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2004年5月 アーカイブ

2004年5月 2日

法事でよっぱらうなよ、おやじたち

le 20 avril

日曜日は、おじいちゃんの三回忌だった。
疲れた。

今回は、最初っから最後まで家でやるということになって、
家の掃除に1週間かかった。

うちでは、1階でおじいちゃんとおばあちゃんが暮らしていて、
2階で両親と私と弟が暮らしていた。
お風呂は一緒だけどあとは別なので、1階のキッチンを私たちが
使うことはなかった。
でも、ここ4年ほどは、もうおばあちゃんも台所に立つことが
辛くなってきたので、母が2階で作るご飯を1階へ運ぶように
なっていた。
別に、下のキッチンの方が広いし、下で調理すれば
いいじゃないかってなもんだけど、それは不可能。
なぜなら、使う前に掃除が必要だから。
まぁ、なんかねぇ、吹きこぼしたりもするし、焦がしたりもしますよ。
それをね、その後で拭いたり洗ったり磨いたりは、しないんですね。

さらに、おばあちゃんは元気な間、いろんな物を買い込んで、
引き出しという引き出しに詰め込んでいた。
食器乾燥機なんて使うのはもったいない、ということで、
一度もスイッチを押さず、なぜか乾燥機の中まで物置と化していた。
梅干しを漬けていた、そのビンのふたが半開きだった。
冷蔵庫が・・・冷凍庫が・・・。

何となく知ってはいたんです。
母も私も。
でも、おばあちゃんは、勝手に掃除されるのを嫌がったし、
物を捨てられない性質だから。

現在、おばあちゃんは、軽い脳梗塞を起こして入院中。
法事の当日は、外出許可をもらって帰って来たけど、
基本的に入院してるから、その間に掃除を。

母が、少しずつ片付けていたとは言え、凄まじかった。
カビとかゴキブリの死骸とか何かの糞らしきものとか、
ムシの死骸とか・・・。
もう、全然台所を使ってなくって、食べ物らしきものが
なかったから、みんな死んじゃったのかな・・・。

てか、食器にカビが生えるなんて、知らなかった。

廊下とか座敷とかキッチンの床・テーブル・椅子の掃除が
一通り終わってから、私は洗い物を担当することになって、
2日に渡ってひたすら食器を洗った。
食器棚に入っていたときどきカビも生えている食器たちの他に、
法事用に30人ちょっと分の湯のみやグラスもあったから。

食器棚の外から中が見えない扉の中にも、箱に入ったままの
頂き物の食器とか、新しそうなお椀とかが入っていて、私としては、
そのまま触れずに置いておきたかったけど、棚を隅から隅まで
きれいにするために、中身を全部出せ、と。
そして、そのついでに全部洗え、と。

こんなの、急須と湯のみとお茶碗とか揃ってて、
確かにいいなぁと思うものもあったけど、全部を使うことなんて
ないだろうし、実は必要ないよね・・・って思ってたら、
法事の日にいとこのお姉ちゃんが1セットちょーだいと言って、
持って帰った。

まぁ、とにかく、母と二人で、その内2日はおばさんも参加して
くれて、きれいに片づけるのに丸1週間かかった。

それで、法事の当日は朝の10時から夜の7時までですよ。
途中から、完全に単なる宴会ですからね。
女の人たちは、お昼ご飯が終わってコーヒー飲みながら
少し歓談したあとに帰っていくんですけど、男の人たちは
一向に帰らない。
普通、お坊さんが切り上げてくれたりするのかなぁとか
思うんですけど、うちはこの人が他の人を引っ張ってる。
みんな、家で飲ませてもらえないみたいなんで、まぁたまには
いいかもしれない。
親戚が集まることも、めったにないわけだし。
ただ、片づかないのが困る。
非常に困ります。
あと、飲み始めると、彼らはただの酔っ払いだから、
その扱いに困る。
どうしようもない。
ありえない。
ちなみに、私が一番苦手なのはお坊さん。
だって、怖いし。
「さっちゃん、今日はおとなしいなぁ。」
って、違う違う。避けてるだけやから。
親戚のおじさんたちがからんで来るのとは、また違って、
なんか怖いというかキモイというか・・・。
一番対応しにくいんですよね。
うちの弟は、こういう時あんまり頼りにならないから、
いとこのお兄ちゃんの側にいて、助けてもらった。

てか、この人たち、ぐでんぐでんに酔っ払って、本当に千鳥足になって、
自分で帰れないからうちの父に送ってもらって、そんなんで、
その後恥ずかしくないのかなぁ?

こんな感じに、1週間妙な疲れ方をしていたら、
ひどく肌荒れした。
ついでに、左手に湿疹ができた。
何?これ?


上の話と、全然関係ないけど、友だちに“くるり”の新しいアルバムを
もらった。
わぁーい。“くるり”だ。
3月にこのアルバムが出たとき、お金なくって買えなかったんだよねぇ。
“くるり”といえば、音楽雑誌でどんな人たちかってことを、
ちょっとだけ知っていて、その名前から、何となく気になっていた存在で、
そんなある日、マーガリンのCMで「おいしい顔ってどんな顔?
おいしい顔ってどんな顔?・・・」って歌っているのが
“くるり”だと知ったとき、その声が好きになってCDを買いに行って
しまったという。
あれは何年前かなぁ。
このアルバムも素敵ですよ。
メンバーが加わったり減ったり加わったりして、最初3人だったのに、
今4人だし、しかも一人外国人になったときにはびっくりしたけど、
最高ですよ。
のらりくらりしたテンポの曲があって、すっごい好きだし、
詞もいっつも好きだし、ベースもギターもドラムもかっこいい音だし、
何より岸田くんは声がいい感じで歌い方も上手い。
さいこー。


ところで、密かに「たまごっち」を育てている。
それも、3月に新しく出たやつじゃなくって、昔の方。
部屋を片付けたときに出てきたんですよ。
ほー、懐かしい。そだてよーっと。
みたいな感じで育て始めたんです。
育て始めてみると、どんな機能があったのか、
結構忘れていて、どういう風に成長していくのかも、
ほとんど覚えていませんでした。
今、10歳なんですけど、まだ変身しますよねぇ、これ?
小さいときは、8時に寝て9時に起きてて、次は9時から9時になって、
この頃は10時に寝て9時に起きてます。
病気もしなくなったし。
確か、過去に育てたときには、自転車に乗ってる女の子みたいなのに
変身して、これって「たまごっち」なの?という疑問を
抱いていたような・・・。
変身するかなぁ。

2004年5月 5日

石原良純と『CASSHERN』

le 3 mai

笑っていいとも!を見ていたら、石原良純が出ていた。
で、明日は晴れだと思っていろいろ予定を考えていたのに
朝起きたら雨だった、こういう時って悲しいですよね、
みたいな発言をして、タモリさんに「でも、予報できますよね?」
とつっこまれていた。
良純さんは、必死に言い訳をしていた。
うっかり、自分が気象予報士であることを忘れていたのかなぁ。
でも確か、こないだ名越先生のグータンに出ていたときも、
5時間のロケのしょっぱなに、今日は思っていたより花粉が多いなぁ
とか言ってたなぁ。
やっぱ、良純さんの天気予報って当たらないのかもしれない。
その当たらないことすら、この人のキャラクターの一部っぽい。
好きだなぁ、石原良純。


『CASSHERN』を見た。

まだ公開前、紀里谷監督がお金と時間をかけすぎだなどと
メディアで不評だった『CASSHERN』。
今思えば、ただのねたみだったのかもしれない。

いや、なんか、良かったですよ。
CGを駆使した映像のすごさも、一つの売りなんだと思いますけど、
内容も。

人はなぜ戦うのか?争いのない世界を築けるのか?
人が人を裁けるのだろうか?やられたらやり返す、それでいいのか?
人はなぜ生きるのだろうか?
って、投げかけてるテーマが大きなものだし、その答えなんて
なかなかわからないものだから、映画の中に答えは出てない。
でも、許すことで許されるということは思いっきり伝わってきた。

主題歌を歌っている宇多田ヒカルがテレビで、
間にもちょこちょこ泣けるところがあるけど、終わりのところで
ぐっとくる、と言っていたので、終わりに来るんだろうなと思って
いたのに、途中に来た。
しかも、雨上がり決死隊の宮迫扮する新造人間が死ぬ場面。
新造人間たちが死んでいくところは、どの場面も結構感慨深かったけど、
宮迫の場面が一番切なかった。
ひたむきだったんですよ。
最初、新造人間として生まれ変わって間もないときに、
命を助けてもらったから、今度はその人を守るんです。
すっごい一所懸命。必死に。

ミッチー(及川光博)も、歌手だけやってて“王子”のときより、
なんか光ってますよね。この映画の役では、人間の汚い部分が
ドロドロ出ててすごかった。
けど、それ以上に、宮迫さん恐るべし。
もはや、“雨上がり決死隊”ではない。
そういえば歌もやってるしなぁ。
今回、台詞ないんですよ、彼。
でも、すごいわかるんです、気持ちが。

まぁ、何ですかねぇ。
東博士が病気の奥さんを助けたくて、新造人間の研究を
していて、それを汚い軍のやつらが利用しようとしていて、
気付いたら新造人間が生まれていて・・・その新造人間って
実は、死んだ人間が生き返ってるんですよ。
だから、戦死した博士の息子も生き返ってキャシャーンになると。
でも、やっぱり、人間は時が来たら死ぬ方がいいですね。
鉄砲でバンッって打って、「どうせすぐ生き返る。」
って、じゃぁ、今は何なんだろうってなりますもん。
それなりにがんばって生きてる、私たちは何なの?
今感じてるこの感情は何なの?って。
人は死ぬから、新しい命が生まれるときに喜びを感じるし、
それを心待ちにしてる人たちがいるんですね。

2004年5月16日

さっちゃんのちょっとダルな五月

le 15 mai

テレビに山崎まさよしが出ていた。
そして、新曲を、なんとギターを持たずに歌っていた。
昔、雑誌か何かで、ギター持たんかったらカチカチになって
歌えませんよ、みたいなことを言っていたまさやんが、
ギターを脇に置いて歌っていた。
でも、代わりにサングラスをかけていて、
まさやんの右手は、音をとってるかのように
ずっと上がったり下がったりしていた。
スガシカオがサングラスをかけていても、
それはシカオちゃんの一部のようだけど、
まさやんがかけると「サングラス」だった。
来週、新曲買いに行こー。


夜9時前、近所のスーパーに単2の乾電池を買いに行った。
ここへ行くといろんな人に会う可能性があるから、
普段はさりげなく避けている。
この町内には、コンビニはない。
その代わりに、このスーパーが0時まで営業している。
そして、学生がよくここでバイトをする。
だから、2、3年前までは、レジに必ずといっていいほど
同級生の誰かがいた。
知っているおばさんに会うのも嫌だけど、同級生に会うのは
もっと避けたいことだったので、できるだけ近づかないように
していた。
が、今日は、何も考えないでふらふら母について行ってしまった。
最近は、レジに知ってる人がいないとわかっているからなのか、
ホントにただぼんやり行ってしまったのか・・・。

どっちでもいいけど、こういう時に限って、会うんですよね。

乾電池を買いに行ったものの、ついでに明日の材料も物色してて、
結局カゴいっぱいになってしまったものを、母がお金を払っている間に
袋に詰めていたら、背後で母が誰かとしゃべっていた。
何気に振り返ると、笑いながら「久しぶりやなぁ。」と言われる。
「あ、うん。」にこにこーって自分で勝手に笑顔になりながら、
その人が誰だかわかってるんだけど、まだわかってない状態で、
その直後にそのまま笑いながら、彼が同じ地区の同級生だということを、
確実に認識する。
確かに、久しぶりだ。
成人式に、お互い出席してたけど、そのときにもしゃべってない。
てか、出席しているということを耳にしただけで、
直接顔を合わしてもいない。
ということは、小学生以来。
成人式で、彼のことがさわさわさわーっと伝わってきたのは、
彼が結婚していたからだ。
幼いときからやんちゃ系で、小学校高学年の頃には
相当に悪びれていた人なので、私は内心いつもびくびくしていた
気がするが、そんな彼も二十歳のときにはすでに結婚していて、
今では二児の父。
父親なんですねぇ。
父親かぁ。
一家を支えているわけですから、それなりに貫禄が出てくるんでしょうねぇ。
どう見ても、私と同級生には見えない。
それは、老けてるとかじゃなくて、何か漂ってるものがね、
こう、違うわけですよ。
すごいなぁと思いますね。
今の私には、結婚なんてそんなんとんでもない。
その、新しい家族とか親戚の一員になって生活するなんて、
到底無理やもんなぁ。
まぁ、幸い相手がまだいないので、そんな心配も要らないんですけども。
やっぱり、同級生が、どっちかと言うと悪ガキだった少年が、
ちゃんと父親になっている姿というのは、きますね。
えらいなぁと思う反面、自分の不甲斐なさというか・・・
なんかため息が出る感じでしたねぇ。
いやぁ。
えらいなぁ。

le 11 mai

朝の8時前に、ケータイにメールが来て、
ケータイが運悪く枕元にあったので、目が覚めてしまった。
フランスで友だちになった関東在住の友だちから。
私が最近全く連絡しないので、生きてるかどうかの確認?
だった。
返信もせず、ケータイを左手で握ったまま
うつ伏せに倒れ込む。
ねみぃ。
すると今度は、コンポが鳴り出す。
私が、毎朝8時に鳴るようにセットしているからだ。
くるりの『グッドモーニング』(というタイトルだけど、
目が覚める!という感じでは全くなく、ある朝の風景が
スローモーションで流されているような、どちらかと言うと、
眠りに導かれるような曲。)が、ジワジワ始まる。

朝か。

さっきのメールには、元気ですよー家にいますよー、
と返信。
同じく、フランスで友だちになった関東在住の別の友だちと
共に、私のことを心配してくれていたらしい。
ありがとうございます。すみませんでした。
最近、パソコン開けるのが怖いんで、メール送ってなかったから。
メールをもらってた場合には、あ、返信しなきゃと思うんですけど、
なかなかパソコンに向かおうという気になれないんですよ。
それで、送らなきゃなぁと思っている内に1週間とか
あっという間に過ぎちゃって、もうどんどん過ぎちゃって、
どうしたのかしら?となるわけですね。
何か、パソコン開けるのがめんどくさいんかなぁと
思っていたんですけど、めんどくさいと言うか、怖いなぁって
なってきて。
ノートパソコンを開けて立ち上げるぐらい怖くないですよ。
これは、めんどくさいってのはありますが。
その後、ネットに繋ぐ。これが、だんだん怖くなってしまったんですね。
なんかこう、対人恐怖みたいな感じですか?
部屋に放置してるケータイに、気付いたらメールが来てるときも、
めっちゃドキドキしてケータイ開きますし。
はっ、メール来てる・・・って。
やれやれ。何なんだ。


全然関係ないですけど、つばめが来たんですよー。
2羽。・・・3羽?
3羽なんですねぇ、これが。
1人小さいんで、この人らの子どもかなぁ、でも子どもも
一緒に来るわけ??みたいな感じで、謎なんですけど。
おかしいですよねぇ。
前の年に生まれた子どもが、自分の生まれた家を覚えてて、
その家に大人として卵を産みに帰ってくるとかって、どっかで
聞いた気がするんですけどねぇ。
まぁえっか。
私が小さい頃は、毎年のようにつばめが来てて、
店の入り口の上によく巣を作ってたんですけど、
何か、あるとき、おじいちゃんが意図的に巣を壊しちゃって、
それ以来、近くまで飛んできてるけど、うちには
巣を作らなかったです。
巣を壊されたときには、そりゃぁショックでしたよ。
忘れられませんもん。

だから、久しぶりなんです。つばめ。
去年なのかもうちょっと前なのか、もう忘れてしまってて
わからないんですけど、つばめたちがやって来て、
巣を作り始めたものの、途中で断念してどっか行っちゃって。
その年は、すずめがやたら多くて、しょっちゅうつばめの巣にまで
来てたから、ヤツらがいやがらせをしたのではないかと。
今回のつばめたちは、その前回途中になっている場所で、
また新たに巣を作ってます。
そこ、車止める場所なんですけど、うちらが車で帰って来ても、
塀の上にちょこんってとまったままの時があって、
車から降りずにしばらく見てたんですけど、ふわふわってしてて
かわいいですねぇ。
私のイメージでは、黒い体で頬が赤い、その赤さが赤すぎて
かわいくなかったんですけど、実際近くで見ると、
赤すぎる気はするけど、それよりも頭のふわふわっとした感じが
勝ってて、すごくかわいい。
そして小さい。
手のひらに収まってしまいそうなくらい。
上手く巣が完成して、雛が生まれるといいなぁ。


話は変わりますが、最近、気付いたら母親の補助役みたいに
なってて、まぁ家事も手伝うわけですけど、それ以外のときにね、
本を読んだりFM聞いたりCD聞いたりテレビ見たりを
繰り返してたんですよ。
そしたら飽きてきて。
テレビって、ほとんどおもしろくない。
特に昼間。

時間があるんで、車でイトーヨーカドーまで食材買いに行ったりとかね、
母がやらない広告チェックをちゃんとして行ったりもするんですけど、
毎日毎日掘り出し物があるわけじゃないし、いつものスーパーの方が
いい場合もありますよ。
だから、買い物も大して時間使わないわけです。
仕事を探さんかい、と。
ただ、そういう気が起きないときに、なんぼいやいや探しても
だめなんじゃないかなぁと思いますね。
それに、気力ゼロだから、動こうとも思えないんで。

そこで、あ、そうだっと思ったのが、ピアノを弾こう、と。
今まで度々、久々にピアノ弾きたいなぁと思ってましたけど、
いっつも実行には移さず終わってたんです。
でも、今回は、本当にピアノに向かいました。
たぶん、ほんまに暇なんやろうなぁ。
私のピアノは、小学六年生止まり。
それ以来、弾いてないに等しい。
最後の方に習った曲で、ソナチネって本の9番目の曲が
好きだったので、とりあえずそれを弾いてみる。
弾き出して、あぁそうそう、って思い出しますけど、
やっぱり指が動かないですね。
なめらかさがどこにもない。
そう思いながら、隣の曲も弾いてみて、気付いたら
3時間過ぎてました。
習ってるときでも、3時間も続けて練習したことないな、きっと。
練習が、嫌いでしたからねぇ。
今弾いてみると結構楽しかったなぁ。
まぁ、さすがに、いきなり3時間とか弾いてたんで、
手首が重くなってますけど。

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