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2005年10月 アーカイブ

2005年10月 4日

麻雀的人間観察

10月1日 -甲南麻雀の会発足を祝って-

麻雀の打ち方には性格が現れる、と世間ではよく言われている。
内田先生は昔から慎重な麻雀だそうで、「石橋をたたいても渡らない」うち筋であると自己分析されていた。

江編集長は、点棒が目減りしてくると、すぐに「ここらが遣り回しやー。カンカン場やでー」とか、「なんじゃこれ、今世紀最悪の配牌やんけ」、などと、休む暇なくしゃべり続けている。

それに対して、「今世紀って、まだ始まったばかりじゃないですか」と釈先生がクールに返答されている。釈先生は、クールで慎重。手が入ると一気に勝負という、大変に洗練された麻雀を打つ。

越後屋さんは、アメフトで鍛えた太い腕が鬼ヅモを連発し、甲南麻雀会の記念すべき第一半チャンで、トップを獲得した。越後屋さんは私と歳が一つか二つしか違わないが、私よりもずっと大人で、丁寧なうち筋の上に鬼ヅモを持っておられるから、恐ろしい相手である。

かく言う私は、とてもむらっけの強いうち方で、私だけがどうやら性格と打ち筋が異なっているようだった。私の性格は寡黙で辛抱強く、常に熟慮の上に行動する。思いつきで物事を行うということがほとんど無い(だって東北出身だもの)。そんな性格の私が、なぜか麻雀になると、棒テン即リー全ツッパの猪突猛進モードで江編集長のアンコ爆弾に粉砕されたりする。
「いつでも猪突猛進」ならば、それはそれで大変潔く、そしてそれなりに有効な方法であるとも思われるのだが、私の麻雀には、そこにかなりの割合で「へたれモード」が混在している。そういうときの私は、「石橋を叩いて渡らない」どころか「石橋を叩きすぎて手首を骨折」しそうな勢いである(どんな勢いじゃ)。

9月の出来事

学会に出席するため9月の中旬に札幌に行ってきました。そして携帯電話を無くしました。携帯がないことに気がついたのは横浜のホテルの中でした。仕方がないので、横浜の街の「エーユー」のお店で新しい携帯電話を買いました。

「何でもいいから、今日すぐに持って帰ることができる携帯電話ください」というと、横浜の「エーユー」のお兄さんは、白い携帯電話を用意してくれました。

新しい携帯電話を使い始めて1週間ほどたった頃、古い携帯電話が札幌のタクシー会社から送られてきました。どうやら僕は、札幌市内のホテルから札幌駅まで乗ったタクシーの中で携帯電話を落としてしまったらしいのです。

2005年10月 7日

詩人はパンツをはかない

10月7日
詩人はパンツをはかない
自由な思考が奪われるからだ
パンツのゴムは詩人の
滑空するインスピレーションを阻害する

詩人は知人の地鎮祭で
一人ジントニックを飲んでひんしゅくを買う
うらやましそうに日本酒をすする
他人の目などはどこ吹く風だ

「義理で来てないのは俺だけだぜ」
知人の肩に手をまわして詩人がつぶやいたとき
言葉の切れ端をのせた小さな木枯らしが
夕暮れのテントの中に吹き込むのだ

10月6日
花は枯れてしまった
そしてものがたりが始まった
新しいものがたりは新しくて古い物語だった
若者は生きて老人が死ぬ
男が歩き女は走る
子供はコーラを飲み
大人になったらビールを飲む
新しい物語は悲しいくらいだった
だれもが花が枯れてしまったことを
忘れていなかったからだった

2005年10月23日

十本木ヒルズ族

10月22日(土)
根がなまけ者の性質である。
どこか自分を信用していないので、慌しくいつも何かしている。でも、そんなことばかりしていると疲れてしまうので、時々は息抜きをするようにしている。息抜きは気持ちがよい。だから、息抜きの時間は少しずつ長くなってしまう。
大学の中で息抜きをしていると、かなりの確立でNの先生にお会いする。忙しく働いている僕のささやかな休息時間に、Nの先生とよく遭遇してしまうのである。今日の午後だって、図書館の帰りにちょっと生協に足を延ばしたら、丁度タイミングよく(いや、悪く)Nの先生に会った。

Nの先生は、日本を代表するバイオサイエンスの研究者の一人である。お仕事にはとても厳しい先生であるが、ユーモアにあふれた気さくな方で、やさしく接してくださるのを幸いに時々お話をさせていただいている。知り合って最初の頃は、少しでも賢そうに見えるように取り繕ってみようかとも思ったのだが、先生は僕の日記を読んでくださっていて、僕が医者や研究をしながら、お能や合気道や、最近では麻雀までやっていることも全部知っていらっしゃる。これでは、どうあがいてみても仕方がない。先日は、堂島界隈の美味しいお店で(ちなみに『うち田』というお店でした)、美味しい料理とお酒をご馳走していただき、いろいろなお話をした(研究におけるエディプスコンプレックスとか、そういう刺激的な話も入っていた)。

生協で挨拶をすると、Nの先生は、開口一発「よく会うよなあ」「お前はいつも暇そうだなあ」などとおっしゃる。「真面目にやってんのか」と、首をかしげたりもする。

このくらいの攻撃で怯んではいられないので、「当たり前じゃないですか。いまも図書館で論文をコピーして、帰りにちょっと生協に来ただけですよ(CDを見に来たんだけど)」と言い返す。

すかさず先生は、「なんだかんだと口実を作って、その辺をうろついてるのとちゃうんか」と、たたみ掛けてくる。だいぶ疑わしそうな目をしている。けっこう怖い。ラボの研究員はきっと大変だと思う。
息抜きをしている手前、言い訳を繰り返すのもみっともないので、挨拶もそこそこに踵を返して、研究室へと戻った。生協と、壁の改装工事をしている図書館の間の道を通りながら、Nの先生との一連のやり取りを思い返してみた。確かによく考えてみると、自分が忙しいのか暇なのかよくわからなくなってくる。
本来、金曜日である今日は、一日実験に使える貴重な日なのだが、午後からは病院の注射当番が入っているし、6時からは関連病院の当直に行かなければならない。僕は、普段は当直の出張はしていないのだが、この出張は医局員の義務として当番がまわってくるのでどうしても行かなければならない。そうすると、せっかく一日実験できる金曜日でも、やれることは限られてしまう。限られた時間でやれる実験をしてしまえば、当然細切れの時間が余る。時間ができたら最初にすることは息抜きである。生来のなまけ者なので、これはどうしたって仕方がない。
細切れにできた時間を有効に使って何か生産的なことをすればよいということは、もとより承知している。しかし、そんなことが昔からできていたら、今頃僕は、十本木ヒルズ族である。単純計算でも、六本木ヒルズ族の1.6倍以上はお金持ちである。
言い訳はすまい。でも、よく考えてみると僕に対して、「お前はいつも暇そうだな」と意地悪を言うNの先生だって、僕に会っているときは外を歩き回っている最中だということになる。大人はいつだってずるいのだ。

世の中には私のように『暇いそがしい』生業に忙殺されている方も多いことと思う。出張の多いお仕事をされている人なんて、暇いそがし族の典型だろう。世界中の暇いそがし族の皆様、みんなで長生きを目指してがんばりましょう。


夕方からは、研究室から自動車で30分ほどのところにある、関連病院へ出張に行った。ここの当直は、ほとんど呼ばれることがなく、余程のことがない限り、一晩の時間を有意義に使うことができる。朝、家を出るときには、当直室で『風とともに去りぬ』を読もうと思っていた。年末にアトランタで開かれる学会に行くことになっているので、その前に読んでおこうと思ったのである。アトランタの街には『風とともに去りぬ博物館』まであるらしい。しかし、Nの先生のジャブで刺激を受けた僕は、当初の予定を変更して当直室で勉強をすることにした。動機はみっともなくても、する気になった勉強をしない手はない。
大学から細胞周期制御分子についての論文をいくつか持っていき、興味あることについて、現在分かっていることと、分かっていないことを整理した。2時間ほど勉強するとお腹が減ってきたので、病院食の検食をしながらテレビを見た。テレビには、細木数子が出ていた。油断が過ぎたのか、細木数子のアドバイスを聞いてほろっとしてしまった。

近くの老人保健施設に入所中のおじいさんのバルーンカテーテルの入れ替えと、糖尿病で入院中の患者さんの低血糖に対応して、1時に就寝。7時までぐっすりと眠ることができた。大学に戻って少し仕事をして、昼からは合気道のお稽古である。
お稽古の前に軽く食べるものでも買おうとコンビニに寄った。おにぎりを買って外に出ようとすると、本棚に並んだ数冊のマンガの単行本が目に入った。タイトルは『常務 島耕作』。
僕が、のほほんと馬齢を重ねているうちに、島耕作はいつの間にか課長から常務になっていたのである。ああ、恐れるべきは大殺界と色男。

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