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スペインふところ事情

 「スペインは、公務員の給料が抜群に良いと聞いたのだけど、ほんとですか?」
 ブラジル人から勉強に来ている、『永遠の17歳』という雰囲気のマルコスが、思い切った質問をした。
 フランコ時代を学ぶ特別ゼミナールでの、出来事。
 あっ、そいつはあまりにも無体な。そう思ったときには、歴史も担当してくれている大好きな巨漢の教授が、「せっかくだから、率直に言おう」と、脇の下に汗を滲ませながら答えはじめていた。思わず、メモを取った。


■フェルミン・マリーンはこう云った:
「このコンプルテンセ大学で勤続25年。私の月給は、750ユーロだ」

 しーん。
 教室が、静まり返った。
 750ユーロは、本日の換算レートで10万3890円。
 10万3890円。
 10万3890円!!

 スペインは物価が安いから10万円でも高給なのかというと、そうではない。
 現行の法定最低賃金は、月額で513ユーロ(約7万1000円)。
 実のところ、フェルミンの給料とは、月にして3万円くらいしか違わないのだ。「掃除婦で、私より多くもらってるひともいるかもね」と、本人も言っていた。

 といっても、物価が安いから10万円でもやっていけるんだろう、というのも、違う。
 やっていけやしない。
 たとえば住居を見てみると、自宅から通えない学生や独身の社会人の場合、ほとんどがルームシェアなのだが、この相場が最近は350ユーロ以上(約4万8000円)。
 4畳半どころじゃなく、トイレもシャワーも共同の、室内に自分用の冷蔵庫もテレビもない、ふつうのアパートメントの1部屋の値段が、これである。
 ワンルームは、その倍。
 2部屋以上あるファミリータイプは、その3倍。

 つまり、45歳で、スペイン最高峰の名門国立大学(らしい)で25年のキャリアをもち、数年前には優秀な学者として公的機関による表彰も受けている、ファンタスティックな歴史学教授のフェルミンが、その給料だけでは、家族で住まうアパートの家賃も払えないらしいのだ、正味の話。

 フェルミン夫妻は、共働きだという。
 そして周囲を見ても、たしかに30代、40代は共働きが多い。
 なぜか。
 ふたりで稼がんと生きていけん、という、かなり切実なケースが少なくない。

 フェルミンの奥さんは、厚生省の機関の課長で、月給は800ユーロ台(約11万円)。
 彼らは日本ならさしずめ「東大教授の夫と、国家公務員の妻」なのだけど、ふたり足した稼ぎが、月に20万円にもならない。
 ちなみに、マクドナルドやケンタッキーのセットメニュー(一般のものと比べて割高ではない)は、約5ユーロ(約700円)だ。楽じゃないのだ、まったく。


 ここから、みっつの「スペイン」を読むことができる。

 ひとつ。スペインでは、公務員の給与が、すっかり低い。これは、フランコ体制の支持者となることで公務員が高い給与と地位を得てきたその独裁時代への反動、ということらしい。

 ふたつ、2002年のユーロ導入以降のインフレがひどい。誰もが、「実際、物の価格が軒並み6割は高くなった」と言っている(1ユーロ=166.386ペセタという換算レートに由来する。結局、1ユーロ=100ペセタになったかんじなのだ)。
 例を挙げると、私が5年前には600円で食べられた喫茶店の昼の定食が、いまでは1000円くらいになっている。そして公務員(に限らず、たいていのひと)の賃金は、据え置かれたままだ。

 みっつ。失業率が、やっぱり高い。だから安定職である公務員には、給料が安くても、まだ少なからぬメリットが感じられるのだという。
 一方、日本なら学生バイトが多いマクドナルドなど単純労働のポストは、上記の最低賃金で働く移民で占められる。一説によると、大学新卒の失業率は、きつい仕事を嫌がるせいもあって、実は約50%にも達しているのではないかという。


■某ビッグクラブの、育成部門スタッフはこう云った:
「スカウトの視線は、近年は郊外に向けられています」

 今週、これは大学ではなくサッカー関連の仕事で、某ビッグクラブの関係者の話を聞く機会があったのだが、そのとき、こんな話が出た。
 曰く、先進国となったスペインの子どもたちの関心は、「どこでも1つのボールで20数人が遊べる」サッカーばかりではなくなってきた。現実にこの数年、自分のクラブで育てる良い選手を見い出そうとする下部組織のスカウトたちは、郊外、つまり、移民労働者が主に住む地域を重視するようになっているのだ、と。

 つまり、こういうことだ。これまでは南米の選手というと、古くはディ・ステファノから、最近ではロナウドやロナウジーニョやアイマールまで、「母国の代表選手がスペインのプロリーグに呼ばれる」というスタイルだった。だがこれからは確実に、「南米からやってきた移民の、スペインで生まれた子どもたち」が増えてくるだろう。彼らはプロの選手となり、代表選手ともなる。ちょうどフランス代表の、ジダンやアンリのように。
 隣国フランスの話は、この呑気なスペインでも、もうとっくに、他人事ではなくなりつつあったらしい。
 ガーン☆となった。
 ぜんぜん気がつかなかった。対岸、っていうか、ピレネーの向こうの火事だと思ってた。


 かつてオイルショック以前、スペインは国策として、ドイツやスイスなどの先進国に、100万人単位で移民を送り込んでいた。国が、その「旅行」をオーガナイズしていた。そして彼らが母国に送金した外貨が、今日に至るスペイン発展の礎を築いた。
 いまはそのスペインに、100万人単位で移民が押し寄せてきている。一時期は日本をも下回っていた出生率が上昇したのも、ほとんど移民の「おかげ」だ。
 しかし、移民、移民、と気軽にいうけれど。
 私も、そのひとりだ。それこそ、他人事じゃない。

 今週、大学のトイレに、「移民は出て行け!」という落書きを見つけた。
 「大学は出たけれど」ちっとも仕事の見つからない、ってことになりそうな学生が、思わず書きなぐったのかもしれない。……ちょと、胸が痛んだ。

 といっても、今回のフランスの暴動は、いまのところ、スペインではとても冷静に受け止められている。まさに「対岸の火事」といった雰囲気だ。
 でも。いつか、サッカーのスペイン代表チームの主力が「移民の子どもたち」になったときにも、彼らは同じように落ち着いていてくれるだろうか。

 すでに、治安の悪さは移民のせいにされている。
 実は数年前、自宅に泥棒に入られたのだけど(ドリルで壁に穴を開けられたんよ。やるねぇ)、そのとき「これは移民の仕業だね」と、非常に恰幅の良い警部は悠々と葉巻をふかしながらそう即断してのたまった、なにも調べようとせずに。

 また、内田さんが指摘していた公教育の質の低下もすでに大きな問題となっていて、カトリック系の私学には、「赤ちゃんがお腹の中にいるときから」入学待ちのリストに名前を並べるほどの騒ぎになっているという。月に最低でも500ユーロはするという私学の月謝を払える家庭は、そんなに多くはないというのに。


 自分だけが無事でいられる、とは、本当に考えちゃいけないのだ、と、つくづく思った。
 書いているうちに本当にそう思って、ぶるぶる震えてきた。
 移民としても、あるいは移民を受け入れる側としても、あるいはその他のすべての局面においても。
 世界に巻き込まれて、私は生きている。のだね。

コメント (4)

風:

うちの大学院の先生たちは無給です。学部で授業もっている先生たちは給料あるんだけど、大学院の授業にはでないそうだ。
公務員は身分の保障がある(解雇がないし、休み等の条件がいい)というのはあるんだけどね。ちなみに大学院生で中学校の先生である友達は月給1500ユーロくらいらしい。。。いーじゃん。そっちの方が。

カナ (inSpain):

無給ですか! びっくりしました。「学問の府で金のことをガタガタ言うんぢゃないよ」なんて言われちゃうんでしょうか。
日本でも、実はよくある話だったりするんでしょうか。そういえば薄給の研修医制度なんてのもあるそうですし、いや大学ちゅうところは、なかなか怖かとこなんですねぇ。

加藤:

まあスペインはそういう国になりたくてここ何十年かやってきたんじゃないですか。個人的にユーロ導入前のスペインを見聞することができたのは幸せだったかもしれません。スペイン国民にとって何が幸せだったのかはよくわかりませぬ。しかしそんなに物価高騰してしかも円安だし、なんだかお値段的には魅力ある旅行先じゃなくなりつつありますね。

根:

遅ればせながら…。公立大学において薄給で教鞭を執られている方々は、他校、例えば私立の専門学校などがオーガナイズするマスターコースなどで、1時間1万円くらいの報酬でアルバイトされることもあるようです。これは国民保険下の病院に勤める医師の皆さんも同様らしいです。空いた時間に私立の病院でアルバイト、と。ちなみに、マドリの法務省に勤める副課長クラスの友人の月給は1800EUR以上。まちまちですねえ。自治州によっても違いらしいですし…。

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Noviembre 14, 2005 11:18 AMに投稿されたエントリーのページです。

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