ベスト16のご報告

8月20日(日)

全国大会から帰ってきた。

結果はベスト16。申し分のない結果である。ほんとうによくがんばったと選手を讃えたい。

台風の接近で、インドアでの試合になるかと心配されたが、当日の朝は雨が降ったり止んだり。大会本部から宿舎に、「予定どおり実施します」との連絡が入る。会場に到着し、試合前の練習を始めたころからまた雨が降ってきた。そんな中、第1試合が始まった。

本校ペアは第4試合。試合まではしばらく間があるから、ゆっくりアップができる。いつものように、本校ペアはのんびりと準備をしていた。相変わらず雨は降ったり止んだり。時折、スコールのように激しい雨も降ってくる。そうなると試合は中断である。予定時間よりもだいぶん遅れながらの試合進行である。

浜松からもう1ペア参加していたH星中のペアの試合が始まった。試合は一進一退のままタイブレークにもつれ込んだが、最後はH星中の後衛選手が力尽きて初戦敗退。彼らは東海大会の個人戦を制したのだが、それでも初戦を突破するのは難しいというところが全国大会なのである。

さて、本校ペアの初戦の相手は東北2位のペア。出場選手名簿を確認すると、1,2年生のペアである。もちろん、ジュニア育ちの選手であろう。どんなペアなのかはわからないが、とにかく自分たちのテニスをするだけである。予定時間になったので選手待機所に向かうが、なかなかコールされない。雨はひどくなる一方。しかし、ちょうど本校ペアがコールされたころから雨が止んできた。審判の誘導で選手とともにコートへと向かう。

1回戦が始まった。本校ペアのサービス。本校の後衛選手は強力なサービスを持っている。サービスゲームをキープするのが本校ペアの勝ちパターンである。難なく最初のゲームを取ってサイドチェンジ。次のレシーブゲームは落としたものの、再びサービスをキープしてリードし、そのまま流れをものにして初戦を突破する。これで目標は達成である。「とにかく1勝はしよう」というのが目標だったからである。

全国大会の個人戦は、9ブロック(北海道・東北・関東・北信越・東海・近畿・中国・四国・九州)の予選を勝ち抜いた計64組のトーナメントで行われる。3回勝ってベスト8に入れば、5位の表彰がある。でも、とてもそんな計算はできない。何せ、参加選手はどのペアも熾烈なブロック予選を勝ち抜いてきた強豪揃いだからである。

初戦突破の目標が達成されたためか、2回戦の予定時間を確認し忘れた。後衛選手が、「次は午後2時半ですよね」とドローを見ながら言っていたので、「はあそんなに遅くになるんだ」などとのんびり構えていたのがとんでもないことになった。1回戦が終了して40分ほどたったころ、放送で「静岡県の…」と本校ペアがコールされているではないか。えっ?試合?まだだろ?と思って進行表を確認すると、はたして招集予定時間をとっくに過ぎている。どうやら、ウチの後衛選手は時間を見間違えたらしい。ちゃんと確認しなかった手前も監督失格である。慌てて、他コートの試合を見ていた選手を呼びに行き、大急ぎで招集場所へと向かう。

控え所役員たちの冷たい視線を感じつつ、審判には「すみません、時間を勘違いしていました」と平身低頭、対戦相手の九州3位ペアのコーチにもお詫びを申し上げる。「もう、いいかげんにしてくださいよ。こっちはもう10分以上も待たされてるんだよ!」と語気を強めて非難される。返す言葉もない。「試合でお返しをいたします」と心中でつぶやく。審判からは、「招集に遅れたので、イエローカードを出します」と言われる。当然のことであろう。「ハイ、わかりました」と素直に従う。

2回戦が始まった。さてゲーム開始、と思いきや、またもや相手コーチが審判に何か言っている。「おいおい、何も非難されるようなことしてないぞ」と思っていたら、どうやら相手後衛選手のガットが切れてしまったらしい。ゲーム開始直前にガットが切れるなどとは何とも不吉な。これで相手後衛はボールをコントロールできないであろう。

ゲームが始まった。最初のゲームこそ取られたものの、相手前衛の動きを確認した2ゲーム目以降は次々とポイントを重ねて3ゲームを連取。相手後衛はやはり要所でボールが入らない。続く第5ゲームは落としたものの、次のゲームは難なく取ってゲームセット。これでベスト16。出来過ぎである。

続く3回戦は、ほとんど待機時間がない。またもや同様の失敗を繰り返すわけにはいかないから、すぐに招集場所へ戻って待機。「とりあえずトイレに」と行っている間に、選手が誘導されていた。慌てて選手のあとを追いかける。選手から、「先生、どこ行ってたんすか?審判から監督さんどこ行ったの?と聞かれちゃいましたよ」と言われてしまう。もう、トイレすらゆっくり行けないのだ。

3回戦の相手は中国1位のペア。その後衛選手は、全国小学校大会で4年生と6年生のときには2回全国優勝をしているのだそうだ。2回戦の試合を見ていたのだが、強力なストロークを持っている選手であった。前衛の選手もスピードのある動きでポイント力が高い。難敵であろうと予想された。

雨の中、試合が始まった。こちらのサービスゲームから始まったのだが、いきなり後衛選手が2本連続ダブルフォルトをしてしまう。今までこんなことは一度もなかった。どうもゲームの入り方が悪いなあと感じていたが、そのままストレートで1ゲーム目を落としてしまう。続く第2,第3ゲームは、ポイントは競るのだが、要所でミスが出てゲームが取れない。あっという間にゲームカウント0−3。結局そのまま流れを変えることはできないままに敗戦、賞状が貰えるベスト8には手が届かなかった。

それでも、ベスト16は胸を張っていい結果だと思う。彼らは市内大会の個人戦は5位でスタートした。県大会で4位、東海大会では6位と、上位の大会になればなるほど力を発揮していった。強豪ペアも次々と撃破した。硬式をやっている後衛選手は、どちらかといえばすぐにゲームを投げる選手であった。でも、大会を通じて我慢の配球ができるようになった。前衛選手は、中学校からソフトテニスを始めた選手であったが、よくいろいろな選手を観察研究して実力をつけていった。特に、大会を通じてどんどんと競技レベルが上がっていった。そんな成長を見られたことが何よりもうれしい。

監督として9年ぶりに臨んだ全国大会であったが、いろいろと考えさせられることも多かった。9年前、ジュニア選手の台頭に「もう中学校からソフトテニスを始める選手では全国大会に出られないし、たとえ出ても勝てない」と実感し、しばらくソフトテニスの指導から距離を置いていたこともあった。前任校からまた指導を再開したが、やはり心のどこかには「ジュニアの選手でなきゃ」という蟠りはあった。

試合終了後に、前衛選手が「先生、こんなこと中学校からソフトテニスを始めたボクが言うのもなんですけど、ボクの技術でも全国大会で通用するってことがわかりました」と言った。そうなのだ。十分通用するのだ。先を見てどこかで諦めていたのは監督だったではないか。子どもに教えられるとは、いかにも情けない監督である。県大会以降、「もうここで負けだろう」というところで、彼らはことごとくその試合を勝ってきた。スポーツは筋書きのないドラマとはよく言われる。この夏の大会をとおして、彼らは監督が自分で勝手に描いた筋書きをほとんど覆してきた。すばらしい選手たちである。

7月1日から始まった中体連の夏季大会も、この全国大会をもってようやくその幕を閉じた。何とも長い夏であった。気がつけば、8月も残り10日ほどしか残っていない。ほんとうはゆっくり休みたいところであるが、出遅れた1,2年生の指導も急ピッチで行っていかなければならない。今回の松山行きでは、道後温泉にも入ることができたし、たまたま宿舎の近くだったので、かの『坂の上の雲』で有名な秋山兄弟の生家も見学することができた。何より、ソフトテニスの指導に再び希望の光が見えたということがある。倦まず弛まず、テニスの好きな子どもがいる限り、彼らとその行を共にしていくばかりである。