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おばあちゃんとの対話

le 12 novembre

父と一緒におばあちゃんの様子を見に行って来た。
木曜日に、熱のため病院へ入院しますという
連絡が、お世話になっている施設からあって。
そのときは、私も父も仕事でおらず、母が
急いで駆けつけたらしい。

少し前から、手足に水ぶくれがたくさんできている
ということは母に聞いていた。
お医者さんが言うには、動かさないから血行が悪く
なっているのではないか、ということらしいよ、
という話だった。

今日会いに行くと、車椅子に腰掛けている
おばあちゃんの両手には、鍋つかみ用ミトン
みたいなのがはめられてあって、
片足は包帯でぐるぐる巻きだった。
何も巻かれていない右足を見ると、水ぶくれの
痕なのか、紫色をしたいびつな丸がたくさん
ついていた。

おばあちゃんは、かなり前からリウマチなので、
指が手も足も丸まっていたりするのだけど、
ミトンの中の手は、本当に小さくて子どもの手
みたいだった。

熱は、入院した次の日からすでに下がっていて、
食欲も普通にあるらしい。
おばあちゃんと、少し話していると、
お昼ご飯の食べかすが、口の端から出てきた。
ご飯粒。
おばあちゃんのミトンの手がそれを拭おうと
動いたので、それを遮ってティッシュで拭いた。

おばあちゃんは、もう長いこと目の前にいる人が
誰であるのかわからない。
何年前だったか忘れてしまったなぁ・・・
私がフランスにいるときか。
その前にもあった気がするけれど、冬になると、
寒さで血管が収縮して軽い脳梗塞を起こしてしまう。
それで、入院して暖かくなる頃退院して・・・ということを
何度も繰り返していた。
入院してるときは、本当に誰が誰なのかわからない
状態だし、よくわからないことばかり口走ったり
しているのだけど、回復してくると、人の顔も
ちゃんとわかるようになるし、自分の置かれている状況も
把握できるようになっていた。

だけど、その一方でだんだん認知症が進み、身の回りのことも
ほとんどできなくなってしまったので、
施設に任せることになった。
特別養護老人ホーム。
おじいちゃんもそうだったけど、おばあちゃんも
その場所を病院だと思っている。

施設の中は、室温もほどよく保たれているので、
寒さによって体調を崩すということがなくなった。
お風呂もちゃんと入れてくれるし、ご飯の栄養も
ちゃんと考えられているようだし、うちで昼間
一人にされているよりは、よっぽど良いような気がする。

母と私が、たまに会いに行くと、日によっては
誰が来てくれたかわかることがあった。
ただ、父のことは自分の息子なのにわからない。

母によれば、今は、ほんとに何もわからないみたいだ
ということだったけど、今日おばあちゃんは
私の顔を見て「さっちゃん」と言った。
施設にいるときも、私のことをちゃんと「さっちゃん」
と呼んでくれていた。
でも、私に赤ちゃんがいたりする日もあった。
今日は、私は学生だった。

父のケータイが鳴って、部屋から出て行ったあと、
おばあちゃんは私に「あの子も30過ぎたやろ。」
と聞いてきた。
たぶん、お父さんのことなんだけど、とりあえず
「うん。そうやな。」と答えた。
父には、このことは伝えていない。
なんとなく。

私は、おばあちゃんがすごい昔の話を急に語りだしたり、
死んだおじいちゃんが今でも生きていることになっていたり
しても、否定したり訂正したりしないようにしている。
父は、その反対で、全部訂正するし、「昔の話やろ。」
と言ってしまったりする。
どちらがいいのかわからないけど、私は、
せっかくおばあちゃんが話しているのだから、
うんうん。と言って聞く方がいいのではないかと
思っている。
父には父なりの想いがあると思うので、
「お父さん、もうちょっと話聞いてあげたら?」とは
言わないのだけれど。
前は、病院におばあちゃんの顔見に行くことすら
しなかったし、その頃に比べれば自ら足を運ぶという
ことだけでも良いことだと思う。


病院のベッドの頭側に、おばあちゃんの名前と年齢と
担当医の名前が書いてある。
おばあちゃんは、もう91歳だった。
2月の誕生日が来たら、ついにおじいちゃんを
越えるんだなぁ。

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2006年11月16日 20:30に投稿されたエントリーのページです。

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