私が『ミーツ・リージョナル』誌の編集をしていた6年ほどの間に、大きな波が二つぐらいあった。波が水位の高低によってうまれるように、販売率の波も高いときがあればすなわち低い時もある。そして、まるで干潮の凪のような時期であったある半年が、一番精神的にきつかったように思う。
変わらなきゃいけないのだが、変わり方がわからない。
わからないとわかりやすい方向に流れるのは当然で、編集以外の部署からは「マーケティング」うんぬんかんぬんの意見が出た。ちょうどそんな時期に、会社組織に変化が出だして、意味不明のカタカナの会議と、守るべき規則が増えた。わかるための努力と、できることをしたらそうなった…というのは、会社の方向としてはわかりやすことなのかもしれないが。
副編集長クラスが出席を求められたナンチャラカンチャラ委員会で、お互いに忌憚のない意見を出し合うようにというお偉いさんの命を受け、自己批判がベストであるかのような忌憚のない意見とやらを聞くと、ここでもやはりマーケティングうんぬんかんぬん。創刊10数年、数字やグラフでの読者ターゲットのコンセプトがない『ミーツ・リージョナル』は、広告代理店に提出したときに一目で理解してもらえるコンセプトシート作りが画期的であるように語られる。売れることに自信をなくしていた私は、その半年か1年か継続的に続けられたナンチャラカンチャラ委員会で「でも」「でも」と他者否定と自己否定をバカみたいに繰り返し、最後日に1年間の総括を求められこう言った。
「1年間、コンセプトを明確にとか、読者ターゲットをとか、売れている雑誌を研究しようとか、いろんな案を頂きました。そして、確信しました。ここであげられた案だけは実行しない。それが一番だと。不毛に思ったこの委員会でしたが、逆説的にしてはいけないことを教えてくれた貴重な場でもありました。今後、こんな場をもたなくていいように精進したいと思います」
という意味のことを、しどろもどろに、そして攻撃的に発言し、同席した何人かをうんざりさせた。それは私自身をも攻撃しうんざりさせた。その会議に、今の私がいたら、たぶん「偉そうに言うなら意見を出せよ。それもできないでそんなこと言うお前なんか、早く辞めちまえ」と言っただろう。正しさを振りかざしたバカで、何より嫌みな人間である。そんなことを言った当時の自分がちょっと可哀想だけど、周りはもっと可哀想だったろうなー。
うまくいかないときは、どこかのパーツじゃなくて、もっと大きな何かがうまくいっていない。根本的にうまくいっていないんだろう。
その何かは、ナンチャラカンチャラ委員会といった身内による重箱のつつきあいではみえないし、ナンチャラカンチャラ委員会が開催される土壌がうまくいっていなかったんだろう。
山に住んでいる自分たちが、山で獣が捕れなくなって木の実がならなくなったどうしよう、畑を作るかでも水が、なら水をひこう、でもめちゃくちゃ大変じゃん。そんな弱音吐くな頑張るヤツが偉いんだ…というときに、え〜?山を越えた向こうの海に住めばいいじゃん、なんか問題でもあんの? ほんとだー。海に行こう海に! というのが概ね正解に思われる。でも、そこには圧倒的に外である場所から来た誰かが必要だ。
でも、そんな誰かはふかふかのイスを用意して待っていても来てくれないし、現れたところで悩める自分たちの閉じた思考の中では、それを飛び越える誰かを選別することができないものである。そうすると、待つしかないんだけど、待つにも仕方がある。手足をバタバタさせてそれでケガもして、もう逃げ出したいけどもう少し待ったら誰かが現れるかもしれないし、悲しいかな永遠に現れないかもしれない。それでももがくしかないし、でもこうしていることが不毛なのでは…という孤独に直面したときに、誰かが現れる。というか、ずっと前にそこにいたと気づいたりもする。
トップリーグの開幕戦を観て、かつての組織でもがいて(たと思って)、何をして何をしなかったんだろうと考えた。考えても特にいいアイデアは生まれなかったけれど、胸が痛くなって、やっぱりラグビーはすごいなと感激し、今年も出来る限りの観戦を心に誓う。えー、私を先輩と思う後輩であるアナタに伝言。もっとラグビーをみてもがきましょう。先輩である私だってもがいてんだから、1抜けたはダメよ。ずるいじゃーん。
ここんところ、新しいおもちゃである140Bブログの更新に励んでいる。それにしても、内田樹先生のブログが更新されないと、つまんないなー。魔性の女フジモトは、ここぞと読書にいそしんでいるとのこと。見習いたいもんだ。てか、原稿書けよ。はい。
ドクター佐藤のブログを読んで、どこかに行きたくなった9月。だんじり祭りの季節です。