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2005年08月 アーカイブ

2005年08月02日

虫と格闘したり

7月31日
研究会も当然?欠席。
丸二日、ほぼ引き籠もり。
なのに、よく眠れない。
先ほどから、脂汗なのか、暑いせいの汗なのか・・・
身体がまだ「休ませい」と言うてる気がする。

引き籠もりをしている時は、読書か映画を観るのが一番いいのだが、さすがにアントニオー二を2本は、まいった。
個人的には好きな監督やけれども、意識がさすろうているときに、「さすらい」なんて見るもんやないね。
映画館で見た方がええなあ。

明日から8月。
気分変えられるんかなあ。

7月29日
我が家が一番。
寝に帰っていたが、ほとんど家にいた気がしないので、やっと家に帰ってきた日がする。

今朝、6時半の段階で、大阪「30度」と聞いて、「家に帰りたい」と思った。
けれども、出勤しないとと言い聞かせ、家に帰ると出られないから、昨日の格好のまま、7時半ぐらいに出勤。

昼過ぎに、研究会で東京から先輩が来てはって少し話す。
「痩せた?」と言われ、「夏ばてです」と答えると、強調するように
「京都の夏は暑いからね」と言われる。
だめ押しされた気分。

なんか、ほとんど眠れないまま、暑いので朦朧としてきた。
16時頃に、とっとと帰って、主治医のところに駆けつける。
しかも、混んでいて、診察がまわって来た時には、もう何かようわからん状態。
何を言うているのか、自分でもわからず、先生もこまらはった様子。
とにかく、「家で待機」命令。
すべてのこの後の計画を破棄して、速攻、家に帰った。

明日の研究会も楽しみなのだが、この状態では。
とにかく、今する事は。
「寝る事」を努力する事や。

7月28日
しんどい、しんどいといいつつも、今日も夜中まで帰らない。

朝から「テロリスト」と見紛うでかい「リュック」を背負い、11時頃になんとか到着。
よく眠れなかったせいか、同僚にすごく嫌な態度をとってしまった。
本当に、「こんなにいい人見た事ない」というほど、素直でステキな人なのに、その人に対して、なんてひどい態度を取ったんやろう。
些細な事やなのに、「甘え」が出て、緊張感が切れてしまった。
あかん、そんなん単なる言い訳や。
だから己は「下郎」なのじゃ。
最悪や。
お天道様はちゃんとみてはる。
絶対いつか罰当たるわ。
すみません。

本日は、1年間客員として来られていた先生が、感謝の意を込めて皆様を招待して「餃子」パーティーをするという。
まあ、中華料理をふるもうてくれるわけだ。
一応、サイドディッシュはお手伝いする事に。

しかし、始まると「段取り悪い」と感じて、やきもきする。
せっかちな性格やさかい、ほっとけばええものを、気になってしゃあない。
大陸の人はおおらかやね。
どーんと来いって感じやわ。
あない大きく構える事ができんと、あかんな。
わしなんて、身体もハラもちっこいもんな。
わらわら騒いで、わらわら手伝って、わらわら片づけて、同僚にダッシュで駅に送ってもらう。
今晩は、泊まりの日なのだ。
電話して、先に寝ていてもらう事にし、ほんまやったら一度家に帰るのだが、明朝帰る事にして、直行。

もうそろそろ寝ようかとしている時やった。
良かった。
顔が見られて。
いくら鍵もらって、「どんなに遅くてもええ」と言われていても、あまり夜中にこそこそ行くのも気が引ける。
「お風呂も沸いているから」と言われ、「お休み」と寝にいかはった。
疲れすぎて、思考が停止。
しばし、呆然。

せっかく、お風呂をまた沸かしてくれてんから、しんどかったが入浴。
ところが、風呂にはちっこいアブラムシみたい虫がおって、そいつがわてを脅かす。
湯船に入りながら、タイルの上にいるキャツとじっと対峙。
悪いが、排水溝に流させてもらいまっせ。
そう思うて、手桶に湯をくんで、バシャーっと流すと、ふっと姿が消えた。
安心して、タイルの上にあがり、頭を洗おうとすると、いつのまにやら目の前にまたおる。
うげっと思い、またザバーと流すと、飛ぶのだ。
こえええ。
水をかけて、格闘。
風呂場なんて卑怯や。
やっと、流れたかと安心して、頭を洗ってふと見ると、私のタオルの上にキャツがちょんと鎮座して、ぬくぬくとしているのだ。
泡だらけの頭で、タオルからキャツを床のタイルにたたき落とし、さらにお湯をかけると、ぴょーんと飛んで、なんと私に飛びついてきた。
ひぃーーーーーー!!!!
夜中の風呂場で、悲鳴にならぬ悲鳴を上げ、転倒しそうになった。
へとへとになって、風呂から上がり、興奮しすぎて、眠られへん。

もう3時やん。
眠りたいけど、薬を家に置いてきて取りに帰れず、こっそり置いてある頓服を服用するが、全く眠られへん。
とりあえず、暗くしてなんとかならんか。

7月27日
朝、腹痛。
昨日、調子に乗りすぎたか?
飲み過ぎって事はないが、胃腸が弱っているのはここ2週間ほど。
暑さのせいもあるかも知れない。

しかし、今日は大事な約束が。
おまけに、今日は、留学から一時帰国している友人を囲む会が。
昼前に、ふらふらになりながら出勤。

お昼を食べるものの、なんとなく調子が復帰しない。
そうも言うておれん。
自分のこともちゃんとせな。
冷房が、今日も効いて、完全に身体が冷えている。

でも、外面よしこちゃんなもんやさかい、とにかく誰かと会うときは「スマイル」。
これが、私の生きる道。
いつもそうやってきたんやけど、さすがに疲れてくると、緊張感が切れる。
つい、対応のテンションが落ちるときがある。
そこで「どつぼ」を踏みそうや。
気いつけな。

留学から一時帰国している彼女も2年ぶりぐらい。
どこか、外食してくれると楽なのだが、それは単なる私のエゴ。
エゴイスト。

仲間内のお一人のステキな新築の家で、バーベキューとしゃれこんだ。
世間は夏休みだが、私は一応17時まで出勤。
一人遅れていく。
場所が、香里園というところ。
この沿線は、ほとんど私に縁がない。
すなわち、行きも帰りも「行くのが不便」なのである。
もちろん、私にとってだけだが。
豪邸が建ち並ぶ閑静な住宅街。
16時半頃から始まっているので一人で19時過ぎて到着。

彼女は、以前よりたくましくなったような気がする。
でも、一時体調を崩していたと聞いて、心配。
それでも、TAをしていると聞いたから、思わず「それって、アメリカで教えてんの?」と当たり前のことを聞く。
あほやな。
英語のできへん私にとって、もう憧れ。
そうか、向こうの学生に教えてんのか。
すげー。

向こうも、印象は「お元気になられて」とのこと。
せやな。
以前、会うた時って、博論書いているときやったかな。
そのころよりは、「元気」です。

彼女も家が遠いので、早めにお暇するものの、家にたどり着いたのは、23時半。
昨晩は0時前。

だんだん息切れしてきた。

7月26日
実は、昨日より、7月最後の「死のロード」と名付けている。
阪神より一足お先である。
なぜなら、毎日用事があり、家には寝に帰るだけになりそうだから。

今日は朝から雨。
雨脚が強かったので、少し出かけるのを見合わせていたら、祖母が起きてきた。
なんとなく、すぐに出てしまうのがためらわれたので、8時半に出ることにして、祖母の朝ご飯を作る。
「月下美人」はすっかり花がしぼんでいる。
一鉢は、まだ今晩咲きそうなので、もうつぼみが付いていない鉢を、庭に出す。
玄関に飾っていた「カサブランカ」の花瓶を、居間に持ってくる。
洗い物をすませて、家を出る。

京都に着くと、ほとんど雨が上がっており、逆に蒸し暑い。
気温があまり高くなく、それでいて湿度が高いときも冷房が効きすぎて、冷える。
雨で濡れているのに、それで身体を冷やすから。

本日は、来月結婚をする友達のお祝い会である。
同期の一人が提案して、こじんまりとした飲み会をすることにした。
直前まで連絡が取れなかったもう一人の友人が、遅れるが駆けつけるとのこと。
この友人とは2年、いや3年ぐらい会っていない。
久し振りに会うと、お互いかわらへんわ。
と、思っているのは本人同士だけ?
なんと、その友人も9月に結婚するという。
おおお、ダブルでお祝いとなった。
めでたい。

楽しいときは、時の経つのを忘れる。
二人とも結婚しても、今のところ関西在住なので、また集まりたい。

2005年08月06日

私を探さないで

8月5日
お盆前のなので、主治医のところが混んでいる。

ここ最近、また暑い日々が続く。
外に出ると溶けそうで、移動あるいは、職場は冷房が効いて寒い。
完全なる夏ばて。
「冷房病」といわれる自己判定項目すべての症状にあてはまる。
最悪や。

主治医も、「気にせんとき」と言われる。
そうやね。

明日から、逃亡生活に入る。
お盆まで、誰も探さないで下さい。

8月4日
1年間来訪研究員として、一緒に過ごしてきた中国の先生の送別会。
いつもよりは、手抜きだが、久し振りに懐石料理を作る。
美味しいと言ってもらえるのも嬉しい。
しかし、何よりも作っている時間が楽しい。

久し振りに、金額を気にせず、いい素材を買い占め、料理。
そりゃ、腕前よりも素材が美味しいんだよ。

あっという間の1年間。
楽しかったです。
今度は、私が北京に尋ねに行きたい。

8月3日
久し振りにNOVAに行く。
グループ・レッスンは、嫌なのだけれども、時間があらへんのでしゃあない。
NOVAは景気がええようで、3人までの少人数をうたっていたのが、この4月からマックス4人に変更。
英語は4人やった。
おじさん一人と、若い女性二人と私。
私以外の3人は、よくレッスンに来てはるらしく、先生とも顔見知りらしい。
私と言えば、全くレッスンに行かないので、その先生とも初めて。
だが、話題が私のあんまり好まない話題に。
そこで、最近にじみだし、垂れ流しになっている邪悪さが、ここでもとまらない。

話題が「ディズニー」及び「東京ディズニーランド」になった。
私は、両方とも好きではない。
「ディズニーはすかん」というと、若い女性二人に「生まれてからこの方、ディズニーが嫌いという人にあったことがない!!!」と驚かれる。
「why?」と聞かれて、
「ディズニーが子供に夢を与えるなんて、嘘くさい」
「あれは「子供の夢」を与えるという名にすりかえた「大人に欲望」の押しつけや」と言うと、彼女らはさらに混乱。
すまない。

世の中には、そういう邪悪な人間もおるんよ。

8月2日
意気消沈。
頭が割れそうに痛い。

必死で、内で渦巻く己の底知れぬ邪悪さを隠して、人付き合い。
冗談言うたり、笑うたり、つっこみ入れたり、和気藹々。
と思うていたのは、自分だけ。

ふくれあがった抑圧しきれない、己の本性が、汗と一緒にじわーっとにじみ出てくる。
いくら拭き取り、隠そうとしても、自分でマイナスオーラの腐臭が、おのれの身体から立ち上っているのが分かる。
消臭剤も、オー・ド・トワレも、誤魔化しにならん。
自分の汗を拭くと、どす黒い邪悪さが流れ出て、タオルが黒くなっていくように見える。
すでに、日本語もまともに話せず、コミュニケーション失調。
今、どこかを斬ったら、どす黒い、あるいは青い血が噴出するかも。

あまりの恐ろしさに、22時半まで家に籠もり、そこから着替えて、仮面を付けて祖母宅に泊まりに行く。

NHKで「新・シルクロード」再放送で、「トルファン」がやっていた。
今から20年前、祖父母に無理を言って、シルクロードの旅に連れて行ってもらい、トルファンにも行った。
祖母と「懐かしいねえ」と話ながら、テレビを見る。
音楽をかなで、踊っている人々のシーンを見て、祖母の方に振り返り、「こんな踊り見ましたね」と言おうとして、唖然。
お風呂から既に上がり、入れ歯もはずし、眼鏡も外している祖母が、掘り炬燵の卓上を走ったらしいゴキブリを、素手で「バシッ、バシッ」と叩きのめしていたのだ。
「どっこいしょ」とかけ声かけないと、もうだんだん動くのも大変になってきたと嘆いていた祖母の、あまりの素早い行動に、「さすが、大正生まれ」と何故か思って感心。

「早くお風呂入って、ちゃんと寝なさい」と言われて、先に休みはった。
一人になって、また自己嫌悪にとらわれ、倦怠感と吐き気。

「俺の存在を頭から叩き消してくれ」

8月1日
ほう。
葉月です。
夏です。
暑いです。
一番苦手な時期です。
嘘です、寒い冬も嫌いです。

週末の休養の仕上げとして、昨晩は22時ぐらいに服薬して、「いつでも眠れる」状態で、お部屋を真っ暗にして待機。
と・こ・ろ・が・
これが、全然寝られへんねや。
たまりかねて、起き出してしまい、水をがぶがぶ飲んで、気分転換。
ここで辛抱せなと思い直し、またベッドへ。
あかん。
眠られへん。
週末の間、昼か夜か朝か夕かよくわからない2日間を送っていた。
ここでリセットせなあかんのに。

結局、外が白むまで、5分から30分という周期で起きたりしていたから、もうよく分からない。
4時過ぎに起きて、メールチェックして、汗だくなので、着替えて、湯船に湯をはる。
腹痛がして、「昨日何食べたっけ?」と考えながら、うだうだ。
お湯を止め、お風呂に入ろうとすると、湯気で気分が悪くなり、あわてて戻り、ベッドに倒れる。
しばし、失神。
1時間後に目覚めるが、吐き気が。
そこから、夢現の状態。
妙にリアルな、でも、起きるたびに、登場人物もストーリーも全く変わる短い夢を見ていた。
漸く覚醒した時は9時。
あれ、もしかして、この5時間が一番よう眠っていたんちゃうん。
夢を見る事は、頭の、脳のリセットってことやん。

本日は、長田の薪能。
だから、3時頃には京都を後にするつもりだったので、いっそのこと「休んでしまえ」と、欠勤メール。

午前中は、念願の「布団干し」を敢行。
悲願の「銀行」「郵便局」めぐりを達成。
ひそかに企ててある「逃亡計画」に向けて、準備を確実に整える。
といっても、丸1週間ほど、家を空けるだけなのだが。

午後、早めの昼ご飯を食べながら、録画していた「秘剣破り」を見る。
私は池広一夫監督を、勝手に気の毒に思った。
彼は、雷蔵と親交の深かった監督の一人であり、現役の監督さんである。
以前、私も無理をお願いして、お手紙で質問に答えて頂いた。
「秘剣破り」を監督したのが、彼である。
これは、五味康祐原作『薄桜記』、脚本:伊藤大輔のリメイクである。
雷蔵の突然の訃報(現場の人にとっては、病状は隠されていたので「突然」であったと語り継がれている)により、スターを一人失った大映は、雷蔵の後釜として、東映から「松方弘樹」に白羽の矢を立てた。
松方弘樹には大変失礼だが、苦肉の策というか、その場しのぎというか・・・
何故「後釜」かというと、結果的に見て「倒産寸前」の大映は、雷蔵のヒット作を、松方弘樹でリメイクさせたのだ。
眠狂四郎シリーズを2本。(だったと思う)
そして、この『薄桜記』(松方版は『秘剣破り』)もそうである。
ニヒルで、陰翳のある雷蔵イメージの作品であるが、顔のかたちからして、松方弘樹には「ニヒル」も「陰翳のある」雰囲気もない。
面長の雷蔵と比べて、四角いえらがはった感じの松方弘樹の顔では、ズラののせ方でもかなり工夫しないと、雰囲気が全く違う。
もちろん、それは私が「雷蔵」ファンであるからそう感じる事は、重々承知である。

せっかく「秘剣破り」とタイトルまで変えたのなら、何故、脚本も大胆に変更しなかったのか。
たしかに、原作「薄桜記」は長編であり、それを見事に換骨奪胎した伊藤大輔の脚本は、映画向きで良くできていると思う。
原作と大きく話を変えてしまっているから、なおさら「映画的」なのだ。
脚本が同じでも、ある場面は全くカットしているのなら、他のシーンもかなり忠実に踏襲しない方がいいと思う。
中途半端に見えるから。
あるいは、せめて「衣装だけ」でも、全く違う(時代が設定してあるので、平安朝にせいというわけではない)色や柄にしてもいいのではないか?
あまりに酷似した色と柄の着物を着ると、ますます「雷蔵」と比較してしまうのが、観るもの(とりわけ雷蔵ファン)の性になる。
民放だったので、CMによる原作のカットは考えられる。
そのシーンを、補ったとしても、私には苦し紛れの「駄作」としか思えず、池広一夫は本当にこの作品を「すすんで撮りたかったのだろうか」と、訝しく思う。
とりわけ雷蔵と仲が良かったのなら、なおさらそう思う。

15時の時点で、近隣の温度が34.2度という報告を見て、ためらいながら、夏物の着物を着て、薪能に行く。
高速長田駅前で、祖母と母と「寿司」をいただき、長田神社へ。
いつもなら夕方の涼しい風が吹いてくるのだが、今日は「無風」に近い。
着物なので、背中を滝のように汗が流れる。
今日は、能楽『井筒』で、後がうちの師匠である。
さすが。
暑さも忘れて、「面影」を井戸にのぞき込む仕草に、胸がじーんと熱くなる。

せやけど、火入れ式の後の挨拶は4人もいらんで。
「逃亡計画」があるので、今晩は泊まり。
一人だと、お風呂も危ないから止めると言っているのが、祖母は「シャワー」世代ではないし、こんなに暑くて汗をかく夏は、一風呂浴びたいだろう。
私も一風呂浴びたい。

今も、見てきた「井筒」の話や、「着物」の話をして、楽しい。
お休みなさい。

2005年08月20日

お盆な日々

8月16日
今日は、送り火を見る。
大叔母が、御池通りのマンションに住んでいて、祖母が「五山の送り火」を見た事がないと言うのを聞き、招待してくれはったのだ。
たまたま一緒にいた私もお誘い頂く。
ただ、仕事があるので、お食事は辞退して、直接住所を聞いて大叔母の家を訪ねる事にした。

大叔母からもらった夏帯を、今家に持ってきている事もあり、「送り火」にかこつけて、母の紗の着物を着て、出勤。
そう、今は、日文研ハウスなのである。
私の最初の計算では、祖母たちが送り火の後、京都のホテルに泊まると思っていて、それに便乗して、そこから出勤しようと言う事だった。
ところが、明後日から、叔父に誘われて箱根に旅行する事になった祖母の希望により、タクシーで塚口まで帰るという。
しかも、タクシーの定員は一杯で、私は同乗できないという。
着物も着るし、もうええよっとハウスを予約していたのだ。
まあ、次の日出勤も楽だし、「送り火」も見てからの帰りも遠くないのでいいか。

朝から着物でうろうろしているので、目立つ。
チェックインしてから、大叔母のマンションへ。
大体の場所は分かっていたが、実際に行ってみると、柊屋の西隣。
最上階から、なんと「送り火」がすべて見渡せる絶好のポイント。
想像では、一つぐらい見られないと思っていたので、感動はひとしお。
しかも、昼間の暑さとは裏腹に、ほどよい風が吹いて結構涼しい。
すっかり満喫させて頂きました。

いくら、着物がお気に入りと言っても、さすがに朝から1日着ていると、脱いだ瞬間に「楽やわあ」と実感。
汗も掻いたので、除湿して干している。
明日は、出勤は、敷地内なので、楽だ。
関西に帰ってきて、普段の生活に戻りつつある中、浮腫んだ身体など、少しずつ体調も戻りつつある気がする。
早く、軌道修正せねば。

8月15日
丸1週間休んで、日文研に出勤。
週4~5日通っていると、それなりに通うのも生活のリズムとなり、気にならない距離になっていたのだが、1週間(正確には9日間)間隔が空くと、ものすごく遠い気がする。

とはいえ、いざ行くと、東京での調べもののまとめもあわせて、やらなくてはならない事が山積みである事に気付き、大焦り。
先生とも打ち合わせをして、片づけていかないものなど整理をする。

夕方、同僚が駅まで送ってくれるといい、本末転倒だが疲れてしまっていたので、お言葉に甘える。
すると、また豪雨になってしまい、本当に感謝。
ありがたい。

家に着くと、雨は降っていないので、「洗濯しよう」と思い立つと、突然の雷雨。
はああ、雨が降ると頭痛がするんよね。

8月14日
一日、身体休養しても、いまだに浮腫が取れない。
明日から、出勤なのに。

8月13日
ああ、しんど。
ほんまに、あほは死なななおらへんわ。
自分の一人珍道中というか、ちょっと冷静に考えたら分かりそうな事にきづかへんあほぶりに、己ながら呆れる。

まず、東京行く前に着実に計画を立てて、実行に移し完璧と思っていたところから、すでに間違いであった。
せこいので、東京に行く時はいつも夜行バスにしている。
しかし、今回は、行きが日程的に夜行が無理だったので、新幹線にした。
もちろん、金券ショップである。(もちろん駅前第3ビル)
帰りは、お盆期間に入るために金券ショップの新幹線チケットは利用できない。
なので、夜行バスレディース号のチケットを確保。
今朝7時半頃に大阪駅に着く予定だった。
祖父の初盆が17時からなので、一風呂浴びて、少し休んで洗濯でもして、祖母の家に行く予定をしていた。

12日朝、10時にチェックアウトした後、荷物をフロントに預け、最後の浅草散策。
花屋敷遊園地に入りたかったが、一人では、さすがに行きづらいし、時間もそんなにない。
夜は、なんとなく危険センサーと事前情報により入らなかった小道、筋がある。
私は、海外でも大通りでは飽きたらず、横道や小道、怪しげな筋にふらっと入り込むくせがある。
それでも危ない目にあった事はない。
やっぱり、「あ、こっから先はやばいかな。やめとこ」という危険センサーが一応働く。
今回も、昼間であるから、夜に行かなかった小道や筋に行ってみた。
新世界というか十三に近い、一杯飲み屋ずらりと並び、昼から一杯やってはるおっちゃんたち。
こういうところに行く時は、たいがい下町育ちの男友達と行くので、さすがに一人では行かない。
これは、夜は来られへんわ。
それでも、昼間にもかかわらず、その間の小さい横道でも、横切るのがためらわれる筋が何本かあった。
これが、私の危険センサーの規準だと思っている。
下町ならではというか、知らない土地だからか。

そんな風に浅草を楽しんで、おみやげを買い、昼食を食べ、荷物を持ってフィルムセンターにいく。
図書室を利用しながら、途中15時上映の「第二の母」と「怪談猫の三味線」をみる。
「第二の母」はまったく情報もなく観た現代劇だが、結構面白かった。
その後、18時半に追い出されるまでまた図書室で仕事。

19時に銀座三越前で友人と待ち合わせしていたので、歩いて銀座三越まで到着。
漸く京橋から銀座、有楽町の地理関係が分かった気がする。
三越の地下で最後の土産を買うて、予約していた鶏料理屋に行く。
友人に任せて店を選んでもらい、予約もお願いしていた。
一応、東京に来てからネット検索して、どんな店か調べてみた。
奥美濃の地鶏を扱う関東初の店らしい。
予約をしていて正解で、狭い店はすぐに満員。
コース料理は予約していなかったので、その場で注文する。
ここからハプニングが始まった。
一応私たちは予約を入れていた。
だが、料理までは事前に頼んでいなかった。
店にある鶏料理のメニューのほとんどが「もも肉」である。
店のおすすめも「鶏の唐揚げ」など「もも肉」であった。
いざ、注文をすると「予約のお客さんのためもも肉は今日は売り切れました」と言う。
いや、料理は予約してなくても、客としては予約していた人がいるのは、分かってはるやろう。
思わず、耳を疑って「あの、もも肉料理は全部あらへんていうてはるん?」と聞いてしまった。
後に残ったメニューは「卵」料理か、肝刺し系である。
あとは、ササミとか雑炊。
あまりにも呆れて友人に「悪いけど、店かえへん?食べるもんあらへんやん」と提案。
新橋の「中華粥」メインの中華料理屋に変更。
もう一人の友人がそこで合流して、23時の東京駅まで付き合ってくれた。
そのころになると、東京はものすごい雷雨になった。
バス乗り場も混雑し、どうも雷雨などで全体的に遅れているらしい。
結局30分以上遅れて、バスが出発。

真ん中の席だったのだが、何故か読書灯が何処にあるかわからない。
仕方がないので、暗闇でパソコンをたちあげ3時頃まで仕事をして、服薬。
やはり、バスは眠りにくく、何度も目覚める中、なんとなくバスが走っていない気がしていた。
7時頃、「臨時休憩」という言葉で、外に出るとまだ、「尾張一宮」である。
ええ?尾張?
そこで、初めて誰もが分かっている事実に気付いた。
お盆の帰省ラッシュで高速道路が渋滞していて動かないのだ。
あほやなあ。
はじめから冷静に考えれば、毎年の事やさかい、予測つくやん。
ケチらんと新幹線にすればよかった、と思うても後の祭り。
私は、田舎というものがない。
生国摂津の国、尼崎で生まれ、そのまま育った。
父方の祖母宅は、池田にあった。
母方の祖父母宅は、歩いて10分のところである。
なので、お盆の帰省ラッシュというものを全く知らずに育ち、毎年ニュースで「○○インターで40km」というニュースを見て、「えらいこっちゃなあ」と他人事でいた。
12日の夜行バスがその流れで、毎年渋滞になる高速を走る事に気付かず、夜行バスは夜行バスでいつも自分が使用している時間通りに動くものだと何故か思っていた。
9時半頃、京都の深草にて臨時停車。
大阪に着くのは、このままだと12時半頃になると言う。
12時から、「ウルトラマンセブン」を録画しなくてはならない。
泣く泣く、深草で降りて、京阪「藤ノ森」まで歩いて、そこからJR線に乗り継いで、塚口に、11時過ぎに到着。

そのころ、塚口も雨が降ってきた。
ぱんぱんに浮腫んだ身体をもてあまし、洗濯もできず、お風呂に入って、とにかく一休み。
小雨になったのを幸いに、16時半頃に祖母宅に到着。
すでに、ほとんどみんな集まっていた。
疲れ果てた中、坊さんにお経を上げてもらい、その後親戚と食事をして、やっと帰宅。
疲れすぎて、眠れない。

8月11日
本日、最初の映画はまだ未見のものであるが、あまりそそられるものではないので、パス。
今回の東京滞在のもう一つの理由を敢行。
あほかと思われるかも知れんが、カットに行ったのである。
直毛なようで、癖のある髪をもち、おまけに頭の形が悪い(スキンヘッズには恥ずかしくてできない)私は、出会った美容師さんに恵まれ、それっきり全くのお任せできた。
もちろん、多くの女性たちが費やすような器用な髪型のセットなどもできず、ショートにしても全然こまめに美容院に通わない無精ぶり。
毎回、美容室に行く度に叱られながらも、わがままを聞いてもらい、これまで切ってもらって「あれ、なんかしっくりけえへん」と思った事がない。
そんなステキな美容師に大学で出会い、それから、その人について美容室の場所も一緒に転々。
ところが、何年か前、突然私が頼りにしていた美容師が辞めはる事になった。
遠くに異動でもなく、独立でもない。
そこで、泣きを入れて「私はどうしたらいいのでしょう」と聞くと、「あなたにぴったりな人を引き継ぐから」と一人の美容師を紹介して、去っていってしまった。
長い間、ずっと担当をしてもらっていたので、さすがに次の人に対して、不信感がないわけではなかったが、よくよく私の性格・行動パターンを説明して、引き継いでくれたのであろう。
初めて、引き継ぎの人に切ってもらって、仕上げと普段の家での簡単なセットの仕方などもアドバイスしてもらい、不満はなかった。
すっかり安心して、それ以来、半年来なかったり、「こんな髪型でよく毎日外出していましたね」と言われるようなぼろぼろ状態で、駆け込む事しばしば。
いつでもにこやかに対処し、次も「おそらく暫く来ないであろう」と見越して、多少のびても耐えうるカットを施してくれていた。
感謝している。
その美容師が、これまた突然、東京の自由が丘店オープンのため店長として異動してしまったのである。
3月の事であったが、ものすごい過密スケジュールの中、飽きてきたロングからショートにしたかったので、最後の置きみやげとして「ベリーショート」にしてもらった。
その時、「東京には、年に一度は行くと思いますので、その時は自由が丘まで切りに行きますね」と言うていたのだが、今回、実行してしまった。
もちろん、引き継ぎの人を紹介してもらい、一度切ってもらったのだが、しあげのセットが今ひとつ気に入らなかった。
カットに関して不満はないが、私の無精ぶりのクセに、あまりにオーソドックスな髪型は嫌というわがままには、今ひとつ物足りないものがあった。
だからと言うわけではないが、半年ぶりに元の美容師さんにはさみを入れてもらう事にした。
とはいえ、全く東京の地理が分からない私には、滞在しているホテルから自由が丘までどれくらいかかって、どうやって行けばいいのかも分からない。
ホテルのフロントで教えてもらい、小1時間かかって、到着。
そこまでして、髪の毛切らんでもと、われながら呆れるが、半年ぶりに切りに行くなんて、ざらの私にとっては、久し振りでもあり、いつもの事でもある。
またもや、要望(また伸ばしていきたい)をいいつつも、あとは全くのお任せで、本当にすっきり夏らしく、残暑対応の髪型に仕上げてもらった。
引き継いだもろうた元町の美容師さんには悪いと思うが、ほんまに、東京まで来てよかった。
ついでに、ハンドマッサージもサービス価格でしてもらい、すっかり和む。
「できたら、冬場に来たいです」とついつい口がすべるほど、大満足。
美容院に行くのは、好きなのだ。

上機嫌で、フィルムセンターにもどり、19時の上映まで図書室で仕事。
『忠治活殺剣』と『追分けの三五郎』を観る。
両方とも忠治ものだが、観ていない作品なので、不完全とはいえ見る事が出来てよかった。

あああ、明日で夢の逃亡生活も終わり。
あっという間やったなあ。
明日は、関東は天気が悪そう。
でも、全国の天気予報を観ていると、この度の滞在中、明日の予報も含めて、東京は涼しかった。
関西は、相変わらず35度前後の猛暑。
帰りたくないわ。

8月10日
フィルムセンターの図書室が、12時半からしか開室にならないので、朝は結構ゆっくりしている。
あまり一人で外食しないのだが、友人宅と違って、ホテルでは自分で調理はできない。
やはり「蕎麦」かなあ、と「もりそば」を食べに行く。
やはり、そばつゆ(つけだし)が関西より辛い。
とはいえ、結構美味しかった。(盛りそば一杯にしてはちょっと値段が高いかなあ)

昨日下調べをしたので、早速閉架資料を申し込んで、図書室利用。
資料を見ながら、15時からの映画まで過ごす。
15時は、昨年の京都映画祭では初めて観る事のかなった『勝鬨』(1926マキノ御室、不完全)と『護持院ヶ原の火華』(1933宝塚キネマ、部分)をもう一度観る。
一度観ただけの映画の記憶なんて、もちろん定かではない。
それにしても、なんとなく記憶とあまりにも違うところがあったので、研究のため無理をお願いして、発掘された映画の復元などについて、質問をする。
受付で問い合わせたところ、ご多忙なようで直接会ってはくれないが、受付の内線電話にて、教えてもらう。
なるほど。

その後、展示室にて開催されている「尾上松之助と時代劇スターの系譜」を見に行く。
がらがらなので、ぎゃくにゆっくり見る事が出来て嬉しい。
フィルムセンターなのだから当たり前だけれど、これだけ貴重なフィルムを持ってはるんやったら、できれば文献だけでなく、映像も研究のため公開して欲しいと切に願う。
あのシーンを確認して、他の映画と比較したいと願っても、企画上映される日程にしか見る事が出来ないと、どんなにメモっていても、時間が経てば記憶は曖昧になる。

展示室を後にして、本日二回目の上映作品『怪傑ハヤブサ』を観る。
「ハヤブサ・ヒデト」はスティール写真でしか観た事がなかったので、期待していたが、期待通りの楽しい映画。
げらげら笑ってしまった。
不完全ではあるが、それでも十分だ。

東京ってこういうところなんかと思った事が一つ。
映画中に何度も咳をしはる人に対して、「うるせー」という文句は、まあ分かる。
驚いたのが、映画中の「私語」に対して、「おしゃべりしないで下さい」とでかい声で叫ぶ言葉である。
「静かにして下さい」というのは予測できるが、「おしゃべり」って注意しはるんや。
普段使用している言葉の違いなんやろうか。

今日は、昨日より早く映画が終わったので、夜の浅草を少し探索。
なんか、十三というか新世界というか、新開地というか、それよりは観光客が多いが、なんとなく親しみがある町で、すっかり気に入った。

8月9日
ほっとしたせいか。
ホテルの部屋で、茫然自失。
さすがに、ここまで来てしまえば13日の朝まで、顔を合わす事も呼び戻される事もない。
少し、気分が楽になって、昨日までの至福の時間を思い出す。

毎年恒例の映像学会関西支部夏期ゼミナールに参加していた。
今年のお題は「アウトサイダーの世界」である。
今年は、選んだ作品の長さの関係か、私が参加するようになってから、一番映画の上映本数が少ない。
その分、すべてのスケジュールに余裕があるとも言える。
私としては、少々ハードでも、1本でも多く見たいのだが、それは己のエゴ。

昼に到着し、昼食後、まず2本。
『河内山宗春』(山中貞雄監督)と『酔いどれ天使』(黒澤明監督)。
夕食とお風呂の後、また2本。
『男はつらいよ』(山田洋次監督、シリーズ第一作)と『座頭市物語』(三隅研次監督、シシリーズ第一作)。
そして、宴会。
翌日、朝食後、『誇り高き挑戦』(深作欣二監督)と『関の彌太っぺ』(山下耕作監督)。
昼食後、『893愚連隊』(中島貞夫監督)と『仁義なき戦い』(深作欣二監督、シリーズ第一作)。
また夕食とお風呂の後、シンポジウム(講演)「中島貞夫監督に聞く」、で宴会。
最終日、朝食後、『「エロ事師たち」より人類学入門』(今村昌平監督)をみて、昼食を食べて解散。
今回のお目当ては、未見であった『誇り高き挑戦』と、もう一度スクリーンで見たい『河内山宗春』と『座頭市物語』。
とはいえ、『関の彌太っぺ』などは、有名な錦ちゃんの台詞を覚えていて、間をおいて話す前に心の中で先にそらんじてしまう自分に気付く。
これは昨年の『晩春』の原節子の台詞で同じ事をしている。

さっき観た映画をすぐに再現して、応用して遊んでしまうのは、多数の人数で同じ映画を共有した後であるから成立する遊びである。
来年は、何の映画が観られるのかなと、もう鬼が笑う想像をしている。
あらためて感じさせられるのが、やはりシリーズ第一作は秀作だという事。
だから、シリーズ化していったんやろうけれど。
シリーズの2本目の方が「ええ」と思えるのは、「眠狂四郎」(市川雷蔵)と、「仁義なき戦い」やろうか。(今思いつく限りは)
まあ、「悪名」は1・2作まとめて、完結として傑作。
モートルの貞が死んだ時点で、最骨頂やと思うのだが。
まあ、マキノ雅広がこよなく愛し何度もリメイクした「次郎長三国志」といった、最初から連作を予定していた作品や、無声映画時代から始まった、最初から「前編・後篇」など、最初から「続き」を予定していた物語は、シリーズに数えていないのだが。

邪魔のおかげで、体調崩しつつ東京に到着。
フィルムセンターまで東京駅から歩いて10分と記載してあるが、地図を見て、外に出た途端、突然の雨。
目の前のタクシー乗り場に行き、おそるおそる「えらい近場なんですが・・・」と交渉。
不景気で、ずらーっと並んでいるタクシーのせいか、おっちゃんは拒否せず、のせてくれる。
けれども、「どこ?」と聞かれて、「フィルムセンターまでお願いします」「フィルムセンター?えっ?フィルムセンター?」とご存じない様子。
「あのう、地図がありますけど」とパンフレットを見せる。
全く、東京の地理がわからない私でも恐縮するほど本当に近場だったらしく、すぐに止まって、「そこの角を曲がったとこだよ」と教えてもらえる。
もちろんワンメーター。
「すんません。助かりました、おおきに」
こういう時、反射的に関西弁で話す自分がこわい。

「発掘された映画たち2005」というテーマで上映されている作品の一部を見る。
『笑う地球に朝が来る』(1940南旺映画、不完全)と『サザエさん、七転八起の巻』(1948マキノ映画)。サザエさん実写の初映画化作品である。
宮城千賀子に最近注目しているので、ここにも出ていて興味深い。

次回上映が19時なので、それまでの間、図書室にて資料を調べに行く。
初めて利用する図書室にて、いろいろ使用方法など教えてもらい、検索したりする。
慣れないので、まずは何があるかなど下調べ状態。

18時半の閉室前に、階下に降りて次回上映のために並ぶ。
『歌麿』(1952秀映社)と、『菅原伝授手習鑑』(1950プレミアピクチャア、パートカラー)を観る。
歌舞伎についてあまりよく知らない私にとっては、初代中村吉右衛門の記録映画としての貴重さしか分からないので、おのれの勉強不足を反省。
ホテルに向かう。

いつも滞在させてもらう友人が、集中講義で11日まで家にいないというので、今回は浅草のホテルに滞在。
一人になって、気が緩んだのか、身体が浮腫んで、しんど。

8月8日
逃亡生活第一弾終了。
家に帰って、荷物を詰め替え、明朝また出かける予定。
なのに、一時邪魔が入った。
夕方、家に帰る前にお稽古に行ったら、父が体調が悪くて会社早退したから、慌てて母が家に帰ったという。
そんなん、私の知った事じゃない。
しかし、師匠をはじめ「父の見舞いに行ってあげて」と何人かに言われる。
なんで、そんな事言われなあかんねん。
そりゃ、事故にあったとか、救急車で病院に運ばれたというのなら、言われるまでもなく行くであろう。
一人で、会社から帰ってこられるぐらいの程度ならどうでもええやん。

結局、母からもヘルプが入り、実家に顔を出す。
はあああ、何のための逃亡生活計画やねん。
一挙に、気分が憂鬱。
父は、持病の「喘息」が出ただけであった。
そりゃ、喘息の発作はしんどい。
その遺伝のせいで、私も軽い喘息を昨年発症してしまったのだから。
持病より、私の精神状態の方が深刻や。
とにかく、極悪非道と言われようとも、近親者のそばから顔を合わせず、しばらく離れたくて、計画したのがおじゃんじゃ。
さっきまでの3日間の楽しみが、一挙に鬱に転換。

明朝、さっさと東京へ逃亡だ。

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