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ミチロウと町蔵

5月1日
明日は授業があるので名古屋に帰る。
新幹線は高いので、はじめて近鉄を利用。
空いているし、なかなかええやん。
せやけど、時間かかるのう。
難波まで出るのも面倒やし。
とはいえ、月曜の授業のために日曜日にはまた関西に戻る。
まだGW中やから、近鉄で帰ろう。

昨日は、朝、順調に大阪駅について、祖母の家に8時前に帰る。
一緒に朝ごはんを食べてから、シャワーを浴びて、お稽古へ。
帰ってきて昼ごはんを伯父と母と祖母と一緒に食べて、祖母宅に戻ると、ふらふらになってきた。
眠れるかどうかはさておき、少し横になる。
GWなのに仕事があるの?と祖母に言われ、今日早く帰る代わりに、久しぶりに1回だけ4人で麻雀をする。
ちょっとだけ勝ってよかった。

それから、すこし授業準備をするが、疲れがどーっと出てしまい、能率あがらす。

今朝は、月参りなのでお坊さんにお経をあげてもらい、その後お稽古。
昼も食べずに、名古屋に帰る。
それにしても、自分の調べ物などは、本当に出来ない。
その代わりに、いわゆる勉強をしている。
猛勉強していると自分でほめてやりたいわ。
でも、それはそれで結構楽しいんやわ。時間にさえ追い立てられへんかったら。
3日からは論文の書き直しをして、出来れば、授業準備のストックをしたいなあ。

その前に・・・
日々溜め込んでいたストレスが胃を直撃したらしい。
地下鉄に乗っているうちに気分がにわかに悪くなり、家によろよろになってたどり着いた。
明日は授業なのに・・・

4月29日
夜行バスの中。
今日は、本当によく遊んだ。
全然余裕のない生活を送っていたから、ほんまに楽しかった。
リフレッシュ。
もちろん、いつも誰かと刺激的、あるいは楽しいはなしをしているので、そんなに毎日鬱欝してるわけやないねんけど。
今日のは、久しぶりにひとり遊びですわ。

朝荷造りして、名古屋駅へ。
ああああ、GWなんやわっと実感。
ちゃいますで、私のGWと。
世間がGWやなあと思うたんですわ。
まあ、他人からみれば一緒やねんけど。
大きな旅行用の荷物持った人が、名古屋駅に仰山いはる。
家族連れも。
新幹線のホームもそんな人たちで結構いっぱい。
みなさん、9連休ですか?
ええなあ、旅行にいかはんねや。
そういう私も、東京へ。
これまで、育った土地を離れたことがないさかい、帰省ラッシュとかあまり実感わけへんかった。
だから、今日の東京はたまたま29日だっただけで、GWだからというわけではない。
逆に人が多すぎて、戸惑い。
新宿ロフトでライブやったのさ。
それだけ、せやから、今夜行バスで帰阪しているのだ。(単に、格安チケットがこのシーズン使えなかったからと言う理由で)
それもGWの帰省ではなく、明日と明後日とうまい具合にお稽古が続けてあるから、お稽古のために変えるのである。

それにしても、引越しからいろいろトラブル続き。
引越しのトラブルはまだ解消してへん。
GWあけたら「どないなりましたん」と連絡いれな、なんかそのままほっとかれそうや。
向こうのミスやのに・・・これが世知辛い世間ちゅうもんなんやろか。
しくしく。

本当に、それ以外も私にとって「重要」という事柄ほど、トラブルが続いてるんですわ。
先週なんて、もう吐き気がしそうなぐらい。
胃がいとうなってきて、鼻血が出ました、(なんのこっちゃ)
まあ、それほど、内に溜めとったんよ。
肌はぼろぼろになるし、自律神経は微妙に狂うてくるし。

せやさかい、今日はほんまに1日なんもかも忘れて自分のために行動しようと決めたんですわ。
って、ライブのチケットは3月から取っているからまあ、偶然と言うかうまく重なったんやけどね。

まず、東京についてから、ロッカーに荷物を入れて、自由が丘へ。
美容院へ行ったのだ。
前に書いたかも知れんけど、私は美容師を変えない。
やむをえない事情で、先方からやめるとか異動とかで、別の美容師に引き継がれることはあるが、基本的に大学以来、ほれ込んだ美容師についていく姿勢は変わらない。
何度か浮気をしたが、全然あかんかってんよ、他が。
で、大学からずっと女性の美容師に切ってもらってというか担当してもらって(いつも指名して)その人が動けば、私もついていく、ということをしていた。
それだけ信頼しているから。
たかが髪を切るだけ、パーマ当てるだけやんと思わはる人もいるやろう。
ちゃうんよ。すくなくとも私にとっては。
まず、雑誌などから切り抜いて「こういう髪型にしてください」という希望を持ったことが一度もない。
それから、頭の形が悪い。
直毛に見えて、実はへんなクセのある髪質。
めっちゃとは言わんが、微妙に髪の毛が多い。
毎朝、時間をかけて、あるいは、前日からカーラーを巻いたり、くるくるパーマで髪の毛をセットしたりというのが、不器用で出来ない、あるいは不精で出来へん。
不精ついでに、ショート・カットのときですら、頻繁に美容院に通わない。
それに付け加えるなら、髪の毛が伸びるのがはやいのに、行かないのだ。
そんな、どないしょうもない私には、ずっと同じ美容師というのはありがたい。
上記に挙げたことをすべて承知済みだからだ。
(髪の毛を切っても、パーマを当てても次はいつ来るかわからんと心得て、先を見越して切ってくれはる)。
すっかりお任せで甘えてきたのに、その女性がやめることになり、次は男性の美容師に引き継がれた。
前任の方に長い間お世話になっていたので、失礼ながら疑心暗鬼になって、しばらくいけずじまい(最後に切ってもらったときには彼女に泣き言を言っていたのだ)の日々をすごしていたが、とうとうどうしようもなくなり、引き継がれた彼にお願いをした。
さすが、長年私の面倒を見てきた人である。
本当に、いい人を紹介してくれはり、また私の不精な性格や髪、頭の形のデータも見事に引き継がれておりました。
一度切ってもらうとすぐわかる。
違和感がないから、
それ以来、彼を指名し続けて、といいながら半年は来ないとかざらにやっているのだが、信頼をして任せていたのだ。
悲劇はやってくる。
東京に異動してしまい、神戸のほうでまたもや引きつぎ。
次はまた女性なのだが、別に全然嫌じゃない。
でも、最初に切ってもらったとき、一瞬受け入れにためらいを感じた。
東京へは、調べ物やなんやで年に最低1回はいく。
で、昨年夏に調べ物のついでにはるばる自由が丘店まで訪ねていき、やっぱりこの人がいいわと思ったのだ。(最初の人は完全にやめてしまっているのでどうしようもない)
けれども、そうそう東京に行けないので、また神戸のほうも行くと2回目はよかった。
なんだ。ちょっと警戒しすぎただけかとそれから神戸で大丈夫と思っていたのだが・・・
今度は、私が忙しくていけず、おまけに名古屋に引っ越してしまった。
悩みながら、新規開拓もせず、コンサバに前のところに行く。
というのはまだわからないが、今日はライブついでに美容師を訪れた。
カットと予約したのだが、相談の上、いきなりパーマに変更。
かかりにくく、何度もかけなおしをしてもらった過去があるので、心得たものだ。
しかも、その後の私の予定(ライブ)を聞いて、仕上げも「熱気や激しい動きでも、崩れないように」と配慮してセットしてくれる。
ほんまに、任せきりや。
「小川さん、半年来なくても大丈夫のようにしました」と最後に付け加えられた。
あまり頻繁に通わないくせに、美容院に行くのは楽しくて大好きなのである。
新しい髪形ってどきどきするやん。
普段読まない雑誌を熟読し、マッサージまでしてもらえるんやから、気分転換には最高なのだ。

すっかり、気分が軽くなり、新宿へ。
うっかり場所を調べてこなかったので、たしかコマ劇場の近くだったはずと、でかい新宿駅を右往左往しながら出ると、パトカーがいっぱい、警官いっぱい。
何?と思ったが、単に歩行者天国にした交通整備らしい。
ちょうどいいやっと警察官に「新宿ロフトはどっちですか?」(コマ劇場といいかけて、そこから迷うのが嫌で、いいなおしたのだ)ときいて教えてもらい、そこへ行くと・・・
それは、ショップのロフトでした。
全然ちゃうやん。
新宿ロフトは歴史も長いから知ってはると思うたのに・・・
泣く泣く、新宿ロフトに電話をして、場所を教えてもらう。
結局歌舞伎町に行く前に、だまされたって洒落にならんわな。
無事に到着。
本日は、町田康と、遠藤ミチロウのユニット。
二人とも80年代の日本の音楽界の一部を代表する数々の伝説のバンドの一つに属するといっても過言ではないだろう。(もったいぶった言い方ですまない)
とりわけ、パンクというシーンにおいて。
今でも二人が一緒にいるのを見られるのは、映画『爆裂都市』である。
本当にあの映画を見ると、当時の音楽界のみならず、サブ・カルに重要な人が出演していると後になってつくづく思う。
さすがに、今日の客層は年齢が少し高い。
町田康のときも「町田さーん」と黄色い声が飛ぶよりも、「町蔵」という声のほうが多い。
もちろん私も、慣れ親しんだミチロウ、町蔵だ。
実は不義理でミチロウのライブは2年ぶりぐらい。(もっとかなあ)
あれだけ、伝説的なバンドを率いた二人だが、おたがい50代、40代になると、微妙にわかれた。
ミチロウは、弾き語りのアコースティックに完全に変えており、暴力的(客が)、挑戦的なスターリンのイメージは、彼のメイク以外残っていない。
二人とも、90年代前後に再びはなやかに第一線に出たのだが(と勝手に私が思っている)、新生スターリンを率いたミチロウはまだ最初のイメージを引き受けていた。
幸か不幸か、ミチロウにはそのイメージが付きまとう。
今日の客も、当然ながら愛のこもった怒号と罵声を飛ばす。
曲の間にほとんどしゃべることのなかったミチロウは、いまや淡々と話をする。
ちなみに、もとから彼はインテリなのだ。
おっさん声に「ミチロウもかわってねえよ」とかけられた言葉に対し、「かわったよ」と静かに答えたミチロウの姿を見て、涙が出そうだった。
それは、私が抱いていたミチロウに対するジレンマに、答えられたような気分だったから。
以前のミチロウ(そして亡霊のように彼につきまとうイメージのミチロウ)に比べると、なんだか好々爺のようになってしまったかのようだ。
町蔵は、はたからみるとゴーイング・マイ・ウェイで通し、それがいまやカリスマ性を強めているように見える。
弾き語りでしっくりと持ち歌を聞かせる前半のミチロウの歌声と、CD化されていない新曲を交え場内をリズムと言葉と動きの虜へと巻き込む町蔵の歌と朗読。
観客を見ているだけで、二人は対照的にうつるかもしれないとそう思った。
ふと、私は変死を遂げ、新聞の片隅にしか載らなかった江戸アケミを思い出し、またもや涙が出そうになった。
音を全身に浴び、突き上げられるように体を動かし、歌詞を口ずさみ、ライブハウスと言う祝祭の場にみをゆだねる。
これほどの快感はない。
私がこの二人を好きなのは、(おそらく私の好きな他のミュージシャンにも当てはまるだろう)二人ともとても「言葉」を大切にしているからだ。
私は、あほな子だったので、スターリンのミチロウを通して、共産党宣言にたどり着き、マルクスの文庫を買い、マルクスを知ったのだ。
町蔵に関しては、いまや作家としても有名だから、わざわざ例を出すこともないだろう。
なんて素敵な夜なんや。
興奮して、眠れそうにないわ。

4月28日
ようやく、四月を乗り切った。
ぜえぜえ。
名古屋の友人と飲みに行く。
出来立ての名刺を渡す。(記念すべき第一号だ)
とはいえ、ほっとしたのか緊張が抜けたのか、待ち合わせの場所で待っているときに全身鳥肌、軽いめまい、などなど身体さんが「不調」メッセージを出し始めていたのだ。
ごめん、言うんやったらもう少しはよう言うてや。
今からは無理やさかい、我慢してや。
そう身体さんに言い聞かせ、メッセージを無視した。

気い使わんでのめる相手は気楽でええわ。
お互い、忙しくて21時過ぎ待ち合わせと言う時間やったけど、面白かった。
早く、名古屋に慣れなあかんな。

そういえば、京都の職場のほうからメールが来た。
一緒に働いていた同僚から、昨晩私の夢を見たとのこと。
普段は3人でその部屋で働いていたのだが、同僚によると、その話をもうひとりにすると、もうひとりの同僚もその前の晩に私の夢を見たそうな。
今の解釈で行くと、二人とも私のことを思ってくれているということになるかも知れんが・・・
逆です。
このたった一月を過ごしながら、「ああ、私って、本当に同僚をあてにいきていたんやわ」とつくづく思い、京都で同僚たちと快適なお部屋で過ごした2年弱を懐かしく、また、「ああ、こんなとき、いつも隣を見て泣きついたらすぐにおしえてもらっていたんやわ」と自分の情けなさと同僚の、そして日文研のありがたさを改めて感じ、「遊びに行きたいなあ」と強く思いをはせていたのである。
その私の念が二人の夢に出たらしい。
ああ、昔の人はよういうたもんや。
ほんまやわ。夢に出るわ。おそろし。

4月26日
大学内でも、それぞれの専門領域を超えた研究会なるものがあり、テーマを決めてそれぞれの分野からお話をして、ディスカッションをするらしい。
それは、楽しそうだと前からチェックしていたはずが・・・
明日の授業準備が全く出来おらず、気がつけば、とっくに研究会は終わっていた。
しかも、家に帰ったのは、22時過ぎだし。

なんでこんなに出来てへんのか?
それは、無駄が多いからだ。
一度に済ませればいいのに、事務室に行かなくてはいけない用事を、一つ思いつけば後はすべて忘れ、1日に3回ぐらい往復している。あるいは、17時過ぎて、「あ、しまった。明日こそ手続きしよう」と思うだけで1週間ぐらい過ぎる。
以前は、自分にも少しぐらいの事務能力はあるだろうをたかをくくっていたが、今は完全に自信喪失。
私って、事務能力ゼロに近いかも。
機械や文明の利器にも弱いくせに・・・全然つかいもんにならんな。

そんな私が言うのもなんだが・・・・
大事な書類が郵便局のミスで、1週間の保管機関の間に取りに来なかったからと言う理由で、発送元に送り返されていた事実が発覚。
それも、私が「来るはずのものが来ない」とあちこちに前から問合せ、「転送届けを出していたら問題がない」と回答されたから、安心し、それでもやはり来ないので発送元、近くの郵便局など、再度問い合わせを重ねた上で、発覚したのだ。
引っ越して、誰もいない部屋に不在通知を入れて、誰が取りにいけるねん。
結局、発送元にそれから、あらたに面倒な手続きをお願いし、平謝りで再発送を願い出たのだが。
よく考えると、それは、郵便局の手落ちではないか。
どうでもいいDMは転送してくるくせに、よりによってなんでこの書類なの?
いまだに手元も届かず。
大型連休で私もうろうろするのに、どないすんねん。

4月25日
学部での新任歓迎会。
招待される。
すでに、私がお世話になる以前から、すなわち私を採用しようとありがたくも決めてくださってから、「今度来る人は専門がチャンバラ、雷蔵」とうわさが流れていたようだ。
これまで、入学式や、初の教授会で新任紹介があり、その場で立って皆様のほうに一礼をしたことはあった。
でも、こっちは誰だが全然わからない。
乾杯の後、新任の挨拶まで、先に飲食歓談となった。
幾人かの先生とお話というか紹介をしていただくが、みな「あ、君がチャンバラの人」と言う。
そうです。
おまけに、新任の挨拶が回ってきたとき、みなさん真面目に長々と出身や名古屋あるいは愛知との関係、研究などを話してはる。
ああ、どないしょう、総研大なんて誰も知らんし。
隣にいた同じ学科の先生に「みなさん真面目ですね」と言うと「短くて簡単に済ませたほうが聞いているほうは喜ぶよ」といわはる。
そうですか、など「ええ、何しゃべろう」と困っているといきなり呼ばれた。
まあ、お酒も入っているゆるい雰囲気だし・・・
「研究は日本映画、すでにうわさが飛んでいるようですが、絞るとチャンバラ。ライフワークは市川雷蔵。生国は摂津の国、尼崎」と言うと、一部が仁義を切る格好で答えてくれた。
しかし、そこから私のあかんとこ。
「かけだしのけちな野郎でござんす」とはいえず、普通に「ご指導のほどよろしくお願い申し上げます」と終えてしまった。
後から、「あのまま半身で仁義を切ってほしかった」といわれ、後悔。
おまえけに、「極妻」みたいと噂してました聞かされる。
なんやそれ。着物も着てへんかったのに。
って、その後の人たちはみんな真面目にあいさつをし、結果的にひとりふざけたオチャラケになっていたのだが・・・

ふざけてる場合やないわなあ。

4月21日
初めて、車で通勤。
ナビに頼って、50分ぐらいで到着。
電車とスクールバスを乗り継ぐと、1時間はかかるから車のほうがはやいのか。
道に慣れたら、もう少し短い時間でつけると思う。

事務に顔を出すと、ようやく、頼んでおいたパソコンが到着。
これまでは、家からノートパソコンを持っていっていたのだ。
私一人では、重くて運べないだろうと、事務の方が研究室に運んでくれた。
でも、セッティングは自分で。
これが、機械おんちの私には難行のごとく。
やっと、ネットもメールもプリンターもすべてつながったときは、17時過ぎていました。
1日かかってしもうた。
はあ、嬉しいけど、何にもできなかった。

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2006年05月02日 10:34に投稿されたエントリーのページです。

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