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2004年10月 アーカイブ

2004年10月 5日

ジョン・ケージ風ジョアン・ジルベルト

10月2日(土)


午前中に研究室に行って培養中の細胞を撒き直してから、合気道のお稽古へ向かう。

朝の研究室にはまだ誰も来ていなかった。4つある実験室の扉の鍵を一つずつ開けていると、昨日まで癌学会(福岡)へ出張していた指導教官の先生がやってきた。

「お帰りなさい」というのも何となく変な気がしたので、「(学会)お疲れ様です」と
挨拶をする。

括弧付きの言葉を含んで話すというのは、なんだか新聞の記事みたいである。

思いの外、実験室での作業に手間取ってしまったが、なんとかお稽古の開始時間に間に合うことができた。

本日は、赤星ファンの三浦君も久しぶりに登場。彼はいつ会っても、知性的で落ち着
きのある少年だ。僕の中学生時代に、彼の10分の1ほどの知性と落ち着きがあったなら、
今頃はもう少し増しな人間になっていただろうに(仮定法過去完了)。

お稽古では転換の難しさを改めて感じた。体術は正面打ちに対する技を中心にお稽古
をしていただく。

お稽古でかく汗の量がだいぶ減ってきました。もう秋なのですね。


合気道のお稽古の後は、ジョアン・ジルベルトのコンサートを聴きにフェスティバル
ホールへ。

一緒に行く人がいなくて困っていたのだが、『街場の現代思想』にも登場しているE田
さんがご一緒してくれた。

E田さんにお会いするのは、内田先生のお宅で開かれた大学院ゼミの打ち上げバーティー
以来。一部では「インテリヤンキー」と称され、恐れられている彼女だが、この日は
大ファンであるジョアンじいに会えるということもあってか、終始ご機嫌麗しくして
いて下さった。

コンサートは夕方5時からで、ややお腹がすき始める時間だったが、「パン買うてこい」
とか、そういうことは一度も言われなかった。E田さんありがとう。

開演時間になると、「本人がまだ会場に到着していないので、もうしばらくお待ち下
さい」というほとんどお約束とも言えるアナウンスが流れる。

観客はジョアン・ジルベルトが一風変わった行動を取るということをよく理解してい
る人たちばかり。会場に小さな笑い声が起こった後、「ま、これくらいは当然だわな」
という雰囲気が広がった。

こういうのは、プロレスの試合前の花束贈呈で行われる乱闘騒ぎみたいなものですね。
もし定刻で始まったりしたら、かえって物足りない気持ちになるかもしれない。

演奏開始までの間、E田さんといろいろな話をする。現在彼女がされているという「シ
ニアマーケティング」というお仕事の話だとか、「アフターダークって長い短編小説
みたいだよね」とか、「『だい富』のうなぎってほんとうまいよね」とかそういう話
をしたような気がする。

そうこうしているうちに、約40分遅れでジョアンがステージに登場。スーツ姿で2本の
ギターを携えている。

ヤマハからもらったというギターで1曲目の演奏。その後、ギターを交換して3曲聴か
せてくれた。

そして、じいは長い長い沈黙に入る。30分以上、おそらく一時間近くの間、ジョアン
じいは拍手に包まれたまま、ステージの中央でじっとフリーズしていた。眠っている
のか、瞑想しているのかよく分からない。

フリーズの間には帰ってしまう人もいたし、やっと動き出したじいに対して「真面目
にやれ」と野次っている人もいた。

長い沈黙のあとは、もう一度ヤマハのギターに持ち替えて1曲演奏。その後再びギター
を交換した後、たくさんの曲を聴かせてくれた。

ジョアンじいは、曲によって左足だけでリズムを取ったり、両膝を左右に揺らすよう
にしながら演奏する。

落ち着いた声とギターが、しっとりと体に染みこんでくる。記憶の片隅に追いやられ
ていた小さな悲しい思い出が、彼の声に揺さぶられて蘇ってくるような気がした。

心地よい時間は本当にあっという間に過ぎてしまった。

コンサートの終了後は、やっぱり音楽聴きたいなあということになり、心斎橋のバー
JAZZへ。

素敵な音楽を聴きながら、マスターの牧さんとお話をしたり、奥さんの美味しい料理
を食べたりしているうちにあっという間に終電の時間が来て、帰途についた。

あの長い長いジョアンじいのフリーズの間は、「ひょっとしたらこのままコンサート
が終わってしまうのではないか」と思ったり、一曲終わるごとに「またじいは止まっ
てしまうのではないか」とはらはらしたりするのだが、全てが終わってしまった今と
なっては、あれもまた一つの謎めいた演奏の一部のような気がしてくるから不思議だ。

時間をおいて、あのパフォーマンスが実際の演奏と同じかそれ以上に意味があるもの
として浮かび上がってきたような気がする。長い沈黙が一つ一つの演奏を事後的に粒
出させてくれたような感じ。

考えてみると、70歳を超えた彼が(E田さんが、じいは72歳だと教えてくれた)、空調を
止めた会場のステージの上でスポットライトに照らされて、刺さるような視線と拍手
を受けながら30分以上静止し続けるというのは、けっこう大変なことなんじゃないだ
ろうか。

去年の東京公演のときにも、同じような沈黙があったという。

公演終了後にはご丁寧にも「演奏中の長い沈黙は、ジョアン・ジルベルトから皆様へ
の精一杯の感謝の表れです」というようなアナウンスが流された。

きっと本当にそうなんだろうと思う。



10月1日(金)


新球団。「楽天ポリアンナーズ」にしてくれないかな。

2004年10月 6日

ジルベルト書簡

10月5日(火)

ジョアン・ジルベルトのコンサートでの沈黙について思うことがあったので、江編集
長にメールを書いた。

返事を頂いたので、早速紹介させてもらいます。


江 様

ジョアン良かったですね。

あの沈黙のことなんですけど、一元的には解釈したくない非常に興味深い謎ですよね。

どういう意図を持って、彼がああいうことを繰り返し行うのかというのは正確にはわ
からないわけですが、時間が経ってみると、あの沈黙が、あの沈黙自体、そしてその
他の演奏、はたまた公演全体に不思議な深みを与えていると思います。

その場では、こちらはただ不安につつまれながら拍手をし続けるしかないわけですよ
ね。そうすると、公演が終わった直後には、確かに「ああ、良かったなあ」とは思う
ものの、やはり不可解な部分が大きくて、心の中に消化不良のものが残っているわけ
です。

でも、少し時間が経つと、その現場ではまったく論理性が無いように見えた行動が、
とても意味深いものだったように思えてきます。正確に言うと、あの行動の意味はやっ
ぱり分からないけれど、少なくとも「あの沈黙はあってよかったんだ」と思ってしま
います。

時がたってから、時間の隙間をふわふわと泳いでいた彼の未着のメッセージが、こち
らに届いたような気持ちになりました。

彼はその場で伝えるメッセージと、後から遅れて届けるメッセージの2種類を同時に
発信しているのではないでしょうか。

後着のメッセージがこちらに届いて初めて彼の全ての公演が終了したように思います。

天才というのは、もの凄い時間のトリックを使うものですね。


そう言うことを日記でかきたかったのですが、書ききれませんでした。まだ、アップ
されておりませんので、送付させていただきます。

長くなりまして申し訳ございません。

それでは失礼いたします。

佐藤友亮


佐藤くん

ぼくが行ったのは、日曜の3日、3時からのヤツでした。

2日間の曲目を中原仁さんのhpで発見したので、貼り付けときます。

あの時間はイラチなぼくからすると「おい、みんな拍手やめろや、静かにして欲しが
ってるんや、あのおっちゃんは」と思ってましたが、うちの音楽担当は「3000人
の観客ひとりひとりに感謝の気持ちを言っている」そうで、「そうか」などと妙に納
得したのでした。

前から10番目くらいのばっちりの席で聴いていたのですが、PAがものすごく良かっ
たというか、ステージのど真ん中から声とギターの音が聞こえて、口が開いたり閉じ
たりするその感じが目をつぶっていても分かりました。

それにしてもジョアンはそれこそ何回聴いたか分からないほど聴いていて、コンサー
トの曲も3曲くらいを除いては知っているものばかりでしたが、凄いですね。

声に倍音が入っていて、伸ばすところでスイングさせられる。

彼は風呂に入って同じフレーズを何百回も唄って稽古していた、とか、とにかくマリ
ファナでダウナーでかつとぶ感じを追求していたとか、いろいろありますが、そんな
感じがよく解りました。

最後に演ったGarota de Ipanema(イパネマ)が始まって、若い子やそれぐらいしか
聞き込んでいないおっさんが喜んで、このじじい日本のリスナーをなめとるな、げー
、などと思いましたが、完全にぼくの思い違いで、曲が今のボサノバになっていて、
スキャットとかに痺れてしまって、これを録音したCDが出たら、真っ先に聴くと思
います。

ぼくは、ちょっと早いサンバ系の曲で踊りたくなりましたが、そんな感じのコンサー
トではなかったみたいで、 イフィカマイシュリンド・ポルカザドゥアモールとか、
知ってるフレーズを思わず口ずさんだら、横の同世代のおばさんの観客に、恐い顔し
て睨まれました。

ではまた。

江 弘毅


■ジョアン・ジルベルト 10月2日(土)大阪:フェスティヴァルホール
 開演 17:45(過去最短の45分押しでスタート)
「ありがと、こんばんわ」の挨拶に続いて英語で「ヤマハからプレゼントされたギタ
ーを初めて弾きます。ままだ弦が新しいのでNO FIX YET、でもBEAUTIFUL」といった
内容のコメント
1. Doralice
--終わってgtを変える
2. Caminhos Cruzados
3. Brigas Nunca Mais
--終わって椅子を左に動かし位置を変える
4. Wave
--終わって早くも「例の空白時間」到来。15分ほど経過していったん立ち上がり深々
とお辞儀。しかしまた椅子に座り動かず。都合約40分後、再び立ち上がりお辞儀し、
座って自分の心臓部に手を置く。gtを再びヤマハに持ち替え。
5. Um Abraco no Bonfa
--終わってgtを変える
6. Voce Vai Ver
7. Disse Alguem (All of Me)
8. Pra Que Discutir com Madame
9. Curare
10. So em Teus Bracos
11. Samba de uma Nota So
12. Corcovado
13. Mulata Assanhada
14. Aos Pes da Cruz
15. Eu Sambo Mesmo
16. Pra Machucar Meu Coracao
17. Retrato em Branco e Preto
18. Desafinado
19. Isto Aqui o Que E
20. Chega de Saudade
---終わって立ち上がりお辞儀~拍手~袖に戻らず再び座る
21. Eclipse
22. A Felicidade
23. De Conversa em Conversa
24. Preconceito
25. Estate
26. Isaura
----end
-------------------------------------------
■10月3日(日)大阪:フェスティヴァルホール
 開演 15:43(最短記録を更新)
1. Aguas de Marco(本邦初演!)
2. Meditacao
---終わってマイク位置を調整(次の曲の後も)
3. Eu Sambo Mesmo
4. Caminhos Cruzados
5. Disse Alguem
6. Pra Que Discutir com Madame
7. Voce Vai Ver
8. Retrato em Branco e Preto
9. Wave
10.Curare
11.Um Abraco no Bonfa
12.Samba de uma Nota So
13.Aos Pes da Cruz
---「例のお時間」約20分
14.A Felicidade
15.Estate
16.Corcovado
17.Chega de Saudade
18.Desafinado
---ステージ袖に去る。客電が上がり終演告知のアナウンスが入るが途中でストップ
。再び客電が下がり、再度登場。
19.Mulata Assanhada
20.Garota de Ipanema
---スタンディング・オヴェーションに送られ、去る。

2004年10月21日

伝説のおじい・おずぼん

10月19日(火)

おじいさん医院は内科だけを標榜している小さな診療所で、午前中の一番混雑する時
間帯でも、医者が一人いれば十分足りる程度の患者さんしかこない。

僕はその決して忙しいとはいえない診療所で、毎日おじいさん先生と二人で診療をし
ている。

おじいさん先生は忙しいのが嫌いなようだ。

開業医というのは普通、患者を集めるために駅や新聞に広告を出したり、患者さんが
通院しやすいように夜遅くまで診療したりという営業努力をするものだが、おじいさん先生は全くそういうことをしようとしない。それどころか如何に患者さんを減らすかということばかり考えている。

診療所の名前ひとつとってみても、以前は「○○内科医院」というごく常識的な名前だったのだが、数年前に「おじいさん医院」という変な名前に変えてしまった。患者を減
らしたかったから。

僕がこの診療所で働き始めた頃、ここの名前は既に「おじいさん医院」だったから、
僕はずっと昔から、それこそおじいさん先生がおじいさんじゃなかった頃からここの
名前は「おじいさん医院」だったのだと思っていた。でもそうじゃなかったらしい。

おじいさん先生は、患者数を減らしたくて診療所の名前を変えたわけなのだが、名前
を変えたばかりの頃はむしろ患者数が増えてしまったそうだ。

かかりつけの医者を持たない人が、何かの理由でいざ医者にかかろうと思ったときに、看板に書いてある名前だけで、受診する診療所を決めるというのは、結構大変なこと
である。

「医者が年寄りだ」というのが、受診する側にとって有益であるかどうかは別の問題
だとしても、普通の診療所の看板を見ただけではそこの医者が年寄りかどうかは勿論
分からないわけで、そうすると「おじいさん医院」という名前は、自然に勝手に他の
診療施設の看板にはない情報を提供しちゃっていて、いつの間にか、勝手に患者さん
に安心感まで与えちゃったりして、おじいさん医院はおじいさん先生の思惑を勝手に
超えて繁盛したのである。

しかし、それでもおじいさん先生が年を取って、ますますおじいさんになってきたの
と、周りにいくつか内科の診療所ができたことから、少しずつ患者の数が減ってきた。

最近やっと暇な時間が増えてきて、のんびり診察をしたり、僕や看護婦さん達と雑談
をすることができるようになって、おじいさん先生はとても嬉しそうだ。

今日にしてみても、診療開始から2時間も経ったら患者さんがぱたりと途切れてしまい、すっかり暇になってしまった。することがないので、僕は診察が終わった患者さんのカルテをぱらぱらとめくっていた。

患者さんは38歳の男性。会社の健康診断で高脂血症を指摘されて、この診療所にやってきた。血糖も少し高い。初診は今年の7月で、初回はおじいさん先生が診察している。


身長172センチ体重91.2キロ。
朝ご飯にはいつもメロンパンを2個食べて、缶コーヒーを飲みます。
晩ご飯の時には、子供が残したおかずをついつい全部食べてしまうんです。それがちょっと気になってます。食べ過ぎでしょうか。食べ過ぎです。

カルテを読んでいたら、隣の診療室で同じように暇をもて余していたおじいさん先生
が雑談をしにやってきた。

白衣姿でコーヒーカップを持ったおじいさん先生は、見慣れない黒いズボンを履いて
いる。

細身のシルエットで少しだけ裾が広がっていて、前後左右で丈の長さが違っている何
とも不思議な形のズボンである。本当に変な形のズボンなのだが、不思議なことにそ
れ程違和感がない。似合っていると言っても差し支えがない。

「先生、今日は随分変わったズボンを履いていらっしゃいますね。良くお似合いです
けど」

というと、おじいさん先生は少し笑ってから「これはね、『おじいおずぼん』といっ
てね、最近一部のロック愛好家の間で非常に流行っているのだよ」と言った。

年寄りを甘やかし過ぎてはいけないと思い、僕は何も答えないまま読みかけのカルテ
に視線を戻し、黙って続きを読み始めた。

でも、やっぱり可愛そうかなあ、相手をしてあげようかなあと思った瞬間、看護婦さ
んから「さとう先生、患者さんです」と新しいカルテを渡された。

患者さんは新患のようで、カルテには「山田正三」と名前が書いてある。

僕は、おじいさん先生に小さな微笑みだけを返してから、カーテンの向こう側の待合
室へ向かって「山田さん、中へどうぞ」と言った。

直ぐに「はい」と返事が聞こえた後、一人の中年男性がカーテンをかき分けて僕の診
察ブースに入ってきた。

山田正三氏は真っ黒なズボンを履いていた。それは間違いなく「おじいおずぼん」だっ
た。

2004年10月23日

街に「いけない鰻屋」はいねが

10月21日(木)

街のいけないうなぎを正す会の報告(第二回)です。

うなぎ屋によく似合う客というのはどういう人たちでしょうか。

前回の報告にも書きましたが、うなぎ屋には若い人よりもどちらかというと年配の方
のほうがぴったりくるようです。男性だったら60歳くらいからがうなぎ屋の客として
脂がのってくる頃でしょう。服装はネクタイをしていた方がいいですね。

イタリアのおしゃれ爺さんのようにカラーシャツなんかを着ていると、いかにもうな
ぎ屋にスタミナをつけに来たように見えてしまいますから、ワイシャツは白にしましょ
う。ネクタイピンも忘れずに。

うなぎ屋には中高年の女性客も似合います。「今日はお父さんが出張だから、お買い
物の帰りに外で晩ご飯を済まして…」という非日常的うきうき感は、鰻と非常に相性が
よろしい。

東海林さだお氏によりますと、鰻というのは、天丼、あんかけうどんとともに中高年
女性の「三大外食メニュー」ということになっております。

中でも鰻は「おば様外食メニューの横綱」と言って差し支えないでしょう。天丼とあ
んかけうどんは値段と格から言って、大関というよりも、「太刀持ちと露払い」くら
いのほうがぴったりかも知れません。

老舗のうなぎ屋で、親娘が二人で鰻を食べながら瓶ビールを一本分け合っているとい
うのも絵になりそうです。

ビールは是非、親娘連れで飲んでいただきたい。おばさん同士でビールを飲んでいる
と、どうしても宴会になってしまいます。瓶ビールならまだ良いですが、おば様たち
が、鰻を頬張りつつ中ジョッキを飲みながら嫁の悪口なんて言っていたら、話に聞き
耳をたてることに夢中になってしまい、こちらが鰻に集中できなくなってしまいそう。


さて、そんなわけで第二回目のうな正会の会合は、10月16日の土曜日、福島5丁目の『菱東』において開かれました。

メンバーは前回と同様、江会長と僕の2名です。

30台と40台の男性ですので、「白いワイシャツにネクタイピン」というわけには行き
ませんでしたが、ちゃんとジャケット着用で出掛けました(二人ともたまたま仕事帰り
だったからだけど)。

国道2号線、出入橋の交差点の少し西側から細い路地を北に入ると、そこには古い木造の家屋が並んでいます。

普段から早歩きなのに、旨い鰻を目指してさらに足早二割増となった江会長の後ろに
ついて数十メートルほど歩くと、暗い路地を明々と照らす「鰻 菱東 東京流」の看
板が見えてきました。『だい富』のマークは「○に鰻」でしたが、このお店のマークは
菱型に「鰻」です。

引き戸を空けて店内に入ると、初老の男性が迎え入れてくれました。うなぎ屋は職人
さんも老人が似合います。会長の話では、この店は2階の個室が雰囲気が良いということでしたが、2階はコース料理の客のみということだったので今回は断念。

1階にはテーブル席が4つと、少し広めの座敷がありました。

店内はとても静かで、もちろんBGMなど流れていません。

他の客は、40台と20台くらいの女性二人連れが一組いるだけでした。仕事仲間のようだったけれど、あんまりかたぎっぽくなかったです。

例に出した女性客のカテゴリーには入らない人たちでしたが、そんなものを超越して、
鰻が似合っている二人でした。「労働者の強さ」みたいなものを感じた。
うなぎ学は本当に奥が深いですね。


我々はテーブル席に座ってビール、うまき、うざく、そしてうなぎどんぶりのシング
ルを注文。

数秒後には、和服姿のお店のおばさんが素早い身のこなしで、キリンラガークラシッ
クの中瓶と、絹さやのごま和えを持ってきてくれました。

ビールを飲みながら店内を見渡すと、壁にはどこかの雑誌に紹介されたお店の記事が
張ってあります。記事の見出しによると、ここは創業83年だそうです。古いですね。

ビールを飲みつつ、江会長と今度二人で共同購入することにしたヴォーヌロマネ村の
特級畑について相談していると(うそ)、すぐにうざくが到着。

青い器の中には、茗荷、キュウリと共に、厚めに刻んだ鰻がたっぷりと入っている。

ふっくらとした鰻は絶妙な焼き加減。なるほどこのふっくらとした食感は、この厚み
で切らないと分からないかもしれない。

ふわっと広がった鰻の切り身は、だし汁をたっぷりと含んでいて、一切れ口の中に入
れると、丁度良い酢加減のだし汁と鰻の脂分が口の中で混ざり合います。

酢と脂がこんなに合うなんて知らなかった。


続いて登場したのはうまき。

一人前を頼んだら、お店の人が二つに切って、別々のお皿にのせて持ってきてくれま
した。

熱々の卵焼きは柔らかくて、しっかりとだしが効いています。

会長とともに、はふはふ言いながらうまきを食べていると、店の奥の方から、「ご
飯2人前お願いします」という声が漏れ聞こえてきた。いよいよ我々の鰻が焼き上がっ
たようです。

程なく運ばれてきたうなぎどんぶりは、蓋を開けると、申し分ないくらい上品な焼き
加減。鰻の大きさや焼き具合は、だい富のそれとよく似ています。でも、よく見てみ
ると、こちらのお店では、鰻だけでなくて、ご飯にも蒲焼きのたれをたっぷりとかけ
てある。

たれの味付けはやや濃いめであり、ほんのりと焦げた皮の部分が何とも言えず美味し
い。

サイドメニューも含めて全体的に味付けが濃いめのせいか、食べた後の満足感がとて
も大きかったです。

ごはんたっぷり、味付けしっかり。どんぶりが出てきたときは、「全部食べきれるか
なあ」と心配になったのだけれど、気がついたら完食していました。

さすがにお腹一杯になったけど、その後も全く胃がもたれるということがありません
でした。

元気になりたいときには、絶対おすすめのお店です。

うざくとうまきは絶対に忘れないでください。ネクタイピンもね。

About 2004年10月

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