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2004年11月 アーカイブ

2004年11月14日

魔の差す日々

11月13日

 寝坊した。(のでお稽古に行けなかった。)
 ちょっといろいろと思うところがあるのでそれについて書こうと思う。
 最近あちこちのサイトを読んでいて凹んだりだとか鬱になっていたりしていたのだけど、人としての「歪み」とかそういうものがいろいろと人の行動や物事の判断に影響を及ぼしているのだな。ということを改めて思い知らされた。
 人としての歪みが少なければ物事はクリアーに判断できる。
 しかし、普通ならしないような選択、普通ならしないような判断が行われる時そこには過去のトラウマだったりその他いろいろの「人としての歪み」が存在している。
 簡単な例を挙げれば、元巨人オーナーの某ナベツネ氏などは「人としての歪み」がかなり大きくなっているのではないかと思う。巨人軍の成績が自分自身の自我を直接に支える基盤になっているからこそ、金で他チームの選手を買い漁るような球団経営を行って「常勝の大巨人軍」という幻想に縋っていたように思える。
 その他、他人から見ればつまらないことに固執しているような場合は多くの場合「人としての歪み」が影響している、らしい。そして人が投資だったり会社経営だったりに失敗する場合、多くのケースではその「人としての歪み」が物事の「機」を適切に判断するのを阻害している、らしい。
 こういうことを書いていても、わたくし自身も十分に「人としての歪み」が大きい人間であるので、様々な局面で適切な判断を行えるように細心の注意を払っている。大学を卒業してかなりの年月が経過してから合気道にのめり込むようになったのも「人としての歪み」を少しでも是正しようという試みでもあった。
 最近わたくしの近辺にいろいろなことが発生しているのだけれども、それでも自分自身に内在する「人としての歪み」を少しでも是正しようとする試みを止めてはいけないということと、他人の持つ強大な「歪み」の発する力に巻き込まれてそれに影響されてむやみに怒ったり不安になったりしてはいけないということの2点は極力気をつけていこうと思った。
 それにしても、非常に眠い。

11月12日

 この1週間くらい絶不調で魔が差しっぱなしの状態が続いていたので、日記を書く気になれなかった。よくよく思い出したら、おうちのマシンが起動しなくなったのも魔が差してCドライブ直下の明らかに危なそうなファイルを移動させてしまったのが原因だし、その前にも職場のマシンの共有フォルダに置いてあるWordファイルを誰かが開いている兆候が明らかにあったのに、魔が差してそのファイルを私が思い切り上書きしたせいで上司のおじさんの半日分の作業を消去してしまったとか、その類のことを連続して発生させていて非常に危険な状態だった。
 しかしこう「魔が差している」状態ではどうしてこんなに注意力散漫になって普段なら絶対気づくはずのことを見落としてしまうのだろう。
 良くないなあ、と思いつつそれでも一日に十数回くらい思い出し怒りというものをやってしまい「あの女むかつくむかつくむかつくむかつく(以下略)」というようなことが頭に浮かんでしまった。
 でも、睡眠を良くとったり入念に呼吸法を行ったり甲野先生のホームページにあったように葉っぱものの野菜を15秒ほどさっと湯がいておひたしにした物を食べたりしているうちに少しずつは回復してきた。
 はあ。 

11月7日

一応昨日の夜にいろいろと悪戦苦闘していたらとりあえずマシンのリカバリには成功した。
(マシンを初期化してしまったので過去の日記のアーカイブやその他貴重なファイルは消えてしまったけれど。)
でもOSがWindows98無印になってしまったため、ネットワークにつなぐことができない・手持ちのソフトをインストールできないなどの他いろいろの困ったことが生じている。
最近しばらくネットにつなぎっぱなしの状態が続いていたためしばらくは自粛するか、それとも新たにOSを買い換えるかちょっと悩むところではある。
ネットへの接続方法は調べればいろいろとあるかもしれないけど。
 秋葉原へOSの値段を調べにいったけれど、やっぱりちょっと高いなあ。
OSを入れ替えるか、それともネットの接続方法を変えようか。。。 

11月6日

 おうちのマシンをメンテナンスしていたら、うっかりして消してはいけないファイルを思いっきり消してしまったので起動することができなくなり鬱。○| ̄|_
 現実逃避のためにインターネットカフェに逃げてまりりんたんから借りた堺さんの出演している「ハニカミ」と「婚外恋愛」を見る。
 それにしてもマシンを何とかしなくてはなあ。
  
11月3日

 ケリーとブッシュでは、ブッシュの勝ち。
 日経の社説でも書かれていたけれど、東海岸の上のほうと西海岸と湖のまわりの州だけがケリーを支持していて残りの大半の州がブッシュを支持している、という形でものの見事に2つにきれいに分かれている。
 こんなに構造がシンプルに2分化されていていいのかという感じ。

ちょっと前にMSNのコラムで「すし食う人々」という題名のものがあって、そこでは民主党支持者は寿司を好んで食べて共和党支持者は生魚を食べないという趣旨のことが書かれていた。(そしてジョージ・W・ブッシュは親日家という触れ込みなのにお寿司が食べられないらしい。)
 日本でも徐々に社会の成員の二極化は進んでいるけれど(2ちゃんねる的に言えば「DQN」と「DQN」じゃないという感じで)アメリカはさらにもっと二極化が進んでいるということなのか。

11月2日

 ミキティーとほりえもんでは、ミキティーの勝ち。
 でも、ほりえもんが最初に近鉄買収に名乗りを挙げてから一気に球界再編が進んだのだから、また大規模な祭りを引き起こして日本社会の新陳代謝を促してほしいと思う。 

11月1日

 もう11月。
 そして今日は新札発行の日。
 ATMからお金を引き出したら野口英世に遭遇した。
 まだ見慣れていないせいなのか、どうしても有り難みを感じないなあと。 

10月31日

 今日はハロウィンの日。
 「新選組!」で土方歳三を演じている山本耕史と藤堂平助役を演じている中村勘太郎の誕生日でもある。
 ハロウィンなので川崎まで行ってハロウィンパレードに参加する。
 まーべらすちゃんはアメリカの仮装用お洋服サイトで買ってきたルネサンスの人のお洋服を。
 まりりんたんは会津に行ったときと同じく新選組のだんだらを。
 そしてわたくしは手持ちの銀のスパンコールドレスを着てキラキラした髪飾りとキラキラしたロッドを持つことにする。
 着替えるまでの間に、最近話題になっている「電車男」が実話かそれとも作り話なのかという話と「ツインテール」の髪型を普通20代半ば過ぎの女子がするかどうかについての話などをする。
 (しかしわたくしはスパンコールのドレスに合わせるために、思いっきり髪型をツインテールにしていた。困った。)
 諸般の事情により荷物を置くことができなかったので仮装しているのに荷物は持って歩くことにする。ちょっとやる気ないかも。
 他の人は、4人の集団で「スターウォーズ」に登場する帝国軍の兵士の服を着ていたりだとか、「ゲゲゲの鬼太郎」のぬりかべの扮装をしていたりだとか、お姫様のかぶりものをして女装していたりだとかして、けっこう気合が入っている。
 で、ハロウィンパレードの最後方で他の2人から「他人に使われるのは嫌だ。何とかして起業したい」とか「大学時代に語学クラスが一緒だった人で、真っ当に働いている人があまりにも少ないのでどうしよう」とかいう話を聞きながらたらたらと川崎駅前の商店街を一周する。
 このハロウィンパレードは仮装して参加しているのはほぼ素人の皆様なのだけど、それでも見物人の人が大勢いて携帯についているカメラで写真を撮ったりしている。
 そんな感じなのでわたくしたちも沿道の皆様に向かってつられて手を振ったりしてみた。
 川崎の街を一回りするとさすがに体力を消耗してきたので、パレード終了後に着替えて京急川崎駅のガード下にある焼肉屋に行って飲む。
 最近ずっと焼肉を食べていなかったので、焼肉の存在が非常にありがたく感じる。
 焼肉屋で会津に行ったときのお土産を配ったりだとか手持ちの「新選組!」の資料を回し読みしたりする。
 まーべらすちゃんは全く「新選組!」を見ていないので、熱心に「新選組!」の資料を読みつづけるわたくしたちを怪訝な目で見ていた。すみませぬ。
 2時間ほどお肉を食べた後、今日は「新選組!」で絶対に見逃すことのできない回だったので8時におうちに到着するように帰ることにする。
 今回の「決戦、油小路」は物凄く素晴らしい出来だった。
 「新選組!」を見ていない人は多いだろうと思うけれど、これは歴史に残るドラマなので今からでも是非とも見てほしいと思う。
   
10月30日

 切込隊長のサイン会に行ってきた。
 隊長のおとといのブログを読んだ感じではお客が少なそうな感じだったけれど、行ってみたらけっこう込んでいた。
 山形浩生氏が「オタクだらけだった」とコメントしていたけれど、わたくしが見た感じでは普通の人の方が多めで女子も何人かいたと思う。
 切込隊長に「脚本と演出がものすごくて、『なんでんかんでん』で働いていた人が抜擢されて出ていて、2ちゃんねるでも叩かれていた某月9ドラマ」の話をしたら思いっきりひかれた。当たり前か。
「何て書けばいいのかな???」と聞かれたときにとっさによいフレーズが出てこなかったのが鬱。
今思い返せば「全ては光ファイバーのために!」と書いてもらえば良かったかも。

2004年11月26日

依然として「新撰組!」の日々

11月23日
 
 勤労感謝の日ではあるが、いろいろと忙しい。

まず、今日は自由が丘道場50周年記念のお稽古があるということで、目黒区の碑文谷体育館まで向かう。
 学芸大学駅を降りててこてこと歩いていると、杖を持って歩いている人がちらほらと見られたのでその人たちについて歩くと道に迷わずに割とすんなり到着する。
 1:00から準備運動をして、それから呼吸法・木剣・杖のお稽古をする。
 まとまった木剣と杖のお稽古をするのは多田塾合宿以来かもしれない。
 ということなので気合を入れて木剣をぶんぶん振る。

今回のお稽古では、呼吸法を行った後に木剣による四方切り・木剣による横面打ち四方投げの動きを行い、その後に一の杖、二の杖、植芝盛平先生の和歌山の杖、と振っていく。
 今回のお稽古では、杖や木剣を振ることに重点をおいている。
 気合を入れすぎてぶんぶんと振りすぎたせいで15:00くらいで体力が持たなくなる。
 でも、杖や木剣を振ってトランス状態になっているくらいが一番楽しい。
 
 この後に渋谷ブックファーストでいろいろと調べ物をした後に、駒場祭の打ち上げに参加。
 ここでわたくしが何を思ったのかは省略。
 また時間のあるときにでも書いておこうと思います。 

11月22日

 今日は会社のお金で死ぬほど焼肉を食べてきた。
 ユッケとレバ刺しを一人占めして食べていると、至福の気分。

11月21日

 駒場祭の1日目。
 1日目だけれども今日が演武会。
 わたくしは、五月祭の演武会に出させて頂いたので今回は見てるだけ。
 結局、昨日一歩も外に出ることが出来なかったのでネットカフェでいろいろと調べ物をして、それから駒場に向かう。
 道場に着いたら、すでに開会の挨拶が始まっていた。
 ので、急いで座って皆様の演武を見る。
 ここに詳細な感想を書くと長くなってしまうけれど、簡単に書けば日頃の弛まぬ鍛錬の成果が如実に現れたのではないかと思われる。
 特に、ひろたかくんの演武の、眩暈がするほどに美しい円運動のフォルムには思わず見入ってしまった。
 学生のみなさまは恐ろしく成長が早い。
 わたくしも調子こいてお稽古をさぼり倒していると、すぐに追い越されてしまうかもしれない。
 (ていうかもうとっくの昔に追い越されてるんですけどね)
 クレープも食べて帰りたかったのだけど、初日ということもあってやけにクレープ作成に手間がかかっているのでお金だけ置いて池袋へ直行する。
 直行しよう、と思ったけれど駒場キャンパスから渋谷へ抜ける近道の途中でF住さんに遭遇したので、少しだけ柏陰舎に立ち寄ってお抹茶とお菓子を頂く。   
 この後は池袋に行って用事をこなしたりだとか、夜の8時から「新選組!」を見たりだとかして一日が終わる。

11月19日

 お芝居にいってきた。
 今日はまりりんたんと新宿まで行って山本耕史主演の「リンダリンダ」を観てきた。
 今回のミュージカルは鴻上尚史演出で、全曲ブルーハーツの楽曲を使用しているのが売りらしい。
 劇団四季が「マンマ・ミーア!」という全曲ABBAの楽曲を使用しているミュージカルを参考にした、という話だそうだ。
 仕事が終わってから急いで新宿歌舞伎町の劇場に直行し、まりりんたんを待つ。
 「遅いなあ」と思っていると、開演5分前くらいにまりりんたんがやってくる。
 パンフレットを見ながらまりりんたんといろいろと話をしていると、突然大音量の音楽が鳴り始めて劇が始まる。
 お芝居の内容は、大手レコード会社にヴォーカルを引き抜かれ、ドラムの人も脱退してしまって取り残されてしまったバンドのリーダーが仲間を呼び戻すために「アザハヤ湾の堤防(←長崎県の諫早湾の堤防のことかな)」を爆破しようとする計画を立てるが、そこに元過激派のおじさんとパンク・ロッカー志望の警官が絡んできてなんたらかんたら。。。。という感じ。
 そこに「バンドで成功したいという夢」「才能がないのであきらめなくてはいけないという現実」「共産主義革命という『夢』を30年間追いつづけてきたが、その努力が無駄なものでしかなかったという現実」「一度は諦めてしまったけれども、それでも捨てられない『ロッカーになりたい』という夢」という登場人物の人々の思いがいろいろと交錯する。
 お芝居の構成上、要所要所にブルーハーツの楽曲を使用しなくてはいけないという縛りがあるのでストーリー展開が2の次3の次になってしまうのと、今回の役が「新選組!」の土方歳三のように山本耕史さんの魅力を十二分に引き出すものでは無かったというのが少々不満ではあるけれど、それでも3時間歌あり、小ネタあり、アクションもありで決して飽きさせないつくりになっていたと思う。
 山本耕史は格好いいし、SOPHIAの松岡はやはり本職だけあって歌はうまいし。
 
 お芝居が終わった後、トイレに行ったり出演者の皆様に送られたお祝いの花を見て、それからまりりんたんに「このまま帰りますか???」と聞いてみたところ「このまま帰るわけがないじゃないですかあ!!!」ということだったので、以前下見をしておいた劇場の楽屋口で出待ちをすることにする。
 かれこれ20分くらい晩秋のけっこう底冷えのする歌舞伎町の路上で待っていると、何故か椅子を持った山本耕史と、付き人らしい顔のきれいな若いお兄さんが出てきた。(まりりんたんはそれにマネージャーをやっているヤマコーのママもいたと言うけれど気が動転していてそこまで気がつきませんでした。)
 一瞬ぼーっとしてしまったけれども、3時間の公演で相当疲れがたまっているというのに希望者にはサインをしてくれていた。
 まりりんたんに「何かペンある?」と言われたので急いで筆入れからペンを出そうとする。
 でも、細くてあんまり出の良くないボールペンを選んでしまったらしく、せっかくまりりんたんが山本耕史にパンフレットにサインを書いてもらったのに、ものすごくかすれてしまった。
 すると、山本耕史が「このペン、出ねえな」とつぶやいた後に、一度まりりんたんに書いたサインを再度サインの筆跡がはっきりと見えるように丁寧になぞってくれた。
 もう、激しく「申し訳ありません」という感じ。

 この後、興奮状態のまりりんたんと一緒に新宿西口のワインバーに行って、昨日解禁されたばかりのボジョレー・ヌーボーを飲みながら今日のお芝居についてだとか「新選組!」についてのあれこれを1時間ほど話した。
今年のボジョレー・ヌーボーは去年と違って薄いくせに妙にアルコール風味がきつめで、おつまみも頼まずに2人で1瓶空けたらひどく悪酔いしてしまった。
       
11月17日

 仕事の帰りに近くの神社の壁にかかっていた「厄年」の看板を見てふと思いついた。
 前々からこの「厄年」の看板を見て、「男子は25歳、42歳、60歳とある程度の間隔でばらけているのに、女子は19歳、33歳、38歳と人生の序盤から中盤あたりに固まっているのはどうしてかしら」と思っていたけれど、33歳というのは女子の呼称が「お姉さん」から「おばさん」に変化するあたりの年で、38歳というのは、閉経が起こって子供が産めなくなるかどうかの臨界点なのかなと。
 で、世界中の女性が全力で無駄な努力をしたり多額の金をつぎ込んだりしても、そのあたりの年で上に書いたようなやな感じの変化が発生してしまうということは大昔と比べてもそんなに大きく変化はしていないと。
 もしそうだったら、厄年には十二分に気をつけても気をつけすぎることはないかな。
 そのあたりの年になったら、極めて危険そうだし。

11月15日

 昨日の「源さんマトリックスショック」のせいか夜中ずっと腹痛に悩まされて眠れず、朝になっても全く動けそうにもない。
 しょうがないので職場に電話連絡を入れて、午前中は様子を見ることにする。
 午後になってから完全ではないけれどもようやく作業が出来る程度には回復した。
 
 ところで今日は七五三の日らしいとネットを見て初めて気づいた。
 「七五三」とは言っても、幼児の死亡率が高かった昔と違って、現在では子供が死なないで無事に成長するということがあまりにも当たり前のことになってしまったので「とりあえず3歳まで生き延びた」「とりあえず5歳まで生き延びた」「何とか7歳までは生き延びたこれでひとまず大丈夫」というように喜ぶというのも現在ではあまり実感のあることではないなあと。
 しかし、行事が一つ廃れてしまうのを目の当たりにしてしまうのは何となく寂しい気もする。

11月14日

 「新選組!」漬けの一日。
 文化庁芸術祭に出品するためにBSハイビジョンで再放送された「友の死」を見るためにネットカフェのケーブルテレビが見られる席の場所を取って、見てみた。
 8月に放送されたものと編集が一部異なるという話だったので注意深く見ていたけれど、オープニングテーマ曲の前に放映されるダイジェストが少し長めだった以外はそんなに大きく内容は変わらなかった。
 「友の死」を見るのはこれで3回目。
 内容はもう全部頭の中に入ってはいるけれども、それでもやはり目が潤んでしまう。
  
 家に帰ってからたまっている家事をこなしたり、夕食の麻婆豆腐を作ったりしているうちに夜の8時になったので、第45回「源さん、死す」を見ることにする。
 正直言ってわたくしはものすごく期待していました。
 これまで新撰組隊士の死を描いた回には外れがなかったもので。
 しかし、肝心の源さんの死亡場面でいきなり映画「マトリックス」のようにで飛んでくる弾丸の軌跡がCGでつけられていたり刀で弾丸を弾こうとしているときに「カキーン」という効果音がつけられたり、あと大阪城にいる近藤勇のところへ源さんが亡霊となって最期の別れの言葉を告げに行く場面で、源さんの幽霊の背後に妙に青すぎる光が特殊効果としてつけられていたりしたのでどうしてもドラマに入り込むことが出来なかった。
 
 もう一度録画したものを上記の演出はなかったものとして脳内変換して見直してみると、そもそも幽霊が出てくるのってどうよ、とか「鳥羽・伏見の戦い」でロケを行わずスタジオのみで撮影されたので何だか狭っ苦しい、というのはあんまり気にならない。役者のみなさまもちゃんと演技している(細かく指摘すれば台詞がものすごく棒読みの人もいるけれど。)
 
 良いドラマ、というのは見てる人間を現実の世界からドラマの世界に引っ張りこむ力を持っている。
 (現に8月に「友の死」の録画を見たときには、1週間ほど現実の世界から戻ってこられなかった。) ものすごくよいドラマやお芝居、というのは例えどんなにセットが粗末なものであっても役者の演技で観客を引っ張りこむ力がある。
 「新選組!」はこれまで絶対的な数は多くないかもしれないけれど、それでも決して少なくはない人々をドラマの中に激しく引きつけてこれまでやってきたのに、話の流れにそぐわない特殊効果がせっかくドラマの世界に入り込んだ人間を現実に引き戻してしまうような形になってしまって、それが非常に勿体ないと感じてしまった。  
 少しだけほっとしたのは、源さんを演じている小林隆さんがこの仕上がりにけっこう満足しているような感じのことを「ステラ」のインタビューで語っていたことだろうか。(でも、放送時にCGでこんなことになってしまっていることを知らない、ということも有り得るかも。そうだったら凄くかわいそうだなあ。)

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