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2004年09月 アーカイブ

2004年09月07日

腐った女子で腐女子、腐った今日は不況

9月5日

 一日中だらだらする。
 睡眠不足だったせいか昨日の夜に12時間寝ていたのにさらにもう6時間くらい昼寝をしてし
まう。
 おかげで今日一日やろうと思っていたことが何も出来ない。
 ぼーっとしているうちにあっという間に午後8時になったので「新選組!」を見ることとにす
る。今日は屯所が壬生村の八木邸から西本願寺に引っ越すことが主なストーリーとなっている。
 話とは関係ないけれど、「ああ、当たり前のことだけどもう山南さんが出てこないんだなあ」
などと思ってしまう。あんまり頻繁だと白けてしまうけれど時々は誰かが山南さんのことを思い
出して画面上に登場させてほしいと切実に願う。。。
 だめだ、これではまるで腐女子みたいではないか。
 改めて第33回「友の死」のビデオ録画を見直してみる。  
 2週間前と違って、見終わった後に呆然として何も手につかないということはなくなったけ
ど、やはり山南さんの凛とした美しさが強く印象に残る。

9月4日

 とりあえず土曜日なのでお稽古に行く。
 妙に体調が良くないし、胴着の下が2枚ともちゃんと乾いていなかったので行くのやめとこう
かなと思ったけれど、「そういえば国際有段者証を取りにいかなくては」と思ったのでものすっ
ごく遅刻して行くことにする。
 前にも何回か同じ事を書いたような気がするけれど、こうやってものすごくやる気が無くて恐
ろしく遅刻した時にかぎって多田先生がいらっしゃっている。
 とっても鬱。
 お稽古の後に某お兄さんが他の人々から「おめでとう」といわれている様子だったので「あ
あ、これはおそらく院試か何かに受かったんでしょうねえ」と思ったのだけど、わたくしの所に
そのあたりの情報を全く言ってきてくれないのが少し寂しい。ついでにこのことを書いた勢いで
もう少し書いてしまうとプレゼントなどなどを渡した時にお礼を貰うことを目的でやっているわ
けではないけれども、渡しても何の音沙汰も無いというのは、やはり、寂しいなと思う。
 補足その1:お稽古から帰るときにうっかり帯を忘れて出てきてしまったのだけれども、わざ
わざ第一体育館から裏門まで走ってきて帯を届けてきてくれたY田さんに限りない感謝の気持ち
を送ります。ありがとうございます♪
 補足その2:本文ではグダグダ書いてしまいましたが、素直に「おめでとう」と書いておきま
す。挫折した経験は人を強くするけれども、やはり道を踏み外さずに生きていけるのなら、そっ
ちの方がいい。

9月3日

 今日は「東大生大麻で逮捕」のことについて書こうかなと思っていたけれどおうちに帰ってテ
レビをつけたらロシアで大変なことになってしまっていたのでやっぱりそっちについて書こうと
思う。

北オセチア共和国で発生した人質事件は死者が250人以上(しかも半分が子供)と大変悲惨な
な結果になってしまった。
 あくまで日本に住むわたくしの偏った物の見方かもしれないのですが、ロシアは日本と比較す
ると人の命の重さが軽いように思えてしまう。「テロには屈しない」という国家の方針はよく理
解できるのだけれども、特殊部隊スペツナズが突入した時に体育館で自動小銃を乱射していたと
いう事実(ネットに載ってただけなので事実ではないかもしれませんが)から判断すると、どう
もテロリストを殲滅することにのみ重点が置かれていて人質の命は2の次になっているように思
われる。
 今回の犯人は恐ろしく凶悪で人質の扱いも最悪だったらしいので、例え人命救出第一でで作戦
を行っていたとしても犠牲者が今回の結果よりも少なくなったという保証は無いのですが。
 それにしても、「学校襲撃というのはもしかして宅間守の事件を参考にしているのか???」
という2チャンネルに投稿されていた意見に少しだけ納得してしまった。
 
9月1日

 今日恐る恐る内田先生の旧ホームページの掲示板をのぞいてみたら、8月31日付けで無く
なってしまっていた。まあだいぶ前にブログにリニューアルされたので、ああいう感じに掲示板
だけが残っていたのも奇跡だったんですが。
 今までは某お兄さんがダブルミーニング文や電波のほとばしる素晴らしい名文を書き込んでい
たり、また別の某お兄さんがネカマキャラで書き込みをしていたり、また今年の初めあたりには
某「ブラジル騒動」が発生したりしたなど、いろいろなことがあったんだなあということを思い
出す。
 まあ最近は他人のハンドルネームを勝手に使って書き込みをする人が常駐していたので真っ当
な人々が書き込むこともほとんど無くなってしまっていたのですが。
 でも気に入って良く行っていたお店が何の前触れもなくつぶれてしまったような、そういう寂
しさも感じる。
 そういえばこの前見てみたら某サークルの渋谷の瑠玖もその近くにあったはずの魚や一丁もつ
ぶれていた。これも時代の流れかなと思う。

8月31日

 もう8月もおしまい。
 こういう時期なので「なーつのおーわーりー♪」と森山直太郎の「夏の終わり」が脳内に流れ
る。
 月の始めに「お仕事と歯の治療で今年の夏は終わってしまいそうだ」と書いた覚えがあったの
だけど本当にその通りになってしまった。
 まあ夏という季節は暑いからあんまり好きではないし、夏だから何かしなくてはいけないとも
思っていないから一抹の寂しさを感じるだけで「ああこれからは涼しくなっていいなー」と思っ
たりするのでした。

8月29日

 先週の「新選組!」第33回の「友の死」のオンエアから一週間。
 結局現実の世界にちゃんと戻らず意識が大河ドラマの世界に常駐したままになってしまってい
たなあと思うとちょっと反省。 
 山南さんの切腹の衝撃が続いていたのでやるべき事もやらずにずっと2ちゃんねるの大河ドラ
マ版のスレッドを読み続けていた。
 視聴率は10%台後半あたりをずっとうろうろしているのだけど、ネット上の一部の人々の間
では凄まじい盛り上がりを見せている(と私は感じた)。
 前回と打って変わって今回の「池田屋大騒動」は大河ドラマにあるまじき凄まじく凶悪なコメ
ディになっている。    
 特にオダギリジョー演じる斎藤一が「俺のせいだ…。」と羽織のひも?をいじくっている場面
と、山本耕史演じる土方歳三が殴られた後に格好をつけて話しているのだけれども鼻血がずっと
出たままになっているところで激しく笑った。
 今回の感想で「こんなの大河ドラマじゃない」と怒っている人も多いみたいだけれどもたまに
はこんなのもあっていいかな、とも思った。 

8月28日

 今日は思わず腐った饅頭を気づかずにかじってしまったのでちょっと鬱。
 最近は秋の気配が漂って涼しくなったような気がするのだけど、そういえばまだ8月だったこ
とを思い出す。
 例え気温が30度を超えてしまっていてももう慣れてしまった。
 で、全く関係のない話なのだけれども、JOCのホームページを眺めていたら知っている人に
良く似ている人を見つけたのでURLを貼っておきます。
(これ→http://www.joc.or.jp/athens/athlete/gymnastic/yonedaisao.html)
 体操男子の米田功選手には、団体での金メダル獲得後のインタビューで「趣味は・・・特にあり
ません。」と非常にやる気のなさそうな受け答えをしていたときから注目していたのだけれど、
その後週刊誌の記事で天才的な能力を持ちながらも大学時代にパチスロにはまってしまいその結
果シドニー五輪の代表を逃してしまったという非常に香ばしくかつ好感を持てる経歴をお持ちに
なっていることが判明した。

ということがあるので体操男子の米田功選手のことはわたくしの心の中で「ニセ王子」と呼ぶこ
とにしようと思う。

2004年09月21日

新撰組!な日々

9月20日

 今日は午前中に入浴して身体に蓄積したセルライトを何とか除去しようと画策し、午後から新橋に出かけてまーべらすちゃんとしゃぶしゃぶ食べ放題に出かける。
 まーべらすちゃんからウィーンのお土産を頂き、その時のお話をいろいろと伺う。(Thanksです♪) 
 わたくしは土曜日にスタジオパークに行った話などをする。
 でも、まーべらすちゃんは「新選組!」を見ていないのでいろいろと分からない部分が多いらしい。すみませぬ。
 しゃぶしゃぶのお店は思っていたよりも高級店だったらしく、豆乳の入った鍋にお肉をくぐらせて頂く。初めのうちは「肉の脂分がちょっと少ないかも」と思っていたけれど、さっぱりとしてかつコクがあるのでお箸が進みけっこうな量を平らげてしまった。
 早めに返ってきて書きかけの日記を書いたりたまった洗濯物の整理をしたり等する。

9月19日

 今日は多田先生が特別に呼吸法などのお稽古をしてくださるという。
ということで朝8時に道場へ行く。
 でもきのうのお酒が残っているので「遅刻しそうだ」と思ってダッシュしようとしても息が切れて汗が全身からどっと出て足がピタリと止まってしまう。
 あーあ。やはりもう少し体重を落としたほうが良いのかなあ。
 今日のお稽古は「日頃稽古に来ていないOB・OGのための稽古」ということだったので、相当久しぶりに見かける顔の人も何人かいる。そして早稲田の人々も何人かいる。
 今日のお稽古は呼吸法、イメージトレーニング、自律訓練法のようなもの、気の感応の稽古、おもりを使った稽古などを行う。
 わたくしが現役のときはこれらのお稽古が合気道の役に立つのだろうか???とは思っていたけれども、いろいろな出来事が発生したり邪悪な意図を持つ人間に遭遇してしまったりしているうちに徐々にこれらのお稽古の重要性が分かり始めてきた。
 でも、昨日夜1:00過ぎに寝て5:30に起きているので激しく眠い。
 イメージトレーニングや自律訓練法のようなものを行っているうちに意識が向こう側の世界に出かけていってしまう。
 お稽古から帰ってきた後、山南敬助役の堺雅人さんがゲストで出演している大相撲秋場所8日目を見て、その後に「新選組!」第37回「薩長同盟締結!」を見て、さらにその後に堺雅人さんが出演しているラジオ「チャノミバ」を聞く。何だか今日は妙に「新選組!」づいている。
 「チャノミバ」で堺さんと糸井さんが「野球の間の取り方とサッカーの間の取り方の違い」について語っていたのが印象的だった。時間がもう少しあるときに改めて書いてみようと思う。

9月18日

 今日はお稽古をお休みして、まりりんたんと一緒にNHKスタジオパークへ行って「新選組!」の撮影現場を見学してきた。スタジオパーク開場15分前から並んだおかげで一番前の場所を確保できた。
 10:30から撮影開始。まず最初に洋装姿の土方歳三(as山本耕史)と捨助(as中村獅堂)が登場。わたくしは山南さんのファンなのですが「ちょっと、宗旨替えしようかな。」と思ってしまうほどに洋装姿の土方歳三は格好良かった。
 ファンサービスなのか、それとも何通りかの演技を行って一番良い物を使おうとしているのかはわからないけれど何度も上着を脱ぎ着したり上着の裾を翻したりしているのが何とも言えず格好いい。ついでに窓の外に鈴なりになって中の光景を見ている女子の群れに気づいた山本耕史に手を振ってもらえた。ちょっとうれしい。山本耕史はファンに対してとても配慮のある人だと思う。
 その後、土方歳三と近藤勇(as香取慎吾)と沖田総司(as藤原竜也)の3人のシーンを撮影する。でもセットの手前にあるカーテンが閉められてしまったので中の様子が分からない。目を凝らしてみていると時々沖田総司の月代の部分や土方歳三の足の部分が見えるといった程度。
 中の音声は分からないけれど、モニターの映像から判断する限りでは土方歳三が近藤勇と沖田総司に向かって「これから洋装することにしたんだ。髪は切ったんだ。見てみろよ。股間の部分はボタンで留めるようになっているんだ」と言っているようだった。
 昼休みを挟んで午後からの撮影はスケジュールの詰まっている香取慎吾の登場部分を集中的に撮影しているらしく、千葉の流山で加納鷹雄に自分が近藤勇であることを見抜かれるシーンと最終回に近藤勇が板橋の刑場で取り調べを受けているシーンを撮っていた。あまり最終回近くのネタばれになるシーンは見ないほうがいいかもしれないと思って早めに帰ることにした。
 しかし官軍の人がかぶっている赤いヅラのようなものと黒いヅラのようなものって何のためにかぶってるんだろう。手元に資料がないのだけれども確か日本史の資料集でも官軍にはあんなかんじのヅラをかぶっている人がいた。兜の一種だったんだろうか。しかも赤いヅラの人は最終回でタキシードみたいな服に赤いヅラをかぶっていた。変だ。
 NHKを出てからは新宿の日本旅行に行ってに会津ツアーのチケットを発券してもらい、その後に下北沢に移動して沖縄料理のお店で飲むことにする。
 けっこうな長時間立ちっぱなしだったので、疲労していたらしくやたらと甘い物が欲しくなる。カカオミルク、イチゴミルク、カシスミルクとミルク系のカクテルばかりを連続して注文していたらお店の人に「ずいぶんミルク好きなんですね???」と言われてしまった。

9月14日

 宅間守死刑執行。
 この人、とうとう最後まで遺族に対して謝罪の言葉を言いませんでしたね。
 そして、いろいろな人が指摘しているのですが宅間父親も絶対に遺族に対して謝罪の言葉を口にしようとしない。
 この手の人間を何人か知っているのですが、このタイプの人間は絶対に自分の非を認めて謝罪するということをしない。おそらくどのような手段を使ってもその性質を変えることはないでしょう。
 でも、彼らが絶対に謝罪の言葉を口にしないことで傷つけられている人は多いと思うんですが。。。

9月12日

 まりりんたんと電話でお話していたらいつのまにか再来週会津若松に行くことが決定してしまっていた。大丈夫か私???もうすぐ多田塾合宿もあるというのに。
 でも決まってしまったものはしょうがない。温泉と山本耕史が生で見られることを楽しみにして当日を待つことにしよう。
 今日の「新選組!」第36回「対決見廻組!」は、フラグを立てている(一般的な言葉で言えば後の伏線を張っている、ということになるんだろうか)だけの回だったのでちょっといまいち。
 糸井重里が「ほぼ日刊イトイ新聞」の中で(ここ→http://www.1101.com/2004_TV_taiga/040910.html)「『新選組!』には構成の上で重大な出来事が発生する『駅の回』とその間に存在して話を展開させたり伏線を張ったりする『道の回』の2つが存在する。」と言っていたけれど今回の話は「道の回」ということになるんだろうかなあ。
 ということでちょっとだけ不満。

9月11日

 あの事件からもう3年が経過したということですか。
 わたくしにはそんなに長い時間が経過したようには思えないし、世界の置かれている状況もあれからさらに悪化しているような気がする。
 ジョージ・W・ブッシュの脳内だけでは「世界は少しずつ良い方向へ向かっている」らしいのだけど、地球上に住む大多数の人はそんな風には思っていないでしょう。
 しかし今度のアメリカ大統領選挙で民主党が勝利することがあると日本経済が失速する懸念もあるらしい。どうなんだろう。
 いろいろあるのかもしれないのですが、やはりアメリカが正しい方向に向かうようにならないと世界が正しい方向に向かうようにならない。そんな気がする。
 今日はとてもむかつくことがあったのだけどあまりにもむかつくのでその内容はあえて書きません。「新選組!」のことを思い出して自分の脳内からむかつくことを完全に抹消することにする。

9月9日

 おうちに帰ってきてから山本耕史の出演しているNHK「スタジオパークへようこそ」の録画を見る。山本耕史は土方歳三を演じている時と普通にしている時ではあまりにも格好良さの水準が違いすぎて思わず「別人か?」と思ってしまうことが多いのだけれども、今日の山本耕史は眉を土方歳三のときのようにちゃんと書いて、髪型も生え際の位置がわからないように入念にセットされていたのでけっこういい感じに格好良い。
 それにしても、山本耕史を一目見ようと思ってスタジオパーク内のオープンスタジオに女子が殺到していたのがすごかった。番組中に届いたファックスの数も凄くて圧倒されてしまった。

9月7日

「新選組!」への傾倒があまりにもひどくなっていって遂に「時代劇マガジン8月号」まで買っているわたくし。でもここに載っている山南さんの写真はあまりにやにやしていなくて本当に格好いい。人生に疲れたときにはこの写真を見て嫌なことを忘れることにしようと思う。

2004年09月29日

今週も新撰組!

9月27日

 糸井重里がラジオ番組「チャノミバ」で堺雅人さんをゲストに呼んで2時間トークを行った時でさえも「激しくうらやましい。こういう時にメディアを握っている人間はずるい。」などとグダグダグダグダ考えていたのに、ほぼ日刊イトイ新聞で堺さんと一緒に京都旅行に行っていて、その模様を携帯電話のメールと写真でライブ中継してネット上に載せている(これ→http://www.1101.com/2004_TV_taiga_kyoto/index.html)と知った時には「激しくうらやましすぎる。3か月だけでもよいから糸井重里と立場を替わりたい。自分が出版社とかそれに近いところで仕事をしていればいいのに。そうすれば『取材』という名目で堺さんと会えたりするのに」と思うようになってしまった。
 「新選組!」関連のウェブサイトを見てばかりいて日常の生活に支障をきたしているので、いい加減少しはセーブしておこうと脳内では思っているけれども、まだまだ「新選組!」に激しく傾倒する日々は終わりそうもない。
 そういえば今週はあの「9月30日二本松トークショー」があるんだった。当日は台風らしいのだけど、それでも雨具を持ってきて徹夜で並ぶと言っているお姉さんをネット上で何人か見かけた。凄いなあ。 

9月25日

 生理痛のため全く動くことができない。
 お稽古に行かなくてはなあ、とかそういえば内田先生が朝日カルチャーセンターで講演をしているんだったなあ、とか思ったけれど結局おうちから一歩も出ることなく1日に18時間くらい寝てしまった。

「新選組!」第38回「ある隊士の切腹」は、ここ2、3回があんまりおもしろくなかったので期待して見なかったけれども予想に反して面白かった。河合さんがあまりにもかわいそうで。
 でも三谷幸喜は大河ドラマのような長編よりも、閉じられた空間を舞台にする短編の劇の方により才能を発揮することを改めて確認させられたような気もする。

9月24日

 旅行の疲れで仕事は全くはかどらず。
 でもこういうときに限ってやるべき仕事があって、思い切り残業しなくてはいけないということが鬱。
 ふー。 

9月23日

 会津藩公行列の、鶴ヶ城の出陣式で良い場所を確保するために朝の5:30に起きて支度をする。わたくしは普通の服に着替えたけれどまりりんさまは服の上にわたくしが貸した柔道着と袴を着込む。わたくし的には袴の名前を他人に見られると非常に恥ずかしかったりするのでその上からだんだらを羽織ってほしいなあと激しく思った。
 準備が予定していたよりも早く終わったので朝食の前にチェックアウトを済ませ、東山温泉の周囲を一回り散歩する。東山温泉の街並みは、昭和40年代くらいで時間が止まったような感じの街並みで、けっこう良い感じである。温泉宿の間を川が流れていたり、怪しげなストリップ小屋があったりするのが「火曜サスペンス劇場」か何かの舞台っぽくて良い。
 最大限の速さで朝食を取った後、7:20にタクシーで鶴ヶ城まで出かける。
 わたくしたちが鶴ヶ城の本丸内にある出陣式会場に到着した時には、まだそんなに並んでいる人というのはいなかったけれども、「東京湾景」のあらすじをまりりんさまに話してもらって暇つぶしをしているうちにどんどん見物人が増えていき、午前9:00前後には身動きが取れないほど人が集まってしまっていた。そういう中でどこかのプレスの人が見物人を強引にかき分けて記者席のほうに行こうとしていたので、そのお兄さんの持っていた三脚がまりりんさまの頭にぶつかった。かなりむかついた。
 わたくしはものすごくトイレに行きたかったのだけれども、一度自分のいる場所を離れてしまったら二度と戻ってこられなさそうだったので、気合いで我慢することにする。
 予定を15分ほど過ぎた9:30頃に会津藩公行列の出陣式が開始。
 白虎隊や新選組の衣装を纏った人々や薙刀を持ったお姉さんの行列が次々と登場する。そして、行列に参加する人が一通り揃った後でステージ脇から、浅葱色のだんだらを着た山本耕史と照英と熊面鯉が登場する。
 やはりこの3人が登場すると見物人のボルテージが一気に上がる。何とかして山本耕史の写真を取ろうとするお姉さま方がものすごく前のほうに詰めてきたり思い切り押したりしているので大変だった。
 わたくしたちは「新選組!」に出演している3人に一番距離的に近い席に場所を取っていたのだけれども、それでもテレビ局の人々がカメラを回している後ろの場所だったのでまりりんさまのカメラで写真を取ったけれどもちょっと小さめにしか写らなかった。
 この後、お城を出て次に「新選組!」に出演している3人が挨拶を行うポイントへと急ぐ。でもものすごく人で溢れていて、さらに行列の人の妨げにならないようにあちこちを通行止めにしているのでなかなかお城の外に出ることが出来ない。
 でも何とかしてお城の外に出る。
 最初に行列の人々イベントを行うポイントに直行しようと思ったけれど、かなり見物人でごった返していて無理そうだったのであきらめる。でもちょっと歩いているとちょうど狭い路地から大通りをでてくるところで、行列の人々が間近で見られる場所があったので、そこで「新選組!」に出演している3人が通過するのを待つことにする。15分ほど待っていると山本耕史と照英と熊面鯉が何か山車のようなものに乗って登場。ちょうど狭い路地の角のところに場所をとって待っていたので推定2mくらいの超至近距離で山本耕史を見ることができた。
 日焼け防止のためか相当ドーランを厚塗りしていて透き通るように白い首の色と顔の色が違ってしまっていたけれども、それでも格好いい物は格好いい。眉も相当濃く書いていたように見えた。でもものすごく格好いい。
 まりりんさまが「歳さまは傾国の美男子♪あれほどかっこよければ人々を意のままに操ることもできるって感じよね♪」といっていたけれどそれもあながちオーバーな表現ではなさそうだ。
 まりりんさまのカメラでズームを最大限にして3枚ほど写真を撮る。
 1枚超絶アップ&カメラ目線の写真が撮れた。この写真がちゃんと撮れていればものすごいことになるのだけど、ちゃんと撮れているのだろうか???
 この後マクドナルドで軽く昼食を取ってからさらに2か所で行列を見ることにする。
 この日自分たちが歩いた距離を測ってみたら4kmあった。疲れた。
 後で聞いた話では、(どういう数え方をしているのかはわからないけれど)会津藩公行列の人出は例年15万人のところ31万人もあったらしい。道理でえらいこと混雑していたわけだなあ、と思った。
 行列を見物した後は、特に他の場所を観光はせずにお土産などなどを買って東京に帰ることにする。帰りの電車の中で暇つぶしに「冬のソナタ」のあらすじをわたくしが語っていたら、ちょっと詰まってしまった時に電車の向かいの席に座っていた女性の方がフォローして「冬のソナタ」のあらすじの続きを話してくれたのでちょっとびっくりしてしまった。そんなにわたくしたちが話していた声が大きかったのかな。

9月22日

 今日と明日は会津旅行。
 お仕事は午前中に終わらせて12:30に東京駅に向かう。どきどきどき。
ホームでまりりんさまと待ち合わせて新幹線に乗り込む。お弁当を食べながら「新選組!」と会津関連のいろいろな話をする。
 そう言えばわたくしは戊辰戦争のあれこれについてきちんと調べていなかった。
 「大鳥圭介」が何者か、ということについてもこの電車の中でまりりんさまに聞いて初めてわかった。箱館戦争で土方歳三と一緒に戦った人だったんですね。
 買ってきたお弁当を食べたり会津関連のお話をしているうちに新幹線が郡山に到着する。
 そこからは快速に乗り換えて会津若松に向かう。電車の風景はいきなりのどかな感じになったので「ああ遠くまで来たんだな」と強く感じる。
 土方歳三役を演じている時の山本耕史と、普段の状態の山本耕史はどうしてあそこまで美貌の程度に差が出てくるのかということを話しているうちに会津若松駅に到着する。
 会津若松駅に到着したときには既に16:30になっていたけれども、そこから会津武家屋敷を見学して、それから宿に向かうことにする。
 会津武家屋敷は、「姿三四郎」のモデルにもなった西郷四郎の養父西郷頼母の屋敷を移築した物で、「新選組!」のロケもここで行われたらしい。
 さらに、会津武家屋敷の係員のおじさんから、7月28日のトークショーの際に堺雅人さんがここを見学にきたという話を聞いて、「うわー。うらやましいー。」と思う。
今更言っても仕様がないことだけれども、本当は9月30日の二本松トークショーに激しく行きたかった。
 あと、会津武家屋敷には「新選組資料館」というのもあって、松平容保公が孝明天皇から頂いたという和歌と手紙(のコピー?)と土方歳三が義兄あてに送った「花街の女の人にモテてモテて困る」と書いた手紙があったのでその内容をじっくりと見てきた。
書体が行書なので内容は全部はわからなかったけれども、「婦人」と大きく書かれた後に「祇園」とか「明神」とかそれらしい文字がいくつか並んでいた。この「モテてモテて困る」と書いた手紙を土方歳三が書いたときには、壬生浪士組から新選組と改称して間もない頃だったけれども、それでも遊郭に顔パスで入ることが出来たらしい。凄い。
 会津武家屋敷の閉館は本来17:00なのだけれども、結局18:30くらいまで長居してしまった。
 この後、宿の東山温泉まで歩いていったのだけど、途中の分かれ道で間違った道を選んでしまい、人が上るにしてはものすごく急な坂を上ってしまったのでまりりんさまを激しく疲弊させてしまった。すみませぬ。
 このあとご飯を食べて「トリビアの泉」を見た後お風呂に入る。
 ご飯はけっこうおいしかった。でも激しく量が多かったかも。
せっかく温泉にきたのだから、温泉にはもう少し長く浸かっていたかったけれども、一日の疲れが出てきて眠くなってしまった。明日は早いので早めに寝ることにした。

 

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