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a hard day's nightmare

5月23日(月)

恐ろしい夢を見た。
恐ろし過ぎて書くことを憚れるかと思ったが、書くより前に、ほんとうに何も覚えていなかった。それでも、うっすら残る微かな記憶では、仕事に関わるような夢だったように思う。(たぶんだけど)。
何も覚えてないはずなのに、「恐ろしい」という感触が残るのは、おかしな話だ。何も覚えていないはずなのに。
さらに、おぼろげな記憶を辿ってみると、恐ろしく感じたのは、「仕事に遅れる」といったわりと危機的状況ではなく、「仕事に行くことを忘れている」、つまり「仕事に行くことを覚えていない」ことかもしれないなと思うようになった。それが「恐ろしい」感触だったのかもしれない。たぶんだけれど。
でも、行くことを忘れるなんて。ほかに何を覚えているというのだろう。

お昼も充分に過ぎた頃、ひょっこり、おいちゃんが現れた。
今日はこの夏からに迫った仕事等々の関係で、大学にやって来たらしい。
教務部長であるところの内田先生とお会いしているおいちゃんと、そして先生と、グッドタイミングで目が合う。
気づけば、すでに歩き出している。
どうして、こうして、こういうときのタイミングのよさ!
自分で言うのもなんだが、すばらしい。

さっそく教務部長室で、おいしい「ねすぷれっそ」と、おみやげの栗入りどら焼きをおいしくいただく。ぱくぱくもぐもぐ。ごちそうさま。その間は局地的に「こいー話」。
それにしても、コーヒーとあんこって、なんでこうも合うんでしょうねえ。
ああ、おいしー。大好き。
わたしも欲しいなあ、ねすぷれっそ。だって、近くて遠い部屋だもの。

ところで、こどものころからの夢のひとつは、黒を基調にしたオーディオ機器に囲まれた部屋に住むことだ。
テレビがあって、ビデオがあって、LD(今ならDVD)があって、音楽を聴けるプレイヤーやレコード機器、スピーカーが充分に揃っている。部屋にはもちろん防音設備。

ぼんやり静かにソファに横たわる。
映し出される大画面には、運命に翻弄される若者たち。
そして、わたしは涙を流すのだ。
葉巻は呑まなくてもいいけれど、インテリア代わりにあってもいいな。

こんなふうに、オーディオ機器に囲まれて過ごすときほど、平和で豊かなときはないだろうなあとずっと思っている。
それは今でも変わらないことだ。
ああ、オーディオ機器に囲まれる時間を素敵に過ごしたい。

こんなことを、いつだったか、誰かに話したら、「そんなオタクみたいな部屋はいやよ」と言われた。
いえ、別に、あんたにそうしろと言っているわけではないんです。そういう部屋で過ごしてみたいなあという願望なのです。なんというかリラックスルームですよ。娯楽の。もちろん、それ以外の時間を過ごす部屋もほしいわけで、それが全てではありませぬ。
本棚に囲まれた部屋で過ごすっていうのも、夢の一つなんですから。
武道場だって欲しいし。


5月22日(日)

シンポジウムに行こうかな、どうしよっかなと思いつつ、今日の天気と遠さで断念。というようりも、実際は、結局どこかで興味が沸かなかったからだけど。


5月21日(土)

親鸞聖人おめでとうございます。
私的なところでは、母方の祖母と父方の祖父の誕生日でもある。いやあ、なんだか、すごい偶然だ。


5月20日(金)

今日一日を振り返ると、滅法慌しい日だった。


5月19日(木)

おお、木曜日だ。おわり。


5月18日(水)

ジョンはあれからずっと眠ったままだ。
身動きひとつしないまま、ずっと眠っている。いや、正確には眠り続けていると言ったほうがいいだろう。しかしなぜ、あんなに眠っているのだろうか。あんなに眠って大丈夫だろうか。却って身体に悪くないだろうか。目が解けてしまわないだろうか。身体が起きることを忘れないだろうか。そんな心配をよそに、当のジョンは眠り続けている。かろうじて聞こえる微かな寝息だけが生きているのだとわかる。
それにしてもなぜ、ジョンがここで眠り続けているのか?
それには、いつだったかの出来事をきっかけにしていることは確かだ。


ドンドンとドアを叩く音がした。
時計の針は、もうあと数分で日付を変えようとしている。まともに考えると、誰かが訪ねてくるような時間ではない。
フトンに潜り込んでいたこともあり、そのまま気づかぬ振りをしていれば、叩いた誰かは帰っていくだろう。そうして、ドアの音も静かになるだろう。だから、聞こえてきたのは気のせいにして、静かに目を閉じていた。

また、ドンドンとドアを叩く音がした。
時計の針は、もう翌日になっていた。まともに思い出してみても、こんな時間に誰かが訪ねてくるような予定は入っていない。
だから、やっぱりそのまま気づかぬ振りをし、フトンにぐるりとくるまっていた。そのうちだんだんとまどろんでくる。

それでもまた、ドンドンとドアを叩く音がした。
時計の針は順調に翌日の世界へと飛び込んでいる。まともになってみると、既にフトンの中にもぐりこみ、くるまっている私は半分眠っている。
そうこうしているうちにも、ほとんど睡眠とすくない覚醒のあいだをいききしている状態になる。再び起き上がることになろうことなら、いくらかの時間がかかるだろう。それに、ドアの音だって、寝ぼけて聞こえるだけかもしれないのだ。

しかし何度となく聞こえるドアの音。
ふいにフトンから起き上がることができたのは、聞こえてくるドアの音の響きは多少無遠慮に聞こえたが、叩き方自体はそんなに感じの悪いものでもなかったからである。音のどこかにメッセージらしきものを感じてしまったからである。さらには、表の時間としてはすごく短い間に、瞬間的な夢を見てしまったからでもある。夢の中身は、「あ、早く起きなきゃ」といった朝の風景だった。そうである。朝と間違って目が覚めたのだ。
 
ぼんやりと起き上がり、音がしたドアを開ける。すると、そこには、疲労困憊したジョンの姿があった。

「どうしたんだい、ジョン。こんな時間に。なんだか疲れているね。」

ジョンの姿を見た途端、さっきまでの眠けはすっかり消えてしまっていた。かといって、すでにぼんやりした頭には、なにかうまいことばが出てくることもなく、ただジョンの姿を見た感想を述べただけだった。

ジョンは、ほんとうにこれまでに見たこともないくらい疲れ果てていたふうに見えた。疲れのせいか、誰の何のことばに応えるふうでもなかったが、ただひとこと、「骨があった」とだけ告げた。そして、そのまま倒れこむようにして、その場に眠り込んでしまった。

どうしてジョンが真夜中に訪ねてきたのか、いまでも理由はわからない。
しかも、なぜあんなにも疲労しているのかも。

問いただすこともできたかもしれないが、直接理由を聞くほどの興味を問いに変える前に、宛先のジョンは、とても深い眠りについてしまっていた。私は、こころのうちで、「やれやれ」とつぶやくように言ってみた。ちょっと春樹な気分だ。案外いい響きを持つものだな。こういうとき、あの「僕」なら、どんなふうに思うのだろうな。


おそらく何日も、まともに眠っていなかったのだろう。
こちらがどれだけ話しかけようとも、物音を立てようとも身動きひとつしない。静かにじっと眠るジョンの存在は、時を経るのと同じように少しずつ確認するしかなかった。どれくらい眠り続けるのか、まったくわからないくらいによく眠っていた。

眠りに浸るジョンの姿を眺めるうち、その姿がなぜだかすこし哀れに見えた。寝息すら聞こえず、身動きひとつしない静かなジョン。それは、哀愁と言うより、ただただ悲壮だった。

その姿を見ているうち、さっき起き上がってからずっと襲われ続けている極度の空腹に気がついた。ちゃんとご飯を食べたのになぜにこんなにおなかが空くのだろう。

よろよろと覗き込んだ冷蔵庫には、脱臭剤と炭とニンニク以外には何もなし。
さて、私はこの先、どうやってこの空腹に立ち向かうのか。ぼんやりと、そんなことを考えた。でも、そんなことを考えている人間がいるなんて、まったく知らずに、きみは眠ってるんだろうな。
 
You should be sleeping like a log, John.

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2005年5月24日 12:38に投稿されたエントリーのページです。

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