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2006年05月 アーカイブ

2006年05月02日

ミチロウと町蔵

5月1日
明日は授業があるので名古屋に帰る。
新幹線は高いので、はじめて近鉄を利用。
空いているし、なかなかええやん。
せやけど、時間かかるのう。
難波まで出るのも面倒やし。
とはいえ、月曜の授業のために日曜日にはまた関西に戻る。
まだGW中やから、近鉄で帰ろう。

昨日は、朝、順調に大阪駅について、祖母の家に8時前に帰る。
一緒に朝ごはんを食べてから、シャワーを浴びて、お稽古へ。
帰ってきて昼ごはんを伯父と母と祖母と一緒に食べて、祖母宅に戻ると、ふらふらになってきた。
眠れるかどうかはさておき、少し横になる。
GWなのに仕事があるの?と祖母に言われ、今日早く帰る代わりに、久しぶりに1回だけ4人で麻雀をする。
ちょっとだけ勝ってよかった。

それから、すこし授業準備をするが、疲れがどーっと出てしまい、能率あがらす。

今朝は、月参りなのでお坊さんにお経をあげてもらい、その後お稽古。
昼も食べずに、名古屋に帰る。
それにしても、自分の調べ物などは、本当に出来ない。
その代わりに、いわゆる勉強をしている。
猛勉強していると自分でほめてやりたいわ。
でも、それはそれで結構楽しいんやわ。時間にさえ追い立てられへんかったら。
3日からは論文の書き直しをして、出来れば、授業準備のストックをしたいなあ。

その前に・・・
日々溜め込んでいたストレスが胃を直撃したらしい。
地下鉄に乗っているうちに気分がにわかに悪くなり、家によろよろになってたどり着いた。
明日は授業なのに・・・

4月29日
夜行バスの中。
今日は、本当によく遊んだ。
全然余裕のない生活を送っていたから、ほんまに楽しかった。
リフレッシュ。
もちろん、いつも誰かと刺激的、あるいは楽しいはなしをしているので、そんなに毎日鬱欝してるわけやないねんけど。
今日のは、久しぶりにひとり遊びですわ。

朝荷造りして、名古屋駅へ。
ああああ、GWなんやわっと実感。
ちゃいますで、私のGWと。
世間がGWやなあと思うたんですわ。
まあ、他人からみれば一緒やねんけど。
大きな旅行用の荷物持った人が、名古屋駅に仰山いはる。
家族連れも。
新幹線のホームもそんな人たちで結構いっぱい。
みなさん、9連休ですか?
ええなあ、旅行にいかはんねや。
そういう私も、東京へ。
これまで、育った土地を離れたことがないさかい、帰省ラッシュとかあまり実感わけへんかった。
だから、今日の東京はたまたま29日だっただけで、GWだからというわけではない。
逆に人が多すぎて、戸惑い。
新宿ロフトでライブやったのさ。
それだけ、せやから、今夜行バスで帰阪しているのだ。(単に、格安チケットがこのシーズン使えなかったからと言う理由で)
それもGWの帰省ではなく、明日と明後日とうまい具合にお稽古が続けてあるから、お稽古のために変えるのである。

それにしても、引越しからいろいろトラブル続き。
引越しのトラブルはまだ解消してへん。
GWあけたら「どないなりましたん」と連絡いれな、なんかそのままほっとかれそうや。
向こうのミスやのに・・・これが世知辛い世間ちゅうもんなんやろか。
しくしく。

本当に、それ以外も私にとって「重要」という事柄ほど、トラブルが続いてるんですわ。
先週なんて、もう吐き気がしそうなぐらい。
胃がいとうなってきて、鼻血が出ました、(なんのこっちゃ)
まあ、それほど、内に溜めとったんよ。
肌はぼろぼろになるし、自律神経は微妙に狂うてくるし。

せやさかい、今日はほんまに1日なんもかも忘れて自分のために行動しようと決めたんですわ。
って、ライブのチケットは3月から取っているからまあ、偶然と言うかうまく重なったんやけどね。

まず、東京についてから、ロッカーに荷物を入れて、自由が丘へ。
美容院へ行ったのだ。
前に書いたかも知れんけど、私は美容師を変えない。
やむをえない事情で、先方からやめるとか異動とかで、別の美容師に引き継がれることはあるが、基本的に大学以来、ほれ込んだ美容師についていく姿勢は変わらない。
何度か浮気をしたが、全然あかんかってんよ、他が。
で、大学からずっと女性の美容師に切ってもらってというか担当してもらって(いつも指名して)その人が動けば、私もついていく、ということをしていた。
それだけ信頼しているから。
たかが髪を切るだけ、パーマ当てるだけやんと思わはる人もいるやろう。
ちゃうんよ。すくなくとも私にとっては。
まず、雑誌などから切り抜いて「こういう髪型にしてください」という希望を持ったことが一度もない。
それから、頭の形が悪い。
直毛に見えて、実はへんなクセのある髪質。
めっちゃとは言わんが、微妙に髪の毛が多い。
毎朝、時間をかけて、あるいは、前日からカーラーを巻いたり、くるくるパーマで髪の毛をセットしたりというのが、不器用で出来ない、あるいは不精で出来へん。
不精ついでに、ショート・カットのときですら、頻繁に美容院に通わない。
それに付け加えるなら、髪の毛が伸びるのがはやいのに、行かないのだ。
そんな、どないしょうもない私には、ずっと同じ美容師というのはありがたい。
上記に挙げたことをすべて承知済みだからだ。
(髪の毛を切っても、パーマを当てても次はいつ来るかわからんと心得て、先を見越して切ってくれはる)。
すっかりお任せで甘えてきたのに、その女性がやめることになり、次は男性の美容師に引き継がれた。
前任の方に長い間お世話になっていたので、失礼ながら疑心暗鬼になって、しばらくいけずじまい(最後に切ってもらったときには彼女に泣き言を言っていたのだ)の日々をすごしていたが、とうとうどうしようもなくなり、引き継がれた彼にお願いをした。
さすが、長年私の面倒を見てきた人である。
本当に、いい人を紹介してくれはり、また私の不精な性格や髪、頭の形のデータも見事に引き継がれておりました。
一度切ってもらうとすぐわかる。
違和感がないから、
それ以来、彼を指名し続けて、といいながら半年は来ないとかざらにやっているのだが、信頼をして任せていたのだ。
悲劇はやってくる。
東京に異動してしまい、神戸のほうでまたもや引きつぎ。
次はまた女性なのだが、別に全然嫌じゃない。
でも、最初に切ってもらったとき、一瞬受け入れにためらいを感じた。
東京へは、調べ物やなんやで年に最低1回はいく。
で、昨年夏に調べ物のついでにはるばる自由が丘店まで訪ねていき、やっぱりこの人がいいわと思ったのだ。(最初の人は完全にやめてしまっているのでどうしようもない)
けれども、そうそう東京に行けないので、また神戸のほうも行くと2回目はよかった。
なんだ。ちょっと警戒しすぎただけかとそれから神戸で大丈夫と思っていたのだが・・・
今度は、私が忙しくていけず、おまけに名古屋に引っ越してしまった。
悩みながら、新規開拓もせず、コンサバに前のところに行く。
というのはまだわからないが、今日はライブついでに美容師を訪れた。
カットと予約したのだが、相談の上、いきなりパーマに変更。
かかりにくく、何度もかけなおしをしてもらった過去があるので、心得たものだ。
しかも、その後の私の予定(ライブ)を聞いて、仕上げも「熱気や激しい動きでも、崩れないように」と配慮してセットしてくれる。
ほんまに、任せきりや。
「小川さん、半年来なくても大丈夫のようにしました」と最後に付け加えられた。
あまり頻繁に通わないくせに、美容院に行くのは楽しくて大好きなのである。
新しい髪形ってどきどきするやん。
普段読まない雑誌を熟読し、マッサージまでしてもらえるんやから、気分転換には最高なのだ。

すっかり、気分が軽くなり、新宿へ。
うっかり場所を調べてこなかったので、たしかコマ劇場の近くだったはずと、でかい新宿駅を右往左往しながら出ると、パトカーがいっぱい、警官いっぱい。
何?と思ったが、単に歩行者天国にした交通整備らしい。
ちょうどいいやっと警察官に「新宿ロフトはどっちですか?」(コマ劇場といいかけて、そこから迷うのが嫌で、いいなおしたのだ)ときいて教えてもらい、そこへ行くと・・・
それは、ショップのロフトでした。
全然ちゃうやん。
新宿ロフトは歴史も長いから知ってはると思うたのに・・・
泣く泣く、新宿ロフトに電話をして、場所を教えてもらう。
結局歌舞伎町に行く前に、だまされたって洒落にならんわな。
無事に到着。
本日は、町田康と、遠藤ミチロウのユニット。
二人とも80年代の日本の音楽界の一部を代表する数々の伝説のバンドの一つに属するといっても過言ではないだろう。(もったいぶった言い方ですまない)
とりわけ、パンクというシーンにおいて。
今でも二人が一緒にいるのを見られるのは、映画『爆裂都市』である。
本当にあの映画を見ると、当時の音楽界のみならず、サブ・カルに重要な人が出演していると後になってつくづく思う。
さすがに、今日の客層は年齢が少し高い。
町田康のときも「町田さーん」と黄色い声が飛ぶよりも、「町蔵」という声のほうが多い。
もちろん私も、慣れ親しんだミチロウ、町蔵だ。
実は不義理でミチロウのライブは2年ぶりぐらい。(もっとかなあ)
あれだけ、伝説的なバンドを率いた二人だが、おたがい50代、40代になると、微妙にわかれた。
ミチロウは、弾き語りのアコースティックに完全に変えており、暴力的(客が)、挑戦的なスターリンのイメージは、彼のメイク以外残っていない。
二人とも、90年代前後に再びはなやかに第一線に出たのだが(と勝手に私が思っている)、新生スターリンを率いたミチロウはまだ最初のイメージを引き受けていた。
幸か不幸か、ミチロウにはそのイメージが付きまとう。
今日の客も、当然ながら愛のこもった怒号と罵声を飛ばす。
曲の間にほとんどしゃべることのなかったミチロウは、いまや淡々と話をする。
ちなみに、もとから彼はインテリなのだ。
おっさん声に「ミチロウもかわってねえよ」とかけられた言葉に対し、「かわったよ」と静かに答えたミチロウの姿を見て、涙が出そうだった。
それは、私が抱いていたミチロウに対するジレンマに、答えられたような気分だったから。
以前のミチロウ(そして亡霊のように彼につきまとうイメージのミチロウ)に比べると、なんだか好々爺のようになってしまったかのようだ。
町蔵は、はたからみるとゴーイング・マイ・ウェイで通し、それがいまやカリスマ性を強めているように見える。
弾き語りでしっくりと持ち歌を聞かせる前半のミチロウの歌声と、CD化されていない新曲を交え場内をリズムと言葉と動きの虜へと巻き込む町蔵の歌と朗読。
観客を見ているだけで、二人は対照的にうつるかもしれないとそう思った。
ふと、私は変死を遂げ、新聞の片隅にしか載らなかった江戸アケミを思い出し、またもや涙が出そうになった。
音を全身に浴び、突き上げられるように体を動かし、歌詞を口ずさみ、ライブハウスと言う祝祭の場にみをゆだねる。
これほどの快感はない。
私がこの二人を好きなのは、(おそらく私の好きな他のミュージシャンにも当てはまるだろう)二人ともとても「言葉」を大切にしているからだ。
私は、あほな子だったので、スターリンのミチロウを通して、共産党宣言にたどり着き、マルクスの文庫を買い、マルクスを知ったのだ。
町蔵に関しては、いまや作家としても有名だから、わざわざ例を出すこともないだろう。
なんて素敵な夜なんや。
興奮して、眠れそうにないわ。

4月28日
ようやく、四月を乗り切った。
ぜえぜえ。
名古屋の友人と飲みに行く。
出来立ての名刺を渡す。(記念すべき第一号だ)
とはいえ、ほっとしたのか緊張が抜けたのか、待ち合わせの場所で待っているときに全身鳥肌、軽いめまい、などなど身体さんが「不調」メッセージを出し始めていたのだ。
ごめん、言うんやったらもう少しはよう言うてや。
今からは無理やさかい、我慢してや。
そう身体さんに言い聞かせ、メッセージを無視した。

気い使わんでのめる相手は気楽でええわ。
お互い、忙しくて21時過ぎ待ち合わせと言う時間やったけど、面白かった。
早く、名古屋に慣れなあかんな。

そういえば、京都の職場のほうからメールが来た。
一緒に働いていた同僚から、昨晩私の夢を見たとのこと。
普段は3人でその部屋で働いていたのだが、同僚によると、その話をもうひとりにすると、もうひとりの同僚もその前の晩に私の夢を見たそうな。
今の解釈で行くと、二人とも私のことを思ってくれているということになるかも知れんが・・・
逆です。
このたった一月を過ごしながら、「ああ、私って、本当に同僚をあてにいきていたんやわ」とつくづく思い、京都で同僚たちと快適なお部屋で過ごした2年弱を懐かしく、また、「ああ、こんなとき、いつも隣を見て泣きついたらすぐにおしえてもらっていたんやわ」と自分の情けなさと同僚の、そして日文研のありがたさを改めて感じ、「遊びに行きたいなあ」と強く思いをはせていたのである。
その私の念が二人の夢に出たらしい。
ああ、昔の人はよういうたもんや。
ほんまやわ。夢に出るわ。おそろし。

4月26日
大学内でも、それぞれの専門領域を超えた研究会なるものがあり、テーマを決めてそれぞれの分野からお話をして、ディスカッションをするらしい。
それは、楽しそうだと前からチェックしていたはずが・・・
明日の授業準備が全く出来おらず、気がつけば、とっくに研究会は終わっていた。
しかも、家に帰ったのは、22時過ぎだし。

なんでこんなに出来てへんのか?
それは、無駄が多いからだ。
一度に済ませればいいのに、事務室に行かなくてはいけない用事を、一つ思いつけば後はすべて忘れ、1日に3回ぐらい往復している。あるいは、17時過ぎて、「あ、しまった。明日こそ手続きしよう」と思うだけで1週間ぐらい過ぎる。
以前は、自分にも少しぐらいの事務能力はあるだろうをたかをくくっていたが、今は完全に自信喪失。
私って、事務能力ゼロに近いかも。
機械や文明の利器にも弱いくせに・・・全然つかいもんにならんな。

そんな私が言うのもなんだが・・・・
大事な書類が郵便局のミスで、1週間の保管機関の間に取りに来なかったからと言う理由で、発送元に送り返されていた事実が発覚。
それも、私が「来るはずのものが来ない」とあちこちに前から問合せ、「転送届けを出していたら問題がない」と回答されたから、安心し、それでもやはり来ないので発送元、近くの郵便局など、再度問い合わせを重ねた上で、発覚したのだ。
引っ越して、誰もいない部屋に不在通知を入れて、誰が取りにいけるねん。
結局、発送元にそれから、あらたに面倒な手続きをお願いし、平謝りで再発送を願い出たのだが。
よく考えると、それは、郵便局の手落ちではないか。
どうでもいいDMは転送してくるくせに、よりによってなんでこの書類なの?
いまだに手元も届かず。
大型連休で私もうろうろするのに、どないすんねん。

4月25日
学部での新任歓迎会。
招待される。
すでに、私がお世話になる以前から、すなわち私を採用しようとありがたくも決めてくださってから、「今度来る人は専門がチャンバラ、雷蔵」とうわさが流れていたようだ。
これまで、入学式や、初の教授会で新任紹介があり、その場で立って皆様のほうに一礼をしたことはあった。
でも、こっちは誰だが全然わからない。
乾杯の後、新任の挨拶まで、先に飲食歓談となった。
幾人かの先生とお話というか紹介をしていただくが、みな「あ、君がチャンバラの人」と言う。
そうです。
おまけに、新任の挨拶が回ってきたとき、みなさん真面目に長々と出身や名古屋あるいは愛知との関係、研究などを話してはる。
ああ、どないしょう、総研大なんて誰も知らんし。
隣にいた同じ学科の先生に「みなさん真面目ですね」と言うと「短くて簡単に済ませたほうが聞いているほうは喜ぶよ」といわはる。
そうですか、など「ええ、何しゃべろう」と困っているといきなり呼ばれた。
まあ、お酒も入っているゆるい雰囲気だし・・・
「研究は日本映画、すでにうわさが飛んでいるようですが、絞るとチャンバラ。ライフワークは市川雷蔵。生国は摂津の国、尼崎」と言うと、一部が仁義を切る格好で答えてくれた。
しかし、そこから私のあかんとこ。
「かけだしのけちな野郎でござんす」とはいえず、普通に「ご指導のほどよろしくお願い申し上げます」と終えてしまった。
後から、「あのまま半身で仁義を切ってほしかった」といわれ、後悔。
おまえけに、「極妻」みたいと噂してました聞かされる。
なんやそれ。着物も着てへんかったのに。
って、その後の人たちはみんな真面目にあいさつをし、結果的にひとりふざけたオチャラケになっていたのだが・・・

ふざけてる場合やないわなあ。

4月21日
初めて、車で通勤。
ナビに頼って、50分ぐらいで到着。
電車とスクールバスを乗り継ぐと、1時間はかかるから車のほうがはやいのか。
道に慣れたら、もう少し短い時間でつけると思う。

事務に顔を出すと、ようやく、頼んでおいたパソコンが到着。
これまでは、家からノートパソコンを持っていっていたのだ。
私一人では、重くて運べないだろうと、事務の方が研究室に運んでくれた。
でも、セッティングは自分で。
これが、機械おんちの私には難行のごとく。
やっと、ネットもメールもプリンターもすべてつながったときは、17時過ぎていました。
1日かかってしもうた。
はあ、嬉しいけど、何にもできなかった。

2006年05月16日

教える立場になると

5月15日
春学期がはじまる最初に、評価方法を再三学生に告知する。
あとでトラブりたくないから。
そのとき、「きまぐれにミニ・テストします」と言うておいたので、今日はいきなりミニ・テスト。
ごっつい学生から顰蹙買いました。
せやけど、ノート見てもかまへんって言うてるし、これだけで、成績つけるわけやないねんから。
総合評価やねんし。
採点するほうが大変やねんけど、自分が学生のときはそんなんわからへんかったわなあ。

なんか、遊びすぎなんか、五月病なんか、ようわからんけど、家に帰ってからはにわかに体調が崩れていく。
あ、そういえば、土曜日も激しい胃痛に襲われて、薬でごまかしてたんやった。
来週、健康診断あるけど、やばいなあ。
昨年は結果が「要再検査」項目多かったもんな。
明日から大人しくしとこ。

5月14日
楽しかった。
この週末は、疲れたけど、ほんまにエンジョイしたわ。

まず、昨日。
朝から研究会。
久しぶりに、別の意味で頭を使った。
どうも頭が悪いので、なかなか発表者の言葉が飲み込めなく、結局みなさまにいろいろと説明してもらって、ようやく理解。(というより、みんなは分かっていて私だけついていってへんかったってことやん)
興味深い。
自分の使っている言葉のニュアンスが、あまりに狭義にとらわれすぎて貧困なことを再確認。
学生の語彙が貧困と言うてる場合やないで。
ほんま。

久しぶりに、もとの職場でみんなと一緒に囲んでご飯を食べる。
楽しい。
めっちゃ嬉しかった。
考えてみれば、まだ一月ちょっとしか経っていないのに、ずいぶんと懐かしく感じる。
それだけ、忙殺されていることかしら。
午後からは、別の研究会。
今日は、共同研究が重なっていて、人が多い。
自分の班とは別の班なのだが、昔お会いしたことのある人が来ると情報をキャッチ。
そっちのほうがスタートが早かったので、ちらっと顔を出しにいくと、うまい具合にお会いすることが出来た。
「覚えてはります?」と声をかけ、ちょっとだけご挨拶。
その人は、この4月から大阪の大学に就職されたのだ。
なんか、ここでお会いするなんて縁があるなあ。

午後からの研究会も面白かった。
皆さんの研究も面白いが、その場に集うメンバーの知識の豊富さに圧倒される。
自分があほなんは、百も承知なのだが、こんなにあほでええんやろうか。
勉強せなあかんなあ。
仕事は出来へんし、要領は悪いし、頭も悪い。
ええとこなしやんけ。
それでも、夜遅くまで飲みながら、談義を出来るのは最高です。
これからも、よろしゅう。

今日は、分不相応なのだが、贅沢に豪遊。
母の日だったので、それにひっかけて、初月給もいただいたことやし、母と祖母を京都にご招待。
別に、どこでもかまへんかってんけど、ちょっと自分の憧れも(その分の出費も痛いが)あって、じゃじゃーん!
「瓢亭」さんに行ったのだ。
もちろん、お昼だけど・・・
「瓢亭」さんは、祖父が健在の頃にも行き、そのときは大谷崎御愛用のお部屋だった。
今回は、3人だったので、もっと小さい4畳半の茶室。
水のせせらぎが聞こえて、静かで、昨日の雨で苔や緑がきれい。
その空間にいるだけで、落ち着いた素晴らしい気持ちになれる。
お部屋には、司馬遼太郎さんの書がお軸に仕立ててかかっていた。
花は、なんだろう。
こういうとき、花の名前とか詳しいと楽しいんだけど、無知なんやなあ。
お料理も、さすが、絶品です。
心配していた天気も、時々日がさすぐらいで、暑すぎずちょうどいい。
2時間かけて、最後のお薄まで、本当に美味しくいただきました。
幸せやわあ。
もう、こんな豪遊無理やけど。

タクシーを呼んでもらい、次は平安神宮。
桜の季節は有名だが、四季折々の花が楽しめる。
祖母が行きたがっていたのは、花菖蒲の季節。
でも、それは6月だから、今回は無理だけど、ちょうど、杜若が咲いている頃。
あと1週間遅かったら、杜若が満開だったので、ちょっと残念。
まあ、花というかこういう自然のものだけは、わからんから。
蓮の花も結構たくさん咲いていた。
平戸は満開。
桜の木が青々としていて、春とは全然景色が違う。森みたい。
時期が、ちょっとずれたおかげか、思ったよりも空いていて、祖母も休み休み歩いても邪魔にならずによかった。
枝垂桜の頃って、人が多すぎてちょっと悲惨やからねえ。
結構広いのに、よく歩いてくれはったわ。
93歳にして、お料理も美味しいといいながらほとんどたいらげ、これだけ歩けるんやから、たいしたもんやわ。
長生きしてください。

5月12日
久しぶりに主治医のところへ。
遠くなってしまったので、行きたくてもなかなか行けない。
頑張ってきたのだが、もうちょっと限界。

今朝は、プリンターと格闘。
インクが切れてきたので、新しいのに交換して、家でも仕事できるようにセッティングした。
先週はそれで打ち出していたのだが、今日はエラーになる。
再起動しても何をやっても、エラーが出て、全然プリント・アウトできない。
何をやっても出来ない。
機械に弱いから、もうお手上げ。
ないたり、怒ったりしながら、何度も挑戦して、気がついたら2時間以上たっている。
そんな無駄な時間はないのだ。
あきらめて、荷造りして家を出ることにした。
あああ、気が滅入る。

名古屋に引越ししてからのトラブル続きもいまだ解決せず。
そんなことをまとめて、急に涙が溢れてしまった。
人前でついつい張り切ってしもうているのが、いつのまにか一人になったときでも力が抜けない状態になっているのかもしれない。
いつも力みすぎ。
主治医と話していて、気が緩んだらしい。
ちょっと元気になりました。
はあ、自己管理が出来ないなんて、情けないなあ。

5月11日
昨日から1泊で新入生のオリエンテーション研修に行って来た。
場所は、恵那というところ。岐阜県になるのかな。
大学の研修センターがあるのだ。
恵那オリ(と略していうらしい)は毎年の恒例行事らしく、13時半に大学をバスで出発し、翌日の夕方に大学に戻ってくる。
どうせなら二日間休講にしてくれればいいのに、出発日の午前の授業はやらなくてはならない。
授業で使う資料やDVDをもって、1泊の荷物を持つと、すごい荷物。
体育館使用があるので、運動靴を持ってくるようにいわれるし。
でも、別に私が運動していたわけではないのだが・・・
というより、杖や木刀を持ってきたらよかったなあ。
家では振れないから。来年持っていこうかなあ。

昨晩は、大雨ですごかったが、幸い行きも帰りも、雨にはあわなかった。
雨の後で空気が澄んで、山がきれいだ。

何をするのかは、私も初めてなので、どきどきしていたが、取り仕切るのは、先輩たちにあたる3回生と4回生の6人。
研修のメニューも彼らが中心となって決めているらしい。
だから、特に何かするわけでもない。
8グループに分けてあり、夕飯、朝ごはん、昼ごはんを、そのグループの席にぐるぐる回って先生方が一緒にテーブルにつく。
昼ごはんのとき、一人の女子学生に「先生ってなんかお母さんみたい」と言われる。
「なんで?おばちゃんくさいから?」
「おばちゃんとかそういう意味では全然なくて、なんかお母さんみたい」
隣の女子学生にも「そう思わない?」と同意を求め、
「ああ、なんとなくわかるわ。お母さんみたい」
と言われた。
うーん。なんなんや。

研修センターに到着してから、施設の使い方などの説明と、6人の同行した先生方の紹介がある。
その後は、夕食まで解放される。
施設の方が「お風呂はもう沸いてますからどうぞ」と声をかけてくださるので、学生とバッティングする前に、ちゃっちゃと先にいただく。
一人で広いお風呂を独占できるのは嬉しい。
久しぶりに、全身伸ばしてお風呂に入ることが出来た。
それから部屋(一人部屋です)にこもって、持ってきたパソコンで仕事をする。
午前の授業を終えてから、メールを見るとさまざまな連絡事項などがあり、その返信も出来ずにいたので、モバイルを持ってきた。
でも、電波が弱いみたいで(山の中だから)結局送信できなかった。
がっくり
大学に戻ってから送信したので、急いだとはいえない。

夕食を食べながら、名前を聞いたり出身を聞いたりと話しかけて、がんばってコミュニケーションをとろうとするのだが・・・
なんだかおとなしい。
そんなに威圧的に見えんのかなあ。
ショック。
夕食後は、事務からの説明があり、「大学生になったとはどういうことか」という訓示が告げられる。
事務長が話しているのだが、ご立派。
「大人として扱われる」「自分で自分を管理しないといけない」「わからないままほっておくとわからないだけ。自分たちから聞くなり、確認するなりしないと、4年生になって卒業できないとなっても、知らない、わからないという言い訳は通らない」「郷に入っては号に従えというように、そこのルールに従わなくてはならない。社会人になってもまたルールがあるのだからそれはどこでも同じことである」などなど。
その後、8グループにわけられて、3分~5分の映像製作が課せられる。
翌日発表して、優秀作品を投票して決め、商品が渡されるのだ。
今回は、バスの中でみんなに好きなものを書かせ、それが入った箱から3枚のカードを引いて、その3つの単語を入れて製作せよとのこと。
言葉にとらわれすぎるのか、想像力を働かして自由に解釈するのかは、彼らのグループで決めること。
全員出演しなくてはいけないと言う条件もついていたなあ。
そこまで立ち会っていたのだが、別にアドバイスを求められるわけでもなく、アドバイスをするようにと言われることもなく、学生の様子を見守って、暇なので、8時半頃に体育館を引き上げる。
その後、私を入れて4人の先生で、地下にある卓球室に移動。
卓球なんて何年ぶり?
テニスの癖が出て、どうしても大きく打ちすぎ、アウトになる。
始めは二組で遊んでいたのだが、そのうちダブルスで試合をすることに。
皆さん真面目だから、恐ろしいスマッシュや技を駆使してくる。
ひえええ。ぼろ負けしました。
汗をかいて、きゃあきゃあ騒いでいた。
おもしろかった。
9時ごろからは先生方と事務長で懇親会という裏メニューが用意されていて、持ち寄りで飲みながら話す。
就寝時間の取り決めはなく、学生のグループは映像作品を取っているのか、それとも友達作りではしゃいでいるのか、大騒ぎ。
楽しそうでいいではないか。
まあ、眠れないという文句もあるだろうが、私はどうせ薬で寝てしまうから関係ない。
アシスタントの学生の一人が私と話したいといっていたと、オリエン委員の先生に言われていたのだが、1時過ぎても来ないので、結局部屋に戻ってしまった。
来年、このオリエン委員を命じられている。
翌日、映像作品を見るが、みんな騒ぎすぎの寝不足で、ふらふらになっている。
でも、全体の感じは大分と打ち解けてきたようだ。

その後、フレッシュマンゼミというのがあってそのグループの学生と車座になって話をするという時間がある。
私はフレッシュマンゼミを担当していないので、来ていない先生のグループの輪の中に入る。
一人ずつ名前を聞くが、反応が悪い。
声も小さくて、聞こえないし。
右側の学生と話していると、左側は寝てしまうし、向かいの学生に話をふると、両側が沈没。
何時までやれという話ではないので、あまりにもみんな眠そうやししんどうそうなんで、「じゃあ。もう終わろうか」と一番早く終えてしまう。
だって、昼ごはんの後もまだ行事が続くのだから、倒れられても困るしね。
バンドをやっている子がいて、昨日の夕食で一緒だったのだが、映像作品を見ても、全体を見てもなじめていない。
その子が、いろいろと音楽の話をぼそぼそと話し出したので、暫く話をする。
今晩、東京事変のコンサートがあるらしい。
昼ごはんは恒例のカレー。
こういう合宿とかに使える施設は、必ず1食はカレーが出るなあ。
隣の男の子は、汗をかきながら朦朧としている。
1時間しか寝ていないらしい。
向かいの子は、押入れで寝たという。
なんかみんなおぼこいなあ。
って、うちが年とってるだけやん。
最後は、体育館で大縄跳びをするのだが、結構運動になると元気になる子が多い。
それは、全体に慣れてきたせいかもしれない。
記念撮影の後、暑いので上着を脱ぐと、4人ぐらいの女の子が後ろから走ってきて
「先生、それヴィヴィアンでしょう?おしゃれー。かわいい」
と、抱きつかれそうになる。
確かに、ヴィヴィアン・ウエストウッドのTシャツを着ていました。
さすがに、ファッションに興味があるらしい。
まあ、そんなところからでも学生と話が出来て嬉しい。

昨晩来なかったアシスタントの学生に、「なんか聞きたいことあったんちゃうん?」と言うと、「殺陣の事を聞きたかったんです。また、よろしくお願いします」といった。
1回生のサポートでほとんど寝ていないから、今日は余裕がないそうだ。
いつでもどうぞ。
背の高い子で、よく授業中に出て行っては戻ってくるので(トイレかな)、目立つ。
委員をしてはる先生のゼミらしく、そのことを昨晩の懇親会で話していると、早速その学生に「こういっていたよ」と伝えたらしい。
「分かっているんですか?」と返答したらしいが、そりゃあみんなが座っている中うろうろしたら目立つやろう。

「恵那オリ」を終えて、全体に感じたこと。
アシスタントと言うかスタッフの学生たちの仲での意思疎通が悪い。
1回生に説明しているのを聞いていても、その日本語がおかしい。
何を言っているのか、よくわからないのだ。
それを聞いて、質問がない1回生も不思議。
うちはコミュニケーション学科のはずなんやけど、コミュニケーションできてんの?と一抹の不安を覚えました。

ああ、胃がもたれているし、肌は荒れて、顔はぼろぼろ。
しんど。
戻ってきたら、互助会というのがあってその代議員というのをこの前命ぜられたのだが、その会議の連絡があった。
こうして、少しずつ組織に取り込まれていくのだ。

5月8日
吐きそうだ。
頭が働かない。
お稽古でも、全然できない。
声が出ないし、重心は上がってしまっているし、動きもうつせない。
それもそのはず。
徹夜したからだ。

本日締め切りの論文の書き直しがあって、GW中にやろうと思っていた。
それで忙しさにかまけて、というよりその論文を見直す暇もなく4月が過ぎていき、あわてて資料を見直そうとすると、ない。
日文研の図書館にあったものは、コピーなどしていない。
図書館で借りて引用したり、参考に読んだりしていたのだから。
だから、それ以外で集めたものしかない。
残念なことに、大学には、私が論文に必要としている本は一冊もない。
泣く泣く、アマゾンや古本屋や本屋で捜し求め、結局ネットで注文したのだが、到着したのが、日曜日。
一冊なんて間に合わなかった。
とほほ。
だから、書き直しが全体的に遅れてしまい、しかも頭がうまくまわらなくなっていて、今朝まで徹夜で書き続けていたのだ。
結局、満足のいくものにはならなかったが、これで、次号までのばすと、今の状況ではかけないと踏んだ。
だから、よい出来とはいえなくても、現時点で私が書けるものとあきらめ、速達で郵送する。
はあ。
もっと要領よく時間をつかわなあかんな。

足ががくがく震え、吐き気がする中、非常勤に出かける。
学生の前にいるとふらふらもいっていられない。
しかも、履修登録が完了して講義のほうの名簿が出来上がったのを見ると、登録人数197人と書いてある。
ああ、めまいがする。
120人ぐらいと思っていたのに・・・

家に帰り着くと放心状態。
とにかく薬を飲んで眠らなくては。

5月5日
家にいたら、右翼の街宣カーがあまりにもうるさかったので、休日なのに大学に出てきた。
休日に大学で仕事をするなんて、想像もしていなかったが、静かだしね。
でも、資料が家のほうが多いので、することは限られる。
論文の書き直しもしながら、来週以降の授業準備のほうが、ウエイトが重くなる。
ここにある資料で何が使えるのか。
今後使いたい資料は何か?
そんなことを考え、見せる映画を、映画のシーンを選んでいた。
休日は、スクールバスが極端に少ないので、今日は車で通勤。
なんと、30分で来られました。
初めて乗ってきたときは50分近くかかっていたのに。
道に慣れてきたこともあるが、やはり空いていたのだろう。
電車とスクールバスで1時間かかることを思うと、やはり車通勤に切り替えるか。
でも、ガソリン代が上がってしまったし、これからも上がる一方だからなあ。
そこが悩みどころ。
まあ、季節のいいうちは、運動になると思って電車とバスで通うか。
休みのときは、バスの時間を気にしなくていいので、やはり車が便利。
いつも思うのだが、構内で大荷物を持って歩いている人の9割は教員ではないか。
私もその一人。

5月4日
名古屋は木曜日がレディース・デー。
木曜日は授業があるので、レディース・デーを活用するには今日しかない。
だって、1800円が1000円でしょう。
2本見る値段で、3本観ておつりがくるねんから、使わな勿体無いやん。
忙しくて全然映画をみていないから、映画のはしごをしようと思い立つ。
といっても、ぴあで見る限り、名古屋の映画館は乏しい。
観たい映画がやっている映画館が、一箇所しかないのだ。
その映画を見たい人は、全員その映画館に行くしかないという選択肢のなさ。
ハリウッド系の「メガヒッツ」が予想される映画は、何箇所でもやっているのに。
それって、不幸なことだと思うのは、私だけ?
地下鉄の駅でいうと、観たかった映画は3つの駅に別れてしまう。
歩けない距離ではないだろうと思い、朝から近いほうからまず1本。
フランソワ・オゾン監督『ぼくを葬る』(Le temps qui restだったかな)
ジャンヌ・モローが出ていた。
フランソワ・オゾンって大女優をきれいに撮るなあと思う。
もちろん、年をとったなりに。
『8人の女たち』のカトリーヌ・ド・ヌーヴ、『まぼろし』のシャーロット・ランプリング、そして『ぼくを葬る』のジャンヌ・モロー。
それから、今日の映画はフランス語が非常にわかりやすい。
もちろん字幕を観ているのだが、短いフレーズが多いので、初心の私でも聞き取りやすい。
久しぶりにフランス語の勉強がしたくなった。
昼頃に終わってから、大体こっちのほうだろうと見当をつけて歩いて別の映画館に移動。
30分もかからなかったと思う。
映画館を出てから、同じ方向に歩く人がいて、その人も私と同じく、その映画館に移動して、そして同じ映画をはしごしていた。
やはり、それしかないのよね。
次の映画は、ジム・ジャームッシュ監督の『ブロークン・フラワーズ』。
結構はまりました。
それから、もう1軒と思ったが、途中で本屋に寄ったり、百貨店に寄ったりと、街中でしかできない用事を済ませているうちに、夕方になってしまった。
観たかったのは『寝ずの番』。
でも、いい加減しんどくなったし、本屋をはしごしても目当ての本は1冊しか入手できないし、気がつけば朝から何も食べていないし、結局あきらめる。
まあ、『寝ずの番』はまだ京都でもやっているので、運がよければ京都で見よう。
それにしても、二番館も少ないし、自主上映も少ないし、ぴあを見ているとため息が出る。
それとも、ぴあに情報が載っていないだけなのか?
たしか、今池にある成人映画を上映しているところは載っていなかったもんな。
よし、なんとか載っていないところを探すか。
といっても地理感もないのにどうやって???

映画館で映画を観ると幸せな気分になれる。
家で観るのはねえ、それはそれなりに研究に使うときは便利やねんけど、やはり一度は映画館で観たいわ。

5月3日
家で朝から洗濯大会。
ここのところあまり天気がよくなかったので、今日は絶好の洗濯日和。
冬物を全部洗濯した。
ドライ・クリーニングにすると3~4枚しか一度に洗えない。(説明書にそう書いてある)
だから、午前中いっぱい使って洗濯し通し。
その間に、掃除もして、家事に励む。
窓も開け放して、空気も入れ替えよう。
さて、論文を見直すかあっと机に向かったのはいいが、うるさい。
大通りを入ったところに部屋があるので、面してはいなくても、結構車の騒音はする。
それはあまり気にしていなかったのだが、うるさいのは右翼の街宣カー。
大通りを、演歌とかを大音量でかけながら、ゆっくりと走っていく。
それだけなら、救急車とかパトカーとかのサイレンと一緒で一時的で住むのだが、また戻ってくるのだ。
往復せんでええし、うろうろせんでええから。
さっきと同じ曲だから、ああ戻ってきた思い、心の中で「じゃかましい」と叫びつつ我慢していると、今度は、別の右翼団体がやってきた。
だって、かかっている曲がちゃうねんもん。
曲を変えただけかもしれないが、通っている車を見ているわけではないので、別だと思う。
それもまた、往復すんねんなあ。
次は、また別の曲が・・・
一体何台走ってんねん。
そろいにそろって、往復してうろうろせんといてくれ。
夕方まで、じゃかじゃかやられて気狂いそう。
窓を開けていたのが悪かったのだが、折角の陽気に閉め切るのもなあ・・・
そりゃあ、あの騒音おばさんに刑が下るのもわかるわ。
もう、気が散ってうるさくて全然すすまへんかった。
しくしく。
塚口にいた頃は、おばちゃんたちの立ち話がうるさいと思ったことはあったが、あんなん全然たいしたことあらへんかったわ。
スピーカーには負けるわ。
折角の1日がなんだか無駄に過ぎたようでちょっと悔しい。

2006年05月20日

中部日本は今日も雨

5月19日
雨ばっかり。
雨、雨、雨。
このまま梅雨に入ると、また雨なんやろうなあ。
黴そうや。

今日は授業がないというので、緊張感がないのか、体調の悪さがひどくなる。
咳は止まらない。
痰がからんで、喉が気持ち悪い。
身体が痛くて、雨のせいで頭痛もひどい。
やばいなあ。
また、タイミングの悪いことに、今晩は父親が来るのだ。
明日に名古屋で講習会があるらしく、そのために泊まりにくるのだが、夕食の待ち合わせをしている。
この雨で、こんなに体調悪いので、近所なら丁寧に辞退するところだが、そうもいえない。

今週したテストの採点をする。
めっちゃ仰山あるやん。
はあ、採点だけで今日1日がつぶれてしまった。
じゃあ、テストなんかせんかったらええのに、とも思うが、一応私なりの考えでやっているので、今年度はこのやり方でいこう。

採点しながら、思い出した。
そういえば私が大学生だったときに、ゼミに出て、あまりにも何にも知らなさ過ぎるあほの発言や反応をしており、内田先生がよく頭を抱え込んで、ため息ついていたなあ。
あの姿がまざまざと蘇ってきた。
他人のこと言えへんわ。

おまけに、最近歳を感じる。
本当に調べてきてわからなかったのだろうが、学生に「スラックス」「ジュークボックス」「ヒッピー」ってなんですか?調べたのですが分かりませんでした、といわれた。
そうかあ、知らないわなあ。
説明していて、感心されてなんか空しい。

5月18日
朝からだるい。
でも、熱はないみたい。
咳が出て、痰がからむ。
げほげほ。
朝からのど飴とお友達。
今日は午後からの授業。
でも、やらないかんこと多いし・・・
外は雨。

雨だし、今週はまだ一度も車に乗っていないので、今日は車通勤。
喉が痛い。
でも、なぜか学生の前に立つと気が張るのか、咳も出ない。
相変わらずでかい声で話している。

一人になると・・・
痰がからんでつらい・・・
はあ、早く帰ろうと思いながらも、あれこれ仕事がたまっていて。
ためている自分が悪いのか。
来週に配布する資料をコピーしていると、同僚が探しに来た。
学科のほかの先生とご飯を食べに行く(で、そのまま帰る)ことになったのだけれど、どうしますか?と誘いに来てくれたのだ。
あまり食欲がないけれど、みんなと食事したほうがいいだろうと思い、ご一緒させてもらう。
大先輩に当る先生方に「どうですか。慣れました?」など聞かれて、いろいろ話が出来てよかった。
こんな風に思っているのは自分だけなのか、学生の反応が悪いのは私のやり方が悪いからかなど、いろいろ悩んでしまっていたので、ちょっと話を聞いてもらえ、他の授業の雰囲気を教えてもらって気が楽になった。
なかなか一緒にご飯食べに行く時間もないので、こういう時間はありがたい。

「一年目はとにかく大変ですよ。まだ半分も来てないのか。夏に向けてだんだん衰えていくからね。体調は大丈夫ですか?」
「まだ半分にも行っていないのに、なんかアレルギーみたいで」と咳の言い訳してみるが、
「いや、天候が変だから、絶対風邪引いたんだよ」
断言される。
うーん。
風邪とは認めたくない。

まあ、ちゃんと食べられたし・・・
どうにかなんとかなるだろう(@町田康)

5月17日
やばい。
まだ始まって学期の半分も行っていない。
にもかかわらず・・・
懼れていたことが。
昨日からどうもイヤな予感がしていたのだが、今朝になると音を立ててやってくるような。
がらがらと、音を立てて・・・体調が崩れていく。
リンパ腺がはっているのか、歯がういているのか、肩がいたい。
喉がだんだん痛くなってきて、身体が痛い。
数字を見るのは嫌なので、何も見ないように、何も気にしないように、通勤。
とにかく講義をすませて、研究室に戻る。
あ、喉が痛いのは、マイクを使わずに講義をしているせいかな。
そうだ、きっと大声出していて喉を痛めたんやわ。

その割には、効率が悪い。
はあ、明日の授業準備をしていても寒気がする。
しかも、朝は晴れていたのに、今は大雨。
本当に雨が多い。
雨の日って、頭痛がするし、酸素薄くて憂鬱。
そうか、雨のせいか。
なんか寒いもんな。

夕方から教授会。
何時間も続く悪しき教授会の噂がよく流れているが・・・
今日が二回目。
でも、またもや1時間でさくって終わるんよね。ありがたい。
なんとなくしんどいし、今日は車ではないので、最低限のことだけ済ませて、とにかく帰宅することに。
「お先に失礼します」と声をかけると、学部長が後ろから
「小川さん、帰る前にこれを」とクッキーをくれはった。
疲れているのか、甘くて美味しい。
ほっとして、こんなにいい環境なのに・・・倒れてはいけない。

まあ、寒暖の差が激しい上、雨が多いせいかな。
とにかく、今日は早く休んで、明日には晴れやかにならなくては。

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