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ベラスケスからアルモドバルへ


デ・シルバ。
そう呼んでも良い。いや、普通ならそう呼ぶべきだった。
スペイン黄金時代の宮廷画家。
その完成された絵画技法は、後にこの国が生む巨匠ピカソをして「マエストロ」と言わしめ、幾点にも及ぶオマージュを捧げさせた。
代表作「ラス・メニーナス(女官たち)」「ブレダの開城」。
画家の名は、ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス。

アンダルシアはセビージャに生まれた「ディエゴ」君は、11歳で、地元にあったパチェコの工房に入る。
パチェコは宮廷に出入りしていた当時の有名画家で、たしかそのトレドの持ち家にエル・グレコを住まわせるほど厚い親交を結んでいたことで、現在の絵画史に名を残している。
やがてディエゴ君はその娘と結婚、「パチェコの婿」として堂々の上京を果たし、若干24歳にして、即位直後のフェリペ4世の肖像画を描くに至る。
画家としての最高位、のちにゴヤがその地位を手に入れようと四苦八苦して40代半ばでようやく手に入れた、宮廷画家の地位である。
ワオ、サクセス。
現在の私たちはそう思うが、おそらくディエゴ君は不満だったのだろう。
当時の画家は「芸術家」として崇められるなどということはなく、「庭師」や「大工」と同じ「職人」扱いである。
ディエゴ君が幾度となく描いた小人と同じ、いや、いやしくも廷臣として重用された小人よりむしろ「ラス・メニーナス」でその小人に蹴飛ばされている犬にこそ、近い立場だったかもしれない。
しかしディエゴ君は、6歳年少となる王から格別の信頼を得ることに成功する。
やがて、王の趣味であり、この無能な王がスペインになにかしら寄与したとしたらほぼその点においてのみという絵画コレクションの管理や、年間を通じて移動の多い宮廷の煩瑣な宿泊所手配などの事務職を任されるという、「栄誉」を賜る。
ディエゴ君がこの仕事をどんなに一生懸命やっていたかは、その死因が老衰でも梅毒でもなく、王女の結婚に伴う王室のフランス国境での滞在のアレンジによる疲労、ということからも推測される。
そんな、現在から見ると「涙ぐましい」ような努力の甲斐あって、ついにディエゴ君は、スペイン人にとって最も名誉なサンティアゴ騎士団に叙せられる。
これは当時の「アガリ」に等しい。
「ラス・メニーナス」の画面左に、大胆にも王の一家に交じって絵筆を手に立っているディエゴ君の、少し誇らしげに反らせた胸に大きく赤色で描かれている十字が、そのしるしである。
(もっとも十字を書き加えたのは本人ではなく、息子か弟だったはず)

そんなディエゴ君は、しかし、なぜ「デ・シルバ」ではなかったのか。

■美術史のリカルド教授は、こう云った:
「それは『デ・シルバ』という名字では、不利だったからですね」

ディエゴ君の生きた17世紀は文化面でこそ「黄金時代」と呼ばれるが、実際に生きるとして、果たしてどうだったろうか。
ディエゴ君が生まれる約半世紀前の1547年、現在もスペイン・カトリックの大司教がおわしますトレドで、「limpieza de sangre(血の純潔)」発布。
ユダヤ人やイスラム教徒の血が混ざるものは、公職に就けず、教会に入ることもできないとする法令である。
「純潔」なキリスト教徒に非ざれば人に非ず。
もし「純潔」でないと認定されれば、地位や財産を剥奪されても文句は言えない。
そのさらに70年ほど前に始まり、たしか19世紀まで続いた「異端審問」の補足版、あるいは強力改訂版というところか。
なんせ「異端である」と認定するのは手間がかかるし、さらに、拷問や火あぶりなどの手続を踏まなければならないのは作業効率の点において非常によろしくない。
一方「純潔でない」と認定する、つまり本人側が「純潔である」と立証するのはまず不可能であり、従って、それが本来の目的である地位と財産の没収を容易に完遂できる。
歴史上悪名高きスペインの「異端審問」だが、実際に処刑された人数はたしか他国と比べてそれほど多くなかったはずである。
それは「血の純潔」という補完システムが「有効に」機能していたからではないか。

異端審問が始まった1475年は、スペイン統一を目前に控えた時期。
この制度の狙いは、半島最後のイスラム教国である対グラナダ戦への戦費確保、キリスト教というイデオロギーによる国内統一、地位剥奪による強力な王権の確立、そして国民の不満のはけ口だったといわれる。
翌年、「Santa Hermandad(=聖なる兄弟愛)」という名の市民警察が発足。
市民は「異端審問=正統なキリスト教徒であること」と市民警察の「ふたつの聖なるもの」に挟まれ、息をひそめて暮らすことを強いられた。
いつまでか?
おそらく1975年、キリスト教の庇護者として強力な警察機構のうえに君臨したフランコの死までである。
そして現在もまた、この国のカトリック熱が最高潮に達する聖週間のプロセシオン(神輿行列)に感極まって涙を流す人々の姿に、ひねくれた外国人の私は、「よきキリスト教徒であることへのデモンストレーション」という要素、それをせずには生き延びることができなかったこの国の「聖なる」歴史的背景を見い出してしまう。

1492年、後に「カトリック両王」と呼ばれることになり現在もこの国で事実上禁忌となっているイサベル女王・フェルナンド王によりスペイン統一完了、同時にユダヤ人国外追放令発布。
1547年、カトリック両王の息子、「神聖ローマ帝国皇帝」の椅子を手に入れるため新大陸産の富を盛大にばら撒いたと言われるカルロス1世治下に「血の純潔」施行。
この10年後には、前年に即位したばかりの息子のフェリペ2世により、記念すべきスペイン第1回めの破産宣告が行われている。
さらにその6年後の「宗教改革」では、全国で100以上の修道院が閉鎖され、租税権を取り上げられている。
まるでゴヤの描いたサトゥルノのように金と権力とを貪り喰らう「世界帝国」のお膝元では、もはや、本来それを守るという名目であったはずのキリスト教徒であるというだけでも安心してはいられない状況になっていた。
いつ自分に向かって牙を剥くかわからない凶暴な「聖なるもの」に挟まれて生きる日々。
1588年、スペイン無敵艦隊がイギリスにまさかの敗北。
1596年、全国に疫病が蔓延。
もうこの国はダメなのかもしれない。
「聖なるもの」の間に挟まれ決して口に出せずともそういう気配が、濃厚に立ちこめてはいなかっただろうか。厚くのしかかる、閉塞感。
1599年、ディエゴ君誕生。

まずい、と思った。かもしれない。
若くしてすでに圧倒的な画才の片鱗を見せていたという少年ディエゴ君。
彼の父親はポルトガル人である。
胸を張って「古くからの正統派スペイン人」と言える北部スペイン(つまりレコンキスタの発祥地)とは、ちょっと離れすぎている。
しかもその「デ・シルバ」という名字ときたら、誰が聞いてもいかにもポルトガルだ。
(なお、レアル・マドリードに長らく所属していたブラジル人サッカー選手の「永遠のマルコメ小僧」ロベルト・カルロスの名字が「ダ・シルバ」である)
その点、母方の姓「ベラスケス」は良い。
(美術史教授リカルド曰く)北の方を髣髴させる。
しかも母はイダルゴ、(ドン・キホーテと同じで名ばかりとはいえ)れっきとした郷士である。
うん、「ベラスケス」が良い、この「聖なる」スペイン社会で栄達を望むのならば。
「聖なる」……。
スペイン社会は21世紀の現在、キリスト教の庇護者フランコの死後30年を経た今日でもなお、「聖なる」部分を少なからず残す。
私が通った、スペインでもっとも権威あるといわれるマドリード・コンプルテンセ大学。(十万を超える生徒数も世界有数だが)
かつてオルテガ・イ・ガセーも教鞭を執ったこの大学で正教授になるには、「よきキリスト教徒」でなければならない。
なんせ「正教授」とはスペイン語で「Catedora'tico」、カテドラル=大聖堂と同じ語源であることは一目瞭然。
実際に、社会からの「聖なる」圧力に屈せず教会婚ではなく市民婚を選んだ、まだ40代の歴史学教授フェルミンは、妻の実家から離縁され、大学での出世の道も断たれている。
なた数年前の、皇太子と離婚歴ある女性との結婚の際も、「でも彼女の前の結婚は市民婚だからカトリックとしては今回が初めての結婚」という「解釈」を、誰もが暗黙のうちに受け入れていた。
だからリベラルもフェミニストも、コンサバも、当初は強く反対していたというギリシャの王家出の現王妃も、この結婚を笑顔で祝福したのである。
ああ、スペイン社会は、かくも根強く「聖」である。

ディエゴ君は、かなり早い時期から「ベラスケス」とサインしていたという。
彼が、王に画才を認められ宮廷画家となるだけでは満足せず、現在から見ると涙ぐましく、その素晴らしい絵と比すると滑稽に、あるいはあさましくさえ見える努力を払い、そして神から類い稀なる才能を付与られたその命を縮めてまで、社会的な「地位」をも手に入れようとしたのはなぜか。
その弟だか息子だかが、王一家と同じ画面に収まる家長の胸に赤色のサンティアゴ騎士団の十字を、明らかにバランスを失するほど大きく描き込んだのはなぜか。
やがてベラスケスとして歴史に名を残すことになるディエゴ君が、セビージャの街を洟を垂らしながら駆けまわっていたとき、マドリードで一冊の本が出版される。
『素敵に愉快なラ・マンチャの郷士ドン・キホーテ』。
時代錯誤な夢想?
いやそれは「時代を映せない」ことできわめて雄弁に時代を映す非現実、ではなかっただろうか。
そこには「聖ならぬもの」が溢れている。
19世紀、ゴヤの「黒い絵」はどこから来たか。
20世紀、ダリはミロはピカソは、なにを描き、なにを描かなかったのか。
21世紀、アルモドバルは……。

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Abril 29, 2008 3:41 PMに投稿されたエントリーのページです。

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