数年前その著作を読むや熱烈なファンになり、以後結婚式の車に引かれる空き缶よろしく愚にもつかないことをガチャガチャ喚きながら必死で追いかけ続け、今やその(当初読み方もわからなかった)名を耳にしただけで反射的にありがたやと東の空を拝んでしまうほど尊敬する師が、教鞭を執られる授業で、「宿題をやってきたひとだけに来週からの聴講を許可します」とのたまわれたといふ。されば三十路半ば子持ちシシャモ体型の私もしてみむとて、我ながらいたいけな心持ちで縦書きエディタを立ち上げ画面に現れた原稿用紙風の桝目を眺めやり、ほなあてもパン屋にでも、いやいやここは「パン屋にもたどり着かない」場面でも書きまっかいななどと嫌らしいことを下卑た顔して考え、ほくそ笑みながら文頭に一文字アキを入れたところで、しかしなにかに引っ張られて手が止まる。東の空へと飛翔するのがエロスならば西の地底へ引き摺り込もうとするタナトスが、二着確定でその夜の帳尻が合うという最後の半荘で断トツリードの一着目に向かっていきたくなる軽忽さが、とりあえず巨人よりは阪神、ストロベリー・ショートケーキよりはフランボワーズ・ブラマンジェ、ポールよりはジョン、トシよりはマッチ(っていつだよ)、だけどひとまわりしてビートルズも百恵もフォーエバーな安っぽい反骨精神が、俺の肘を引いている。ああ止めてくれるなおっかさん。わちきも齢三十四、江戸時代なら大年増、平成の世でも高校球児ふたり分のええ歳こいたおばはん、そろそろ万年野党みたいな僻み根性は捨て去り恥ずかしながら裸で土俵に立つ覚悟、たといこの身が世間の晒し者になろうとも。かく覚悟を決めるや、足元でジタバタのたうつ棚と酢をむんずと押さえ込み、懸案の「宿題」にとりかかる。だって、そうよ、愛するひとに愛していると言っちゃいけないの? ライバルも多いあの憧れの人が、「授業中に手を挙げて俺を好きだってもし言えたら、抱いてやーるぜー」なんてシブがき隊よろしく(だからいつだよ)低いハードルを設定して待ってくれているのよ。在スペイン日本人の皆様に一服の涼を与えんがためアホの坂田歩きを本気でやれる私にとって、ひでえ駄文もち売文稼業を恥ずかしげもなく営んできた私にとって、師からの「宿題」の提示はこれを奇貨としてまた一丁グァラングァランと騒ぐべし騒ぐべし寿ぐべしな出来事でこそあれ、反骨だの豚骨だのそげなこつの出る幕ではないはず。ああ、だのに。
そうしてしおしおとエディタを終了させる自分の姿までを思い浮かべてみて、やにわに文頭の一文字アキ以降をローマ字変換でカタカタと埋めゆく、その手つきのなんと傲慢なことよ、その文のなんと欺瞞に満ちていることよ。師よ、我が私淑するグラン・マエストロよ、んでもって大家さま。こんなことでいったい私はクリエイティブなライティングができるのでしょうか。いっそ筆で立つ夢は捨て独創的な照明術でも学んだ方がよかでしょか。と、こうして指定の下限六百字に達すべく悪あがきに悪あがきを重ねたところでようよう気づく私は天下無双の粗忽者。「宿題をやってきたひとだけに来週からの聴講を許可します」って、スペインくんだりにいちゃどうせ聴講なんてできやしねえ! かくして、背後のひとへの呼びかけに間違って大声で答えてしまったような、授業中に寝惚けてこともあろうに先生に「お母さん!」と言ってしまったツレアイの同級生の何某君のような、気恥ずかしさと真っ赤な面とをそっと、百恵ちゃんのラスト・コンサートのようにステージの上に置いて、店子は失礼つかまつりまする。今回はこれにて! ニンニン。