
開いた目から、涙が溢れ出そうになった。

的確なことばでアドバイスしてくださる人物がいることに気づいたからである。
あまりによく似た喩えは、あまりに不出来な弟子にとって、いつも強く心に響く。
改めて師を持つことの意味に深く感謝した。

2005年6月13日

六月病

6月12日(日)

今日も暑かった。
部屋を片付けて掃除をした。
洗濯物を干して、クリーニングに行った。
読みかけの本を読み続けてから、映画を観た。
ご飯を食べてから、気になる記事を調べて、あれこれ考えた。
気になる歌をチェックして、編集した。
好きなテレビを眺めながら、アイロンをかけた。
蚊が出てきたので、蚊取り線香を取り出した。
部屋がすこしすっきりした。
たまには整理整頓しないと、今はちゃんと生きられない。


6月11日(土)

激しく降りまくる雨の中、友人の結婚式参列のため教会に行く。
教会の式に参列させていただくのは、今回が初めてのことである。
本物の(と言っては誤解を招きそうだが)教会での式だから簡素かつ簡潔だろうと行く前から勝手に思い込んで式に臨んだ。紹介や宣言、賛美歌、挨拶など、各種の儀式が神妙かつ厳かに執り行われ、淡々と非常にすっきりした式だった。
個人的には長いとも短いとも感じることもなくちょうどよい時間だったが、その方面に明るい方の話では、「今日のは長いヴァージョンでしたよ」とのことである。
なるほど、あれは長いヴァージョンですか。長くてあれなら、悪くないなあと思う。
それにしても、やっぱり神はいいこと言うよなあと、改めて感激しながら教会をあとにする。

式が終わると傘要らずである。
お天道様が味方したのだろうか。
急いで下川先生の『天鼓』を拝見するため、長田の能楽堂へと向かう。電車の乗継がよかったのか、何とか舞台には間に合う。
観劇で感激いっぱい胸いっぱいである。
普段の身体運用からしてまったく違う下川先生の動きに、また今日もほれぼれしてしまう。
とくにスピード感がある、キレのある動きがいい。
素人ながら、速さが加われば加わるほど、先生の本領が発揮されているようにみえる。
しかしそれは通常の(常人の、日常の)速さを完璧にマスターしていないとできないことだろう。
見とれているうち、舞台が幕を閉じる。
舞台のひとつひとつがきれいに片付けられていくときの、あの開放感が好きだ。
社中の方々にご挨拶し、能楽堂をあとにする。

夜には、あの『2046』を初めて観る。
Kムタクの出番は意外に少なかった。

それから今日一日は、とくに宗教をまるで気にしない行動だったなあと振り返る。これで合気道の稽古をしていれば、さらにその密度が濃くなっていたことだろうと思う。

 
6月10日(金)

記憶にない金曜日。夜はすこし涼しい。


6月9日(木)

また少しずつだが、目が覚めたり曇ったりしている。
時間だけは確実に、そして誰に対しても平等に経つ。今言えるのは、ただそれだけだ。


6月8日(水)

少しずつ取り戻してきたようだ。
実はおとといくらいから、ほぼ放心状態で過ごしている。
放心状態なので、行動のひとつひとつに、強さがない。別に、暗いとか、やる気がない、というわけでもない。
適当ではあるが、ご飯も食べているし、水もちゃんと飲んでいる。食欲もないこともない。
適当ではあるが、生きるだけのスペースも時間も確保している。着る服がないほどに選択を溜め込んでいるわけでもない。
さあらば何が原因か。
そろそろ「六月病」にでもなるのだろうか。
しかしこれまで、「六月病」になったことがないので、それがどういう症状なのかはよくわからない。ご存知の方がおられたから教えてください。ついでに言えば、わたしはこれまで「五月病」になったこともありません。

夕刻、三宅接骨院で治療を受ける。
こんどは全身が腫れているらしい。
先週腫れているのは足の太腿だった。
太腿が腫れていると聞き、すこし安心していたのである。というのも足の腫れのことを聞いたちょうど同じころ、「なんか、太ったのかなあ」と毎日毎日思っていたからである。
太腿が腫れていると聞いたら早いか、「道理で最近穿くズボン、穿くズボン、きつーいような感覚があったのですが、ああ、そのせいですか!」と、いつになく声に出して喜んでしまった。そして腫れさえひけば…と、すこしは安心したのである。
だが、一週間経つと腫れは引くどころか全身に広がっていたようだ。こうなると、そうそう喜んでばかりもいられぬ。全身の腫れって???いったいなんなのだ。
いまいち原因がよくわからないまま、膝の辺りもどうにかなっているのだと、うかがう。
首は左にも向きにくい。右にもやっぱり向きにくい(ことが、のちに歩きながら判明)。
これをして「首が回らない」なんていうのだろうか、とつまらぬ冗談を言う前に、今日は早く寝ようと床に就く。


そんなことなので、日本のワールドカップ出場が決まったことはあまりよく知らない。ニュースも何も見てないからよくわからないのである。


6月7日(火)

「ひとにやさしい」とはどういうことかについて、この頃考える。「誰かを思いやる」ことについても考えている。考えたことを行動できればいいなあと思っているが、それがなかなか難しい。けれど、やっぱり考えることがある。


6月6日(月)

友遠方よりメールをくれたる。

数ヶ月前、友人にはがきを出した。
その数日後、「拝復」で始まるはがきが届いた。
文面から大人っぽくなったような印象を強く受けた。懐かしさも込められたかに思えるはがきには、メールアドレスが書き添えられていた。

そのアドレスを見ながら、急にメールを送る。
ちゃんとメールが届く。まずは、それだけで安心だ。というのも手書きで書かれた文字は、ときどき見間違えることがあるからだ。
ハイフン(-)をマイナス(-)に見間違え、ドット(.)やコンマ(,)が抜ける。アルファベット小文字のqを数字の9だと読み違える。
何の衝突もなく届いたときは結構うれしい。その後、メールの返信が届くとさらにうれしい。

電話が苦手なせいもあるが、メールやはがきや手紙を書くのが結構好きである。
旅先や出先やなんかで発作的にはがきを書きたくなることもある。だからといって、いつでも書けるように、住所をどこかに忍ばせているわけでもない。まあこのあたりはご愛嬌。

はがきや手紙を出したくなる原因のひとつは、そのとき食べた味や観たモノ、感じた場所、見えた景色への感触、そして生きていることを誰かに伝えたくなるからかもしれないけれど、何より誰かと関わりたいというのが大きいと思う。
日ごろから、道具によらず、何かの字をぐるぐるぐるぐる書いていることが好きで、字を書いているときほど愉快なことはないからかもしれないとも思う。


6月5日(日)

掃除洗濯布団干しクリーニング模様替え買い物物色下見アイロンかけ。


6月4日(土)

とてもいい天気。
信州にお出かけになった内田先生に代わって、合気道の稽古したあと、今度は能の稽古へ。今日は装束付けの日なのだ。
下川先生の舞台へ到着し、数十分ののち、先日舞台を踏ませていただいた『吉野天人』の姿になる。
紫色の長絹がなんとも言えず艶やかだ。紫色って好きなのです。
鏡の中に写る姿は誰かしら。
ひと際深く余韻に浸る。
稽古づくしのそのあとも、さらにさらにと夏への移動。


6月3日(金)

放心状態始まる。(「記憶もない」という記憶しかない)。


6月2日(木)

仕事を終えて稽古に行くと、一時帰国中のみぎちゃんが稽古にやって来た。
顔を会わせるのは久しぶりなのに、さほど久しぶりにも思えない。(数日前に会ったからというわけでもない)。
昨日も会っていたような気もするし、一年ぶりと言われればそんな気もするし。
ひとは、こういう重くないのがよろしいね。


6月1日(水)

水曜日は週の真ん中。
土日を除いた平日だけの場合でも、土日を含めた7日間の場合でも、真ん中に来るのはいつも水曜日だ。
日曜日から始まる7日間が並んだカレンダーの一週間分だけ見れば、「真ん中」を知らなくても、「真ん中」がどこを指すのかがわかる。
その昔、1週間は日曜日から始まるのだと、さんざん祖父に聞かされた。「月火水木金土日」ではなく「日月火水木金土」なのだと。
日曜日から始まる順番は、たしかに落ち着きはいい。けれど、なぜ日曜日から始まるのかと尋ねても、一度も教えてくれなかったことを同時に思い出した。

About 2005年6月

2005年6月にブログ「ウッキーの浮き憂き日録」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2005年5月です。

次のアーカイブは2005年7月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。