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私を探さないで

8月5日
お盆前のなので、主治医のところが混んでいる。

ここ最近、また暑い日々が続く。
外に出ると溶けそうで、移動あるいは、職場は冷房が効いて寒い。
完全なる夏ばて。
「冷房病」といわれる自己判定項目すべての症状にあてはまる。
最悪や。

主治医も、「気にせんとき」と言われる。
そうやね。

明日から、逃亡生活に入る。
お盆まで、誰も探さないで下さい。

8月4日
1年間来訪研究員として、一緒に過ごしてきた中国の先生の送別会。
いつもよりは、手抜きだが、久し振りに懐石料理を作る。
美味しいと言ってもらえるのも嬉しい。
しかし、何よりも作っている時間が楽しい。

久し振りに、金額を気にせず、いい素材を買い占め、料理。
そりゃ、腕前よりも素材が美味しいんだよ。

あっという間の1年間。
楽しかったです。
今度は、私が北京に尋ねに行きたい。

8月3日
久し振りにNOVAに行く。
グループ・レッスンは、嫌なのだけれども、時間があらへんのでしゃあない。
NOVAは景気がええようで、3人までの少人数をうたっていたのが、この4月からマックス4人に変更。
英語は4人やった。
おじさん一人と、若い女性二人と私。
私以外の3人は、よくレッスンに来てはるらしく、先生とも顔見知りらしい。
私と言えば、全くレッスンに行かないので、その先生とも初めて。
だが、話題が私のあんまり好まない話題に。
そこで、最近にじみだし、垂れ流しになっている邪悪さが、ここでもとまらない。

話題が「ディズニー」及び「東京ディズニーランド」になった。
私は、両方とも好きではない。
「ディズニーはすかん」というと、若い女性二人に「生まれてからこの方、ディズニーが嫌いという人にあったことがない!!!」と驚かれる。
「why?」と聞かれて、
「ディズニーが子供に夢を与えるなんて、嘘くさい」
「あれは「子供の夢」を与えるという名にすりかえた「大人に欲望」の押しつけや」と言うと、彼女らはさらに混乱。
すまない。

世の中には、そういう邪悪な人間もおるんよ。

8月2日
意気消沈。
頭が割れそうに痛い。

必死で、内で渦巻く己の底知れぬ邪悪さを隠して、人付き合い。
冗談言うたり、笑うたり、つっこみ入れたり、和気藹々。
と思うていたのは、自分だけ。

ふくれあがった抑圧しきれない、己の本性が、汗と一緒にじわーっとにじみ出てくる。
いくら拭き取り、隠そうとしても、自分でマイナスオーラの腐臭が、おのれの身体から立ち上っているのが分かる。
消臭剤も、オー・ド・トワレも、誤魔化しにならん。
自分の汗を拭くと、どす黒い邪悪さが流れ出て、タオルが黒くなっていくように見える。
すでに、日本語もまともに話せず、コミュニケーション失調。
今、どこかを斬ったら、どす黒い、あるいは青い血が噴出するかも。

あまりの恐ろしさに、22時半まで家に籠もり、そこから着替えて、仮面を付けて祖母宅に泊まりに行く。

NHKで「新・シルクロード」再放送で、「トルファン」がやっていた。
今から20年前、祖父母に無理を言って、シルクロードの旅に連れて行ってもらい、トルファンにも行った。
祖母と「懐かしいねえ」と話ながら、テレビを見る。
音楽をかなで、踊っている人々のシーンを見て、祖母の方に振り返り、「こんな踊り見ましたね」と言おうとして、唖然。
お風呂から既に上がり、入れ歯もはずし、眼鏡も外している祖母が、掘り炬燵の卓上を走ったらしいゴキブリを、素手で「バシッ、バシッ」と叩きのめしていたのだ。
「どっこいしょ」とかけ声かけないと、もうだんだん動くのも大変になってきたと嘆いていた祖母の、あまりの素早い行動に、「さすが、大正生まれ」と何故か思って感心。

「早くお風呂入って、ちゃんと寝なさい」と言われて、先に休みはった。
一人になって、また自己嫌悪にとらわれ、倦怠感と吐き気。

「俺の存在を頭から叩き消してくれ」

8月1日
ほう。
葉月です。
夏です。
暑いです。
一番苦手な時期です。
嘘です、寒い冬も嫌いです。

週末の休養の仕上げとして、昨晩は22時ぐらいに服薬して、「いつでも眠れる」状態で、お部屋を真っ暗にして待機。
と・こ・ろ・が・
これが、全然寝られへんねや。
たまりかねて、起き出してしまい、水をがぶがぶ飲んで、気分転換。
ここで辛抱せなと思い直し、またベッドへ。
あかん。
眠られへん。
週末の間、昼か夜か朝か夕かよくわからない2日間を送っていた。
ここでリセットせなあかんのに。

結局、外が白むまで、5分から30分という周期で起きたりしていたから、もうよく分からない。
4時過ぎに起きて、メールチェックして、汗だくなので、着替えて、湯船に湯をはる。
腹痛がして、「昨日何食べたっけ?」と考えながら、うだうだ。
お湯を止め、お風呂に入ろうとすると、湯気で気分が悪くなり、あわてて戻り、ベッドに倒れる。
しばし、失神。
1時間後に目覚めるが、吐き気が。
そこから、夢現の状態。
妙にリアルな、でも、起きるたびに、登場人物もストーリーも全く変わる短い夢を見ていた。
漸く覚醒した時は9時。
あれ、もしかして、この5時間が一番よう眠っていたんちゃうん。
夢を見る事は、頭の、脳のリセットってことやん。

本日は、長田の薪能。
だから、3時頃には京都を後にするつもりだったので、いっそのこと「休んでしまえ」と、欠勤メール。

午前中は、念願の「布団干し」を敢行。
悲願の「銀行」「郵便局」めぐりを達成。
ひそかに企ててある「逃亡計画」に向けて、準備を確実に整える。
といっても、丸1週間ほど、家を空けるだけなのだが。

午後、早めの昼ご飯を食べながら、録画していた「秘剣破り」を見る。
私は池広一夫監督を、勝手に気の毒に思った。
彼は、雷蔵と親交の深かった監督の一人であり、現役の監督さんである。
以前、私も無理をお願いして、お手紙で質問に答えて頂いた。
「秘剣破り」を監督したのが、彼である。
これは、五味康祐原作『薄桜記』、脚本:伊藤大輔のリメイクである。
雷蔵の突然の訃報(現場の人にとっては、病状は隠されていたので「突然」であったと語り継がれている)により、スターを一人失った大映は、雷蔵の後釜として、東映から「松方弘樹」に白羽の矢を立てた。
松方弘樹には大変失礼だが、苦肉の策というか、その場しのぎというか・・・
何故「後釜」かというと、結果的に見て「倒産寸前」の大映は、雷蔵のヒット作を、松方弘樹でリメイクさせたのだ。
眠狂四郎シリーズを2本。(だったと思う)
そして、この『薄桜記』(松方版は『秘剣破り』)もそうである。
ニヒルで、陰翳のある雷蔵イメージの作品であるが、顔のかたちからして、松方弘樹には「ニヒル」も「陰翳のある」雰囲気もない。
面長の雷蔵と比べて、四角いえらがはった感じの松方弘樹の顔では、ズラののせ方でもかなり工夫しないと、雰囲気が全く違う。
もちろん、それは私が「雷蔵」ファンであるからそう感じる事は、重々承知である。

せっかく「秘剣破り」とタイトルまで変えたのなら、何故、脚本も大胆に変更しなかったのか。
たしかに、原作「薄桜記」は長編であり、それを見事に換骨奪胎した伊藤大輔の脚本は、映画向きで良くできていると思う。
原作と大きく話を変えてしまっているから、なおさら「映画的」なのだ。
脚本が同じでも、ある場面は全くカットしているのなら、他のシーンもかなり忠実に踏襲しない方がいいと思う。
中途半端に見えるから。
あるいは、せめて「衣装だけ」でも、全く違う(時代が設定してあるので、平安朝にせいというわけではない)色や柄にしてもいいのではないか?
あまりに酷似した色と柄の着物を着ると、ますます「雷蔵」と比較してしまうのが、観るもの(とりわけ雷蔵ファン)の性になる。
民放だったので、CMによる原作のカットは考えられる。
そのシーンを、補ったとしても、私には苦し紛れの「駄作」としか思えず、池広一夫は本当にこの作品を「すすんで撮りたかったのだろうか」と、訝しく思う。
とりわけ雷蔵と仲が良かったのなら、なおさらそう思う。

15時の時点で、近隣の温度が34.2度という報告を見て、ためらいながら、夏物の着物を着て、薪能に行く。
高速長田駅前で、祖母と母と「寿司」をいただき、長田神社へ。
いつもなら夕方の涼しい風が吹いてくるのだが、今日は「無風」に近い。
着物なので、背中を滝のように汗が流れる。
今日は、能楽『井筒』で、後がうちの師匠である。
さすが。
暑さも忘れて、「面影」を井戸にのぞき込む仕草に、胸がじーんと熱くなる。

せやけど、火入れ式の後の挨拶は4人もいらんで。
「逃亡計画」があるので、今晩は泊まり。
一人だと、お風呂も危ないから止めると言っているのが、祖母は「シャワー」世代ではないし、こんなに暑くて汗をかく夏は、一風呂浴びたいだろう。
私も一風呂浴びたい。

今も、見てきた「井筒」の話や、「着物」の話をして、楽しい。
お休みなさい。

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2005年08月06日 09:05に投稿されたエントリーのページです。

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