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死に方いろいろ

le 16 janvier


寄藤文平の『死にカタログ』を読む。

いや別に、死にたいとかじゃなく。
テレビで、寄藤文平さんが「死」についての本を
書いているって見て、それからしばらくして
新聞の書評欄で『死にカタログ』を見つけて、
あ、買いに行こうって思ったので。

寄藤さんのイラストが好きだし。
『大人たばこ養成講座』とか、吉田修一の
『パーク・ライフ』の装丁とか。

『死にカタログ』は、いろんな「死」を物語や
データなどを用いて、寄藤さんが客観的に絵付きで
表示してくれている、まさにカタログのような感じの本です。

あとがきのところに、「結局どうしたらいいかわかりません。」
と書いてありましたが、本当にそうですね。
データで、人はこういった死因で亡くなることが
多いのだなぁとか、日本は長寿の国だなぁとかが
わかったところで、だから?それで?みたいな感じになる。
それでも、人って「死」について考えるときがありますよね。

寄藤さんは、さて寝よう、と電気も消して、ふとんに入った
瞬間「そういえば、俺、いつかは死ぬんだよな。」
と年に一回ぐらいドキッとする(p.58)そうですが、
私も似たようなことを思ったことがあります。

2年前ぐらいかなぁ・・・たぶん何かおかしくなり始めてたの
かもしれないですけど、夜寝るときに、
このまま死んじゃっても別にいいなぁと、何日も思ってました。
連続で。
でもまぁ、朝になったら目が覚めて、死ななかったらしい
って思いながら朝ご飯食べたりしてたわけですけども。
何だったのか・・・。
やることなかったからかなぁ。

どうだろう。
今はその頃みたいに思ってないですけど、
年金がどうだこうだ、医療費がどうだこうだって
やたら心配してる同い年の友だちに、
「んなこと言ってたってさ、いつ死ぬかわかんない
んだから。心配してても、年金もらう前に死ぬかも
しれないよ?」
などと言ってしまったりはする。

私が、ときどき「死」って一体・・・と思うようになった
のは、4年前に父方のおじいちゃんが死んじゃってから
のような気がします。
幼稚園生ぐらいのときに、母方のおじいちゃんも
亡くなったんですけど、その頃は考えるとか認識とか
特になくて、死んじゃったから「もういない」ぐらい
だったと思うんですよね。
でも、おじいちゃんが見守ってくれてるとかって
思うこともありましたけど。
で、そのまま「死」について考えることなく
大きくなって、4年前にズドーンと身近に「死」が
やって来たんです。

日本人の8割は病院で死ぬ(p.84)そうですが、
私のおじいちゃんたちも病院で亡くなりました。

4年前、父方のおじいちゃんは脳からの出血が
主な原因で亡くなりました。
92歳でした。

お葬式の後、ほぼ一瞬で骨になるじゃないですか。
あれが、よくわからなかった。
さっきまで人間の形だったのに、出てきたら骨に
なってるという。
あれじゃぁ、もう誰だかわかんないですよね。
お骨をひらいながら、どうもすっきりしなかった。
(しかも、この骨欲しいとか言って怒られた。)
とりあえず、死んだら骨にされる。

死ぬって一体何だろう。

新聞(産経新聞)で見たんですけど、
『ゲゲゲの鬼太郎』でおなじみの水木しげるさんは、
死んだらどうなるのか、その答えが知りたいあまり、
5歳のときにご自身の弟さんを海に突き落とそうと
試みたそうです。
水木さん・・・恐るべし。

まぁ、日本人の8割が病院で死ぬわけですけど、
その死因はざっと8200種類ほどあるそうです。(p.88)
すごいですね。
『死にカタログ』92ページから93ページに書いてあるんですけど、
言わずと知れた三大疾病は、ガン・心疾患・脳血管疾患で、
次が、肺炎・不慮の事故・自殺・老衰と続くそうです。
自殺が3.2%って多いなぁと思いましたけど。

ガンねぇ。

一昨年、母方のおばあちゃんがガンかもしれない、
ということで大きな病院での検査について行って、
一緒にどうぞって言われたんで、説明聞きに入ったら、
いきなり担当医の人が「胃ガンですね。」って
言ったんで面食らった覚えがあります。
一緒に聞いていたおばあちゃん本人よりも、
たぶん私の方がはっっ!てなった。
あっさり言うもんなんだなぁと思いましたよ。

どうなんだろう。
おばあちゃんの場合は、めっちゃ初期みたいな感じで、
胃カメラ飲むだけで切除できるものだったんです
けど、ガンの進行度によって告知の仕方も
変わるのかなぁ。
それとも、この人ならさらりと言っても大丈夫!
とか、そういう感覚があるのかなぁ。
そのお医者さんの人柄?

うちの母の親友も、ガンになって、やっぱり
「ガンです。」って告知されたらしいですけど、
かなりショックだったみたいで。
うあぁどうしよう・・・とうろたえるのではなく、
私、死ぬんやろか・・・ってぼんやり言っていた
そうです。
結果的に、手術を受け辛い治療に耐え、
今はかなり元気になってますけど。
それでもやっぱり、ふと思い出すようで、
明るくしゃべっていた次の瞬間、再発したら
どうしようって泣きそうになったりすることもあるとか。

怖いですよね。

うーん、告知される方がいいのか悪いのか。
ちょっと前までは、告知しないことの方が多かった
らしいですよね。
今思うのは、知らないで苦しむよりは、
わかって苦しむ方がまし?ってことですけど。
変わるかも。

142ページから145ページに、「死への態度」って
のが紹介されてるんですけど、これを見る限りでは、
私は「死を恐れる人」であり「死をあきらめている人」
でもあるような気がします。
なぜかというと、ポックリ死ねたらいいだろうなと
思うし、死ぬのはある程度運命だと思うからです。
あーでも、「死から逃げている人」でもあるなぁ。
ちなみに、日本人に多いのは「死をあきらめている人」
らしいです。

死を受け入れられたら、それが一番いいなぁ。
自分を把握して自分をありのまま受け入れるみたいな・・・
今の私には到底無理っぽいけど。

ところで、8割が病院で死を迎えるというデータと
同時に79%が自宅で死を迎えたいと考えている
そうです。(p.84)
これまた大変な問題ですね。
私は、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に
暮らしていたから、介護とか考えると
自宅で死にたい派を手放しで応援できない。。
おじいちゃんがそうだったし、今おばあちゃんも
なんですけど、認知症があるんですね。
そして自力で動けない、と重なってくると、
介護はかなり大変だと思います。

今、おばあちゃんはいわゆる特別養護老人ホームに
お世話になってますが、家にいたときよりも
だいぶん体調は良くなってて、顔色もいいし
よかったなぁって言ってるんですけどねぇ。
まぁ認知症の方は続いているので、最近は
おじいちゃんも生き返っちゃってるみたいなんですけども。
(そしてなぜか、おじいちゃんは警察に
捕まっているらしい・・・。)
ただ、特別養護老人ホームに入居希望の人が
多すぎて受け入れきれないという現状もあるようですね。
おばあちゃんも、実際順番待ちだったし。

その一方で、国は、家族が自宅で看取れるように、
在宅医療を推進するそうですね。
診療所が在宅医療にも力を注げるように
診療報酬を手厚くする予定とかってこれまた新聞で読みました。

でも、本当に在宅医療がきちっとしていれば、
家族の介護への思いも変わってくるような気がしますね。
不安が減るというか。


今更ですけど、「死」って不吉ですよね。
この文字を打つことも書くことも、普段あんまり
しないし、発することもめったにない。
頭の中で、「このまま死んでても・・・」ってのは
あったわけですが、そう思ってるときって、
別に嫌な感じしないんですよね。
でも、基本的に不吉だな。
友だちと駅で別れるときに、気をつけてねーって
言うんですけど、そのとき1人が、ほんまや、
電車に轢かれて死んだらあかんで、みたいな発言を
して、ぎょっとしたこともあるし。

確かに、帰りに不慮の事故に遭遇ってことも
ありえないわけではないですけど、その可能性を
言うときに「死」が入ってるだけで、
おいおい何てことを言うんだ、ってなる。

だけど、『死にカタログ』は「死」が入っている
にもかかわらず、本屋さんで普通に並んでても不吉な
感じがしなかったし、むしろ明るい感じの表紙なんで、
手に取ることにも全く違和感なし。
ホント、子どもも興味を示すかもしれないです。

最後に、私がいいなぁと思った「死のカタチ」は、
死んでも変わらないフィリピンのカタチと、
パラレルワールドへ行く北海道先住民族のカタチでした。

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2006年1月17日 10:24に投稿されたエントリーのページです。

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