8月16日
今日は、送り火を見る。
大叔母が、御池通りのマンションに住んでいて、祖母が「五山の送り火」を見た事がないと言うのを聞き、招待してくれはったのだ。
たまたま一緒にいた私もお誘い頂く。
ただ、仕事があるので、お食事は辞退して、直接住所を聞いて大叔母の家を訪ねる事にした。
大叔母からもらった夏帯を、今家に持ってきている事もあり、「送り火」にかこつけて、母の紗の着物を着て、出勤。
そう、今は、日文研ハウスなのである。
私の最初の計算では、祖母たちが送り火の後、京都のホテルに泊まると思っていて、それに便乗して、そこから出勤しようと言う事だった。
ところが、明後日から、叔父に誘われて箱根に旅行する事になった祖母の希望により、タクシーで塚口まで帰るという。
しかも、タクシーの定員は一杯で、私は同乗できないという。
着物も着るし、もうええよっとハウスを予約していたのだ。
まあ、次の日出勤も楽だし、「送り火」も見てからの帰りも遠くないのでいいか。
朝から着物でうろうろしているので、目立つ。
チェックインしてから、大叔母のマンションへ。
大体の場所は分かっていたが、実際に行ってみると、柊屋の西隣。
最上階から、なんと「送り火」がすべて見渡せる絶好のポイント。
想像では、一つぐらい見られないと思っていたので、感動はひとしお。
しかも、昼間の暑さとは裏腹に、ほどよい風が吹いて結構涼しい。
すっかり満喫させて頂きました。
いくら、着物がお気に入りと言っても、さすがに朝から1日着ていると、脱いだ瞬間に「楽やわあ」と実感。
汗も掻いたので、除湿して干している。
明日は、出勤は、敷地内なので、楽だ。
関西に帰ってきて、普段の生活に戻りつつある中、浮腫んだ身体など、少しずつ体調も戻りつつある気がする。
早く、軌道修正せねば。
8月15日
丸1週間休んで、日文研に出勤。
週4~5日通っていると、それなりに通うのも生活のリズムとなり、気にならない距離になっていたのだが、1週間(正確には9日間)間隔が空くと、ものすごく遠い気がする。
とはいえ、いざ行くと、東京での調べもののまとめもあわせて、やらなくてはならない事が山積みである事に気付き、大焦り。
先生とも打ち合わせをして、片づけていかないものなど整理をする。
夕方、同僚が駅まで送ってくれるといい、本末転倒だが疲れてしまっていたので、お言葉に甘える。
すると、また豪雨になってしまい、本当に感謝。
ありがたい。
家に着くと、雨は降っていないので、「洗濯しよう」と思い立つと、突然の雷雨。
はああ、雨が降ると頭痛がするんよね。
8月14日
一日、身体休養しても、いまだに浮腫が取れない。
明日から、出勤なのに。
8月13日
ああ、しんど。
ほんまに、あほは死なななおらへんわ。
自分の一人珍道中というか、ちょっと冷静に考えたら分かりそうな事にきづかへんあほぶりに、己ながら呆れる。
まず、東京行く前に着実に計画を立てて、実行に移し完璧と思っていたところから、すでに間違いであった。
せこいので、東京に行く時はいつも夜行バスにしている。
しかし、今回は、行きが日程的に夜行が無理だったので、新幹線にした。
もちろん、金券ショップである。(もちろん駅前第3ビル)
帰りは、お盆期間に入るために金券ショップの新幹線チケットは利用できない。
なので、夜行バスレディース号のチケットを確保。
今朝7時半頃に大阪駅に着く予定だった。
祖父の初盆が17時からなので、一風呂浴びて、少し休んで洗濯でもして、祖母の家に行く予定をしていた。
12日朝、10時にチェックアウトした後、荷物をフロントに預け、最後の浅草散策。
花屋敷遊園地に入りたかったが、一人では、さすがに行きづらいし、時間もそんなにない。
夜は、なんとなく危険センサーと事前情報により入らなかった小道、筋がある。
私は、海外でも大通りでは飽きたらず、横道や小道、怪しげな筋にふらっと入り込むくせがある。
それでも危ない目にあった事はない。
やっぱり、「あ、こっから先はやばいかな。やめとこ」という危険センサーが一応働く。
今回も、昼間であるから、夜に行かなかった小道や筋に行ってみた。
新世界というか十三に近い、一杯飲み屋ずらりと並び、昼から一杯やってはるおっちゃんたち。
こういうところに行く時は、たいがい下町育ちの男友達と行くので、さすがに一人では行かない。
これは、夜は来られへんわ。
それでも、昼間にもかかわらず、その間の小さい横道でも、横切るのがためらわれる筋が何本かあった。
これが、私の危険センサーの規準だと思っている。
下町ならではというか、知らない土地だからか。
そんな風に浅草を楽しんで、おみやげを買い、昼食を食べ、荷物を持ってフィルムセンターにいく。
図書室を利用しながら、途中15時上映の「第二の母」と「怪談猫の三味線」をみる。
「第二の母」はまったく情報もなく観た現代劇だが、結構面白かった。
その後、18時半に追い出されるまでまた図書室で仕事。
19時に銀座三越前で友人と待ち合わせしていたので、歩いて銀座三越まで到着。
漸く京橋から銀座、有楽町の地理関係が分かった気がする。
三越の地下で最後の土産を買うて、予約していた鶏料理屋に行く。
友人に任せて店を選んでもらい、予約もお願いしていた。
一応、東京に来てからネット検索して、どんな店か調べてみた。
奥美濃の地鶏を扱う関東初の店らしい。
予約をしていて正解で、狭い店はすぐに満員。
コース料理は予約していなかったので、その場で注文する。
ここからハプニングが始まった。
一応私たちは予約を入れていた。
だが、料理までは事前に頼んでいなかった。
店にある鶏料理のメニューのほとんどが「もも肉」である。
店のおすすめも「鶏の唐揚げ」など「もも肉」であった。
いざ、注文をすると「予約のお客さんのためもも肉は今日は売り切れました」と言う。
いや、料理は予約してなくても、客としては予約していた人がいるのは、分かってはるやろう。
思わず、耳を疑って「あの、もも肉料理は全部あらへんていうてはるん?」と聞いてしまった。
後に残ったメニューは「卵」料理か、肝刺し系である。
あとは、ササミとか雑炊。
あまりにも呆れて友人に「悪いけど、店かえへん?食べるもんあらへんやん」と提案。
新橋の「中華粥」メインの中華料理屋に変更。
もう一人の友人がそこで合流して、23時の東京駅まで付き合ってくれた。
そのころになると、東京はものすごい雷雨になった。
バス乗り場も混雑し、どうも雷雨などで全体的に遅れているらしい。
結局30分以上遅れて、バスが出発。
真ん中の席だったのだが、何故か読書灯が何処にあるかわからない。
仕方がないので、暗闇でパソコンをたちあげ3時頃まで仕事をして、服薬。
やはり、バスは眠りにくく、何度も目覚める中、なんとなくバスが走っていない気がしていた。
7時頃、「臨時休憩」という言葉で、外に出るとまだ、「尾張一宮」である。
ええ?尾張?
そこで、初めて誰もが分かっている事実に気付いた。
お盆の帰省ラッシュで高速道路が渋滞していて動かないのだ。
あほやなあ。
はじめから冷静に考えれば、毎年の事やさかい、予測つくやん。
ケチらんと新幹線にすればよかった、と思うても後の祭り。
私は、田舎というものがない。
生国摂津の国、尼崎で生まれ、そのまま育った。
父方の祖母宅は、池田にあった。
母方の祖父母宅は、歩いて10分のところである。
なので、お盆の帰省ラッシュというものを全く知らずに育ち、毎年ニュースで「○○インターで40km」というニュースを見て、「えらいこっちゃなあ」と他人事でいた。
12日の夜行バスがその流れで、毎年渋滞になる高速を走る事に気付かず、夜行バスは夜行バスでいつも自分が使用している時間通りに動くものだと何故か思っていた。
9時半頃、京都の深草にて臨時停車。
大阪に着くのは、このままだと12時半頃になると言う。
12時から、「ウルトラマンセブン」を録画しなくてはならない。
泣く泣く、深草で降りて、京阪「藤ノ森」まで歩いて、そこからJR線に乗り継いで、塚口に、11時過ぎに到着。
そのころ、塚口も雨が降ってきた。
ぱんぱんに浮腫んだ身体をもてあまし、洗濯もできず、お風呂に入って、とにかく一休み。
小雨になったのを幸いに、16時半頃に祖母宅に到着。
すでに、ほとんどみんな集まっていた。
疲れ果てた中、坊さんにお経を上げてもらい、その後親戚と食事をして、やっと帰宅。
疲れすぎて、眠れない。
8月11日
本日、最初の映画はまだ未見のものであるが、あまりそそられるものではないので、パス。
今回の東京滞在のもう一つの理由を敢行。
あほかと思われるかも知れんが、カットに行ったのである。
直毛なようで、癖のある髪をもち、おまけに頭の形が悪い(スキンヘッズには恥ずかしくてできない)私は、出会った美容師さんに恵まれ、それっきり全くのお任せできた。
もちろん、多くの女性たちが費やすような器用な髪型のセットなどもできず、ショートにしても全然こまめに美容院に通わない無精ぶり。
毎回、美容室に行く度に叱られながらも、わがままを聞いてもらい、これまで切ってもらって「あれ、なんかしっくりけえへん」と思った事がない。
そんなステキな美容師に大学で出会い、それから、その人について美容室の場所も一緒に転々。
ところが、何年か前、突然私が頼りにしていた美容師が辞めはる事になった。
遠くに異動でもなく、独立でもない。
そこで、泣きを入れて「私はどうしたらいいのでしょう」と聞くと、「あなたにぴったりな人を引き継ぐから」と一人の美容師を紹介して、去っていってしまった。
長い間、ずっと担当をしてもらっていたので、さすがに次の人に対して、不信感がないわけではなかったが、よくよく私の性格・行動パターンを説明して、引き継いでくれたのであろう。
初めて、引き継ぎの人に切ってもらって、仕上げと普段の家での簡単なセットの仕方などもアドバイスしてもらい、不満はなかった。
すっかり安心して、それ以来、半年来なかったり、「こんな髪型でよく毎日外出していましたね」と言われるようなぼろぼろ状態で、駆け込む事しばしば。
いつでもにこやかに対処し、次も「おそらく暫く来ないであろう」と見越して、多少のびても耐えうるカットを施してくれていた。
感謝している。
その美容師が、これまた突然、東京の自由が丘店オープンのため店長として異動してしまったのである。
3月の事であったが、ものすごい過密スケジュールの中、飽きてきたロングからショートにしたかったので、最後の置きみやげとして「ベリーショート」にしてもらった。
その時、「東京には、年に一度は行くと思いますので、その時は自由が丘まで切りに行きますね」と言うていたのだが、今回、実行してしまった。
もちろん、引き継ぎの人を紹介してもらい、一度切ってもらったのだが、しあげのセットが今ひとつ気に入らなかった。
カットに関して不満はないが、私の無精ぶりのクセに、あまりにオーソドックスな髪型は嫌というわがままには、今ひとつ物足りないものがあった。
だからと言うわけではないが、半年ぶりに元の美容師さんにはさみを入れてもらう事にした。
とはいえ、全く東京の地理が分からない私には、滞在しているホテルから自由が丘までどれくらいかかって、どうやって行けばいいのかも分からない。
ホテルのフロントで教えてもらい、小1時間かかって、到着。
そこまでして、髪の毛切らんでもと、われながら呆れるが、半年ぶりに切りに行くなんて、ざらの私にとっては、久し振りでもあり、いつもの事でもある。
またもや、要望(また伸ばしていきたい)をいいつつも、あとは全くのお任せで、本当にすっきり夏らしく、残暑対応の髪型に仕上げてもらった。
引き継いだもろうた元町の美容師さんには悪いと思うが、ほんまに、東京まで来てよかった。
ついでに、ハンドマッサージもサービス価格でしてもらい、すっかり和む。
「できたら、冬場に来たいです」とついつい口がすべるほど、大満足。
美容院に行くのは、好きなのだ。
上機嫌で、フィルムセンターにもどり、19時の上映まで図書室で仕事。
『忠治活殺剣』と『追分けの三五郎』を観る。
両方とも忠治ものだが、観ていない作品なので、不完全とはいえ見る事が出来てよかった。
あああ、明日で夢の逃亡生活も終わり。
あっという間やったなあ。
明日は、関東は天気が悪そう。
でも、全国の天気予報を観ていると、この度の滞在中、明日の予報も含めて、東京は涼しかった。
関西は、相変わらず35度前後の猛暑。
帰りたくないわ。
8月10日
フィルムセンターの図書室が、12時半からしか開室にならないので、朝は結構ゆっくりしている。
あまり一人で外食しないのだが、友人宅と違って、ホテルでは自分で調理はできない。
やはり「蕎麦」かなあ、と「もりそば」を食べに行く。
やはり、そばつゆ(つけだし)が関西より辛い。
とはいえ、結構美味しかった。(盛りそば一杯にしてはちょっと値段が高いかなあ)
昨日下調べをしたので、早速閉架資料を申し込んで、図書室利用。
資料を見ながら、15時からの映画まで過ごす。
15時は、昨年の京都映画祭では初めて観る事のかなった『勝鬨』(1926マキノ御室、不完全)と『護持院ヶ原の火華』(1933宝塚キネマ、部分)をもう一度観る。
一度観ただけの映画の記憶なんて、もちろん定かではない。
それにしても、なんとなく記憶とあまりにも違うところがあったので、研究のため無理をお願いして、発掘された映画の復元などについて、質問をする。
受付で問い合わせたところ、ご多忙なようで直接会ってはくれないが、受付の内線電話にて、教えてもらう。
なるほど。
その後、展示室にて開催されている「尾上松之助と時代劇スターの系譜」を見に行く。
がらがらなので、ぎゃくにゆっくり見る事が出来て嬉しい。
フィルムセンターなのだから当たり前だけれど、これだけ貴重なフィルムを持ってはるんやったら、できれば文献だけでなく、映像も研究のため公開して欲しいと切に願う。
あのシーンを確認して、他の映画と比較したいと願っても、企画上映される日程にしか見る事が出来ないと、どんなにメモっていても、時間が経てば記憶は曖昧になる。
展示室を後にして、本日二回目の上映作品『怪傑ハヤブサ』を観る。
「ハヤブサ・ヒデト」はスティール写真でしか観た事がなかったので、期待していたが、期待通りの楽しい映画。
げらげら笑ってしまった。
不完全ではあるが、それでも十分だ。
東京ってこういうところなんかと思った事が一つ。
映画中に何度も咳をしはる人に対して、「うるせー」という文句は、まあ分かる。
驚いたのが、映画中の「私語」に対して、「おしゃべりしないで下さい」とでかい声で叫ぶ言葉である。
「静かにして下さい」というのは予測できるが、「おしゃべり」って注意しはるんや。
普段使用している言葉の違いなんやろうか。
今日は、昨日より早く映画が終わったので、夜の浅草を少し探索。
なんか、十三というか新世界というか、新開地というか、それよりは観光客が多いが、なんとなく親しみがある町で、すっかり気に入った。
8月9日
ほっとしたせいか。
ホテルの部屋で、茫然自失。
さすがに、ここまで来てしまえば13日の朝まで、顔を合わす事も呼び戻される事もない。
少し、気分が楽になって、昨日までの至福の時間を思い出す。
毎年恒例の映像学会関西支部夏期ゼミナールに参加していた。
今年のお題は「アウトサイダーの世界」である。
今年は、選んだ作品の長さの関係か、私が参加するようになってから、一番映画の上映本数が少ない。
その分、すべてのスケジュールに余裕があるとも言える。
私としては、少々ハードでも、1本でも多く見たいのだが、それは己のエゴ。
昼に到着し、昼食後、まず2本。
『河内山宗春』(山中貞雄監督)と『酔いどれ天使』(黒澤明監督)。
夕食とお風呂の後、また2本。
『男はつらいよ』(山田洋次監督、シリーズ第一作)と『座頭市物語』(三隅研次監督、シシリーズ第一作)。
そして、宴会。
翌日、朝食後、『誇り高き挑戦』(深作欣二監督)と『関の彌太っぺ』(山下耕作監督)。
昼食後、『893愚連隊』(中島貞夫監督)と『仁義なき戦い』(深作欣二監督、シリーズ第一作)。
また夕食とお風呂の後、シンポジウム(講演)「中島貞夫監督に聞く」、で宴会。
最終日、朝食後、『「エロ事師たち」より人類学入門』(今村昌平監督)をみて、昼食を食べて解散。
今回のお目当ては、未見であった『誇り高き挑戦』と、もう一度スクリーンで見たい『河内山宗春』と『座頭市物語』。
とはいえ、『関の彌太っぺ』などは、有名な錦ちゃんの台詞を覚えていて、間をおいて話す前に心の中で先にそらんじてしまう自分に気付く。
これは昨年の『晩春』の原節子の台詞で同じ事をしている。
さっき観た映画をすぐに再現して、応用して遊んでしまうのは、多数の人数で同じ映画を共有した後であるから成立する遊びである。
来年は、何の映画が観られるのかなと、もう鬼が笑う想像をしている。
あらためて感じさせられるのが、やはりシリーズ第一作は秀作だという事。
だから、シリーズ化していったんやろうけれど。
シリーズの2本目の方が「ええ」と思えるのは、「眠狂四郎」(市川雷蔵)と、「仁義なき戦い」やろうか。(今思いつく限りは)
まあ、「悪名」は1・2作まとめて、完結として傑作。
モートルの貞が死んだ時点で、最骨頂やと思うのだが。
まあ、マキノ雅広がこよなく愛し何度もリメイクした「次郎長三国志」といった、最初から連作を予定していた作品や、無声映画時代から始まった、最初から「前編・後篇」など、最初から「続き」を予定していた物語は、シリーズに数えていないのだが。
邪魔のおかげで、体調崩しつつ東京に到着。
フィルムセンターまで東京駅から歩いて10分と記載してあるが、地図を見て、外に出た途端、突然の雨。
目の前のタクシー乗り場に行き、おそるおそる「えらい近場なんですが・・・」と交渉。
不景気で、ずらーっと並んでいるタクシーのせいか、おっちゃんは拒否せず、のせてくれる。
けれども、「どこ?」と聞かれて、「フィルムセンターまでお願いします」「フィルムセンター?えっ?フィルムセンター?」とご存じない様子。
「あのう、地図がありますけど」とパンフレットを見せる。
全く、東京の地理がわからない私でも恐縮するほど本当に近場だったらしく、すぐに止まって、「そこの角を曲がったとこだよ」と教えてもらえる。
もちろんワンメーター。
「すんません。助かりました、おおきに」
こういう時、反射的に関西弁で話す自分がこわい。
「発掘された映画たち2005」というテーマで上映されている作品の一部を見る。
『笑う地球に朝が来る』(1940南旺映画、不完全)と『サザエさん、七転八起の巻』(1948マキノ映画)。サザエさん実写の初映画化作品である。
宮城千賀子に最近注目しているので、ここにも出ていて興味深い。
次回上映が19時なので、それまでの間、図書室にて資料を調べに行く。
初めて利用する図書室にて、いろいろ使用方法など教えてもらい、検索したりする。
慣れないので、まずは何があるかなど下調べ状態。
18時半の閉室前に、階下に降りて次回上映のために並ぶ。
『歌麿』(1952秀映社)と、『菅原伝授手習鑑』(1950プレミアピクチャア、パートカラー)を観る。
歌舞伎についてあまりよく知らない私にとっては、初代中村吉右衛門の記録映画としての貴重さしか分からないので、おのれの勉強不足を反省。
ホテルに向かう。
いつも滞在させてもらう友人が、集中講義で11日まで家にいないというので、今回は浅草のホテルに滞在。
一人になって、気が緩んだのか、身体が浮腫んで、しんど。
8月8日
逃亡生活第一弾終了。
家に帰って、荷物を詰め替え、明朝また出かける予定。
なのに、一時邪魔が入った。
夕方、家に帰る前にお稽古に行ったら、父が体調が悪くて会社早退したから、慌てて母が家に帰ったという。
そんなん、私の知った事じゃない。
しかし、師匠をはじめ「父の見舞いに行ってあげて」と何人かに言われる。
なんで、そんな事言われなあかんねん。
そりゃ、事故にあったとか、救急車で病院に運ばれたというのなら、言われるまでもなく行くであろう。
一人で、会社から帰ってこられるぐらいの程度ならどうでもええやん。
結局、母からもヘルプが入り、実家に顔を出す。
はあああ、何のための逃亡生活計画やねん。
一挙に、気分が憂鬱。
父は、持病の「喘息」が出ただけであった。
そりゃ、喘息の発作はしんどい。
その遺伝のせいで、私も軽い喘息を昨年発症してしまったのだから。
持病より、私の精神状態の方が深刻や。
とにかく、極悪非道と言われようとも、近親者のそばから顔を合わせず、しばらく離れたくて、計画したのがおじゃんじゃ。
さっきまでの3日間の楽しみが、一挙に鬱に転換。
明朝、さっさと東京へ逃亡だ。