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2006年08月 アーカイブ

2006年08月06日

テニスで明け暮れ夏休み

8月6日(日)

2日から4日までは、インターハイに出場する教え子たちの応援のために大阪へ。

せっかく大阪まで行くのだからと、内田先生のところに連絡をしてみると、「3日はあいてますからぜひどうぞ」とおっしゃっていただいたので、3日間の休暇をいただき「インターハイ応援&本部連盟にて麻雀」ツアーとは相成ったのである。

さて、インターハイの方は2,3日が個人戦、4日が団体戦という日程であった。2日、教え子であるK学園高のK原崎・K谷ペアの試合時間(スガイ監督からは「10時ころだと思います」と言われていた)に合わせて浜松を出発することにした。今回の使用車は、ヨッシーの「ええい道あけろい!」スカイラインである。車内は狭苦しいが、高速道をクルージングするにはもってこいの車である。すいすいと東名、伊勢湾岸道をとばして、亀山のパーキングで小休止。

ここでちょっとしたハプニングがあった。件のパーキングで車を止めようとした際、ヨッシーが「あれ財布じゃない?」と言うのである。右前方に財布らしき物体が落ちている。とりあえず車を停め、車外に降りたヨッシーが拾ってみると、はたして財布である。「おいおい、ホントに財布だよ。現金入ってんの?」と確かめてみると、○万円近くの現金が入っている。「どうする?」とヨッシーと顔を見合わせる。
「とりあえず、売店の人とかに預けちゃいましょうか」
「うーん」
「持ち主に連絡してあるからって言ってから預けた方がいいすね。何か身元とかわかるようなもの入ってないすか?」
どれどれと財布の中に入っていたカード類等を見てみると、中から身分証明書が出てきた。高校生だ。愛知県立○○高校の学生証が出てきたのである。すぐにヨッシーが104に電話して、その高校の電話番号を確認する。番号をプッシュしたところで「ハイ」と受話器をこっちに回す。ったく、いつもこういう役回りなのだ。
「あのー、そちらの在学生の身分証が入った財布を拾ったんすけど。場所は、東名阪道の亀山パーキングす」
在学の確認をしてもらったところ、「確かに本校の生徒です」とのこと。
「じゃあ、亀山の料金所出たところの事務所に財布預けときますから、そちらに取りに行ってもらうよう連絡してやってください」と言って、手前のケータイ番号を教え、電話を切った。
料金所事務所に財布を預けてからしばらくしてケータイに連絡があった。「○○高校のテニス部顧問の○○です。お財布拾っていただいたそうでありがとうございます。また、本人からも連絡させますので」
はあ?テニス部顧問?
「きっと落とし主はテニス部員で、その高校の主力選手を連れて先生が車で大阪まで見学に連れていく途中だったんじゃないすか?」とヨッシー。
「それなら、もっと早く連絡くれればインハイの会場まで持っていってあげたのにな。でもま、いっか」
「きっといいことしたんで、試合も勝ちますよ」とヨッシー。

これでだいぶ時間をロスした。とても試合予定時間である10時までには到着できそうにない。インターハイの試合は、たとえ個人戦の1回戦とは言え、対戦相手はその県の代表選手たちである。そう簡単に勝てるものではない。会場に着いたらもう試合が終わって負けていたということも十分にあり得る。逸る気持ちで大阪へと急ぐ。

会場まであと10キロを切ったところで、渋滞にハマってしまった。もう10時は過ぎている。
「まあ、途中でハプニングがあったんで、試合見れなかったとしても許してもらえるよな」
「でも、ひょっとして進行が遅れてるかもしれないじゃないですか」
などと話しながら、30分遅れで会場に到着。でも、試合会場には観戦者用の駐車場はない。会場からやや離れたところにある駐車場に車をおいて、シャトルバスで会場入りしなくてはならないのである。

試合をするコート番号は聞いていたので、既に10時45分くらいであったが、汗を拭き吹きそのコートへと急ぐ。と、見覚えのある姿が見えた。ちょうどKKペアが試合をしていたのである。間に合った!よかった!でも、ゲームは劣勢である。慌てて声援を送る。「私だ、メロスだ!」って違うってば。ウソか誠か、私たちが到着直後からKKペアが挽回し始めた。勝敗はタイブレークに。先にマッチを握ったのはKKペア。しかし、そこから相手に粘られ逆にマッチポイントを取られてしまう。しかし、そこをしのいで再びマッチ。最後は前衛のK谷が決めてゲームセット。いやはや、大阪まで応援に来た甲斐があった。結局、KKペアは次の試合で敗れて、翌日の試合はなくなった。しかし、全国大会で1回戦は突破したのである。立派なものだ。しかも、まだ団体戦もあるのだ。

その日の夜は、大阪の中体連ソフトテニス部委員長であるシモムラ先生とミナミの千日前で落ち合い、先生お薦めの道頓堀の焼肉店にて小宴。いやあ、ほんとうに美味しい焼肉であった。暑い一日だったから、ビールが水のように飲めてしまう。

翌日は、個人戦2日目に残ったK学園高のもう1ペアの応援。夕方からは内田先生宅にて「うなぎを食べてビールを飲んで麻雀」大会だったから、ナンバからバスで会場入り。K学園高ペアは、次々と強敵を撃破したが、16本取りで個人戦準優勝したペアに敗れてベスト32。しかし、いい試合を見せてもらった。

ちょうど昼に試合が終わったので、そのままヨッシーと神戸に移動する。昼食に本場神戸の「そばめし」を食べようとの目論見である。昼食後は例によってジュンク堂やらHMVやらを回って買い物。HMVでチャールズ・アイブズの交響曲全集を見つけた。こういう掘り出し物を見つけるのが何とも楽しい。

さて、内田先生のところへは夕方5時にお伺いするとのことであったので、4時に浜松から新幹線で駆けつけてきたオノちゃんと合流し、芦屋駅の地下生協で買い出し。先生は、その日の午後大学にて会議が入っているとのことであったから、「もうお戻りですか?」とのメールを入れたが返信がない。ひょっとしてもう帰ってるかも、とご自宅のインターホンを押してみると、「どうぞ」と返事が返ってきた。どうやらイワモっちゃんの声だ。試合を終え、宿舎移動の準備もそこそこに駆けつけてきたK学園高のスガイ先生とも合流して、いざ先生宅へ。

リビングではもう対局が始まっていた。すぐにオノちゃんとヨッシーがうなぎを調理し始める。イワモっちゃんは、先日神戸にてうなぎの白焼きを食したそうなのだが、「どうも浜松うなぎと味が違いすぎるんですよね」と言っていた。その違いを確認してもらうために、まずはイワモっちゃんに白焼きを生姜醤油で食べてもらう。そのイワモっちゃん、食してしばらく瞑目後、「わかった、脂の乗りと皮のパリパリ感だ!」と宣わった。浜松の人間は、地元以外ではほとんどうなぎを食べない。だから、大阪や神戸のうなぎがどんな味なのかよく知らないのだ。でも、こうやって双方のうなぎを食したことのある人から言わせると、やはり浜松のうなぎは美味らしい。みなさんに喜んで食べてもらって何よりである。

今回は、内田先生にぜひお聞きしたいと思っていたことがあった。対局の合間にそのことをお話しした。先生からは力強い後押しをいただいた。それをお聞きしただけでも、来た甲斐があった。お話の後は麻雀。しかし、今回はまったく勝てなかった。詳しい結果は、先生の日記にあるとおりである。多くは語るまい。しかし、これで本部との対戦は1勝1敗である。次回こそ、支部の強さを再確認していただき、「浜冦恐るべし」と知らしめるのである。先生、また次回の対戦を楽しみにしています。ありがとうございました。

明けて4日は団体戦。K学園高は見事初戦を突破し(KKペアも勝ち)2回戦へと駒を進めたが、その2回戦はシード校と対戦し、3番勝負の末に敗退。しかし、K学園高のテニスは全国大会で十分に通用するということを証明できたように思う。教え子たちの善戦を含め、応援に来てよかったと実感させられたインターハイであった。会場を後にする前、この試合で引退するK原崎と一緒に写真に収まる。本当によくがんばったと思う。労う言葉とてなかったが、ひと言「ごくろうさん」とだけ声をかけ、大阪を後にする。

さて、8日からは東海大会である。明日の午後には、四日市へと移動して大会に備える。いやはや、テニスに明けテニスに暮れる夏休みである。

インハイ会場にてK原崎選手と

2006年08月13日

おかげさまで全国大会出場

8月11日(金)

謹んでご報告させていただきます。おかげさまで、全国中学校ソフトテニス大会(男子個人戦)への出場が決定いたしました。

三重県四日市市にある四日市ドームにて、8,9日に行われた東海大会では、団体戦が3位、個人戦は6位という結果で、残念ながら団体戦では全国大会への出場が叶わなかった(団体は2位までが全国大会に出場)が、個人戦では6位に入賞し、全国大会への出場権を得ることができた(東海ブロックからは個人戦は7位までが全国大会に出場)。

正直、団体・個人戦ともに望外の結果だったと言ってもよい。試合の組み合わせを見るかぎり、団体戦も個人戦も強豪校ばかりとの対戦が予定されていたからだ。

その団体戦、初戦は愛知2位との対戦であった。前日、四日市市の市営コートを借りて練習をしているときにちょうどその学校も来ていて、隣のコートで練習マッチを行っていた。見るとはなしに様子を伺いながら、どんなテニスを展開するのかを確認することができた。

本校は第2試合だったので、2回戦での対戦が予想される三重1位×岐阜4位校の試合を見ていた。三重1位校は、優勝候補との前評判の高いチームである。その三重1位、トップは楽勝したが、2番目のチームが接戦の末に敗退、3番勝負もシーソーゲームを展開していた。そのうちにコールがあり、本校チームは選手控え所に待機となった。試合の行方が気になる。と、対戦していた岐阜県4位校のコーチがベンチから立ち上がり、「やったぞー!」とガッツポーズをしているのが見えた。三重1位は、初戦で敗退してしまったのである。内心ほくそ笑んだのは手前だけはあるまい。

その三重1位校であるが、実はその学校も前日の練習で市営コートに来ていた。もちろん、よ~く観察させてもらった。練習は主に基本が中心であったが、確かに技術的なレベルは高い。後衛はよく打つし、前衛も動きがいい。しかし、「もし対戦したら、こうすれば勝てるかもしれない」という策がなかったわけではない。それは練習内容を見ていて感じたことである。果たして、初戦敗退であった。これで2回戦の相手は多少とも「与し易し」となったが、その前にまずこちらが初戦を突破しなければならない。

試合が始まった。トップの大将ペアは特に苦戦することもなく勝ったが、次のペアがどうもよくない。前日の練習で、相手チームはレシーブを前衛の近くに打ってくることがわかっていた。だから、真ん中のペアの前衛にはディフェンスの堅い選手を入れた。ところが、相手の打球コースに入ってもボールが抜けてしまい、次々にポイントを奪われてしまう。結局そのまま敗戦し、勝負は3番に。その立ち上がり、最初のゲームこそ競り合いになったが、次のゲームを取ってからはモメンタムを引き寄せてそのまま快勝、まずは初戦をクリアすることができた。

次は、初戦で三重1位を破った件の岐阜4位校との対戦(準々決勝)である。東海大会の団体戦は、東海4県(愛知・岐阜・三重・静岡)から4校ずつ、計16校によるトーナメントで行われる。1回勝てばベスト8、2回勝ってベスト4、3回戦を突破すれば決勝進出である。そして、決勝に進出した学校だけが全国大会へと出場できる。たった3試合だけ勝てばいいのであるが、その3試合を勝つことが難しい。何せ、出場校はすべて各県の予選を勝ちぬいてベスト4に入賞した学校ばかりだからである。

その準々決勝、互いに大将ペアをトップに置き、2番手ペアを殿に置いたオーダーでの対戦になった。相手は優勝候補の一角である三重1位を倒して勢いに乗るチームである。油断はできない。大将戦、常にゲームをリードするが相手に粘られてタイブレーク、5-5から何とか勝つことができた。2番目のペアは、先行され追いつく展開からようやくリードを奪ったが、これもタイブレークにもつれ込む。勝敗の行方は混沌としていたが、相手のミスにも助けられて勝つことができた。相手の3番は後衛が何本でもボールを打ち返す選手だったから、3番勝負になったら勝っていたかどうかはわからない。とりあえず、3番に回らなくてよかったと安堵する。これでベスト4。

次は、いよいよ全国大会出場をかけて、岐阜1位との対戦である。このチームは、全国小学生大会で準優勝した選手たちを主力にして、昨年度の東海大会では団体優勝している。三重1位校とは優勝候補の双璧と言われていた。相手にとって不足はない。

オーダーを書いて提出しようとしたときに、大将ペアの前衛が「先生、相手の大将ペアはかなり強いから、僕たちを2番目にして、3番勝負になるようにしてください」と言いにきた。この選手は、他チームの試合もよく見ていて、それぞれの選手のこともよく研究している生徒である。市内大会から今まで、団体戦では大将ペアは常にトップ起用であった。この選手がこういうことを言うのは珍しい。後から思えば、この選手の言うとおりにしておいた方がよかったのかもしれない。「でもなあ、やっぱり大将は大将なんだからトップでいこうや」と話をして、実力順にオーダーを組んだ。

全国大会出場をかけて、準決勝が始まった。コートは2面展開である。予想以上に相手は強かった。両ペアとも、すぐに2ゲームを先行され、大将ペアはそのあと1ゲームを取り返したが、2番手ペアはあっという間に0−3。こうなると、なかなか流れを変えるのが難しい。そうこうしているうちに、大将ペアもゲームカウント1−3、2番手ペアはそのままストレート負けしてしまった。旗色は悪い。その後大将ペアはもう1ゲーム取り返したものの、そこで力尽きる。団体戦での全国大会出場はならなかった。

翌日は個人戦。個人戦は、各県から8ペアずつ、計32ペアが4ペアずつ8ブロックに分かれてのリーグ戦を行う。そのうち、リーグ1位のみが決勝トーナメントへと進出できる。リーグ1位になると同時にベスト8というわけである。全国大会に抜けるのは7位まで。「何で8位までじゃないんだ!」と言いたくなるところであるが、規定は規定である。決勝トーナメントは、1試合だけ勝てば全国大会出場が決定する。しかし、順位決定戦を全て負けると、「8位」ということで全国大会へは出場できない。トーナメント進出者が最も恐れるのは、自分たちが8位に沈んでしまうことである。

本校ペアのリーグ戦最大の難関は、岐阜1位ペアとのリーグ最終戦であった。そのペアは、前日団体戦で負けている学校の選手たちをなぎ倒して、見事岐阜県優勝を勝ち取ったペアである。どころか、この春に行われた都道府県対抗戦では、全国3位に入賞した実績もあるそうだ。「だけど、やってみなきゃわかんないよ」と選手たちを送り出した。策がなかったわけではない。試合が始まった。ゲームの最初の段階で、相手前衛に取られそうなコースにわざと打たせてみた。案の定、そのコースのボールは全て取られてしまう。ならば、と後衛選手に指示して作戦を変更する。それが奏功して、ゲームカウントは3−1。相手が焦りだしているのが手に取るように感じられる。その後1ゲームを取り返されたが、相手の反撃もそこまでであった。これでリーグ戦を1位通過した。

さて、トーナメントである。トーナメント進出ペアを確認すると、どのペアも実力のあるペアばかりである。「これじゃあ1回勝つのは至難の業だあ」と意気消沈してしまう。しかし、選手たちはやる気であろう。監督が弱気になってはいられない。その初戦、相手は愛知3位のペアであった。愛知県からは四日市に近いということもあってか、その学校は大応援団で声援を送ってきた。その声援に押されてか、相手はすばらしく気合いの入ったボールをびしびしと打ってくる。2−4で敗戦。

トーナメント1回戦で敗退したチームは、すぐに順位決定戦に回る。そこで勝てば5,6位決定戦へ、負けると悪夢の7,8位決定戦へと回らねばならない。このころになると、本校の後衛選手もかなり疲労していた。どうしても次は勝たねばならない。相手は愛知県優勝のペア。しかし、もうこの段階になると、県大会の順位などあてにはならない。ひたすら気力だけの勝負なのである。

試合が始まった。ゲームは一進一退。1本決まるたびに、双方の選手が肩で大きく息をしている。サイドチェンジのときのコーチも、もう技術的なアドバイスは通用しない。「もうここからは気持ちだけなんだ」と言い聞かせる。ゲームカウント2−2から、次のゲームを取ってようやくこちらに流れが来始めた。相手のミスにも助けられ、そのまま4−2でゲームセット。全国大会への出場が決まった。

こうなれば、5位決定戦など気楽なものだ。相手は三重県優勝のペアであったが、特に具体的な指示はせず、選手に任せることにする。結局、2ゲームは取ったもののそこで集中力がなくなって6位。でも、何より「全国大会出場」という大きなご褒美がついているのである。

監督として全国大会に出場するのは、9年ぶり6回目。今年の全国大会は四国ブロック(松山市)開催である。前回、全国大会に出場したのも四国ブロック(徳島)のときであった。四国には何かと縁があるのだろうか。

この選手たちを育ててきたのは、何と言っても前任のモリ先生である。手前は、そのおいしいところだけをいただいたようなものだ。学校に帰ると、そのモリ先生が満面の笑みで待っていてくれていた。がっちり握手!ヨッシーが小宴の手筈を整えてくれていたので、いつもの居酒屋にて祝勝会。そうそう、書き忘れていたが、男子個人戦を制したのは、何と同じ浜松の旧市内の学校のペアであった。個人戦の前日、その学校の監督さんと飲んでいたのだ。「明日は “1ゲームは取ろう”が合言葉です」と言っていた。無欲の勝利であろう。それにしても、すばらしい結果を出してくれたものだ。

全国大会への出場はもちろんうれしいのであるが、予定外の松山行きが入ったことから、夏休みの予定を大幅に変更しなければならなくなった。ばかりか、宿舎の手配、新幹線の予約、市への出場報告、激励会への出席、東海大会の結果報告や経理報告など、片付けなければならないことが山ほどある。大会は17日が午後から監督会議と開会式、18日が個人戦である。練習もしなければならないから、16日には浜松を出発する予定である。いつ試合が終了するのかわからないので、18日はそのまま宿泊して19日の朝に松山を発つ。

おっと、その前に明日から3日間は、毎年浜松で開催している県外チームを招いての研修大会である。いったい、今年の夏はいつになったらゆっくり休めるのであろうか。ええい、こうなったら全国大会は「単なる物見遊山」を決め込み、道後温泉でのんびりしてこようか。でも、きっとそうはいかないんだろうなあ。まだまだテニス漬けの日々が続く夏休みである。

2006年08月20日

ベスト16のご報告

8月20日(日)

全国大会から帰ってきた。

結果はベスト16。申し分のない結果である。ほんとうによくがんばったと選手を讃えたい。

台風の接近で、インドアでの試合になるかと心配されたが、当日の朝は雨が降ったり止んだり。大会本部から宿舎に、「予定どおり実施します」との連絡が入る。会場に到着し、試合前の練習を始めたころからまた雨が降ってきた。そんな中、第1試合が始まった。

本校ペアは第4試合。試合まではしばらく間があるから、ゆっくりアップができる。いつものように、本校ペアはのんびりと準備をしていた。相変わらず雨は降ったり止んだり。時折、スコールのように激しい雨も降ってくる。そうなると試合は中断である。予定時間よりもだいぶん遅れながらの試合進行である。

浜松からもう1ペア参加していたH星中のペアの試合が始まった。試合は一進一退のままタイブレークにもつれ込んだが、最後はH星中の後衛選手が力尽きて初戦敗退。彼らは東海大会の個人戦を制したのだが、それでも初戦を突破するのは難しいというところが全国大会なのである。

さて、本校ペアの初戦の相手は東北2位のペア。出場選手名簿を確認すると、1,2年生のペアである。もちろん、ジュニア育ちの選手であろう。どんなペアなのかはわからないが、とにかく自分たちのテニスをするだけである。予定時間になったので選手待機所に向かうが、なかなかコールされない。雨はひどくなる一方。しかし、ちょうど本校ペアがコールされたころから雨が止んできた。審判の誘導で選手とともにコートへと向かう。

1回戦が始まった。本校ペアのサービス。本校の後衛選手は強力なサービスを持っている。サービスゲームをキープするのが本校ペアの勝ちパターンである。難なく最初のゲームを取ってサイドチェンジ。次のレシーブゲームは落としたものの、再びサービスをキープしてリードし、そのまま流れをものにして初戦を突破する。これで目標は達成である。「とにかく1勝はしよう」というのが目標だったからである。

全国大会の個人戦は、9ブロック(北海道・東北・関東・北信越・東海・近畿・中国・四国・九州)の予選を勝ち抜いた計64組のトーナメントで行われる。3回勝ってベスト8に入れば、5位の表彰がある。でも、とてもそんな計算はできない。何せ、参加選手はどのペアも熾烈なブロック予選を勝ち抜いてきた強豪揃いだからである。

初戦突破の目標が達成されたためか、2回戦の予定時間を確認し忘れた。後衛選手が、「次は午後2時半ですよね」とドローを見ながら言っていたので、「はあそんなに遅くになるんだ」などとのんびり構えていたのがとんでもないことになった。1回戦が終了して40分ほどたったころ、放送で「静岡県の…」と本校ペアがコールされているではないか。えっ?試合?まだだろ?と思って進行表を確認すると、はたして招集予定時間をとっくに過ぎている。どうやら、ウチの後衛選手は時間を見間違えたらしい。ちゃんと確認しなかった手前も監督失格である。慌てて、他コートの試合を見ていた選手を呼びに行き、大急ぎで招集場所へと向かう。

控え所役員たちの冷たい視線を感じつつ、審判には「すみません、時間を勘違いしていました」と平身低頭、対戦相手の九州3位ペアのコーチにもお詫びを申し上げる。「もう、いいかげんにしてくださいよ。こっちはもう10分以上も待たされてるんだよ!」と語気を強めて非難される。返す言葉もない。「試合でお返しをいたします」と心中でつぶやく。審判からは、「招集に遅れたので、イエローカードを出します」と言われる。当然のことであろう。「ハイ、わかりました」と素直に従う。

2回戦が始まった。さてゲーム開始、と思いきや、またもや相手コーチが審判に何か言っている。「おいおい、何も非難されるようなことしてないぞ」と思っていたら、どうやら相手後衛選手のガットが切れてしまったらしい。ゲーム開始直前にガットが切れるなどとは何とも不吉な。これで相手後衛はボールをコントロールできないであろう。

ゲームが始まった。最初のゲームこそ取られたものの、相手前衛の動きを確認した2ゲーム目以降は次々とポイントを重ねて3ゲームを連取。相手後衛はやはり要所でボールが入らない。続く第5ゲームは落としたものの、次のゲームは難なく取ってゲームセット。これでベスト16。出来過ぎである。

続く3回戦は、ほとんど待機時間がない。またもや同様の失敗を繰り返すわけにはいかないから、すぐに招集場所へ戻って待機。「とりあえずトイレに」と行っている間に、選手が誘導されていた。慌てて選手のあとを追いかける。選手から、「先生、どこ行ってたんすか?審判から監督さんどこ行ったの?と聞かれちゃいましたよ」と言われてしまう。もう、トイレすらゆっくり行けないのだ。

3回戦の相手は中国1位のペア。その後衛選手は、全国小学校大会で4年生と6年生のときには2回全国優勝をしているのだそうだ。2回戦の試合を見ていたのだが、強力なストロークを持っている選手であった。前衛の選手もスピードのある動きでポイント力が高い。難敵であろうと予想された。

雨の中、試合が始まった。こちらのサービスゲームから始まったのだが、いきなり後衛選手が2本連続ダブルフォルトをしてしまう。今までこんなことは一度もなかった。どうもゲームの入り方が悪いなあと感じていたが、そのままストレートで1ゲーム目を落としてしまう。続く第2,第3ゲームは、ポイントは競るのだが、要所でミスが出てゲームが取れない。あっという間にゲームカウント0−3。結局そのまま流れを変えることはできないままに敗戦、賞状が貰えるベスト8には手が届かなかった。

それでも、ベスト16は胸を張っていい結果だと思う。彼らは市内大会の個人戦は5位でスタートした。県大会で4位、東海大会では6位と、上位の大会になればなるほど力を発揮していった。強豪ペアも次々と撃破した。硬式をやっている後衛選手は、どちらかといえばすぐにゲームを投げる選手であった。でも、大会を通じて我慢の配球ができるようになった。前衛選手は、中学校からソフトテニスを始めた選手であったが、よくいろいろな選手を観察研究して実力をつけていった。特に、大会を通じてどんどんと競技レベルが上がっていった。そんな成長を見られたことが何よりもうれしい。

監督として9年ぶりに臨んだ全国大会であったが、いろいろと考えさせられることも多かった。9年前、ジュニア選手の台頭に「もう中学校からソフトテニスを始める選手では全国大会に出られないし、たとえ出ても勝てない」と実感し、しばらくソフトテニスの指導から距離を置いていたこともあった。前任校からまた指導を再開したが、やはり心のどこかには「ジュニアの選手でなきゃ」という蟠りはあった。

試合終了後に、前衛選手が「先生、こんなこと中学校からソフトテニスを始めたボクが言うのもなんですけど、ボクの技術でも全国大会で通用するってことがわかりました」と言った。そうなのだ。十分通用するのだ。先を見てどこかで諦めていたのは監督だったではないか。子どもに教えられるとは、いかにも情けない監督である。県大会以降、「もうここで負けだろう」というところで、彼らはことごとくその試合を勝ってきた。スポーツは筋書きのないドラマとはよく言われる。この夏の大会をとおして、彼らは監督が自分で勝手に描いた筋書きをほとんど覆してきた。すばらしい選手たちである。

7月1日から始まった中体連の夏季大会も、この全国大会をもってようやくその幕を閉じた。何とも長い夏であった。気がつけば、8月も残り10日ほどしか残っていない。ほんとうはゆっくり休みたいところであるが、出遅れた1,2年生の指導も急ピッチで行っていかなければならない。今回の松山行きでは、道後温泉にも入ることができたし、たまたま宿舎の近くだったので、かの『坂の上の雲』で有名な秋山兄弟の生家も見学することができた。何より、ソフトテニスの指導に再び希望の光が見えたということがある。倦まず弛まず、テニスの好きな子どもがいる限り、彼らとその行を共にしていくばかりである。

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