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どうもワタシはこの手の話に弱い

7月23日(金)
 昨日とだいたい同じような感じ。少し涼しかったかしら。
朝かから仕事。あーだよ、こーだよ、と勝手に進めるうち、少しずつではあるが、だいぶそれらしい形になってきた気がする(だけ?)

 喉が渇いたので、グレープフルーツを買って、搾ってみる。

7月22日(木)
 朝から仕事。あーでもない、こーでもないと頭を捻らすうち、もごもごとではあるが進んでいく気がした。

 おなかが空いたのでカルボナーラをつくってみる。

7月21日(水)
 仕事が山のよう。でも、今日のことは今日のうちに全部片付けた。こうでなくっちゃ。

7月20日(火)
 京都に行く。

 「せっかく京都行くんだから朝からお寺のひとつでも参ろうじゃないの」と前日までは急な意気込みで、空いた時間なんかには電車やらバスの乗り合わせ、行く先々のしたいことなど、おぼろげの計画を組んでいた。しかしその日の朝になって、あまりによく鳴り響くセミの声を聴いた途端、同時にあまりに暑そうな太陽のぎらぎら具合を感じたので、午前は静かにうちにいることにした。ごそごそと仕事などして過ごす。
ちらっと見たお昼のニュースでは、東京の気温が瞬間的に39.5度。観測史上7月では最高らしい。(そりゃあそうでしょな)。京都も同じくらい暑かったかもしれない。

 昼が近くなり、慌ててうちを飛び出して阪急電車に乗って四条大宮へ。午後の部で予約していただいた本願寺拝観ツアーに行くためである。(こういうのがあるのだ)。
先日、面倒くさがりなワタシのためにフジモトさんが予約してくださったのである。(フジモトさん、どうもありがとうございました)。

 とはいえ、ここも予定調和には行かない。本来、京都の地図が頭にない人間、加えて京都経験が少ない人間には、もう訳がわからない。ひとつの通りと次の通り、あるいは筋から筋までがかなり離れている。

「この辺でいいだろう」と適当にバスを降りたのがとんだ大間違いで、結局目的地の本願寺よりも手前で降りてしまった事が発覚。追いかけたって戻っては来てくれないし、暑いし、歩くのが面倒になるし・・・。で、結局タクシーはいつもわんさか状態の京都。目の前をとおったひとつを捕まえて、お寺を目指す。

「歩いたら、そこなんやけどねえ…」と、あまりにぜいぜい暑そうに飛び込んだのがわかったのか、よそ者なのが一瞬にしてわかったのか、笑いながらも運転手さんは親切に乗せてくれた。しかも初乗りがここいらより安い。いいところだ。

ぎりぎりに飛び込んだので、拝観ツアーの客のなかでは、どうやらワタシが最後の到着だったらしい。といってもまだ始まってなかったので、別に最初も最後もないですが。

さて、普段は見られない国宝や重要指定文化財などのある書院をざくざく拝観する。

飛雲閣に、対面所である鴻の間、一の間、二の間、三の間、北の能舞台、南の能舞台などである。壁や天井、襖についたて、欄間など、多くのものを見ていくうち、「よくまあこれほどまでに掘り込んだり、細かく描き記したりしたものだなあ」と思わされるものばかり。細かいところで遊び心いっぱいの天井や壁や光の加減で見える松などをしんみりと見ていると、日本人の不思議さと、これはいったいどこから来たのか、そのルーツが急に気になりだした。

日本人だからどうとか、こうとかいうわけじゃないんだけれど、ワタシはそういう場所に行ったり観たり話したりすることが、別に嫌いではない。嫌いどころか、仏や寺に入って手を合わせることに、その建造物を見ることに、どこかでおもしろい印象と手前勝手なご縁を感じる。いやな印象はまったくない。

拝観ツアーが終わる頃、阿弥陀堂にて夕方の礼拝(らいはい?)があるらしく、せっかくなのでうやうやしく参加する。本来は御影堂(ただいま平成の大修復中)にあるはずのご本尊が安置されている場所である。(で、いいのですよね?フジモトさん)。

さて、これで終了・・と、本願寺を後にしようとしたところで、この度非常にお世話になっているフジモトさん(勤務中)にご連絡し、ご登場していただくことになった。そして、あの新撰組が西本願寺に構えたと言われる太鼓楼にお連れ頂く。大河ドラマの関係もあるけれど、基本的に新撰組が好きなので(知る人ぞ知る「銀ちゃん」だもんね!!!)そのなかは見ることができなくとも、ひとり勝手に歴史のつながり感じ、わくわくしていた。

「ああ、この辺をうろうろしていたのか」とか、「壬生寺があっち方角だから、そこから走ってきたんだろう」なあなど。あ、青い何かを買おうと思って買いそびれた~。わーん。

ほかには本願寺のグッズや本、おみやげなどのご説明をいただき、それが何たるものに使うのか、どういうものなのか貴重なお話をしていただく。記念に一筆箋を購入。

バス停の位置をお教え頂き、ワタシは京阪三条へ。

 今度は迷わずちゃんと着く。というかこの辺は、唯一京都内でもまだ意味が変わる辺りである。

 ちょっと「池田屋事件」にかこつけて、四条から三条の鴨川沿いを歩いてみた。

実際は何の関係もないかもしれない場所かもしれないけれど(八坂神社で待ち合わせた彼らがどこをどう歩いたのかよく知りませんが、ここいらは歩いてないかもしれない)、とにかく結構長い。かなり長い。苦になる長さではないけれど。

よくまあ、こんなところを(たぶん)しかも夜中に、きっといまよりも明かりも足もとも悪い中、走り回って宿屋を1軒1軒、調べたものである。「ならば」と、「池田屋騒動の跡地」に行こうかと思ったが現在はパチンコ屋が建っていることは、これまで何度も映像や写真で見たし、興ざめするだろうからやめておいた。代わりに見たのは、等間隔並ぶカップルたち。相も変わらずちゃんと並んでいる。しかも女の子二人が座っている場合でもきちんと等間隔は変わらず、さらにはおじさんがひとりですわっていたけれど、それもまた法則がしっかりと成り立っていた。おそるべし。

 そしてカノビアーノへ。歩いていたら横断歩道で内田先生と遭遇。ほっとひと安心。よくわからぬが、こういう瞬間がうれしい。
 
おいしい料理いただき、ワインをいただき、喉にささりっぱなしの魚の骨が勢いよく取れていくような感覚で疑問や謎が解決し、新たなるご縁を見聞きし、仏のおもしろさに触れて帰ってきた。至福のときである。

 釈先生、ほんとうにごちそうさまでした。とてもおいしかったです。おもしろかったです。ありがとうございました。
 フジモトサン、今回もまた、いろいろとご心配をしていただき、ありがとうございました。ワタシはこれでまたひとつ、京都が好きになりました。また行きますね。

7月19日(月)
 先日、『スパイダーマン2』を観た。

どうもワタシはこの手の話に弱い。

「この手の話」というのは、「真実を明かせない運命や立場にある主人公の苦悩とその周辺のもどかしさ」が描かれるドラマのことである。観ていると、ついつい寂しく切なくなるのはわかっているけれど、それを観ずにはいられないもの、あるいは結末がおよそ想像のつくものであってもこの切なさを感じたいがために(無意識にその感情を求めているのか)観てしまうもの、というのがここでいう「この手の話」である。(おそらく同じ話形としてあるのが藤子不二夫原作の『パーマン』だろう。これも大好きなマンガのひとつだ)。

「弱い」というのは単に「強い」の逆ではなく、「涙もろくなる」とか「涙腺がゆるむ」とか「心のどこかにふっと切ないものを感じる」といった具合の感情がどこかでふっと沸き起こる話に対する表現である。

「うう。泣ける…」、「なんでなの~?」と思うのはわかっていても、それに対さなければならないような気になるのだ。だから「弱い」とは、「ついついそこに行ってしまう我慢のきかない状態」を指すかもしれない。

 作品に関してあまり具体的な話をするとネタばれになるので書けないが、今回はほんとうに切ないドラマだった。全面に切なさが滲み出ている。

よって表面的なことを言えば、前作よりもきちんと進歩していたこと、前作を受けての相関関係がはっきりと描かれている点がよい。主人公を演じるトビー・マグワイアをはじめ、登場人物もすべて実際に年を重ねていても違和感がないのも○。これは前作から今回の作品までのあいだに、映画のなかでも同じように歳月が流れている設定が活きた結果だろう。(そう進歩するマンガなのである、これは)。

ストーリー構成は例によってかなり単純だけれど、その分明快だ。
誰とどれの関係で何が起こったか、これとあの時のことでいまがどうなっているのか、が、かなりわかりやすく描かれている。

おかげで、「映画」という感覚に浸れるから楽しい。あまりに現実と映画と物語がごっちゃになるようなものは、観ていて結構疲れる。

見終えたあとは興奮冷めやらぬ状態で、クモの糸を飛ばす仕草を真似する以外、ほとんど何も覚えていなかったが、前作について少し物語のなかから考えてみたことがあったので、いくらか時間を置いた今、思い出しつつ分析をしてしまうときがある。

こうなったらもう一度観に行こうか。でも、映画館って真っ暗だから、見ながらメモもとれないしなあ。DVDが出るまで待つとするか。

7月18日(日)
 ちゃんとご飯を食べないと、ちゃんと頭が働かない。

 こんな暑い夏だからこそ、ご飯はちゃんともりもり食べよう。食べよう。太らない程度に食べよう。

7月17日(土)
 暑いよ。掃除したら、さらに暑いよ。

7月16日(金)
 あね象と花火とした。今年初めての花火をした。

夏に花火をしたのは何年ぶりのことだろ。(いつもしているのは、ありゃもう「秋」のことだからね)。

 あね象は楽しそうである。きっと花火とするのが、久しぶりなんだろうな。

 きれいだった。花火がとてもきれいだった。

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2004年7月25日 11:32に投稿されたエントリーのページです。

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