エスパーニャよりはじめまして
スペイン、という、よくわからない国に住んでいる。どこにあるのか、冬は来るのか、「トイレはどこですか」とはどう言うのか、そんなことも知らないまま来て、気がつけば6年も経っていた。
恋を、したのかもしれない。よくわからないまま、見よう見まねで、「彼」がそうするように昼間からワインを飲み、シエスタをし、愉快な仲間とバルをはしごし、初対面でも親しく頬にキスしあい、口角泡飛ばして激論を交わし、喜びも悲しみも涙で分かちあい、「明日できることを今日するな」という諺をうそぶきながら毎日を過ごすうち、なんだかものすごく愛するようになっていた。彼、スペインのことを。
「あなたのことをもっと知りたいです」 そう言う代わりに願書をしたため、束脩として幾許かの金を納めて、だから先月、大学の門をくぐった。いや、学生数10万以上という欧州最大(自称←スペイン人が言ったから)のマドリード・コンプルテンセ大学は、市の一角に緑あふれる広々とした町を作っていて、狭い門なんてないのだけれど。ともかくこうして私は、哲・文学部の外国人向けスペイン研究コース(1年間)に通いはじめた。
科目は、言語学、文学、歴史、美術史、文章読解、地理、思想史の7つ。かつて陽の沈まぬ帝国だったという歴史をもち、近代小説の祖とされる『ドン・キホーテ』を生み、っていうか人類最初の芸術であるアルタミラの洞窟壁画までがうっかりあったりするこのものすごそうな国を、いったいどこまで知ることができるのかはわからないけど(授業はスペイン語だし)、できる限りついていこうと思っている。だって、愛しちゃったンですもの。
そしてここに、内田樹さんという、素敵な本とブログを書いているひとが登場する。この話をしたら内田さんってば、「んじゃ、うちでやってみる?」と、親に打ち込んだ千五百点分の点棒をカチャカチャと揃える手を止めてニッコリと微笑みながら(←ご本人を知らないので、ぜんぶ想像)、こちらの長屋に招いてくださったのだ。ありがたや。
とはいっても、なんせアチキはジョン万次郎。なんの因果か流れ着いた国で、自己流で言葉を覚えただけなうえに、生来の粗忽者ときている。ひょっとしたら、というかそれ以上の確率で、学問的な間違いをしでかすだろう。だからそのときは、どうぞぶってね……では痛いので、どうか指摘してください。できれば優しく、叶うならばカバジェロ(紳士)なかんじで。
というわけで、さっそく初回レポートです。
■アンヘル・バーモンデはこう云った:
「いまから10年後には、マドリードは、世界5大都市として数えられるようになっているだろう」
初日、かなり偉い(らしい)アンヘル・バーモンデ教授によるウェルカム・スピーチ「マドリード、その現実と象徴」が行われた。
まず、15世紀にスペイン統一を達成した王家が、翌16世紀に、(1)イベリア半島の統治の便宜上その中心に位置し、(2)強固な既得権を持つ教会や貴族などがいないだだっ広い土地に、いきなり作ったのがマドリードである、という起源を紹介。だいたい、それまで王と宮廷は全国を移動しながら政治を行っていたので、スペインには「首都」という概念はなかったのだ。
新しい概念とともに、ゼロから作る我らが王国の首都。いや、活気あっただろうなぁ。ちなみに、このスペイン統一完了(半島最後のイスラム教国グラナダの陥落)が1492年1月で、同年8月には意欲に燃えるコロンブスが出港、10月に新大陸発見。1519年になると、スペイン王カルロス1世が、新大陸貿易で得た金にあかせて神聖ローマ帝国皇帝として即位(カール5世)。首都マドリードの建設は1561年、その息子であり、いまもフィリピンという国名に名を残すフェリペ2世によって。まさに、「太陽の没することなき帝国」の時代である(実際にはすぐ沈んだが)。
それからずっとマドリードは、スペイン全土から「なにも生産しないで富を吸い上げる、ドラキュラのような町」と疎まれてきた。標高650m(飛騨高山くらい)のメセタ一帯は欧州唯一のステップ気候。オリーブが茂るには寒すぎ、小麦が育つ土も、そして水もない。流れるのは細いしょんべん川で交易の役には立たず、最寄りの海までは350km(およそ東京−名古屋間)。「しかしだからこそ」 アンヘルは唾を飛ばす。「21世紀の今日では、マドリードこそが、さらに飛躍できる都市なのだ!」 ン?
アンヘルは言う。欧州の古い都を見ろ、パリ、ロンドン、ブリュッセルにアムステルダム、どこも歴史ある資源豊かな町で、良港か大河に恵まれている。しかし、21世紀のポスト生産資本主義経済で重視されるのは目に見えないサービスなので、そんなことはたいした問題にならない。それどころか、伝統にがんじがらめにされている古都よりも、どんどん変わりゆける可能性を秘めている新しい町マドリードの方が、よほど発展可能性を秘めているのだ。
ごらん、いま成功をしているアメリカの都市とマドリードは、成立年代も、カオティックなところも、なんとよく似ているではないか。10年後には、マドリードは必ずや、世界5大都市として数えられるようになっているだろう。……3大都市には、まだ無理かもしれないけどね。
実は、スペインに来てよく耳にするのが、この「スペインはもう先進国だ」「もうすぐ一流国だ」という表現である。「世界三大美術館」といえば、ここではルーブル、大英、そしてプラド。「世界三大ファッションショー」といえば、パリ、ミラノ、そしてマドリード。最初のふたつのどちらかがニューヨークに変わることはあっても、最後のひとつが変わることはない。かと思えば、「遅れた農業国だと思っているだろう」といきなり絡まれることもしばしばあって、その自信のなさにかえって驚く。テレビでG8のニュースを読むキャスターは、招かれていないことがこころなしか少し恥ずかしそうだし。
そう、スペインはたぶんいま、ものすごく「成長」中なのだ。オイルショックがあって高度成長が終わったといわれる1973年の日本に生まれた私としてはちょっと実感がわかないけれど、先進国に追いつけ追い越せで、ちょうどモリモリ走っているところなのだ。だからこそ、欧州最大だというコンプルテンセ大学の偉い教授ともあろうひとが、集まった外国人学生に出身地を訊き、ロスやニューヨークから来た若造たちに、「ね、マドリードのこと、正直どう思った?」と、真剣な顔して意見を求めていたのだろう。
スペインの良さって、そこ(ばかり)じゃないのにー。
1999年、通貨がまだペセタだった時代からここにいる私は、見る間に変わりゆく街を見ながら、そう思わないわけでもない。でもそれは「外」にいる人間の、ついでにいえばG8加入国から来た人間の、勝手な感慨なのだろうきっと。高度成長期の日本だって、外からは、そういう目で眺めていたひとがいたのかもしれない。実際にスペインの多くのひとたちからすると、日本はいまでも、「老人を敬う国」という点で、もっとも信頼を置かれていたりするわけだし。
これからスペインは、どうなるんだろう。
学校を出て、この6年間でミラーがなかったり壊れたドア代りにダンボールを貼ったりしている車をすっかり見かけなくなった道路を渡りながら、考えた。なんというか、ドキドキする。まるで化粧をはじめたばかりの女の子のように、時には「あー、やっちゃった!」ってこともある「成長」ぶりを、私はしばらく見てみよう。これもちょうどそう、愛する者を、ただじっと見守るように。
よろしければ一年間、おつきあいください。