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2004年7月 アーカイブ

2004年7月 7日

眼鏡をはずしたペ・ヨンジュンの顔は、だんだんホリケンに見えてくる

7月6日(火)
 まだ梅雨が空けていないのが不思議なくらいだ。

7月5日(月)
 世の中のどれくらいのひとが占いというものを信じ、それを生きる糧にしたり、日々の指針にしたりしなかったり、気にしたりしなかったりしているのか、そんなことはちっとも知らないけれど、巷には「占い」と名のつくものが溢れかえって久しい。テレビから雑誌、ちょっとしたパンフレットやミニコミ誌、それだけを集めた本やサイトまである。街のどこかには占い師がぞろぞろ。

 まあ、全部を見ているわけではないので、実際はどのくらいの数があるのかわからないけれど、たとえばテレビである。これは朝から晩までずっと見ているわけではないが、やたらと占いの数が多い。テーマとなるのは星座や血液型なんかで、朝も昼も夜もやっている。そんなに占ってばかりいてどうするというのだ。(しかし、つい最近ですか。血液型が性格を決定付けるというような理論が展開され、発表されたんでしたっけ?まあ、なんですな。ヒトの血の種類ですから、流れる質の違いによって性格も変化するというのは、すこしはわかる気もします)。

 しかし占い、それだけじゃあ、日々も人間も決められないのではなかろうか。と思うし、太陽が昇って日が沈み、月が見えて、ご飯が食べられ、夜露をしのぐ心配もせず、屋根のあるところで眠り、湯の出る蛇口があれば、何も占わなくたって、それで充分じゃないか、とも思う。

 と言いつつも、きょうは「めざましテレビ」のなかで放映されている占いを見た。朝の6時55分くらいからやっているアレである。この占いは12星座がランキングされ、それぞれに今日のコメントが寄せられている。1位と12位の星座には、ほかのランクに比べて、いくつかアドバイス項目が添えられている。「今日は1位だから、がんばって。気合を入れて」と言う意味と「今日は最下位だけど落ち込まず気を取り直して」という親切心が込められているんだろう。

偶然見た今日は1位だったので、ついつい喜んでしまった。なぜ喜ぶのかといえば、ここの占いは、過去によい印象や感触があるからである。結局こうやって信じてしまうものである。なんだってそういうものだ。過去のよい印象やいい感じ、心地よい感触というものを記憶しているから、また次が見たかったり、会いたかったり、行きたくなったり、食べたくなったりするんだろう。

さてと、ついでに言えば、いつも占いを読んでいる司会の高島彩アナウンサーも、きょうはワタクシと同じく1位だったようなので、いつになく喜んでいた。隣で話していたてんびん座の大塚さんは2位だったらしい。でもなぜか喜んでいた。今日の大塚さんは、機嫌がよさそうである。

7月4日(日)
 その昔、『7月4日に生まれて』とかいうトム・クルーズ主演の映画があった。もう随分と前のことだと思う。初めて観たとき感じたのは、アメリカ社会における「7月4日」という日時の重大さよりも、彼の若さのほうだったから。
それにしても、彼ほどさまざまな役をこなし、さまざまな芸能情報を提供し、日本人にもよく知られ、来日も多く、当たり役も多い役者もハリウッドにもそうたくさんはいないだろうなあと思う。(『ラスト・サムライ』なんて、多方面に話題が広がりましたね)。まあ、もちろん、なかにはヒットどころか大きく外れた映画もあるんだろうけど。(『バニラスカイ』なんてのは、どうだったんでしょうか。なんともいただけませんでしたねえ)。
それにしても7月4日に生まれると蟹座になるんですね。ワタシは蟹座のひとって、結構好きです。

7月3日(土)
 すごく暑い。もう夏だ。

7月2日(金)
 それがどういういきさつだったのか今ではもう忘れてしまったが、わたしは一時期、とある小説をじっと食い入るように読んでいたことがある。「佐和子」とかいうそれを、わたしは読んでいたことがある。

 毎晩毎晩気がつけば眺めてばかりいた。まるでちびちびと晩酌でもするかのように、あるいは布団に入る前の就眠儀式のように。

綴られる文字を眺めながら過ごすうち、あるとき、それらをつなぎ合わせてみようかと思い始めた。そうすることで、それまで以上に眺めやすくしようと考えたのである。といっても実際の作業は簡単なもの。コピー&ペーストで自身の好きに並べただけだ。

 ところが、「好き勝手に構成する」とはいえ、読みやすさや見易さ、段落やら余白やら何やらを考えると、さまざまに思いをめぐらせてしまうはめになった。別に誰が見るわけでもなく、何でもないただの趣味だ。だのに、そうなってしまった。

綴り集めているうち、連載が連載でなくなった。突然に連載がストップしてしまったのである。

幸か不幸か、ちょうどその頃のわたしの頭もまた熱心に追いかけていた頃から、すこし遠ざかっていた。あるいは、ちょうど遠のくときだったのかもしれない。

すると、たちまち小説の題名が「佐和子」だったのか「佐知子」だったのか定かでなくなってしまった。冒頭の題名すら間違っているかもしれない。

わたしらしいと言えば、わたしらしい忘れ方だ。興味が薄れると急に記憶が消えてしまうのだから。

しかしもし「忘れる」というのが「覚える」という過程あっての行為ならば、あるいは「覚える」→「忘れる」の流れで思考され、記憶するものならば、このような前段階すら消えてしまったのだろうと思う。「記憶が消えてしまう」とは、覚えていた頭や身体の記憶すらどこにあったのか「定かでない」ということである。「忘れる」ための記憶すらすっぽり「消えて」「失って」しまっている。最初から身体のどこにも、そんなコードやツールや場所や感覚などが存在しないまっさらな状態だけがあるのだ。そんなふうなものだと思う。記憶の消え方というのは。

それにしても、いったいあの衝動は、出来事はナンだったんだろうか。

しばらくのときが過ぎ、例の小説を書いた作者に出会うチャンスがあった。作者を見て思ったことは、「モテる男は辛いだろうなあ」という小説とはいっさい何の関係もないことだった。

7月1日(木)
 今日はいい日だ。とてもうれしい日だ。だから祝杯を挙げた。
初めてこの場所で、ひとりで挙げた。さらにうれしくなった。ほんとにうれしくなった。
うれしさは、私自身が生きていることが肯定された気がした何度目かのときでもあったでも、この「うれしい」ってことを書き出すと単なる自慢か嫌味にしか聞こえないし、きりがないから、書かない。会った人には直接話そう。とにかくビールはうまいんだ。

6月30日(水)
 さあ、よ~く見てください。

眼鏡をはずしたペ・ヨンジュンの顔は、だんだんホリケンに見えてくる~!!!

2004年7月16日

質に従姉。ごめんね、おいらが道楽もんなばかりに・・・

7月15日(木)
 暑い。今年初めてのかき氷を食べた。宇治ミルク金時。

7月14日(水)
 今日の日付を見ていたら、「しちにじゅうし」が頭に浮かんだ。

 7の段の九九が好きだった。

 「質に重視」となれば、たいせつな質屋さんのようにも見えてくる。

7月13日(火)
 「梅雨が明けました」と言われても、いまさらなあ、と思う。

雨があまり降らない日々が続いたあとのことだからだ。

沸くのは、「あら、そんなこと、いまさら…」といった言葉ばかり。

 でも、これでも例年に比べると、早い梅雨明けだそうです。

雨が降らないと梅雨の期間まで長く感じますねえ。

7月12日(月)
 先日、『上司は思いつきでものを言う』(橋本治、集英社新書、2004)を読んでいたら、「慈悲の心」という箇所に辿り着いた。

述べられているのは、「書き手の原則」「民主主義はややこしい」「民主主義をややこしくするもの」のところである。(p.163~168)

まったくもってその通りだと思う。

 かなり心を打たれた。

これが「愛」だと感じた。

誰かに同じことを言ってもらうと、そのときはピンとこなくても、あとから、先生のことばがわかるときが来る。

たとえそれは、もしかしたら、作者の意図とはちがうところで感銘を受けたのかもしれないのだとしても。

7月11日(日)
 投じる1票が果たしてどのように反映されるのかわからないが、選挙権もあるのだし、かつ日本のいまの経済的国際的現状に、不満も不安も抱いている日本在住者のひとりであるのだから、選挙に行った。

 ふと「不安がない」=「未来がある」という期待が大きければ、選挙の投票率も上がるのではないだろうかと思った。「不安がある」=「未来がない」ので選挙にも行かない、というのよりは動くのではなかろうか。

こんなふうに思うのは甘いだろうか。甘いかもしれない。でも、何が正しいのかわからないのなら、さまざま考えるしかないこともあるし、動いてみないとわからないこともあるのではないか。

未来の想定はなかなか難しい。けれど想定しなければ前にも進めない。投じる1票もまた未来への投資であり、担保なのだ。(というのは大袈裟かもしれないが)。

 テレビで開放速報を眺めていると、全国的に票がいつもと違う流れをしているようである。それは、いいことなのかどうなのか…。

 政治家にはまた政治家の顔が必要だなあと思った。

昨今、「これが政治家」という大見得切った顔が少なくなっているように、テレビで当選者をちらほら見ながら、翌朝の新聞を見ながら感じた。

7月10日(土)
 明日は投票日だ。選挙に行こう。

7月9日(金)
 午前中、先週の土曜日よりミネソタから神戸女学院高等部に訪日使節として来ているHenry Sibley High Schoolのみなさんへのワークショップを行う。

 ここはあのヤベッチが日本語を教えに行っている高校である。何人かは実際にヤベッチの日本語を習っている生徒さんも来ているらしい。しかし、全部が全部そうだというわけでもないらしい。

 当初の予定では訪日使節団のスケジュールには合気道の見学および稽古の計画は含まれていなかった。だが、先方は「当然、日本で合気道を見られるもの」と思ってやって来ていた。こちら側もお見せする機会があればぜひ、と思っていた。互いの利害と言えば語弊があるが、希望が一致し、急な話ではあったが、金曜日の午前中の時間にワークショップをする運びとなったのである。

 ワークショップはその日の朝、9時40分に開始とした。だが、使節団の予定が遅れたため、開始もすこし遅れる。

 さて、本来なら、内田先生にワークショップをしていただくのが話の筋なのであるが、同じ時間、先生にはぴったり授業があった。そのため不肖ワタクシがさせていただくことになったのである。(ああ、えらいこっちゃ、と思ったときは既に遅し! ワタシ ハ 辞書を ひいたとです)。

 ワークショップには現役部員をはじめ、おいちゃんやくーさんにまで出向いていただき、参加してもらった。二人は一度ミネソタに出かけているので、面識のあるひともいた。

おかげで、いきなりな話で始まったワークショップは、さほど大きな問題もなく過ごすことができた(ように思う)。ほっとした。ありがとうございました。

 中高部の英文科の教職員の方々には、急な申し出とハードスケジュールのなかを、方々にご連絡、手配してくださり、ほんとうに感謝した。ありがとうございます。


 ところで、ミネソタ一団と一緒に稽古したり、体操したりしながら時を過ごすうち、気付いたことがある。

日本語を母国語としない人へ教える場合、その人の国の言葉を使って説明する(…したとしよう)。この場合は英語である。

説明したのちの先方の反応がいまいちだ、ということがある。

反応がないので、「わかった」という実感も、「わからない」という実感も伝わりにくい、あるいは、伝わってこない。

もちろんこれには説明する側のワタシの英語能力不足にも大いに関係するだろう。

しかしこれと並行して感じるのは、反応がないのは、「このように動かすんです」と言ったあと、「そういうふうに動かしてみる」といった身体の使い方が身体の中にすぐさま用意されていない(持っていない)のだろうか、ということである。そして結局、何が原因で前に進めないのか、その反応を見て取ることが難しくなる、ということなのです。

この際ですから、自分のことは棚に上げますが、これはもう言葉の問題だけでは片付かなくなるのではないでしょうか。つまり、身体を使って何かをどうこうするときにもまた、深く意識しないまでも、それぞれが持つ文化背景や環境や政治などが大きく影響しているため、身体の反応もまた文化的な動きとなって出てくるのではないか。

身体の中にツールがない状態の中へ、別の言語で新しいツールを放り込んだって、まあ、理解するには難しいですわなあ。

身体だって、結局言葉を通して身体を理解しているのだとすれば、おそらく彼らも持つ文法は我々が持つ文法が違うことになる。よって、「わかっているのかわかっていないのすらわからないありさま」は、私が彼ら彼女たちの文法を知らないからであり、彼ら彼女たちがまた私たちの文法を知らないからである、といった状況が生まれているように感じたのです。

とはいうものの、同じ日本語を使う人に日本語で説明した場合でも、誰もが初めからすんなりとすぐにわかることばかりとは限らない。

同じ言葉を使う人の動作を見ているからといって(同じ言葉を使う人がしているからといって)同じようにすぐさま動けるわけでもないのである。ということに今気付いた。

だとすれば、一体全体どういう風にワークショップを行うのが良かったのだろうか、とも反省の意味をこめて考える。

 いつもと違った部分の頭と身体を同時にフル回転させながら、何とか時間を過ごし、さらにはいろいろと学ばせていただくことができたことは、ほんとうによかった。楽しい時間だった。

しかし暑かった。また酸欠になりそうだった。

それから、「英語は大事だ」と、アホなりにも思えたこともまたよかった。

7月8日(木)
 三谷幸喜の誕生日だった気がする。違ったかな?どうだったかな。何となくここいらの気がするが。

他人の気がしない時期があったので覚えている。あ、雰囲気がですけどね。

7月7日(水)
 そうだよ、夕方過ぎまでは結構スムーズに過ごせたんだよね。
 
授業も無事に済んだし、勉強会も無事にちゃんとできた。

今日のうちに調べるべき事柄もなんとか押さえ、空き時間を利用して、さまざま移動と所用をして過ごせたはずなんだけどな。

電車には予定通りの時間に乗れたんだしさ。

ホームに着いたらまるで電車が迎えに来てくれたみたいに、ちゃんとやってくるんだもの。乗り換えても、乗り換えても。これくらい移動に無駄のない時間ってうれしいね~、と妙に微笑む瞬間。

道を歩いていても、いつも待ってばかりいる交差点なのに、きょうは赤信号で止められることもなかった。横断歩道に前に来ると、2秒後くらいに青になる。かなりよいペース。

しかし、これが、どこから、どこから、いったいこの順調なペースが狂ったんだろう。

ご飯を食べているときも自身の動きに関して言えば、まったくもって問題なかったのに。

気がつくと、ただただとんでもないことしたようだっていうことだけが、身体の中で認識された。

別に誰かを傷つけたわけでも、誰も傷ついても、何でもないんですが。

しかしまあ、これも考えようによっては何かの災難を逃してくれたんかなあ。これによって災いが回避されるのか、あるいは既に回避されているのかであることを願います、お星様。

いいことがあるのか。いいことがあったのか。

とにかく期待も失望もしないが、「大人になりたい」と願う七夕の夜なのです。

2004年7月25日

どうもワタシはこの手の話に弱い

7月23日(金)
 昨日とだいたい同じような感じ。少し涼しかったかしら。
朝かから仕事。あーだよ、こーだよ、と勝手に進めるうち、少しずつではあるが、だいぶそれらしい形になってきた気がする(だけ?)

 喉が渇いたので、グレープフルーツを買って、搾ってみる。

7月22日(木)
 朝から仕事。あーでもない、こーでもないと頭を捻らすうち、もごもごとではあるが進んでいく気がした。

 おなかが空いたのでカルボナーラをつくってみる。

7月21日(水)
 仕事が山のよう。でも、今日のことは今日のうちに全部片付けた。こうでなくっちゃ。

7月20日(火)
 京都に行く。

 「せっかく京都行くんだから朝からお寺のひとつでも参ろうじゃないの」と前日までは急な意気込みで、空いた時間なんかには電車やらバスの乗り合わせ、行く先々のしたいことなど、おぼろげの計画を組んでいた。しかしその日の朝になって、あまりによく鳴り響くセミの声を聴いた途端、同時にあまりに暑そうな太陽のぎらぎら具合を感じたので、午前は静かにうちにいることにした。ごそごそと仕事などして過ごす。
ちらっと見たお昼のニュースでは、東京の気温が瞬間的に39.5度。観測史上7月では最高らしい。(そりゃあそうでしょな)。京都も同じくらい暑かったかもしれない。

 昼が近くなり、慌ててうちを飛び出して阪急電車に乗って四条大宮へ。午後の部で予約していただいた本願寺拝観ツアーに行くためである。(こういうのがあるのだ)。
先日、面倒くさがりなワタシのためにフジモトさんが予約してくださったのである。(フジモトさん、どうもありがとうございました)。

 とはいえ、ここも予定調和には行かない。本来、京都の地図が頭にない人間、加えて京都経験が少ない人間には、もう訳がわからない。ひとつの通りと次の通り、あるいは筋から筋までがかなり離れている。

「この辺でいいだろう」と適当にバスを降りたのがとんだ大間違いで、結局目的地の本願寺よりも手前で降りてしまった事が発覚。追いかけたって戻っては来てくれないし、暑いし、歩くのが面倒になるし・・・。で、結局タクシーはいつもわんさか状態の京都。目の前をとおったひとつを捕まえて、お寺を目指す。

「歩いたら、そこなんやけどねえ…」と、あまりにぜいぜい暑そうに飛び込んだのがわかったのか、よそ者なのが一瞬にしてわかったのか、笑いながらも運転手さんは親切に乗せてくれた。しかも初乗りがここいらより安い。いいところだ。

ぎりぎりに飛び込んだので、拝観ツアーの客のなかでは、どうやらワタシが最後の到着だったらしい。といってもまだ始まってなかったので、別に最初も最後もないですが。

さて、普段は見られない国宝や重要指定文化財などのある書院をざくざく拝観する。

飛雲閣に、対面所である鴻の間、一の間、二の間、三の間、北の能舞台、南の能舞台などである。壁や天井、襖についたて、欄間など、多くのものを見ていくうち、「よくまあこれほどまでに掘り込んだり、細かく描き記したりしたものだなあ」と思わされるものばかり。細かいところで遊び心いっぱいの天井や壁や光の加減で見える松などをしんみりと見ていると、日本人の不思議さと、これはいったいどこから来たのか、そのルーツが急に気になりだした。

日本人だからどうとか、こうとかいうわけじゃないんだけれど、ワタシはそういう場所に行ったり観たり話したりすることが、別に嫌いではない。嫌いどころか、仏や寺に入って手を合わせることに、その建造物を見ることに、どこかでおもしろい印象と手前勝手なご縁を感じる。いやな印象はまったくない。

拝観ツアーが終わる頃、阿弥陀堂にて夕方の礼拝(らいはい?)があるらしく、せっかくなのでうやうやしく参加する。本来は御影堂(ただいま平成の大修復中)にあるはずのご本尊が安置されている場所である。(で、いいのですよね?フジモトさん)。

さて、これで終了・・と、本願寺を後にしようとしたところで、この度非常にお世話になっているフジモトさん(勤務中)にご連絡し、ご登場していただくことになった。そして、あの新撰組が西本願寺に構えたと言われる太鼓楼にお連れ頂く。大河ドラマの関係もあるけれど、基本的に新撰組が好きなので(知る人ぞ知る「銀ちゃん」だもんね!!!)そのなかは見ることができなくとも、ひとり勝手に歴史のつながり感じ、わくわくしていた。

「ああ、この辺をうろうろしていたのか」とか、「壬生寺があっち方角だから、そこから走ってきたんだろう」なあなど。あ、青い何かを買おうと思って買いそびれた~。わーん。

ほかには本願寺のグッズや本、おみやげなどのご説明をいただき、それが何たるものに使うのか、どういうものなのか貴重なお話をしていただく。記念に一筆箋を購入。

バス停の位置をお教え頂き、ワタシは京阪三条へ。

 今度は迷わずちゃんと着く。というかこの辺は、唯一京都内でもまだ意味が変わる辺りである。

 ちょっと「池田屋事件」にかこつけて、四条から三条の鴨川沿いを歩いてみた。

実際は何の関係もないかもしれない場所かもしれないけれど(八坂神社で待ち合わせた彼らがどこをどう歩いたのかよく知りませんが、ここいらは歩いてないかもしれない)、とにかく結構長い。かなり長い。苦になる長さではないけれど。

よくまあ、こんなところを(たぶん)しかも夜中に、きっといまよりも明かりも足もとも悪い中、走り回って宿屋を1軒1軒、調べたものである。「ならば」と、「池田屋騒動の跡地」に行こうかと思ったが現在はパチンコ屋が建っていることは、これまで何度も映像や写真で見たし、興ざめするだろうからやめておいた。代わりに見たのは、等間隔並ぶカップルたち。相も変わらずちゃんと並んでいる。しかも女の子二人が座っている場合でもきちんと等間隔は変わらず、さらにはおじさんがひとりですわっていたけれど、それもまた法則がしっかりと成り立っていた。おそるべし。

 そしてカノビアーノへ。歩いていたら横断歩道で内田先生と遭遇。ほっとひと安心。よくわからぬが、こういう瞬間がうれしい。
 
おいしい料理いただき、ワインをいただき、喉にささりっぱなしの魚の骨が勢いよく取れていくような感覚で疑問や謎が解決し、新たなるご縁を見聞きし、仏のおもしろさに触れて帰ってきた。至福のときである。

 釈先生、ほんとうにごちそうさまでした。とてもおいしかったです。おもしろかったです。ありがとうございました。
 フジモトサン、今回もまた、いろいろとご心配をしていただき、ありがとうございました。ワタシはこれでまたひとつ、京都が好きになりました。また行きますね。

7月19日(月)
 先日、『スパイダーマン2』を観た。

どうもワタシはこの手の話に弱い。

「この手の話」というのは、「真実を明かせない運命や立場にある主人公の苦悩とその周辺のもどかしさ」が描かれるドラマのことである。観ていると、ついつい寂しく切なくなるのはわかっているけれど、それを観ずにはいられないもの、あるいは結末がおよそ想像のつくものであってもこの切なさを感じたいがために(無意識にその感情を求めているのか)観てしまうもの、というのがここでいう「この手の話」である。(おそらく同じ話形としてあるのが藤子不二夫原作の『パーマン』だろう。これも大好きなマンガのひとつだ)。

「弱い」というのは単に「強い」の逆ではなく、「涙もろくなる」とか「涙腺がゆるむ」とか「心のどこかにふっと切ないものを感じる」といった具合の感情がどこかでふっと沸き起こる話に対する表現である。

「うう。泣ける…」、「なんでなの~?」と思うのはわかっていても、それに対さなければならないような気になるのだ。だから「弱い」とは、「ついついそこに行ってしまう我慢のきかない状態」を指すかもしれない。

 作品に関してあまり具体的な話をするとネタばれになるので書けないが、今回はほんとうに切ないドラマだった。全面に切なさが滲み出ている。

よって表面的なことを言えば、前作よりもきちんと進歩していたこと、前作を受けての相関関係がはっきりと描かれている点がよい。主人公を演じるトビー・マグワイアをはじめ、登場人物もすべて実際に年を重ねていても違和感がないのも○。これは前作から今回の作品までのあいだに、映画のなかでも同じように歳月が流れている設定が活きた結果だろう。(そう進歩するマンガなのである、これは)。

ストーリー構成は例によってかなり単純だけれど、その分明快だ。
誰とどれの関係で何が起こったか、これとあの時のことでいまがどうなっているのか、が、かなりわかりやすく描かれている。

おかげで、「映画」という感覚に浸れるから楽しい。あまりに現実と映画と物語がごっちゃになるようなものは、観ていて結構疲れる。

見終えたあとは興奮冷めやらぬ状態で、クモの糸を飛ばす仕草を真似する以外、ほとんど何も覚えていなかったが、前作について少し物語のなかから考えてみたことがあったので、いくらか時間を置いた今、思い出しつつ分析をしてしまうときがある。

こうなったらもう一度観に行こうか。でも、映画館って真っ暗だから、見ながらメモもとれないしなあ。DVDが出るまで待つとするか。

7月18日(日)
 ちゃんとご飯を食べないと、ちゃんと頭が働かない。

 こんな暑い夏だからこそ、ご飯はちゃんともりもり食べよう。食べよう。太らない程度に食べよう。

7月17日(土)
 暑いよ。掃除したら、さらに暑いよ。

7月16日(金)
 あね象と花火とした。今年初めての花火をした。

夏に花火をしたのは何年ぶりのことだろ。(いつもしているのは、ありゃもう「秋」のことだからね)。

 あね象は楽しそうである。きっと花火とするのが、久しぶりなんだろうな。

 きれいだった。花火がとてもきれいだった。

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